5話 伝説の暗算
クレスが怪訝そうに首をかしげた。
「ん~~」
同じ部屋で一泊するというあたりに、不穏さを感じてしまったのだろうか。
うかつだった。普通の女の子なら、知らない男と同室で……ましてや同衾などもっての他だ。
「ど、どうしたのかなクレスさん?」
「さん付けしないでくださいよー」
少女は口をとがらせた。
「いや、そっちは俺のことをドルテさんって呼ぶし」
「目上の人を立てるためです。当たり前じゃないですか」
「一応は敬ってくれてるんだな。で、何に気づいたんだ?」
「うーん、結構強いモンスターだったから、すっごい報酬をはずんでくれたっていうのに、実はお金ちょびっとしかもらえなかったんだなぁって」
「お前、本当にシルバの数え方も知らんのか?」
「わ、解りますよそれくらい! 一枚、二枚、三枚、四枚! ほら、数えられた!」
少女はエヘンと胸を張った。たゆんぷるんと揺れる水蜜桃も自慢げである。
「えー、クレスさんは五百シルバ硬貨を四枚もっています。合計でなんシルバでしょう?」
「え? ご、合計って……」
よりにもよって、クレスは指を折って数え始めた。
「えっと、うーんと……ちょっとあの待ってくださいドルテさん。一晩! 一晩ください!」
「いや、それくらい暗算しろよ」
「ええっ!? ドルテさんあの伝説の暗算ができるんですか?」
少女は濡れた子犬のように震えながらも、瞳をキラキラと輝かせた。
困ったことに、大変誠に遺憾ながらも、嘘や冗談ではなさそうだ。
「お前の故郷はどうなってんだよ。暗算くらい普通にできるだろ」
町でも村でも共同体内の経済活動が維持できているのか心配である。
「ま、まぁ伝説はちょっと言い過ぎでしたね。けど、あたしはできませんからドルテさんは普通にすごいと思います! もっと自信もっていいですよ!」
「できないことを誇るな」
「あ! でも数字とか文字はちゃんと読めますから。ほら、あそこの魔力灯の看板見てください」
やや遠目にうすぼんやりと浮かぶ魔力灯の文字を指さして、クレスはフンスと鼻息を吐く。
「一泊二名様四千五百シルバぽっきりって書いてあります……ぽっきり?」
雨で視界も悪く眼鏡も曇りがちだが、たしかにぼんやりとそのようなことが書いてあるようにも見えた。
「目は良いみたいだな」
「あれって宿ですよね!? よかったちょうど二人の所持金合わせたらぴったり泊まれるじゃないですかぁ! 捨てる神あれば拾う神ありですね。行きましょうドルテさん!」
クレスの手が俺の手首を掴んで引くと、まるでケルベロスにリードをつけて散歩でもしているかのように、グワン! と、身体をもっていかれそうになった。
「お、おいおい待て待て! その宿は冒険者のそれとはちょっと違うんだ!」
「はい? え? 何か問題でもあるんですか?」
わざとだろうか。俺の童貞が試されているのだろうか。
「ええとだな……歓楽街にある宿というのは、休息よりもむしろ運動をするためにあるんだよ」
「トレーニング施設付きなんですね!? きゃー! いいじゃないですか!」
あっ、ちっが~う! 筋トレ方面に行ったか脳筋娘。
「落ち着いて聞いてくれ。ええと、あの手の宿では装備や道具の整備や、名声値を上げる冒険者ログの更新サービスは行われていないんだ」
首からかけた水晶板のタグを見せる。冒険者であることの身分証明書兼、モンスター撃破や財宝発見などの功績を自動記録するマジックアイテムだ。
「特にそういうのなくても大丈夫ですよ。お湯が使えるといいんですけど」
「ああ、それなら安心してくれ。部屋ごとに風呂があ……」
しまった。
「行きましょう! もう決定ですよそんなの! おっふろ! おっふろ!」
「いや待ってくれ。男女じゃないと入れないんだ」
まあ同性同士でも入ることはあるらしいが、少なくとも一人で泊まるような宿ではないって、俺の馬鹿野郎おおおおおお!
「ぴったりじゃないですか! なんだか知らないけど、あたしたちにもツキが回ってきましたねドルテさん!」
いかん。だめだ。もうこの脳筋娘は止まらない。
彼女に半ば引きずられるように、俺は宿の前へとやってきた。
そもそも冒険者ギルドの隣のエリアが歓楽街なのがいけないのだ。クレスの視界内になんてものを建ててくれやがったんだ。