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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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探る真意

「聞きたい事があるんだけど、良いかな」

 遠慮がちなはるさんに、私は瞬く。朝食を持ってきてくれた彼女は、それと一緒に紙とペンを手にしていた。

「一体何を?」

「まぁカウンセリングみたいなものだよ。パンデミックを生き抜いたんだからトラウマの一つや二つあるでしょうし」

 カウンセリングと言われて私は頷く。大きな集団に入るのならそれも当然だろう。彼女は持っていたお盆をいつもの小さな机に置き、紙をひらりとこちらに見せる。両面白紙の、普通のコピー用紙だった。

「午後にまた来て色々聞こうと思ってるから、これは考えの整理用に。話したくないならそう言ってくれれば良いから」

「分かりました」

 紙とペンを受け取ると、はるさんは気遣わしげに微笑んだ。

「来たばかりなのにごめんね」

 とんでもない、と私は首を振る。デパートでの瑠璃さんの行動や、海麗ちゃんの夢遊病を思い返せば、こうやって事情を聞くのは当然の対応だろう。不安に駆られた人間は何をするか分からないし、精神的な衰弱は静かに本人を蝕む。

 私ははるさんを気負わせないよう、できるだけ明るい声で言った。

「大丈夫です。午後までには話せるようにしておきます」


 はるさんを見送り、私は小さく息をつく。感染者の唸り声が耳に蘇ったのを、振り払うようにぎゅっと目を閉じた。

 はるさんはパンデミックを生き抜いたと言っていたけれど、とてもそうは思えなかった。今はまだパンデミックの真っ只中だ。カウンセリングをしても解決も、克服もできない。この状況はまだ続く。それは私にとっても、はるさんにとってもそうだ。

 だから、と私は白紙のそれに目を移した。


「こんな事、やって欲しくない」

 惨劇を終わったものとして扱うのも、そうと見えるように振る舞うのも。その為に私達をケアしようとして、すり減るのは彼女らだろう。それに全てをやるべきは自衛隊だと思い込んでしまいたくない。

 責任を押し付けるばかりでは、また。


 青白い顔で眠っているジェイドさんが瞼の裏に蘇る。心臓を直接握られたような恐怖も、まだありありと思い出せるのだ。



 午後、約束の時間ちょうどにはるさんはきてくれた。やはり申し訳なさそうな、気遣うような雰囲気で。

「どうかな、話してくれる?」

 対面に椅子を引き寄せた彼女に、私はそっと紙を差し出した。

「……無理、かな」

 白紙のそれに目をやって、彼女は声のトーンを下げる。けれど私はそれに対して首を振った。彼女を真っ直ぐに見据え、嘘でない事を表すようにはっきりと伝える。

「はるさん、私は平気です」

 顔を曇らせ何か言いかけた彼女に、私は被せるようにして言葉を続ける。

「確かに酷い目には遭いました。けどそれを思い出して取り乱す事はほとんど無いと思います」

「そうは言うけれどね」

 はるさんは困ったように私を見た。対面に腰を下ろした彼女は何も書かれていない紙に手を置く。

「自分自身、分かっていない精神の疲れがあるのよ。安心できる場所に来たら不調が出るの」

「私は、」

 咄嗟に否定しようとして、けれど口を噤んだ。少しだけ、言いたかった事とはずれてきているような。

「それは、分かっています。……はるさん、カウンセリングって言いましたよね」

 上目遣いに彼女を覗き、慎重に言葉を探る。聞く体勢の彼女に、今度は焦らずに考えを組み立てた。

「私に対しては、そこまで慎重にならなくても大丈夫です。ここまでの出来事は話せるし、そのせいで抑えられたり対処が必要なまでは取り乱しません。はるさん達に迷惑をかけるくらい情緒不安定な事にはならないと思います」

 確かにここに来てから悪夢を見る事が多少増えた。けれどそれは明らかに、他の人達と――ジェイドさんや、白樺さんや海麗ちゃんと話す事が減ったからだ。

 一人で考える時間は多すぎると疲れてしまう。


 不意に言いたかった事が口から滑り落ちた。

「……はるさん達だけが、抱える必要のあるものじゃないから」

 ずっとそうだった。はるさんは明るい。でも折に触れて眉を下げていた。どこか、不安そうに。


 はるさんはかすかに唇を開いて、じっと私を見ていた。次いでその顔にだんだんと笑みが広がる。

「そんな事言われたの、初めて」

 少女みたいな、無邪気な笑顔だった。

「いい子だね、全く」

 小学生の頃くらいでしか言われないようなその褒め言葉は、けれど嫌味でもないようだった。だからこそ私は何と返せば良いか分からず曖昧に笑う。


「でもとりあえず、暴動が始まってからの事は聞くよ」

 どことなく張り詰めていた彼女の声が緩んで、私は僅かに肩の力を抜いた。鈍い光に照らされて、彼女の輪郭が柔らかく浮かんでいる。

 話し始めれば、彼女は自警団のことや、研究所でのことも既に知っている様子だった。だから私は感情をそっと頭の隅に追いやり、静かに話すことができた。

 話すごとに顔を曇らせる彼女に、ある程度は経緯を省く。こんな話はきっとありふれていて、けれどはるさんはこんなにも胸を痛めてくれているのが、なんだか申し訳なかった。

 全てを話し終えると、はるさんは静かに、堪えるように深いため息をつく。ややあってから、唇に笑みを乗せる。

「……ありがとう。大変だったね」

 無理矢理の笑みに、私は首を振った。

「何度も助けてもらいましたから」

 話している間、透き通った翠色を思い出していた。落ち着いて話せたのは相手が大体の経緯を知っていたからじゃない。きっともう辛い感情は掬われていて、だからだ。

 私はずっと、色んな人に救われてきた。その中でもあの人は中心に居て、手を差し伸べてくれた。

「今居る人達は皆優しいんです」

 はるさんがふっと唇を引き結んだのが見えて、私は怪訝に言葉を切る。けれど彼女は沈黙も束の間に、少しだけ顔を傾けてみせた。

「それは……本当?」

 窺う雰囲気に私は戸惑いながらも応えた。

「はい。えっと、暴力を振るうような、そんな人は」

 言ってから、胸の内で苦笑する。自警団のせいで、人としての優しさのハードルが下がってしまっているかもしれない。

「精神的に不安定になってしまう人は居ましたけど、自警団みたいな、他人がどうなっても良いだなんて人は居ません」

 海麗ちゃんも落ち着いてきたようだし、瑠璃さんも友好的だ。付け加えれば、彼女は少し身を乗り出した。

「例えば、誰かな。精神不調は本人からは言いにくいだろうから」

 そういうことなら、と私は海麗ちゃんや金井さんの事を話す。気をつけるならその二人だろうと、経緯も軽く伝えておく。はるさんとしては八木さんや瑠璃さんのような、集団を乱してしまうような人を知りたいのだろう。けれど彼らのことが悪者のように伝わってしまうのは嫌だった。それに八木さんは、必要があれば男性陣が伝えてくれるだろうし、適切なフォローもしてくれるはずだ。自警団のこともあって、女性陣が精神的に脆くなってしまっていることも把握してもらったし、大丈夫だろう。

「そっか、うん。わかった。二人のことは特別気にかけておくよ」

 メモを取り、彼女は軽く頷く。やはり欲しかった回答とは微妙にずれていたからか、彼女の顔は晴れず、何か気掛かりがあるようだった。

 兎にも角にも、暴動以降の経緯はこれだけだ。はるさんは最後まで迷っている様子を見せたけれど、結局、何を言うこともなかった。


「あ、そうだ。これ今日のお礼」

 はるさんがポケットから何か取り出す。差し出されるまま受け取れば、それは小さな飴だった。


 いつか、白樺さんからこっそりと貰った物と同じ。


 私は立ち上がったはるさんを見上げてお礼を言った。飴を手のひらで包むようにして、私は更に重ねる。

「隔離が明けたら、何か手伝わせてくださいね」

 背を向けかけたはるさんがパッと破顔して、ひらりと手を振った。

「きっと、お願いするよ。じゃ、また夜に」

 扉が閉められて、私はふっと肩の力を抜く。今までの凄惨をこれ以上思い出さないように、飴玉を早速口に含んだ。優しい甘さが口に広がる。


 本当に、まるで元の生活に戻るような――戻すような対応ばかりだ。私はこれから、どう過ごせば良いのだろう。

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