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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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クワルツの役割

 俺は戸倉海音を見やる。彼女に会いにいくと聞いて複数人が集まり、その多数が気遣う様子を見せた。その内の男性陣はジェイドに会う事が目的のようにも思えたが、それならわざわざ戸倉海音に会う必要もない。


 笑顔の下で俺は観察を続ける。

 彼女のグループ内での立ち位置は庇護対象なのだろう。だが存在感がそこまでたち消えない理由がわからない。どこにでも居そうな、普通の女の子だ。


 守ってもらう立場は消えやすい。声も相対的に小さくなる。やはり理由は白樺秋だろうか。頼り頼られることの上手いらしい彼はなかなか、周囲に気に入られている。その白樺秋が戸倉海音と親しいから、自然と彼女も輪に入っているのだろう。


 ふ、と静まり返った場面に、俺は笑みを消した。

「……男の人が、トラウマで」

 御陵海麗の告白に、ふぅんと相槌をうつ。この状況下では良くあることだ。良くある、あってはいけないこと。このパターンを何十回と見てきた。主に女性自衛官が心を砕き、回復に努めてきたことも。


 時機を見計らい、会話に割り込む。

「じゃあジェイドは?」

 正直アレは誰でも怖いところはあるだろうが。グループ内の色んな者が気にしているようだし、そこそこの信頼を得ているかもしれない。

 おずおずと出された返答に、俺は笑顔を貼り付け即座に返す。

「なら俺も平気だね」

 なるべく明るい、おちゃらけた態度をとってみせる。少しでも女性自衛官の負担を減らしたかった。トラウマはうつることもあるのだ。その辺りのバランスは、常時綱渡りだった。

「クワルツさん暴論すぎる!」

 白樺秋がむっと口をとがらせる。しれっと名前で呼ばれたことに、眉がぴくりと動いた。思い返すのは、戸倉海音が指摘しかけた苗字の違い。それを慌てて遮る白樺秋。


 あとでジェイドが旧姓を名乗っていることを問い詰めなければならない。


 それから御陵海麗の告白も終わり、以降も和やかな雰囲気でゲームは続いた。レクリエーションとしては上手いもので、余裕があればこちら側でも何か取り入れたいくらいだった。


 俺は軽いサイコロを指先で転がす。ゲームの流れから、この場にいる者達の大体の関係性が伺えた。


 女性陣は戸倉海音と御陵海麗を中心に丸め込めばまず問題ない。そもそも自衛隊について強く疑われてはいないだろう。


 男性陣についても、主に白樺秋に信用してもらえば、おとなしく市民として保護されてくれるはずだ。さらに三ノ輪泰希(たいき)の話から、信頼できる自衛官はジェイドの事だろう。ならばジェイドも相当に信頼されている。今後そのジェイドの口から大丈夫だと太鼓判を押してもらえばいい。


 朝昼晩と飯時の様子を見ても、彼らはもとより冷静な判断ができる性格なのだろう。道徳的であり、自分から保護を拒否する可能性もほとんど無いと言っていい。

 保護を蹴って出ていくその時は、おそらくこちらが見限られた時だ。保護を望めても信用ならないと判断されれば、彼らはここを離れるだろう。



 ゲームやら雑談やらがことの他盛り上がり、気づけば昼時になっていた。俺と喜田さんの二人は隔離担当なので厨房の手伝いはない。一度解散した後、俺と喜田さんは念入りに手洗いをしてジェイドの昼飯を受け取りに行く。


 食堂へ向かえば、入口には厳しい表情の大賀さんが腕を組んで立っていた。いつもと違う険しい雰囲気に俺はくっと顎を引く。

「飯村、喜田。すまない、面倒が増えた」

「どうしたんですか」

 大賀さんが手に持っていた小さな袋を掲げる。チャック付きのそれに入っているのは一粒の小さな錠剤。よくよく見れば、表面には星型があしらわれている。


 ぴり、と肌に刺さる殺気。隣にいる彼女からだった。


 しかしその殺気などまるで隠して、彼女は静かに口を開いた。

「――覚醒剤、ですね」

 服用すれば一時的に疲労感や眠気がとれたように()()する薬物。それはなるほど、パンデミック下では誰でも欲しくなる良薬だった。

 だが日本では所持も使用も禁止されている。たった一粒飲み込むだけで法外だ。


 厄介なのは服用後と断薬させた時の禁断症状。効果が切れた後は強い脱力感や倦怠感、一見すると体調不良にも見えるそれだった。禁断症状は酷いもので幻覚や妄想、その果てに暴行や殺人に走ることもある。


 俺は密かにため息をつく。薬物使用者をうっかり避難所に入れて出た被害は計り知れない。

 新しい面々を思い返しながら、俺は大賀さんに訊ねた。

「いったい誰が持っていたんです? そこまで怪しい者はいませんでした」

 一時的に預かっていた彼らの持ち物から出てきたのだろうが、その荷物自体、見知らぬ人のものを使用している事もあるだろう。

 どうか、何かの拍子に紛れ込んでいただけであってほしい。薬物依存への対処は、それはそれは過酷だ。本人にとっても、俺達にとっても。


「屋上に居た、――坂本武仁だ」


 地毛の混じった、明るい茶髪。確か大学生くらいの。俺は思わず目元を手で覆う。

「保護してから丸一日、部屋にこもっていますね」

 今日もまだ、食堂には顔を見せていない。同室のものによれば一日中横になっているとの事で、食事だけは彼に渡している状態だった。風邪っぽくもなく、最初に噛まれていないことを確認していたせいで、特に気にかけていなかった。


 保護されて気が抜けて一日中眠る事も、何度か見たパターンなのだ。それで回復できればよし、無理に刺激してはいけない期間だ。


「聴取を早めます。周辺から、彼について不審な点が無いかも含めて」

「私も女性陣に聴き取りを」

 大賀さんは俺と喜田さんを見回し、しっかりと頷いた。



 食堂で自衛隊の人が用意してくれた食パンをかじる。三ノ輪さんと八木さんと、戸倉さんに会いに行ったメンバーはなんとなくそのまま固まって昼食を摂っていた。御陵は女性二人を見つけると、小さく会釈して早々にその輪に入っていった。


 集まっている人達の中でも、やっぱり武仁の姿が見えなくて、俺は眉根を寄せる。

「武仁、大丈夫かなぁ」

 同じ部屋の人はずっと寝てると苦笑気味に教えてくれた。丸一日眠って、それでもまだ起きてこられないというのは心配だ。

「精神的に参ってるんだろ。今回のはえぐかったし」

 俺の独り言に、三ノ輪さんが興味なさげに返す。確かに、屋上での感染者との攻防はなかなかに辛かった。そのうえ武仁はドアを開けられる感染者を一番に発見したのだ。体力的にも、精神的にも疲れきっているんだろう。

「それに蛍さんも筋肉痛で動けなくなってるしな」

 三ノ輪さんが軽く笑う。扉を開けようとする感染者と真っ向から対峙した蛍さんは、腕が持ち上がらないうえに、全身筋肉痛で動けないらしい。

「それご飯ちゃんと食べれてる?」

「俺がゼリーを飲ませてあげてます」

 背後から声をかけられて振り返れば、手にゼリー飲料の袋を持った金井さんがいた。中身は既に空のようで袋は平たい。

「もうトイレ行くたんびに呻いててさ」

「可哀想〜、ジェイドさんの後に遊びに行っていい?」

 腹筋が痛ければ起き上がれないし、足が痛ければ立ち上がれない。行動の最初ができないから相当不便で、退屈だろう。

 うかがう俺に、金井さんは軽く笑って頷いた。


 食事も摂り終えて、クワルツさんの先導でジェイドさんが隔離されている部屋へ足を向ける。

 扉を開ければ、ジェイドさんは入り口近くのベッドに足を組んで座っていた。ぱっとその目が上げられる。

「来たよー」

 何をしていたのかと手元を見れば、複雑に組まれた銀色の輪っかが鈍く光っていた。ちょっと身を屈めてしげしげと見つめる。

「知恵の輪?」

「ジェイドも暇そうだったからね」

 クワルツさんが俺とジェイドさんの距離を離すように何気なく割り込む。そういえば一昨日は部屋に入り込んだ事についてくどくどとお説教されたのだった。


「クワルツ、また組んでもらって良いか」

 ジェイドさんの瞳が横に滑る。その視線の先には、バラバラになった知恵の輪が転がっていた。量的に一つや二つじゃないそれ。

「うわ……」

 同じものを見たらしいクワルツさんが呆れたようにため息をつく。

「飽きないね。っていうかもう覚えてよいい加減」

 ぶつぶつ言いながらもクワルツさんはジェイドさんの隣に腰を下ろす。


 知恵の輪を組み始めた弟を一瞥すると、ジェイドさんは俺達に目を向けた。少しだけ安堵を滲ませ、組んでいた足をほどく。

「聞いてはいたが、皆無事だな。金井と熊谷は」

「蛍さんが筋肉痛でダウン中。金井さんが付き添ってくれてるんだよ」

「扉を抑えて、だな」

 確認のそれに頷く。八木さんが片眉を上げて口を開いた。

「いつ話したんだよ? 昨日は来てないだろ」

「救助されたその日に」

「無断で部屋に入り込んでね」

 棘のある声で補足されて、俺はむっと口を尖らせる。隔離中なのに忍び込んだ事は悪いと思っているけど。

「バカが」

 三ノ輪さんが拳でコツンと俺のこめかみを小突く。それに関しては俺の味方ではないらしい。目で不服を訴えれば、三ノ輪さんは片眉をぴくりと上げる。一瞬のお叱りに俺は黙り込んだ。


「さて、ここに居る人達に聞きたい事があります」

 知恵の輪の一つを組み終えたクワルツさんは、それをジェイドさんの方へ放る。一斉に視線を向けた俺達に怯む事なく、クワルツさんは意外に真摯な瞳を向けた。


「そう身構える事じゃありません。ただこちらに来るまでの事を話せる方をお聞きしたい。カウンセリングのようなものですが、無理には聞き出したくありませんから」


 カウンセリングは、確かに必要だろう。集団に入れば何が恐怖になるか分からないから、先に聞き出しておきたいのだ。多分、クワルツさん達にとってはアレルギーを聞くようなものだ。


 三ノ輪さんが顎に手をあてがう。

「聴き取りに関しては、良いけどな。一人に聞いてはいお終いってわけじゃないんだろ」

「えぇ、いずれは全員に聴き取りを行います。ただそのためには事前情報が要る。俺達は」

 クワルツさんがほんの一瞬、目を伏せる。瞬きのようなそれは、見間違いかと思うくらいに刹那の感情の揺れだった。

「精神科医じゃない。ベストな対応はできない。だから聴き取りは余裕のありそうな者から行いたいんです」


 先のすごろくでの御陵の様子を見れば分かる。話すのも辛そうで、何度も恐怖を押し込むように言葉は途切れた。

 そんな状態で今までのトラウマを聞き出そうものなら、どんな精神状態になるか知れない。クワルツさんはそれを懸念しているのだ。


「けど何で今なんだ。その言い方なら一時的な拒否もアリなんだろ? 飯時にでも告知すりゃいい」

 八木さんの疑問にクワルツさんは軽く頷いた。

「今までは一斉に聞いて、後に時間の都合をつけていました。だけど今はジェイドが居るので」

 声に笑みを含ませてちらりと隣を見やる。

「俺と何の関係があるんだ」

「三ノ輪さん、あなたが言っていた信頼できる自衛官というのはこれの事でしょう?」

「おい」

 三ノ輪さんから一番の低い声が聞こえて、俺は思わず振り返る。舌打ちしそうな形相で睨みつける三ノ輪さんに、クワルツさんは飄々と言ってのける。

「信頼しているジェイドが居るなら安心して話せるでしょう。特にあなたは」

 信頼という言葉をやたらと強調しながら、にやりと猫のように笑うクワルツさんに、遂に三ノ輪さんが舌打ちをした。

「え、何、どういうこと?」


 話の繋がりが分からない。聴き取りが一対一だと難しい人がいるのだろうとは思うけど、三ノ輪さんがそれに当てはまるとは到底思えない。むしろ感情を交えず事実だけを話すのに適役なのは三ノ輪さんだ。


 軽く混乱する俺に、クワルツさんはわざとらしかったいやらしさを消して、滔々と話す。


「ここまで生き延びてきたあなた方の話が聞きたいんです。生き延びるために何をして、何があなた方を生き延びさせたか、教えてほしいだけ」


 生き延びるために、何をしたか。

 聞かれた事を反芻して、苦い思いが胸に広がった。銃声と火花が瞼の裏でちらつく。一瞬にして空気が固くなって上手く吸えなくなる。

「その生き延びる術が残酷だった者もいるでしょう」

 つまりカウンセリングと称して測りたかったものは俺達の危険性だ。一定のラインを超えたその先は、つまり。すぅっと額が冷たくなる。


「俺達は無責任に保護ばかりしていられない」

 思いつくと同時に叩きつけられた正解に、指先が動いた。銃の引き金をひくように。


「でも俺はクワルツに、カウンセリング役に信頼されている。その俺がお前達を信じているんだ」

 ジェイドさんの、噛んで含めるようにゆったりとした口調。ぱちりと翠色の瞳と目が合った。ゆっくりと瞬きをするジェイドさんに、ようやく瞬きさえ忘れていたことに気づく。


 だから正直に話して良いと。ジェイドさんはつまり自衛隊と俺達、両方に信頼を貸し出しているのだ。


「三ノ輪さん、あなたは俺を信用できないでしょう。聴き取りを申し出た時点で適当な理由をつけて保護を放り投げる可能性も考えていたはずだ。君も」

 深い緑色の目に見据えられて、俺は身を竦める。

「それに思い至った途端、緊張したね」

 クワルツさんが静かに立ち上がる。

「あなた方の道徳を信じたい。どうか、ご協力をお願いします」


 深く、頭を下げるクワルツさんの声は、いつかのジェイドさんと良く似ていた。


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