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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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硬い約束

 虚ろな瞳が、俺を見ている。


 乱れた長い黒髪は艶を失い、蛇の死骸のようで。青白い、投げ出された手は救いを求めるようで。その体に重なるいくつもの死に様が、俺を嘲笑うようだった。

 目を逸らす事も後ずさる事も、手を伸ばす事もできない。むしろ自分が存在している事さえ危ういような。


 息の詰まる、夢だった。


 ぱっと目を覚ませば、薄暗い天井が目に入った。見慣れてはいる、隊舎の天井だった。それが陽の光ではなく、人工的な光源で僅かに明るい。

「ジェイドさーん、大丈夫?」

 小さく声をかけられて、ふっと気が抜けた。同時に落ち着いて今までの事を思い出す。

「……白樺」

 声は掠れた。軽く咳払いをすると、横から吸い飲みが差し出される。口元に持っていこうとするので、手で制して起き上がった。

 吸い飲みを受け取り、ぬるい水を飲んで漸く一息つく。

「今は何時だ」

「夜の九時くらい、かなぁ。ここの時計止まってるんだよね。それよりさ、うなされてたよ。大丈夫?」

 ベッドのふちに両腕を組み、そこに顎を乗せた白樺が首を傾げる。

「あぁ」

 先程の悪夢の名残りに、思わず声は低くなった。自分ながら、嫌な夢を見せてくるものだ。それにしても、随分と眠っていたらしい。軽く八時間は寝たはずだ。証拠に、体はやや軽い。

 ゆっくりと息を吐き出し、悪夢を振り払う。

「お前、なんでここに居るんだ」

 声をかけても姿勢を変えないから、白樺のつむじを見下ろす事になる。

 人が寝ているのを見るのが趣味か、と付け加えると、ぱっと顔を上げ、面白いようにむくれた。

「ひっどー。心配で部屋抜け出してきたのに」

 その言葉に純粋な笑みが漏れた。見た所こいつも大きな怪我はないらしいことに、ほっと眉を開く。

「先に宿舎に戻ってきた人に聞いたよ。かなり疲れてるって」

「……火だるまの奴らに追いかけられたからな」

 薄闇にぼうと浮かぶそれが鮮やかに蘇る。感染者は闇雲に前に走っていただけだろうし、少ししたら崩れ落ちていたが、組み付かれれば終いだった。

「それも聞いた。怖すぎでしょ、なんなの」

 白樺が吐き捨てる。ならば待機組の行動はほとんど知っているのだろう。

「お前の方は。籠城している間に何があった?」

 聞くと、白樺は困ったような顔をしながらいきさつを話し始める。

「まずドアを開けられる感染者が居て」

「……」

 初手から殴られるとは思わなかった。思わず沈黙する俺に、白樺は緩くため息をついた。

「大変だったんだよ。ドア抑えて、雨もめっちゃ降るし」

 それから話は若干行き来しつつ、海音が怪我をした原因を知る。聞き終える頃には、何故かどっと疲れていた。


 火傷を負うことなど、分かるだろうに。

「利き手は大切にしろと言っただろうが」

 特に海音はナイフの方が扱いやすいようだから、注意するように言い含めてあった。屋上から炎をずっと見ていたからこその判断か、それにしたってもう少し何か、手段があったはずだ。

 頭痛を堪えるように、額に手を当てる。と白樺はきょとんとした顔で首を振った。

「ううん。戸倉さんが怪我してたのは左手だったよ」

「そうなのか」

 それならば、と一瞬気分は和らいで、しかし次いである事に気づいてぐっと眉が寄った。

「火傷も織り込み済みか……」

 出会い頭に言い淀んだ海音を思い出す。あれはきちんと、火傷も承知で火を使ったのだろう。

「マジ?」

 白樺が目を丸くする。そして頭を抱え、ベッドに突っ伏した。

「マジか〜……、ごめんジェイドさん、俺」

 止められなかった、と言葉はしりすぼみに消えていく。

「謝るなよ。止められる場所にも居なかっただろう」

 苦笑し、頭を軽くはたく。こいつもこいつで、ドアの隙間から特定の感染者を狙うなど、随分な重荷を負わされたのだ。更にそれを成功させて。

 はたいたついでに、そのままくしゃりと髪を撫でる。

「良くやった。白樺」

 できるだけ柔らかく言うと、白樺はこちらを向いてへらっと相好を崩した。しかしその笑みがふっと困ったような表情に変わる。

「それでね。俺達もう外に出て感染者と戦わなくて良いらしいよ」

「まぁ、自衛隊による保護、だからな」

 それは喜ばしい事だろうと、怪訝に思いながら返す。戦う必要が無いのならすばらしい事だ。もう無闇に怯える事もなくて済む。

 だが白樺は目を泳がせ、しばらく何か迷っている様子で黙り込む。根気強く待っていると、やがて躊躇いがちに口を開いた。


「それって、一生続く?」


 弱々しい声に、はっと目をみはる。嘘でも肯定した方がいいとは瞬発的に分かったが、口はにかわでくっついたように動かない。

「政府に代わるものがあるって、説明してくれた。ここより安全だってのも、聞いた。でもさぁ」

 もう、信じられないのだ。何もかも、自衛隊も、政府も。今まで守られているという意識さえ持っていなかったものがあっという間に崩れ去って、機能しなくなったさまをこの子は一から見ている。

 それは今生きている全員がそうだ。

 気づいてしまったそれに、胸が塞ぐようだった。白樺は更に訥々と続ける。

「俺、何も出来なくなるの怖いかも」

 あぁ、と俺は心の中で唸る。俺は自然と、傷が癒えればこの駐屯地で隊に混ざるのだろうと、そう思っていた。まだ戦うつもりだったのだ。


 だが白樺達は違う。選ばなければならない。武器を捨て、弱い存在として守ってもらうか、自分たちも戦うか。戦う選択はすなわち保護を受けないと言うようなものだ。


 その恐れは誰のせいかと言われれば、もう瓦解した自警団のせいでもあり、状況のせいでもある。それは今どうにもならない。だが強いて言うなら――。

 ふと、浮かんだ考えを、俺は吟味もせずそのまま口に出した。


「――桜木芽を、探し出そう」

 白樺が訝しげにこちらを見あげる。それに俺は微笑んでみせた。先の発言を、少しだけ言い換える。

「俺が桜木芽を探す。薬を作らせて、全て終わらせる」

 お前達が安心して守られるように。ワクチンも薬も、もともと探していたものだ。そうして薬が出来れば、感染者の脅威はいつか去る。普通の感染症じゃないのだ。発症も分かりやすく、感染経路は体液を多量に浴びる事と限定されている。この感染症を駆逐するのは、予防と対策さえあれば容易い。

 光源である懐中電灯は、白樺の後ろにあるベッドからだ。逆光の中で、それでも白樺の瞳がちらと輝く。希望を見つけたように。弾んだ声で、白樺は言いかける。

「俺も――」

 着いて来ようとするのは想定内だ。だから俺は素早く遮った。

「お前は、お前と海音は、ここに居てくれ」

 途端に白樺の顔が曇る。不本意そうに口を閉じた彼を、諭すようにゆっくりと続けた。


「ここで、俺の帰る場所になっていてくれ」


 守っていてほしい。そう付け加えれば、白樺は何も言わずに俯いた。やはりこんな口約束では葛藤はおさまらないだろうか。

 しばらく経って、何か声をかけようとした時、白樺がぱっと顔を上げた。

「分かった。でもそう言うんなら毎回ちゃんと帰ってきてよ。戸倉さんと待ってるから、絶対帰ってきて」

 早口にまくし立てる白樺に、笑みを浮かべて首肯する。

「絶対だよ」

 念を押され、俺はもう一度深く頷いた。それでようやく納得できたのか、白樺の表情がやわらぐ。

「じゃ、もう行くね」

 軽く手を振る白樺に、密かに息を吸う。

「あぁ。じゃあな、(しゅう)

 背を向けたタイミングで名前を呼ぶ。上手く言えるか不安だったので、内心息を吐いた。

 案の定、秋は勢い良く振り返る。ぽかんと口を開けたのち、こちらにずいっと寄ってきた。

「俺の名前覚えてたの!?」

「当たり前だ」

 食いつきの良さに苦笑する。

「言いにくいからな、お前の名前」

 鋭く空気を吐いたあとに母音がくる単語は、ともすればうっかり英語の発音になりそうで、今までは呼ぶのを躊躇っていた。

「アメリカ人の先生には笑われたね」

 そう言ってけらけらと笑う。確かに、発音は(シュー)と同じだ。

「でもジェイドさん普通に言えてるよ。明日になったら戻ってるとかやめてよー」

「善処する」

 やたらと嬉しそうな様子に揶揄いで返す。それでも頬は緩めたまま、秋は背後にあった懐中電灯にちらりと目をやる。

「そろそろ見回りが来そうだから出ないと。また来るからね」

 その言い方に引っかかるものを覚えつつも、俺は首肯を返した。

 懐中電灯を回収して、秋はどこか急いだ様子で扉へと向かう。かと思えばぴたりと扉の前で聞き耳をたてた。そのこそ泥のような行動に俺は首を傾げるが、秋はこちらに手を振ると、扉を開けするりと外へ出た。


 ややあって「ぎゃぁ!」とひっくり返るような秋の声。

「なんだ?」

 感染者ではなさそうだが、と訝しく思いながらも腰を上げる。秋の悲鳴以降、何も聞こえてこない。

 ドアに近づけば、僅かに話し声が聞こえる。危険な事は無いのだろうと踏んでドアを開け、見えた光景に思わずため息をつく。


「……ヘッドロックはやめてやれ」


 何故か秋がクワルツに捕まっていた。

 力は微塵も入れていないのだろう、顔は良く見えないが秋が苦しんでいる様子はない。

「あ、ジェイド起きたんだ」

「はーなーせーよ!」

 俺を認めた秋がじたばたともがき始める。クワルツがぐっと腕を狭め、低い声を出した。

「駄目です。優しくしてれば調子乗りやがって」

「秋は何やらかしたんだ」

 捕獲の様相を呈したそれに小首を傾げる。クワルツはわざとらしいため息をついた。

「ジェイド、怪我してるでしょ。そういう人は基本的に隔離してるわけ」

 なるほど、と俺は頷いた。感染症への対処としてはいたって普通だ。

 それでヘッドロックをかまされているこいつは見回りやら何やらを警戒し、こそこそと動いていたのだ。


「秋が悪い」

「ジェイドさん!」

「でも離してやれ」

「ジェイドさん……!」

 同じ事を言っているのに器用だな、と片眉を上げる。ややあってクワルツが渋面で腕を離した。

「まぁ一日目なら大目に見るけどさ。大賀さんも言ってたでしょ、ちゃんと俺達に言えば会えるんだから」

 がくりと肩を落とした秋が小さく頷く。そこまでして話をしに来てくれた事は嬉しいが、規則は規則だ。守ってもらわなければ、動きにくくなるのは秋の方だろう。

「今度は正規の方法で来い。良いな、直接来ても追い返すぞ」

 あえて厳しい口調で釘を刺す。さらに小さくなった秋はやはり頷くだけで返事とした。クワルツに目を向けると、彼は秋の腕を掴む。

「行くよ。ジェイド、起きてられそう? 後で話しに来るから」

 視線をこちらに滑らせたクワルツに頷く。今なら頭も冴えている。

「え、ずる……」

 ぽそと呟いた秋は、しかしクワルツに引っ張られ、出口へと向かっていった。

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