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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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兄と弟

 どうやら今朝は束の間の晴れ間だったようだ。曇天に鈍い日差しが降りそそぐ中を走る。医務室のある建物は自動ドアだが、今は手動での開け閉めだ。それが今は酷くもどかしい。


 無線での連絡が入ったのは、ちょうど救助したばかりの彼らの様子を見に行こうとした時だった。外国人らしい者がいるが、怪我をしているので医務室に連れていくらしい、と。大賀さんは既に向かっている途中だったのだろう、声は急いていた。

 

 怪我と聞いて、一も二もなく駆け出した。救助者への聞き取りなど後回しだ。

 

 建物内は流石に早歩きに切り替える。話し声の聞こえるドアを見つけ、ノックもなくガラリと開け放った。

「失礼します」

 室内を見回すまでもなく、目の前に座る人物と目が合った。その目がどんどんと見開かれていく。

 俺は苦く唇を噛んだ。まったく、この兄貴は。

「クワルツ」

 名前を呼ぶ声に、俺よりも幾らか明るい翠の眼が薄らと滲んだ。その顔が揺れて漸く、涙が出ている事に気づいた。伸ばされた手が俺の腕を握る。

「無事に会えて、良かっ――」

 安堵のこもった、兄にしては優しい声。


 を、ぶったぎるようにして頭に手刀を落とした。


「クワルツ! 怪我人だぞこいつは!!」

 ジェイドの傍に立っていた大賀さんが声を荒らげる。

「だって大賀さん!!」

「俺もやったからもう駄目だ!」

 先に着いていた大賀さんも同じ事をしたらしい。その事に幾らか溜飲を下げ、ぐいと目元を拭う。そういえばヘリに乗ってからメガネを着けるのを忘れていた。

「クワルツお前……」

 頭をおさえ、呆れたような視線を向けてくる兄に、ふいとそっぽを向く。

「屯地にも戻らない、避難所にも居ない奴の事なんか知らねぇ」

 しかし無事に、とは言えないのかもしれないが、再会できた事は嬉しい。それをどうにか婉曲に伝えようとしたところで、その人からは考えられないような、低い、低い声がした。

「二人とも」

 その威圧に俺は直ちに姿勢を直す。医官が静かに、淡々と警告する。


「診療の邪魔をするなら、出ていなさい」


 ここでの一番の権力者は医官の彼だった。

 医務室をほっぽり出され、声がかけられるまで、大賀さんとぽつぽつと会話する。大賀さんからジェイドと別れた経緯を聞いた時は、卒倒しそうだった。俺を、弟を差し置いてあいつは。

「……そういえば、その女の子らしい子はいませんでしたね」

 まだ幼稚園くらいの小さな子どもだと話に聞いていたが、最年少は中学生か小学生かその辺りだろう。

 大賀さんがあぁ、と苦虫を噛み潰したような顔で頷く。

「あの子は感染者の血を浴びていたようだし、安全な場所で留まっていられる精神状態じゃなかっただろう」


 泣き叫ぶ子どもの声を、自衛隊(おれたち)は嫌という程聞いてきた。子どもである分、壊れ方も素直で――痛ましかった。状況の判断が出来ない幼子はただ悲痛をいっぱいに表現する。それすら出来ない子はすぐに死んでしまった。

 大賀さんから見れば、その子もおそらく壊れる寸前だったのだろう。そんな子を見過ごせなかったジェイドも、放置すれば壊れると判断したのだ、この人は。


 ジェイドの性格を考えれば、件の女の子を見過ごせば過剰に自分を責めただろう事は容易に想像できる。

 それにジェイドは過去のせいか、少しでも接触のあった人間に危害が及ぶ事を恐れる。それでもって守ろうと躍起になるのだ。


 大賀さんはそれを知らないだろうが、何か勘づいていたのかもしれない。対人においても場数を踏み、経験を積んだその人は、やはり眉間に深い皺を寄せて続ける。

「例の子は守り切れなかったんだろう。弟から見て、どうだ。あいつは平気そうか」

「情緒的な面では、そうですね。落ち着いているように見えます」

 やはり集団に入っていた事が大きいだろうか。先に救助した彼らの雰囲気からしても、人間関係は正常で、むしろ良いとまで言えそうだ。

「乗り越えたか、奇跡的に他の集団に預けられたか、だな。まぁ、ジェイド含め慎重に見ていこう」

 疲れたように眉間を揉む大賀さんに頷く。


 一般的にPTSD(トラウマ)は一週間から一ヶ月程度で発症する。症状は様々だが、見てきた中では食欲不振に不眠、攻撃的な行動があった。ストレスを内に落とし込む者もいれば、外的に行動を起こす者もいるのだ。

 そして更にそれを見てPTSDを発症する者もいるのだから、対応は特に慎重にならなければいけない。

 霞ヶ浦には、PTSDへの対応、そして危険人物の判断が任せられている。


 だがどこぞの誰かが心配したように間引きする事は無い。酷いストレス反応を示した者にはカウンセリングが施されるし、危険人物と判断されれば然るべき対応をとる。対応の末"間引き"と同様の結果になるかもしれないが。


 大切なのは国民を減らさない事。日本を日本たらしめる事。


 俺達は崖っぷちだ。日本の被害は大きすぎた。諸外国に比べ、人が減りすぎている。正しくは政府が生存を確認できている人数が圧倒的に少ない。そして失われているのは人だけじゃない。その言語も、知識体系も、最悪失われる。

 それを防ぐには、道徳観があり教育モラルのある者を一定数確保しなければならない。もちろん俺達自衛隊も壊れてはいけない。


 だから早いところ、彼らの毒気を抜かなければ。撫でて、手懐けて、政府という腕の中に戻す。


 それが俺の、役割だった。





 ふと、診てくれていた医官が眉をひそめた。

「君、この傷跡は?」

 腕を捻り、小さな歯型をなぞる。俺は小さく息を吐いた。

「暴動初期に、感染した幼児に噛まれました」

「え……」

 吐息のような声を漏らしたのは、点滴を受けている不知火だ。次いで焦ったように言葉を重ねる。

「僕達は一ヶ月以上、一緒にいました。でも彼の様子がおかしくなったことなんて一度もなかった」

 必死に訴える不知火に、医官は宥めるように声をかけた。

「あぁ、大丈夫だからね。傷の治り方からしてかなり時間が経っている事もわかるし、別段深く噛まれていたわけでもない事も分かる。あなたも、心配しなさんな」

 最後に柔らかく言われ、思わず瞳を閉じる。医官だからこそ隠さなかったが、問答無用で放り出される可能性も十分あった。

「そう、ですか。良かった」

 大きく息を吐く不知火に、俺は苦笑を漏らす。自分の方が余程辛いだろうに。


 怪我の確認と手当が終わり、医官は感心したように頷く。

「しかし二人とも良く生き延びたね」

「周りに恵まれました」

 怪我人を置いていかない選択をしてくれたあの五人も、銃を手に取ってくれた夢前達も。情に厚いと言えば良いのか、この状況にして他人を優先できる者達だった。


「手当が終わったらすぐに休みなさい。隊舎に案内されるはずだ」

 傷口は塞がりかけているからと、消毒をした後に被覆材を貼られ、手当は終わった。不知火は別室で栄養剤の点滴を行うらしく、ここで一旦別れる事になる。


 クワルツと大賀班長はドアのすぐ傍で待機してくれていたらしい。部屋から出ると、何やら話し込んでいた二人が顔をこちらに向ける。

「終わったか」

 班長の顔に安堵が浮かぶ。それに軽く礼を返し、妙に体が重い事に気がついた。腕の筋肉や足全体が軋むようで、動くのが億劫だ。

「疲れただろう。諸々を聞くのも説明するのも後だ。食事と睡眠、どちらが良い」

 一度意識してしまえば、体に引っ張られて思考力まで落ちていくらしい。途端に重くなった口を何とか動かす。

「睡眠で、お願いします」

 よし、と班長は頷き、クワルツに目配せをする。

「俺は本部に戻る。全部ほっぽってきたからな。弟とゆっくり話せ」

「ありがとうございます」

 礼を言うや否や、班長は足早に去っていく。その背中を見送り、俺は深く息を吐いた。隣に居るクワルツの肩に手を置き、遠慮なく体重を預ける。

「……悪かった」

「何が」

 つんとした弟の声に苦笑する。

「心配かけて」

「別に良いよ」

 面倒くさそうに受け流されるが、かなりの心配をかけた事など、再会した時の対応から十分すぎるほど伝わっている。今だって、肩に置いた手を振り払わない。

「隊舎行くよ」

「あぁ」

 弟にしっかりと支えられ、隊舎まで歩く。その間にナオトやユズさんの事、霞ヶ浦が生き残っている事について聞こうと思ったが、正直きちんと噛み砕くのも労力だった。それくらい既に頭が回らない。

 隊舎までの道をのろのろと歩き、通された部屋でベッドに横たわる。使われてない部屋なのだろう、シーツがかけられているのはこの一つだけだった。

「ゆっくり寝て。話はそれから」

 興奮でどうにかしてきたツケが回ってきたらしい。体がどうにも重く、だるい。横になると全身の力が抜けた。

「後で軽く食べられる物も持ってくるからね」

 クワルツの声が耳に遠い。返事をする間もなく、意識は泥のように沈んでいった。

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