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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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捕食

「一番近いので言うと酸の塊だよ。人体が溶けるほどの」

 あぁ、と私は呻く。それは身をもって知ったから、一応納得はできる。けれど中々思考が追いつかない。そんな中でふと浮かんだ答えに目を見開いた。


「……まさかアレで隠蔽を図ったっていうの!?」

 あまりに人の道を外した思考に鳥肌が立った。隠蔽に化け物を作り出すなんて、いったいどういう思考回路なのか。

「多分な。きっしょいよなマジ」

 はぁと彼は地面に寝転がる。顔を覆う彼に私は冷めた目を向けた。

「あなたもその一員じゃない」

「やめてくれ。今自己嫌悪で死にそうなんだ」

「ちょっとやそっとじゃ死なないんでしょお。自分のせいで」

 彼がうっと呻く。そこそこ深いところに入ったらしい。


「とりあえず。アレは攻撃しなければいいの? 眼だとかそういうものは無いように見えたけれど」

「あぁ、確かに。……ていうか雪さん? 俺合図まで撃たないでって言ったよね」

 そういえば、そんな事を言われたような。アレを見た衝撃でそれまでの記憶がすっぽ抜けていた。

「ごめんなさい」

 素直に謝ると、彼は勢いをつけて起き上がった。

「そうだ。アイツ、何で俺たちを感知してるんだろうな」

 そして手を顎にあてがい、ブツブツと呟き始める。

「眼は無い。耳らしいのもぱっと見なかった。脳は……分かんねぇな。皮膚っぽいので覆われてたのも気になる。手足は無し。蠕動(ぜんどう)して落ちてる死体を取り込む感じだろうな」

 完全に私は視界に入っていないらしく、彼は早口でアレの特徴を並べ立てた。立板に水のそれは、どこか学者っぽい。

「どういう経緯で生まれたのよそんなもの」

 思わず顔が引き攣る。目も耳も無いくせに皮膚はある。改めて言われると、とても生き物とは思えない。

 対して彼はようやく我に返った様子ではたと言葉を切った。それからおずおずとこちらを伺う。

「雪さん、俺はできれば研究の証拠を手に入れたい。アイツは俺が引きつけるし、二人を連れて一旦外に出ててくれない?」


 アレの速度からして、距離を取るのにそこまで苦労する事はないのだろう。さらに巻き込む形で溶解しようとしてくるなら、こちらが攻撃しなければ被害も出ないはずだ。


 だから彼の提案は一番合理的で、無駄がないのだろう。けれど。

 

「倒せないの、アレ」

 溶かされた頬の付近を指先で撫でる。これが万が一普通の人間にかかったら、怪我ではすまない。

「後顧の憂いは無くすべきじゃないかしら」

 研究所の外に出てこられても迷惑だし、そもそもあんなもの居ない方が探索も捗る。


 ぱっと、彼の瞳が面白そうに輝いた。しかし自制のようにすぐ伏せられる。一瞬だけ見えた場にそぐわない気分の高揚に、私は僅かに眉を寄せた。

 彼はわたわたと言葉をつむぐ。

「いや、倒すったって。ほら、触らぬ神に祟りなしっていうし」

 言いながらも頬が紅潮して、興奮が抑えきれていない。私は少し考えて、にっこり笑った。

「ちなみに倒し方は?」

 途端に彼の目がどこか茫洋と振れた。スイッチが入ったな、と私はほくそ笑む。

「脳があればそこを壊せばいい。無理なら最終的に燃やせばいいし、そもそも皮膚が内容物に耐えられるわけが無いから――って」

「あら、どうぞ続けて?」

 促すと、彼は額に手をあてた。それからこちらには聞こえない声量で小さくつぶやく。

「何?」

 聞き返せば、半分睨むような赤眼がこちらを覗いた。

「分かったよ」

 白旗を上げた彼に、私は更に笑みを深めて頷いた。


 彼が言うには、やはりあの突起が怪しい、と。脳である可能性が高く、そこを壊せば、再生するにしてもかなり時間の猶予が生まれるだろうと。

「なら撃てば良いわね」

 的はそこそこに大きく、動きもそこらのゾンビよりかは緩慢だ。問題は酸なのだろうけど、私達ならすぐに治るから、そこまで身構えなくても良いだろう。

「じゃあ俺が引き付ける。もし失敗して別れるしかなかった場合は地下に集合しよう」

「了解」

 軽く頷き、私は銃弾を装填する。準備が整ったところで、まずはあの肉塊探しだ。

 遭遇した廊下に戻れば、何か引きずったような血痕が残っていた。あの肉塊のものだろう。

「無駄撃ちじゃなかったね」

 からかう言い方に、私は眉を上げてみせる。さっききちんと謝ったでしょう。


 長く続く血痕を辿れば、このフロアを少し徘徊して反対側の階段で階下へ移動した事が分かった。

 地下へ――彼女らが居るところへ近付いた事に、思わず肩に力が入った。

「お、聞こえた?」

「え?」

 あさひくんが顔を傾ける。私もそれに倣って耳を澄ましてみるけれど、何も聞こえない。

「聞こえないけど。気のせいじゃないの?」

「嘘だろ。ずっと聞こえてる」

 ならば気のせいではないらしい。私は内心疑いつつも、彼の後を着いていく。やがて、ずるり、べちゃり、と不快な音が耳朶を打つ。

「……本当だわ」

 今はおそらく、左斜め前に居る。遠ざかっているようだ。

「ここ、向こう側の廊下に通り抜けられる。俺がアイツを引き付けられたら合図するから、追いかけて撃ってくれる?」

 左には透明なガラスのドアがあり、その向こうには黒い廊下が続いていた。両側には研究室が並んでいる。

「大きな声でお願いね」

 彼は頷き、重そうなドアを押し開ける。銃をいつでも撃てる状態にして彼と別れた。


 耳をそばだて、曲がり角から顔を出す。肉塊の後ろ姿だけ確認して、姿勢を戻しぴたりと壁に背を預けた。何でこちらを感知しているか分からない以上、迂闊には動けない。


 気分を落ち着かせていると、ふっと、真美ちゃんの苦しげな声が耳に蘇った。夜中に様子を見に行けば、決まってうなされていた彼女。私と出会うまでに何があったかは頑なに語らないけれど、相当の事があったはずだ。そのストレスは、今も彼女を蝕んでいる。


 だからこれ以上、彼女にトラウマを抱えさせるような事は、あってはいけない。

 ――子どもは大人が守らなければ。


 粘着質な音が、束の間止まった。

「雪さん!」

 もはや怒鳴るようなあさひくんの声に、思わず笑みが漏れた。記憶を失っていた彼からは考えられないような大声。角を飛び出し、確実に当たる距離まで駆ける。

 数歩でぴたりと止まり、ふっと息を詰め、突起へと照準を合わせる。


 獲物と銃口が直線になったと感じた瞬間に引き金を押し込み、


「あさひさんっ!!」


 少女の声に、照準は揺れた。ブレて、しまった。

 反射的に下げた銃口は付け根を撃つ。

「下がれ!」

 あさひくんが叫ぶけれど、遠目にも真美ちゃんは彼を庇うように前に出ていた。


 猟銃の威力に、肉塊が、血液が弾け飛ぶ。

「真美ちゃん――!」

 猟銃を捨てかけ出すが、間に合うはずもない。彼女の小さな悲鳴。同時に、肉塊がぐうっとその身を大きく広げた。越えられそうにない大きさに思わずたたらを踏む。

 そうして彼女の居た場所を覆うようにして、その体は丸まっていく。這うようにして死体を取り込むと聞いていたものだから、完全に油断していた。あんな動きは、想定していなかった。

「逃げて!」

 声を張り上げ、猟銃を取りに戻る。拾い上げるのももどかしく、低い姿勢からそのまま肉塊に向かって引き金を引いた。ぱっと皮膚が弾けるが、肉塊は動きを止めない。


 急いで弾を装填し、猟銃を持ち上げた頃には。


 肉塊の向こうで、目元を抑え膝をつくあさひくんが見えた。その腕に制されているのは岡部はじめだ。

 あさひくんが苛立ったように声を荒らげる。

「っどうなってやがる!」

「そんな、」

 肉塊は既に彼女を覆い、うぞうぞと蠢いていた。消化しているのだろうと、本能的にわかってしまう動き。

「肉塊が真美ちゃんを飲み込んだ……どうすればいいの!?」

 肉塊は今や小さく縮み、私の背丈よりも低く丸まっていた。傍を通り抜け、二人の元へ回り込む。

「包丁で切り裂こう」

 岡部はじめが自身のリュックをまさぐる。出てきたのは一般的な大きさの包丁だ。

 立ち上がりかけた彼を、あさひくんは再度腕で制した。

「待て、お前がやっちゃ駄目だ。感染のリスクが高すぎる」

 けれどそう言う彼も、いまだに目元を抑えている。手の隙間からは赤黒い皮膚が見えた。肉塊の持つ酸が顔にかかったのだ。

「私がやる。貸して。あなたは綺麗な水を探して」

 手を差し出せば、彼は逡巡した後、包丁を渡してくれる。それからあさひくんを壁際へ座らせ、手近な部屋へと走る。

 私は胎動する肉塊へと向き直り、手の中の包丁を握りしめた。肉塊の大きさからして、彼女はすぐにしゃがみ込んだのだろう。膝立ちになると丁度私の目線に肉塊の頂点がくる。

 ふっと息を吐き、その頂点へ包丁を入れた。手応えがある所で止めて、慎重に包丁を下へ下ろす。内容物も出てこない浅さで、もちろん彼女の姿も見えなかった。包丁から伝う体液が手に付着し、少ししてチクチクと針を刺すような痛みが出てくる。

 けれど気にしてはいられない。ある程度切り裂いた所で左手を突っ込む。

「っ……」

 たちまち焼けるような痛みが左手を襲うが、歯を食いしばって堪える。使い物にならなくなる前にこの肉塊を裂かなければ。

 右手も使い、体全体を押し込むようにして切り口を開いていく。

「雪さん、今、何してんの」

 あさひくんは今、目が見える状態じゃないのだろう。不安げな彼に、私は何とか笑い声を漏らす。

「肉塊から真美ちゃんを引っ張り出すとこ――見つけた!」

 手に触れたのは彼女の服だ。ぬめる両手で掴み、無我夢中で手繰り寄せる。最初は肉塊の血液のせいでぬめっているのかと思ったが、私自身が溶けているからだ。既に皮膚が溶かされてしまった。それに気づいた途端、脂汗がどっと出てきた。頭が沸き立つように熱い。

 早く早くと気は急くのに、なかなか力が入らない。両手で痛みがこれ程に意識を支配するのだ、彼女は今どうなっている。

 汗が目にしみて、目の前が一瞬揺らぐ。その隙に上から伸びた手が、ぐっと肉塊の中へ滑り込んだ。かと思えば、ぬるりといとも簡単に彼女の肩が出てくる。次いで、首、頭と出てきて――上半身が、完全に肉塊から救い出せた。


 急いで彼女の全身を出して肉塊から距離をとる。肉塊自体は動き出す気配はなく、ただ小刻みに震えていた。

 横たわる彼女に目をやり、私は微かに口を開ける。

「真美ちゃんはどうなってる」

 もどかしいような彼の問いかけに、私はゆっくりと答えた。

 露出していた頬や腕なんかは所々皮膚の下の赤い組織が見えているものの、溶解の程度は軽い。肉塊に真っ向から取り込まれたにしては。

「……大丈夫、みたいよ」

 あさひくんの赤黒い目元がぴくりと動いた。片目は閉じた状態で、もう片方は瞼さえ溶けきって、黒い眼球が覗いている。

「いったいどういう――」

「っげほ、」

 咳き込んだ真美ちゃんを慌てて横向きにしてやる。しかし空咳を繰り返すばかりで、苦しげだ。

「肉塊を飲み込んだかも」

 あさひくんがふらりと立ち上がり、真美ちゃんを持ち上げる。肉塊の酸に塗れた彼女に触れた途端、あさひくんの手や腕がジュウと溶ける。しかし彼は厭わず、彼女の背を強く叩いた。

 やがてびちゃりと、大きな音をたてて血液とともに肉塊を吐き出す。が、それだけではなかった。

 蛇口を捻ったようにばしゃばしゃと、普通なら致命的な量の血液が彼女から吐き出されていく。現実からかけ離れすぎて受け止めきれずに笑みを作ろうとして、しかし頬が引きつった。

「ねぇ、ちょっと大丈夫なのこれ」

「……体内が溶けてる。胃か食道に穴が空いたか」

 あさひくんの言葉にひゅっとお腹の奥が縮む。吐き出す合間にえずくような苦しげな呻き声。

「全部吐き出させるしかないな。雪さん、包丁とって」

「何するつもり」

 これだけ苦しんでいる彼女を更に追い込むつもりか、と声は自然に尖った。けれど彼は淡々と答える。

「俺の血も飲ませる」

「は?」

 彼の意図がさっぱり分からず眉をひそめる。輸血という事だろうか。それは血液型が一致していないと駄目じゃなかったか。あと流石に雑すぎる。

 包丁を渡すのを躊躇っていると、彼に早くと急かされた。私はこくりと唾を飲む。

「信じるわよ」

「任せて」

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