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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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掃除屋

「……岡部はじめ。それから、僕は研究員じゃなくて桜木製薬でMRをしてた社員だよ」

 

「MR?」

 聞きなれない単語に首を傾げると、雪さんがこっそり耳打ちしてくれた。

「会社で作った薬を病院に売りに行く人のことよ。対医者の営業ってとこかしら」

 へぇと頷く。桜木研究所の関係者と考えて良いのだろうか。


「ここに来たのは社用メールでこのパンデミックの詳細が送られてきたからなんだ。ここに来れば安全確保もできるかもしれないっていう文言付きでね」

「安全確保、ね。お前、それ信じたの?」

 顔を歪めて言うあさひさんに、彼は苦笑した。

「あまり。僕は自衛隊に出会う方を期待してたけど、遅かったんだろうね」

 外の惨状を見れば、自衛隊とゾンビの乱闘が既に終わった事はすぐに分かる。

「? 自衛隊に保護してもらいたいなら避難所に行ったら良いじゃない」

 猟銃を持つ雪さんの腕が下がりかけている。猟銃はかなり重いから、流石にだるくなってきたらしい。


「保護というよりは……自衛隊に会いたいやつが居てね。メールには同じ情報を自衛隊に送ったから、自衛隊による掃討ないしそれによる周辺の安全確保が期待できると。だから、そいつに会えるかも兼ねて研究所(ここ)に来たんだよ」

 確かにここに至るまでゾンビの数は少なかった。東京の中心部に比べれば生き残れる可能性は格段に高いだろう。


 そしてこの人も誰かを探している。それだけで僅かに警戒心が緩んだ。危害を加えるつもりはないと言ったのも嘘ではなさそうだった。

 あさひさんが完全に険の抜けた様子で尋ねる。

「このパンデミックは桜木が原因だっていうのは」

「知ってる。ウイルスの詳細も、ある程度は」

 答えた彼にあさひさんは口を開きかけ、ふっと振り返る。訝しげな表情は私の頭上、階段の上へと向けられている。

「何か音がしなかったか?」

 その問いかけに眉をひそめ、耳をすます。何も聞こえないけれど、空気だけはピンと張り詰めていた。

「――何か居るわね」

 雪さんが囁く声量で言い、扉の向こうを覗き込んだ。

「岡部と一緒に奥へ行って。岡部、この子もいちおう感染者だから。分かるよな?」

 あさひさんが岡部さんの腕を持ち、無理やり立ち上がらせる。妙な脅しをかけられた彼はこくこくと頷いている。

「でも」

 けれど背後に広がる暗がりは不気味だ。少しの不安に躊躇すると、あさひさんは僅かに表情を和らげた。

「様子を見に行くだけだって」

「私も一緒に」

 猟銃を持つ雪さんがあさひさんへ頷きかける。二人の中で私を連れていかない事は決定事項らしい。

「さ、早く」

 雪さんに懐中電灯を握らされ、私は重い足取りで部屋の奥へ向かった。

 ある程度進んだところで不意に足元の光が細くなる。はっと振り返れば、扉が閉められていくのが光の加減で分かった。慌てて懐中電灯をつける。

 白い壁に黒い机。そこに乗る名前も分からない様々な器具。照らされた範囲では上階とあまり変わらない様子に、ほっと息をついた。例えば拷問のような人体実験がされていたようなら、耐えかねて外に出ていただろう。

 気分を落ち着かせ、私は彼へ向き直った。眉を寄せ、厳しい表情で扉の向こうを見つめている彼に話しかける。

「えっと、……はじめさん?」

 声をかけると、彼はびくりと震えた。

「あ、あぁ」

「はじめさんは私達が来るより前にここに来ていたんですよね? 何か見かけたりは?」

 彼はしばらく視線をさ迷わせると、きっぱりと首を振った。

「君らだけだ。逆に感染者が全く居ないのもおかしい」

 ゾンビは大抵起き上がったその場でうろうろする。それが一斉に別の場所へ移動したというのもおかしな話だ。そもそも研究所内にゾンビや人間が居なかった可能性もあるけど、それでは壁や廊下に付着した血液の説明がつかない。あの量は確実に人死にが出ているはずだ。


「……君達はどういう存在なの? いや、感染しているのは分かるけど」

 迷うような口ぶりで、それでも聞かずにはいられなかったのだろう。三人ともが白髪赤眼なのだ。ゾンビ側だと考えるのも当然だし、実際そうだ。

「感染して、一度死んだみたいです。そのあと起きたら皆こうなってたんです」

 白くなった髪の毛をつまんでみせる。彼はしげしげとそれを見つめたあと、じぃっと私の顔を見た。

「眼振も無いし、視力が弱い事も無い、か。体に異常は?」

「特には……がんしん、てなんですか」

 聞き覚えのないそれに眉を寄せると、彼はすらすらと説明した。

「君達みたいに体の色素が欠落するアルビノは先天性の疾患を併発する事があるんだよ。眼振はその一つだね。読んでそのまま、瞳が震える事だ。弱視も、アルビノにはかなりの確率で現れるんだけど」

「ありませんね。むしろ力も強くなったし」

「あぁ」

 身体能力は明らかに上がったし、疲れにくくなった。はじめさんは納得したような声をあげ、小さく苦笑する。

「さっきの彼で良く分かったよ」

 あさひさんが出会い頭に組み敷いた事を言っているのだろう。確かにはじめさんは暴れる事さえできていなかった。

「あの人は特別力が強い気もするけど」

 今の私でもタガの外れたゾンビの身体能力には負けるだろうけど、あさひさんは遜色ないように思えた。


 会話の隙間に、私は意味もなく視線を上に巡らせる。この研究所内を全て回るならどのくらいかかるだろうか。


 横にいる彼は普通の人だけど、心の底には小さな怯えが蔓延っていた。

 いつ手を伸ばされるか。いつ下卑た、下心に満ちた声をかけられるか。

 常に頭の端がどこか痺れたように萎縮していた。

 自警団ははじめさんのような普通の人も支配欲に満ちた人間に変えてしまう。むしろ普通っぽい、優しい人の方がそうなりやすかった。

 ――だから男性に対しては、意識して警戒を解く事が難しくなっていた。この人は大丈夫と思っても、常に薄らと緊張している自分がいる。


 不意にはじめさんが地面に座り込んだ。あぐらをかき、こちらを見あげる。

「ここ、広いから見回るなら時間がかかるよ。君も楽にしていた方が良い。僕はこの通り」

 彼は上着のポケットをひっくり返してみせる。

「丸腰だしね」

 あまりにも分かりやすい意思表示だった。私は目を丸くして彼を見る。警戒があまりにも露骨だったのだろうか。


「あと彼も言ってたけど、感染者の君に僕が勝てるわけないからね。そもそも最初から敵意なんてないんだけど」

 はぁと軽くため息をつく彼に、私は曖昧に頷く。それから少し迷って、彼から手の届かない位置に腰を下ろした。ひやりとした冷たさがズボン越しに伝わってくる。

「それは、何となく分かります」

 ふっと微笑んだはじめさんは、袖をまくって腕時計を確認する。

「二十分したら様子を見に行こう」

 流石にそれくらい経てば戻ってくるだろうとあたりをつけたらしい。私は素直に頷き、膝の間に顔をうずめた。


 早くあの子に会いたい。折にふれその衝動に駆られる。

 今は足踏みしているようなものだから、尚更その衝動は強かった。





 広がる廊下は真新しい白だ。途中途中に付着している血液がさらにその白を際立たせている。あまり見つめているとクラクラしてきそうだ。

「……これだけ回ってもゾンビ一匹居ないなんて」

 目をしばたたかせ、小さく呟く。周辺には死体が散らばっていたというのに、ここはあまりにも綺麗だ。一階から順に登ってきたが、生き物の気配もない。

「しかもこれだけ血液が散らばってるのに、な」

 私は猟銃から片手を離し、こもった熱を逃がすためにぶらぶらと振る。

「研究所が隠蔽のために全て死体を引き上げたとか」

 どうにも彼の様子からして、桜木は法外な研究を行っていたらしいし、そうでなくともこの騒ぎだ。隠蔽は誰だって考えるだろう。

「有り得なくは、ない」

「そうなの?」

 現実味は考えずかなり適当に言った事なのに肯定されて、私は僅かに眉を上げる。

「っていうか、なんでその仮定に辿り着けたの? 引き上げるにしたってどこかに隠さないといけないし、引き上げるだけの人間も必要だろ」

「だって地下があるでしょう。隠すにしても、隠れるにしても……」

 自分で言いながら、はたと私は足を止める。訝しげに振り返った彼に、私は震える唇を開いた。

「真美ちゃんをあそこに置いてきて良かったの!?」

 さっと額が冷たくなった。もし大量のゾンビが居たら、それで逃げられなかったら。

「だ、大丈夫だって! あそこには何も居ないよ。じゃなきゃ俺はあそこで待ってろなんて言わない。だから頼むから引き金から指離してくれお願いします」

 早口の懇願にハッとして手元を見る。力むあまりいつの間にやら引き金に指がかかっていたようだ。強ばった指をそっと動かし、引き金から離す。

「はい深呼吸。吸って〜吐いて〜」

 彼が手の平を上下にゆっくりと動かす。それに合わせて素直に深く息を吐いた。再度歩きながら、私は彼にたずねる。

「それで、大丈夫だっていう根拠は?」

「研究員か誰か居たら岡部が嗅ぎ回っているうちに出てくる。感染者だとしてもあれだけ騒いで出てこないなら、ちょっとやそっとの事では動けないようにされてるはずだ」

 なるほど、と私は頷く。

「でも出来るだけ早く戻りたい」

 見る限りは常識のある一般人だったけれど、腹の底はあの短時間では見抜けない。もし、真美ちゃんに何かあったらと思うと気が気ではなかった。

「そうだな。……ちょっと待って」

 左手で軽く制されて、私は歩みを止める。何事かと口を開きかけ、私は無言で銃を構えた。――何かを引きずるような、それでいて生物にしては粘着質な音が聞こえてきたからだ。

 突き当たりは左右に分かれている。ずるり、べちゃりと、その音は近づいてきていた。

「合図まで撃たないで。階段の近くへ」

 囁く声量に、私は目線だけちらりと向けて了解を示す。

 ソレの移動に伴う音がぞわぞわとうなじを粟立たせた。明らかに人や動物のそれではない。じりじりと後退しながら、気味の悪い音に近い物を脳が必死に探し出す。分からないものは、恐怖だ。


 突き当たりの白い空間が、現れたソレで区切られる。皮膚というにはどろどろと崩れて、溶けかけた脂肪がまとわりついているようだった。それが濃いマゼンタの上で蠢いている。全体的なシルエットは逆さにしたロウトだろうか。けれど突起部分はヒトの頭部に近い形状をしている。漸く未知の正体が分かるはずだったのに、形容できないソレのせいで脳が悲鳴をあげた。乾いた笑いは私のものだ。

 突起部分が、ぐるりと首をめぐらせた。恐らく私達に気づいたらしいソレがこちらにずんずんと近づいてくる。粘着質な音が質量を持って耳に響いてきた。その中に微かに混じる、硬い物が地面をひっかくような音。


「――()()()な」

 彼の一言に、視界が開けた。向かってくる得体の知れないもの。敵意があるかも良く分からないが、そう、この状況はまずい。


 途端に動き出した脳が体を動かす。

「撃つわよ!」

 今この距離で撃たなければ猟銃の取り回しが難しくなる。もはやかけ声と同時に指が引き金をひいていた。

「待っ――」

 銃声が空気を切り裂く。ソレの腹部分がパンと弾け、内容物が飛び散った。ぴちゃりとそれが、頬にかかって、

「ッあ」

 激烈な痛みが顔を襲った。鼻に届く、タンパク質が焦げるような臭い。

 頬を抑えようにも火傷のような痛みに触れる事さえできず、腹を折る。

「退くぞ!」

 腹に腕が回され、米俵のように担がれた。振動で落ちたのは血というには固形っぽい塊で、私は息をのむ。


 弾けたソレが、私の顔を溶かしているのだ。


「何なのアイツ……っ」

「しゃべんな」

 私を抱えているというのに、彼は軽く走っていた。あっという間にソレが遠くなり、角を曲がったタイミングで彼は近くの部屋に転がり込む。


「ちょっと見せて」

 私は彼に頬を差し出す。彼は色んな角度で覗き込むと、さっと立ち上がった。

「どうなってるの?」

「傷? アイツのこと?」

 彼は色んな薬品が置いているらしい戸棚を遠慮なく開け放つ。痛みは徐々に引いてきて、私はそっと息を吐いた。

「どっちも」

「あ〜傷の方は、っと」

 目的のものを見つけたのか、大きめのボトルを手に彼は戻ってくる。

「女子にはかわいそう?」

「やめて。絶対私の方が年上」

 私の余裕を見てとったか、彼はこてんと首を傾げた。語調を強くすると、彼は軽く笑う。

「まぁ俺たちならすぐ治る。現にもう痛くないんでしょ」

 ちょっと上向いて、と言われ素直に従う。ボトルが傾けられた。中の液体が頬にかかる。

「そうねぇ……っ」

 痛みに顔をしかめるが、先程ではない。彼が落ち着かせるように低い声で言う。

「これただの水ね。洗い流せばもっと早く治るから」

「信じるわ」

「どうも。それでアイツの事だけど」

 私は首筋まで流れた水を拭う。彼は扉の向こうを見つめ、目をすがめた。

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