変わったもの
政府、とわざわざ言い換えた大賀さんは、私達の反応に笑みを深めた。そしてゆっくりと手を顎の高さで組む。
「政府とはいっても、外務大臣を中心として人を集めただけの集団です。あなた方のような一般市民の生き残りも含めた」
噛んで含めるように言われるけれど、まだ現実味は湧かない。大きな集団に加わる不安も、無いわけじゃなかった。
「ここにそんな人けがあるようには見えませんでしたけど……」
蛍さんが控えめに口を開いた。それに大賀さんは軽く頷いて続ける。
「ここは生存者の救助をするための拠点のようなもので、政府と呼べる機関は東北にあります。救助されたあなた方は最低二週間、長くて一ヶ月ここで隔離されます」
「隔離?」
妙に不穏な言葉に、八木さんが怪訝そうに呟いた。
「感染していれば一週間から半月程で発症に至ります。万が一にも感染者を入れないためのルールです」
ご理解を、とあくまで穏やかに締めくくる大賀さんの目が僅かに暗い。
今までの説明からして、この駐屯地では少なからず人を救助してきたのだろう。その中で騒ぎやいざこざが起こる事は想像に難くない。
それなのに穏やかに返せるこの人は、いったいどれほどの我慢を重ねてきたのだろう。
「一ヶ月程経ったら、ヘリか車両で移動していただきます。それまでは先に案内した宿舎で、怪我をした方は少しの間隊舎で過ごしてもらいます」
視線が私に向けられ、慌てて頷く。傷のある人は更に隔離されるということだろう。不安こそあるけれど、そこに不満はない。
「説明は以上です。質問はありますか?」
このタイミングで後ろにいたはるさん達二人が席を離れた。キッチンの方へ向かうらしいその背中を追っていると、三ノ輪さんのはきはきした声が聞こえた。
「隔離中、俺達は外に出られないんですか」
すぐさま尋ねた彼に大賀さんは一瞬虚をつかれたような表情を浮かべたけれど、すぐに柔和な笑みに戻る。
「えぇ。まぁ施設には色々ありますから、退屈はしないでしょう」
「……そうですか」
三ノ輪さんは礼を言いつつ、どこかまだ納得しきっていない様子で彼は目を伏せた。
「他には?」
海麗ちゃんが小さく手を上げる。大賀さんが軽く頷くと、緊張した様子で口を開いた。
「あっ、あの、隊舎? に隔離された人とは絶対に会えませんか?」
その質問に、どこか強ばっていた気持ちがほぐれた。ずっと一人でいるのは、少し寂しい気がしていたのだ。もし会えないと言われても、彼女がこの質問をしてくれたというそれだけで随分と気持ちは軽くなる。
答える大賀さんの目元が柔らかく細められる。
「窓越しなら大丈夫。会いたい時は隙を見て自衛官に言いなさい」
その答えに、彼女はほっとしたようだ。こくこくと頷く彼女に私も小さく笑顔を浮かべる。
「私からも良いですか」
目で促す彼に、私は瞳が揺れないように気をつけながら口を開いた。
「あと十人ほど、一緒に居た人達がいるんですけど……見つかりましたか」
三ノ輪さんが身を乗り出したのを視界の端で確認して続く言葉を変える。やはり話はヘリの中でしていたらしい。
「救助については入れ替わりで既に向かわせていますが、まだ連絡は来ていません。それらしいグループが救助されたら連絡をしますし」
大賀さんがふと視線を横に滑らせる。視線の先は食堂のキッチンだ。
そういえば先程から、ほんのりと良い匂いが漂ってきている。
「その間に軽い食事でも。余り物ではありますが」
にっこりと彼は一番の笑顔を浮かべる。途端にぱっと場の雰囲気が明るくなった。明らかに美味しそうな匂いだったし、何より温かい食べ物だ。一日ろくなものを食べていない私達にとって、食事は一番必要だろう。
「やったね。海音ちゃん、いっぱい食べないと」
顔を近づけてこそこそと言う海麗ちゃんに、思わず笑ってしまう。屋上であまり食べなかったからだろうけど、心配性のお母さんみたいだ。
「私は一度本部へ戻ります。何かあればこの三人に」
大賀さんが足早に去ると、入れ違いにはるさんが料理を持ってきてくれた。お盆からは湯気が昇っている。
「白飯ならおかわりがあるから、言ってくださいね」
一番端に居る蛍さんの前にお盆が置かれ、わぁと歓声が上がった。
「美味しそう!」
その反応に、はるさんは笑顔になって大きく頷いている。
「あ、席自由に移動して良いですよ」
配膳ついでに声をかけてくれた飯村さんに、蛍さんと坂本さんが動く。
「前いないと寂しいでしょお」
机を回って私達の前に来た蛍さんは、目の下にクマが出来てはいるものの、明るい声で笑いかける。それを見た海麗ちゃんが少し顔を傾けて心配そうに口を開いた。
「蛍姉さん、疲れてるね」
彼は坂本さんと一緒に扉を開こうとする感染者と力の押し引きをしたのだ。明るく笑っているとはいえ、疲労感は拭えない。
「二人もおんなじよお。……あまり、無茶しないで」
蛍さんがちょっとした苦笑を浮かべて言うが、瞳や声音は真剣そのものだった。私は僅かに俯く。
「どっちも良く考えて行動してくれているのは分かるけれど」
蛍さんの顔を見ないようにしていると、すっと声のトーンが下がった。それにあ、お説教が始まる、と思わず首をすくめる。
「解決策と身の丈が合わない。もし失敗したらって考えないと。海音ちゃんはほぼ失敗だし、危なすぎる。海麗ちゃんは上手く感染者を倒せたから良かったものの――」
「はい……」
「すみません……」
それは最もなお説教で、私達は更に縮こまった。小さく返事をして萎れることしか出来ない。海麗ちゃんも何故か敬語になって頷いている。
瞬発的に怒鳴られるよりも優しく諭すような怒られ方のほうが心にくる。
「ちょっとちょっと白樺くん」
蛍さんのお説教をひたすら聞いていると、金井さんがわざわざ立ち上がり、ニヤニヤしながら白樺さんの両肩に手を置いた。そして上から顔を覗き込む。
「かっこよかったよーマジ」
その言葉にきょとんとしていた白樺さんが嬉しそうに破顔する。
今までどこか硬かった彼の雰囲気が解れたのに、私は内心で胸を撫で下ろす。
身体検査の後、迎えに来てくれた時から白樺さんはずっと肩肘張った様子だったのだ。
「そうそう。秋のおかげでオレ生きてるし」
坂本さんの声に、白樺さんの雰囲気がみるみるうちに明るくなる。表情を見ることは出来ないけれど、きっとあの笑顔を浮かべているのだろう。
「海音ちゃん? 聞いてる?」
ほっとしていると、蛍さんが軽く手を振った。ハッとして慌てて背筋を伸ばす。
「き、聞いてます」
これは更に怒られるかと身を固くすれば、蛍さんはふにゃりと笑った。
「まぁ、海音ちゃんも海麗ちゃんも頑張ってくれたのはわかってるわよぉ。二人の無茶は私が怒っておいたから怒らないでって、ジェイドさんに言うのよ」
「蛍さん……!」
その締めくくりに、蛍さんの後ろから後光がさしているような気さえしてくる。
けれどその名前にふっと、不安が胸を刺すのだ。じわじわした痛みは先程から痺れるように全身に広がっている。
気にしても、どうにも出来ないと分かっているのに。私には何も出来ないのに。
暗くなりかけた思考に、ふわりとご飯の暖かな匂いが混ざる。見上げると、はるさんが目の前にお盆を置いてくれた。
「はい、あなたの分。手は」
「右利きなので大丈夫です」
気遣わしげな彼女に、無事な右手を示してみせる。
「良かった。じゃあフォークとスプーンは持っていくわね」
わざわざ用意してくれていた彼女にお礼を返し、お盆に乗っている料理に目を移す。白いご飯に、お味噌汁。目を惹くのは中央の焼き魚だ。脂ののって美味しそうなそれは、缶詰の物とは到底思えない。
「え、これ缶詰じゃないの?」
白樺さんも同じ事を思ったようで、素っ頓狂な声を上げる。
「そうだよ。ちょうど今日の朝飯が魚料理の日でね、レアなんだよ」
お盆を置いた飯村さんはくすくす笑うと、机の端へ移動する。
「皆さん、ゆっくり食べてください。胃が驚きますから絶対に急がないように」
そういえば、ジェイドさんも同じような事を言っていた。とはいえ、中学校で助けられた時よりも物は食べていたし、ゆっくりと食べれば大丈夫だろう。
飯村さんのどうぞのジェスチャーで、白樺さんがいの一番にパチンと手を合わせる。
「いただきまーす!」
それに倣うように私も手を合わせ、箸をとった。
椅子に座って、温かいご飯を食べる。それはあまりにも久しぶりの感覚で、滑り込むように以前の生活が蘇るものだった。白米の甘さも、濃さは違えど味噌汁の味も。ご飯を食べるだけでこんな空虚な気持ちを抱える事は無かった頃。
私は蘇る思い出を、そっと頭の隅に追いやる。なだれ込む記憶に歯止めをかける。
「美味しいね」
ぽつりと呟いた白樺さんの手は完全に止まっている。
美味しいと、それだけで済めば良かったのに。皆考えている事が同じだと何となく分かるこの空気が、虚しさに拍車をかけた。
この幸せは保証されない。一瞬で崩れる当たり前を、私達はもう知っている。政府に保護されたからといって、安全に暮らせる状態が続く事はない。
それに、実際に続く続かないの話じゃないのだ。それは以前の世界でも保証されなかった。このパンデミックが起こったからという、逆説的なものもあるし、自然災害や戦争で、いつでも生活が一変する可能性はあった。
ただ甘えられなくなっただけだ。変わったのは世界の理だとかそんなものでもなく、私達の気の持ちようが変わっただけ。
変わらず温かいご飯が美味しい事だけが、救いだった。
「どうだった」
早足で本部へ戻れば、いち早く気づいた大賀さんがパイプ椅子から俺を見あげた。
「全員落ち着いた様子で。昼になったら様子を見に行きます」
主語の抜けたそれに答える。例のグループは食事を終えたあと、やはり疲れが限界に達したようなので、施設の案内はせず宿舎と隊舎へ移動してもらった。
今回の救助者は男六人女二人、その内未成年らしい者が三人。珍しい組み合わせだった。
大賀さんがふっとため息をついた。
「外国人らしい男ともう一人、と聞いていたが、居なかったな」
夕方頃のヘリからの通信は、やけに荒くヘリ内での暴動が伺えるものだったらしい。そんな中でも要救助者が居るという情報を寄越した隊員には頭が上がらない。
そしてその情報に金髪の外国人らしい者が居たと聞き、英語に不足ない俺は呼び出された。
「まだ仲間が残っていると女の子が言っていたな。彼らの救助まで、まだ分からないだろう」
「……その中に居ると良いんですが」
声は図らずしも低くなった。家に戻った痕跡も無ければ、近場の避難所にも居なかったのだ。今更会えるなんて、虫の良すぎる期待だ。
「まぁ、あの兄貴がお前を置いて死ぬわけないだろ。切り替えろ」
大賀さんが俺の腕をぽんと叩く。確信めいた励ましに、俺は曖昧に頷いた。
「大賀さん。さっきのグループなんですが」
「あぁ。食事時に何か」
「いえ。トラブルも無く、静かに食べていました。ただ今までの救助者とは少し雰囲気が違います」
大賀さんが体をこちらに向けた。本腰を入れて聞く姿勢だ。
「彼ら、食べ始めに黙り込んだんです。仲が悪いだとか必要以上のコミュニケーションを取らないわけでも無さそうでした」
食事を運ぶ時は和気あいあいとして、会話も絆の出来上がった人間同士のものだった。そんなふうに善良に生きていたのなら。
「ああいうタイプは泣き出したり、急いで食べたりしそうなものなんですけど」
「落ち着いていたか。けど食べられてもいたんだろう?」
何が問題なのかと言いたげな大賀さんに、俺は自分の考えをまとめて話す。
彼らは俺達を信用していない。救助されたと思っていない。一時的にあの屋上と状況からは救助されたと感じているのだろうが。
「なんというか、気の緩みが見えません。外に出なくて良いと聞いても、嬉しそうな顔はしなかったでしょう」
「まだ緊張状態だと。……カウンセリングが必要そうか」
声を潜めた彼に、俺はしばらく思案する。しかし結局、それに対する答えは出なかった。
「カウンセリングはもう少し様子を見てからで良いかと思います。
問題は彼らが俺達を信用していない事です。自衛隊や政府が少しでも危険だと判断されれば彼らは簡単にここを出ていくでしょう」
言うと、大賀さんはすっと顔を歪めた。
「今は一人でも惜しいな。けど本当に彼らは自衛隊を信用していないのか? 政府の名前を出しても?」
「……喜田さんが女子二人の身体検査をしたでしょう」
挑発的な声を思い出して、ぐっと眉が寄る。あれは全く、腹立たしい言い方だった。
「その時に連れ添いたいと申し出たあの二人。成年らしい方が、お前たちは信用できないと言っていました」
思わずと言った様子で大賀さんが額を手で覆う。納得にも嘆きにもとれる呻き声。
「それは……食事と安全を放り出してもか」
「過ごす内に変わるでしょうし、そもそも俺達は疚しい事もしていませんからね。その内信頼してもらえれば良い話です」
信頼とまではいかなくとも、出ていく理由が無ければ良いだけだ。
挨拶もそこそこに俺は踵を返す。ヘリが帰ってくるのも、連絡もまだ先のはずだ。




