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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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疑いの眼差し

 私達を乗せたヘリは、どうやら自衛隊の駐屯地に向かったらしい。グラウンドのような場所へ降りた途端、私と海麗ちゃんは女性の自衛官に連れられ、すぐ近くの建物まで案内される。それでも五分程歩く広い土地だった。

 入口で入れ違いに数人の自衛官が慌ただしく出て行き、グラウンドの方へ走っていく。皆、緑ベースではなく彩度の低い鉄色の迷彩服を着ていた。

 連れられたのは事務所のような場所で、ソファや机、パンフレットの置かれたスチール棚がある。机やソファは今は隅に寄せられていた。

 二人居る女性の内一人が開いたスペースに衝立を置く。

「何回も申し訳ないけど、もう一度、噛み傷が無いか確認させてね」

 私達は素直に頷く。今度の身体検査は下着だけになるらしく、そのための衝立だったようだ。衝立の片側に立つ女性自衛官の前に行き、服に手をかける。ふと左手の火傷が目に入った。処置されたガーゼが、黄色い液体でぐしょぐしょになっている。

「うわぁ、痛そう」

 思わず漏れてしまったような声に顔を上げる。

「あの、これは」

「火傷よね。ちゃんと聞いてるから、安心して。……にしても、何したの?」

 最初の反応から疑われている訳ではないのは分かったけれど、改めて言われてほっと肩を下ろす。

「感染者を怯ませるために火を使って、それで」

 女性の眉が痛ましそうに寄る。きりっとした、濃い眉だった。それからはっとその眉がひらく。

「それちょっと脱ぎにくいでしょ。私の上着貸してあげるし、切っちゃおうか」

 私の着ている服は袖口が狭い。外に出る時はなるべく引っかかりにくい、ぴったりした服を着ていたのだ。言うや否や、彼女は机の上にあるペン立てからハサミを取り上げた。

「動かないでね」

 促されるがままに左腕を持ち上げれば、彼女はサクサクと布地を切っていく。手際良く首元まで切ると、右の袖を引っ張って脱がせ、服をぐいぐいと腰まで落とす。ズボンを脱げばシャツは一緒に落ちた。

「痛くなかったでしょ」

 ぽかんとしている私にふふんと自慢げな笑みを浮かべつつ、また彼女はさっさと私の体を見る。

「はい後ろ向いて。うん、噛み傷は無いね」

 もう良いよ、と言われて、私はズボンを履き直す。硬い生地の上着を手渡されて、私はぺこりと頭を下げた。火傷に触らないようそっと腕を通す。


「ここだと女の自衛官は少ないから、私の名前を覚えて、頼ってね」

 左胸の上をちょんとつつかれて視線を落とすと、そこには名札が縫い付けられていた。

喜田(きだ)、さん?」

 読み上げると、彼女はそう、と微笑む。

「下の名前はひらがなではるって言うの」

 覚えてと言われたので、私はしっかりと彼女の顔と名前を記憶する。私の名前を伝えると、彼女はしっかりと頷いてくれた。


 衝立が外されると、海麗ちゃんが安堵したような顔を見せる。私は笑顔を浮かべて返した。

「じゃ、さっきの人の所に戻りましょう」

 はるさんが腕時計を確認して、すたすたと先導する。扉の向こうから聞き知った声が聞こえた気がして私は扉を開ける彼女の向こう側を見ようと首を傾ける。

「なんだと――」

「白樺さん?」

 ぱっと飛び込んできた声に素っ頓狂な声を上げると、彼は勢いよく振り向いた。

「飯村くん、そちらは?」

 はるさんが白樺さんの方を覗き込む。飯村、はもしかしてヘリで引き上げてくれた人だろうか。一歩進み出たはるさんについて扉に近づくと、白樺さんと三ノ輪さんが外で立っていた。入口を挟んでその反対側に飯村さんが居る。

 彼を見上げて、私は僅かに目を見開いた。

「さっきぶりだね」

 よっと手を上げる彼はヘルメットを被っていない。

 そのおかげで、緑色の双眸が良く見えた。


 

 ヘリを降りて速攻で女の人に連れられていく戸倉さん達を見て、顔が強ばった。足が一歩前に出る。

 違う! と声を張り上げ泣き叫ぶ声が耳に蘇った。自衛隊に取り押さえられる姿も、良く覚えている。思い出す最悪が足を進ませる。

 とん、と肩に手が置かれた。

「どした」

 引き止めたのは三ノ輪さんだ。怪訝そうな顔で俺を見ている。

「あ、あのさ」

 俺は声を引き攣らせながら、さっと前に目をやった。声を抑えれば前方に居る自衛官には聞こえないだろう。

 小声になった俺に、三ノ輪さんは耳を寄せてくれた。

「戸倉さん達が感染してるとかって、嘘つかれないよね」

 ぱっと三ノ輪さんが俺の顔を見る。それからすぐに顔を歪めた。

「お前、間引きを見たのか」

 俺の見たそれが間引きと呼ばれていたのを知って、ざっと鳥肌が立った。寒々しい気分になりながらも小さく頷く。


 大賀さんが手を振り、皆を集める。また何か指示をするらしい。それになんとなく近寄りながら、俺はパンデミックの最初の方を思い返していた。


 皆家になんて居られないから、避難所はいつも人で溢れかえっていた。だから俺はいくつかの避難所をたらい回しにされたし、その途中で自衛隊が元気そうな、怪我の無い人を放り出す様も見た。それは老人や、若い女の人も居て、その女の人は小さな子どもを抱える人だったりした。


 そうか、それは確かに、"間引き"だ。弱い者は、助けない。自衛隊という組織全体がやった訳じゃない。ただ三ノ輪さんも見たというのだから、同じような事を考える人は居るのだろう。


 さっと血液が足元に下がる感覚。連れていかれた二人とも明らかに成人ではないし、体格も良い方じゃない。御陵に至ってはかなり小柄な方だ。――間引かれるなら、その二人になる。


 再度、肩に手を置かれた。その手は俺の肩を力強く握りしめる。

「平気な顔してろよ」

 言うと、三ノ輪さんは俺達の側に立っていた飯村さんに近付いて何か耳打ちした。彼は少し不意を打たれた様子で三ノ輪さんを見やる。それから俺に視線を向けて、軽く頷いた。


「――これから宿舎の方に移動します。それぞれ荷物を持ってください」

 大賀さんの指示が終わった所で、飯村さんと三ノ輪さんが彼に近付いていく。すみません、と軽く断りを入れた三ノ輪さんはすらすらと大賀さんに訳を話す。

「今連れて行った二人――戸倉と御陵なんですけど、あの二人だけだと心細いだろうから俺達も行っちゃ駄目ですか。まだ十五そこらだし、歳の近いこいつも居た方が安心できると思うんです」

 視線を向けられて、俺はめいっぱい心配そうな顔をしてみせる。もしくは申し訳なさそうな顔。


 ただ内心は殊勝なことを言う三ノ輪さんにむずむずしていた。そのまま事情を話すのはまずいだろうけど、三ノ輪さんは心細いだろうと着いて行こうなんて気を回すタイプじゃない。


 けどそんな事を知らない大賀さんは、顎に手をあてがって唸る。

「そうか……」

「後から全員合流しますよね? 案内は任せてくだされば俺が」

 飯村さんが大賀さんの僅かな躊躇を察してか、にこやかに申し出る。そういえば事情を話した時の大賀さんと飯村さんの反応はかなり違ったけど、三ノ輪さんは飯村さんに何を言ったんだろうか。


「分かった。ならいつも通り、後は食堂で説明をする。案内を頼む」

 気になりはするが、案外すぐに許可がおりたことにほっとする。飯村さんがそのままにこにこと案内してくれるのに着いていけば、広報と書かれた札の掲げられている部屋の前に辿り着く。

 中からは話し声も聞こえるし、ここで間違いないだろう。


 ドアを挟んで反対側に立った飯村さんが、とん、と壁に背を預け腕を組む。そして先程よりかは砕けた表情で俺達に目を向けた。

 ――その目はジェイドさんより少し深い緑色。ヘルメットの影になると緑色とは分からないくらい濃い色だけど、日本人には無い色彩だ。

「さ、入る訳にはいかないし、俺達はここで待ちますよ。――ところで」

 やっぱり仕草もちょっと似ている。名前聞いとけば良かったなぁと思っていると、ふと飯村さんのにこやかな顔に凄みが出た。

 

 あー! 似てる! めっちゃ似てる!!


 その顔があまりにもジェイドさんと重なるので、俺は心の中で叫んだ。

 見慣れていない彫りの深い顔立ちが見分けられないだけだろうか。でも顔立ちというより仕草がめっちゃ似てる。すごい似てた今の。

 すぐにでも聞きたい気持ちをぐっと堪えたのは、この表情が怒るか脅すかの時のジェイドさんと同じだったからだ。神妙な顔を作り首を傾げてみせる。

 けど飯村さんの目線を俺を越えて三ノ輪さんに向けられていた。

「あなたはどうも俺達を信用していないようだね」

「何でそう思ったんだ」

 飄々と三ノ輪さんが言う。飯村さんは表情を崩さず続けた。

「二人の身の安全は保証されるのか、なんて、信用していたら聞かないんだよ普通」

 俺はかすかに口を開けて三ノ輪さんを見た。どうして丁寧に喧嘩腰なんだろう。

「あとうちのお嬢に手出したらただじゃすまねぇぞとも言ったね」

 ただただ喧嘩売ったじゃん、と半目になって三ノ輪さんを睨む。丁寧でもなんでもない。

 俺の視線を三ノ輪さんはどこ吹く風で受け流す。そしてふんと鼻で笑ってみせた。

「こちとらそう言わなきゃ気の済まない事もあったんでね。今信用してる自衛隊は一人くらいだからな」

 信用している自衛隊、はジェイドさんの事だろう。ここで引き合いに出した事が何となく嬉しい。それを察したのか三ノ輪さんがニヤつきながらちらっと俺を見た。それが癪に触ってふんとそっぽを向く。向いた先は飯村さんがいるわけだけど、

「え、今笑うとこあった? 気持ち悪いな君」


 緩んだ頬を指摘されたうえにちょっと顔をしかめられた。

「なんだと――!」

 三ノ輪さんの冷ややかな喧嘩に呆れていたのも忘れて俺は一歩踏み出す。と、扉が開いて、いつもの声が耳に届いた。

「白樺さん?」

「飯村くん、そちらは?」

 中に居た女の人もびっくりしたように飯村さんを見ている。その視線を追った戸倉さんが、ぴたりと動きを止めた。そんな彼女に、飯村さんはさっきぶり、とやたら爽やかな挨拶をした。

「彼らはこの二人が心配らしくて――」

 さらりと説明を始める飯村さんを横目に、俺達はアイコンタクトで会話する。やっぱ似てるよね。

 でも性格は全く似ていない。人当たりの良さとか、物腰柔らかそうな感じとか。さっきの会話は三ノ輪さんが悪すぎたのでノーカンだ。というか俺もまとめて嫌われた。

「――っていう感じです。大賀さんに許可はとってあります」

 簡潔な説明に、女性はそう、と頷いた。

「なら先に食堂に行こうか。他の人は宿舎に案内されているんでしょ?」

「はい」

 大賀さんも含め、生存者を救助した時の流れが一応あるらしい。

 三人の自衛官に着いて歩きながら、戸倉さんと御陵の様子をそっと伺う。戸倉さんは何故か迷彩服を来ているけど、普段と何も変わらない様子だ。御陵も物珍しげにきょろきょろしているけど、落ち着いてはいる。

 その視線に気づいたのか、戸倉さんが俺の耳元に顔を寄せた。

「ねぇ、白樺さん。飯村さんって」

「やっぱジェイドさんに似てるよね?」

 こっそりと口元に手を添えて返せば、彼女はこくこくと何度も頷いた。

「……聞きたいけどさ。地雷踏んだらやだよね」

 例えば兄弟がいるかなんて聞いて、ジェイドさんじゃない別の人だったら。更にその人がもう、この世に居なかったら。あまり気軽に聞ける事じゃない。

 戸倉さんが軽く頷き、顔を曇らせて続ける。

「それにジェイドさんとはまだ……合流出来てないですから」

 言葉を選んだだろう彼女に、それでも胸が痛くなる。

 ジェイドさんが無事か、俺達には分からない。安否の分からない人の事はできるだけ伝えたくなかった。それが親しい間柄だったら尚更。



 着いた食堂はかなりの広さだった。薄暗い印象を受けるのは薄汚れた壁のせいだろうか。大きな机も椅子も、使い込まれて古びた感じだ。

 気配を感じてか、入口近くに座っていた八木さんが肩越しにこちらを覗く。軽く手を振ると、ちょっと呆れたようにため息をつかれた。

 女性の自衛官に促されて着席すると、大賀さんが机を挟んで目の前に座った。


「さて。君達は自衛隊に保護されたと思っているだろう」

 妙な言い回しに訝しげな表情を浮かべる俺達を見回し、彼は穏やかに微笑む。

 

「それは間違いではないが――重ねて。

 君達は()()()保護されたんだ」

 ふっと場の雰囲気がざわめいた。誰も一言も発さないけれど、動揺と喜びきれない微妙な感情が発せられている。

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