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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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記憶喪失

 右斜め前に居るゾンビの頭が弾けた。

 走り抜けながら、やっぱり雪さんが援護で良かったと思う。彼女は私を斟酌したんじゃない。猟銃は彼女しか扱えないし、雪さんが倒れたら、体格差的に私は彼女を抱えて逃げられない。でも私が倒れても雪さんなら助けられる可能性が高いのだ。

「居た!」

 雪さんに聞こえるように声を張り上げる。錯乱した様子で腕を振り回す男性は、私達に背を向けていた。

 よろめき後ずさる背中に声をかける。

「ちょっと! ……そこの人!」

 ハッと男性が振り向く。恐怖に強ばる顔に驚きが浮かんだ。

「止まらないで!」

 男性が私達に気を取られた瞬間、雪さんの声が鋭く響く。私はぱっと男性の腕を掴んで振り向いた。彼女は既に踵を返して駆け出している。

「ど、っどこに!?」

「分からない、走って!」


 さっきまでゾンビの猛攻を防いでいた男性は既に息が切れている。ちらりと見ただけだが、首の後ろは食われているようだし、左腕は体に付随するようにぷらぷらと動いていたから骨折もしているかもしれない。そう長くはもたないだろう。

 前を走る雪さんもそれには気づいているのか、複雑に角を曲がりゾンビを撒こうとしているようだった。それに必死に着いていきつつ、私は男性を引っ張る。

 ちらっと雪さんが振り返った。何かの合図か、と周囲に目を配ると、彼女は真っ直ぐに右手にあるマンションへと向かっていく。外から見えるエントランスは綺麗なようで、ゾンビが居そうな雰囲気は無い。


 一足早く着いた雪さんが自動ドアを押し広げ、銃を構えた。男性を先に中に入れた瞬間、銃声が弾ける。

 私は銃弾を逃れたゾンビの腹を押すように蹴った。

「入って!」

 雪さんがまた発砲する。私は彼女の指示通り体を反転して中へ入った。続いて彼女が銃を構えたまま後ろ手に自動ドアをくぐる。私は自動ドアの端を掴み、ぐっと力を込めてドアを閉めた。

 ばん! とゾンビの手がドアを叩く。けれど追ってきていたゾンビの数はそう多くない。自動ドアが割れる様子も無いから、私は小さく息をはいた。


「とりあえず上に行きましょうか。貴方の手当てもしたいし」

 雪さんに促され、私達は階段を登る。適当な階で鍵の開いている部屋を探し出し、私達は男性の手当てを始めた。

「まずは首のところねぇ。……とは言っても」

 雪さんが苦笑する。

「真美ちゃんの時と同じ。正直、私がどうこうできる範囲の怪我じゃない」

 彼の首の後ろは食いちぎられている。どうして平静で居られるのかおかしい程だ。私はそっと顔を逸らした。死体も嫌という程見たし、大量の血も見慣れてきたはずだけど、普通の人間のように見える彼にありえない傷がついているのが奇妙で、気持ち悪かった。


 こんな事を思うなんて、私の怪我を見てくれていた雪さんに失礼だろう。

 でも彼の傷を見ていると、喉が大きな石で塞がれたような気分になるのだ。えずいて、吐きそうになる。


「血は止まってるみたい。ねぇ、貴方、痛くはないの?」

「え、あ、いたく? あぁ、……痛くない」

 男性は酷く戸惑っているようで、私は首を傾げた。聞き取れなかったのだろうか。それにしてはかなり動揺しているように見える。

 それにしても、この怪我が痛くないなんて。雪さんも眉を顰め、質問を重ねた。

「感覚が無いだけ?」

「冷たい。多分」

 男性が頭を左右に振ってみせた。その動作にぎこちなさは無い。

「普通に動ける」

「……そう」

 言いたい事を飲み込んだらしい雪さんは、傷口を水で洗う準備をした。私は部屋の中からバスタオルを探し出し、準備を手伝う。

 水で洗う時も、彼は平気そうな顔をしていた。

 次に左腕を見てみれば、肩口から肘の上当たりにかけて紫色に腫れ上がっていた。確かにこれでは動かせない。こちらも痛くないのかと聞いてみれば、彼は腕を上げようとする。

「待って待って。動かすのはやめておいた方が良いです」

 私が慌てて止めると、彼は不思議そうな顔をして腕を下ろした。痛がり方から折れているかどうかも分からない。

「変な方向には曲がっていないけど……何か当てておきましょうか」

 雪さんが立ち上がりキッチンへ向かう。私はその間にまじまじと男性を見た。

 男の人にしては長めの白髪(はくはつ)に、赤眼(せきがん)。彼もやっぱり私達と同じような存在なのだ。

 じっと見ている私に気づいたのか、彼の目がこちらに向く。三白眼で黒目が小さいからか、人相が悪めだ。けれどその顔にはおどおどしたような表情が浮かんでいる。戸惑う男性が口を開きかけた時、雪さんが延べ棒を持って戻ってきた。腫れている範囲に丁度良さそうな長さだ。

 雪さんは男性に後ろを向かせ、肩と二の腕に棒をあてがう。私は包帯を取り出し、彼女の指示通り包帯を巻いていった。不格好になったが、何とか固定は出来たようだった。

 とりあえずの処置が終わり、私達はほっと息をつく。

 それから簡単な自己紹介をしようかという段階になって、男性は首を振った。

「……何も、分からない」

 それに、と彼は片手で顔を覆う。

「言葉も時々分からない。外国語みたいになる」

 私と雪さんは顔を見合わせた。弱り切った様子の男性に、どうしたものかと閉口してしまう。

「じゃあ言葉の問題は置いておいて。……あなた、何か持ち物は無いの? 免許証とか」

 雪さんが言うと男性は上着やズボンのポケットを漁り始めた。電車に乗るのに何も持っていないという事は無いだろう。あの混乱で落としてしまっているかもしれないけれど。


 結局、見つかったのは彼の携帯だけだった。もちろん充電は切れてしまっていて、彼自身に繋がるものは無い。


「モバイルバッテリーが見つかれば……けどパスワードがかかってたら分からないわねぇ」

 雪さんがうーんと眉を寄せる。

「とりあえず何か思い出せないか頑張って。聞き取れなかったら言いなさい」

 男性が落ち着かない様子ながらも頷いた。何も思い出せないとなれば不安だろう。

「まぁ、私も多少の間は記憶に混乱があったし、起きてすぐは記憶喪失みたいになったしね。大丈夫よぉ」

「……え?」

 私は顔をあげて雪さんを見やる。ゾンビになって記憶喪失のような状態になったというのは初めて聞いた。

 雪さんが不思議そうに見返してくるのに、私は口を開く。

「私は寝て起きたような感覚だったんですけど」

 この場に三人しか居ないのに、三人とも違う体験をしている。ゾンビになったという事実だけが同じだ。

 雪さんはしばらく何かを考え込んでいたようだったけれど、ため息を一つついて首を振った。

「今はやめておきましょう。二人とも疲れているだろうから」

 そう言う雪さんも、僅かに目元が暗い。ここまで彼女はかなり気を張ってきたはずだから、当然だろう。

 私は彼女を頼りにしてしまっているし、彼女もそれは察している。

「雪さんも休みましょう。私、食べれそうな物がないか探しておきますから」

「ありがとう、助かる」

 微笑む彼女に頷いて、私は小さなキッチンへと向かった。一応の食料は持ってきていたけど、三人となると心もとない。インスタント製品やスナック菓子でもあればラッキーだ。

 ちらちらと二人を気にしつつキッチンを漁る。記憶喪失でも警戒は必要だ。


 それにしても、と私は記憶喪失について思考を巡らせる。

 二人が少数派か、私が少数派かはまだ分からないけれど、もし記憶喪失が多数なら、何故私は平気に覚えているのか。個体差で片付ければ良い話だろうか。


 戸棚を開けて覗き込み、私はあっと声を上げる。無造作に積まれたカップ麺に、個包装で転がるインスタント麺。栄養はともかく二日三日は食料に困らない。

 それを一つ二つ抱え二人のもとへ戻る。私を見た雪さんが顔をほころばせた。

「二、三日は保ちそうな量ありました。後は水ですけど」

「……こういうマンションなら貯水槽が無いかな」

 ぽそりと男性が呟いた。視線を彼に向けると、額に手を当て、何か思い出すような仕草だ。

「何か思い出しましたか?」

「いや、ぼんやりと……元から知ってた感じだ。けど色々見ていけば何か思い出せるかも」

 男性の混乱も少し落ち着いたようなので、とりあえずと私達は食事をとった。食事と言ってもインスタント麺をそのまま齧るだけだ。雪さんの家には携帯コンロがあったけれど、重いし嵩張るうえ、ガスも危ないから持ち出してきていなかった。

 長くても一泊の心づもりだったけれど、男性の怪我が治るまでは動けない。

 それからは私と雪さんの自己紹介をして、人探しをしている事、桜木研究所を目指している事をかいつまんで彼に話した。

「それは」

 話し終えると、彼は顔を曇らせた。どうしたのかと窺っていると、いきなり頭を下げる。

「助けてもらったうえで言うのは卑怯だけど、……ごめんなさい」

 謝られて、私は怪訝に眉をひそめる。反応に困って雪さんを見遣れば、彼女は苦笑のような、曖昧な笑みを浮かべていた。

「謝らないでちょうだい。探している子が見つからなくても貴方を責めるつもりはないわ」

 そこでようやく、私は彼が謝った理由を悟る。雪さんからのアイコンタクトに、私も言葉を重ねる。

「追いかける形になったとしても、もう時間が開きすぎているから……居ないことを確認するだけみたいなものだから、気にしないでください」

 自分で自分の希望を砕く言葉は、けれど目の前で罪悪感に沈む人の前で呆気なく滑り落ちた。


 彼は自分のせいで私達が探している人との入れ違いなんかを心配したのだろう。でもその心配はほぼしなくて良い。彼自身も責める事は無い。

 私は学校で、海音の家で、彼女と会えなかったから、そもそも大きな期待はしていなかったのだ。

 私の顔色をうかがう彼は、少しほっとした様子で頷いた。それから何か決意したように彼はぐっと顔を引き締めた。

「できればこれから、一緒に行動させて欲しい」

 これから、と言われて私はぱちりと瞬きする。それから雪さんと顔を見合わせた。

 怪我をしているからこのまま放置していくことなんて微塵も考えていなかったし、治ったからといって急に見捨てようとも思っていなかった。彼がその心配をしたのかと思ったけれど、そうは見えない。

 それに戸惑いつつ、私は口を開いた。

「でも私達は人を探してるから、まだずっと移動すると思いますよ?」

 一緒に行動させてと言われても、私達の都合で彼を振り回すことになるだけだ。けれど彼は首を振った。

「着いて行かせてくれ。何か役に立ちたい」

 真摯に私達を見る彼に、私はふっと視線を落とす。


 その関係は、きっと苦しい。この人は必要以上に恩義を感じているのかもしれない。だから役に立ちたいだなんて言うのだ。

 でも最初は良くても後にそれが負担になる事もあるだろう。そしていつか、私達に横滑りする感情が出てくる。自警団のように、あの同級生のように。

 

 腹に重い物が溜まる感覚に黙り込んでいると、雪さんが優しく微笑んだ。

「そんな事言わなくても良いわよぉ。貴方が仲間になるのは歓迎よ。私達が心配しているのは貴方にとってはメリットも無いのに移動し続けるかもしれないことなの」

 ね、と顔を向けられた私はこくりと頷く。それを受けた彼は、少し考え込んだ後、口を開いた。

「……なら、嫌になったら離れる」

 その言葉に、ほっと眉を開く。いつの間にか力が入っていたらしい。

 それなら良いかと、私は雪さんに向かって頷いた。彼女も仲間が増える事に関しては問題なさそうだった。

「決まりね。これからよろしく」

 彼がぱっと顔を明るくさせる。記憶が無いからおどおどしていただけで、もしかしたらもっと快活な性格なのかもしれない。

「はい!」

 長い前髪の間に覗く瞳は、嬉しそうに輝いている。




 リビングに私と雪さん、寝室に男性と、部屋を分け、その日は早めに眠る。

「流石にもう大丈夫よねぇ」

 頬に手を当てる彼女に頷く。これまでは二人のどちらかが理性を失う可能性を考えて別々の部屋で寝ていたけれど、空腹になっても平気な事を考えて今夜は二人で眠る事にしたのだ。

 暗くなればする事も無い。布団に入った私は、すぐに眠りについた。



 腕を押さえつけられた。

 その強い力にどっと心臓が跳ね、目を開かせる。

「何!?」

 混乱のまま声を上げ、目を凝らすと、目前にはあの男性が居た。ギラギラした赤い瞳が暗闇にも分かる。

 ひゅっと喉がすぼまる。男性に馬乗りになられて、身動きがとれない。これは、駄目だ。


 いくつもの夜がフラッシュバックする。もう息が吸えなくなっていた。混乱にかき混ぜられる頭が、血なまぐさい臭いを錯覚した。


 男性が私の上で、ぐらぐらと頭を揺らしている。

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