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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
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傾く天秤

 扉を開いて、私は眉を顰める。


 カーテンが外れている。あらわになった窓には、乾いた血の手形がべたりと付いていた。まるで誰かが争った後のような部屋の惨状。


 まさか、手紙の彼がゾンビになって。


 どっと心臓の音が速くなった。動くものは無いけれど、リュックをおろし手元の銃を構える。そろりと窓の方へ近づいて、死角になっていたベッドの向こうを覗き込む。


 やっぱり何も居ない。私はほっと胸を撫で下ろす。

「真美ちゃん」

 不意にかかった声に、驚いて肩が跳ねた。

「っ、雪さん」

 再度息を吐いて、私は彼女に目を向ける。けれど彼女は猟銃を抱え、険しい表情をしていた。

「何かあったんですか」

 雪さんに駆け寄る。それでも彼女は表情を崩さない。

「リビングの窓から、誰かが無理やり入ったみたい」

 私は振り返り、窓を見やる。ゾンビに抵抗したのなら、この部屋はもっと荒れていたに違いない。


 もしかするとここには、()()()()()、暴力的な人間が居たのか。


 まず私達はクローゼットにベッドの下まで覗いて、誰も居ない事を確認した。危険が無いことに肩の力を抜くものの、何が起こったのか気が気じゃない。


「血があるのは二階のあの部屋と、ここだけね」

 階下のリビングに行くと、窓が破られた跡があった。

 家に入り込んだ人間は、窓ガラスを破った時に怪我でもしたのだろう。今はもうダンボールで塞がれている窓の側には、乾いた血が点々とこびりついている。


「どう思う?」

「少なくとも誰かが死んだ、とは思えないです」

 致命傷を負う程に彼らは敵対せず、争わなかった。

「そうね」

 考えても何が起こったのか私達には分かり得ない。

 私は雪さんに海音が家へ帰ってきていた事を話した。

「手がかり、ね。ガラスを割って入ったのは彼女じゃない?」

「絶対に違います。鍵の場所も知っているし、そこまで追い詰められていたならもっとどこかが荒れてたっておかしくない。……それにあの手形は男だと思います」

 時系列は分からないけれどこの家には海音ともう一人、男が出入りしたのだ。確実なのはそれだけ。


「私、写真探してきます」

「ええ」

 短く交わし、再度私は二階の寝室へ行く。さっきはカーテンと手形に気を取られたけれど、よくよく探せば、アルバムらしい物がベッドのサイドテーブルの下にきちんと収められていた。


 背表紙が全て同じなので、とりあえず一番左のものを取り出す。開けば一ページ目に、赤ちゃんを抱く海音のお母さんの写真。その下の日付けは海音の誕生日だった。

 そのまま何の気なしにパラパラとめくれば、写真は何枚も貼られている。すぐに手に取れる場所にある所も併せて海音がどれだけ愛されていたかが分かるアルバムだった。


 一冊目はどうやら幼稚園までのようだ。この頃の彼女は知らないので、新鮮な気持ちで最後のページまで流す。かさりと手に触れる感触が写真ではない事に首を傾げた。


 最後に貼られていたのは、どうやら新聞の切り抜きのようだ。それも普通に見る新聞と違う色味なので、地方紙か何かだろう。

 中学生、誘拐気付く、と始まるそれと海音に何の関係があるのか気になってざっと読む。

 お祭りで誘拐されかけた子を、果敢に行動し救った中学生。警察から表彰を受け取るその姿が白黒の写真で載っている。

 なるほど、その誘拐されかけた子というのが海音なのだろう。切り抜きの上の一枚の写真は、助けたらしい男の子と海音が写っている。外国人らしく、金髪に緑色の瞳。小さく笑うその顔をじっと見る。

 海音からは、誘拐されかけただとか、そんな話は聞いた事が無い。別段警戒心が強かった覚えも無かった。


 この人が助けたからかな、と考えて、パタリとアルバムを閉じる。


 今度は一番最後だろう右端のアルバムを取り出し、海音の顔が良くわかる写真を探した。校外学習で撮ったらしい、複数人で写る写真。


「雪さん、ありました」

「ん、ありがとう。……この子ね」

 受け取った彼女は写真をじっと見てにっこり笑った。

「真美ちゃん、絶対この子をガードしてたでしょう」

 私はちょっと目を見開く。何となくの立場を言うならそうかもしれない。けど、と小学校の頃を思い出して頬が緩んだ。

「……海音、意外と気が強いですよ」

「そーお?」

 不思議そうな雪さんに頷いてみせる。彼女は言う事は言うタイプだ。それが変わったのはいつだったか。

 何故かもう遠く感じる記憶をなぞっている横で、雪さんは写真をリュックのポケットにしまった。


 そして顔を上げて、首を傾げた。

「じゃ、本命に行きましょうか」

 彼女は何気ないふうに口にするものの、私の返事は微かな緊張が滲んでしまう。だって、会えるかもしれない。

「……行きましょう」



 研究所へは前もって決めた通り、線路に降りてのルートを辿った。手近に踏切があるのでそこからレールの上を歩く。

「悪い事してる気分ね」

 雪さんがイタズラっぽく言うのに、私は苦笑いする。確かに、思ったよりも罪悪感があって、元の世界の感覚は簡単には抜けないのだと痛感する。

「けどゾンビはあんまり……居なさそうじゃないですか?」

 遠くに目を凝らすが、それらしい影は無い。やっぱり普通の道を行くより線路を歩いた方が楽そうだ。しばらく歩いても呻き声がフェンスの外側から聞こえるくらいだし、見晴らしも良いから疲れる程警戒しなくても良い。

「ほんと、真美ちゃんの言った通りにして良かったわぁ」

 雪さんものほほんと言う。多少歩きにくい時があるのは難点だけど、それ以外は楽なものだった。


 しばらく何の障害もなく歩いていると、遠目に列車が見えた。ホームではなく、中途半端な所で停まっている。

「嫌な感じねぇ」

 雪さんが目をキツくすがめる。列車は長く続き、辺りはしんと静まり返っている。ホームに停まっているならまだしも、途中で乗り捨てられたような列車は廃墟のような不気味さだった。

 近づくにつれ、嫌な予感はひたひたと迫ってくる。

「……扉が開いてない」

 見る限り、どこの扉も閉め切られている。雪さんが猟銃を手に持った。私も拳銃をいつでも撃てるように構える。


 さっと、電車の窓に目を走らせて。


「っ、これ」

 うなじにざっと鳥肌がたった。――車窓から何十個もの瞳がこちらを見ている。獲物かどうか、品定めしている瞳。


 束の間の静寂のあと、それは血に染まった車内で吠える。

 ぎちぎちの車内で、見えている範囲のゾンビどもが窓を力いっぱい叩く。車体が大きく揺れ始めた。

「ここ、早く抜けよう……!」

 雪さんに肘を掴まれハッと我にかえる。凝視していた目をもぎはなし、私達は走った。揺れは私達の後を追うように伝播していく。

 けれど息も上がる頃には列車の端っこだ。少しの余裕に、ちらっと列車を見上げる。


 不意に、理性のある瞳と目があった。


「え!?」


 その顔は苦しげに何か訴えていて、思わずたたらを踏む。

「せ、雪さん生きてる人が!」

「そんなわけ……っ」

 けれどゾンビとは違う、血にまみれて苦悶に歪む表情に雪さんも立ち止まる。


 思考が止まったのも束の間、列車の扉がこじ開けられて私は思わず後ずさる。雪さんも片足を一歩引いた。


 扉が開くと同時、一番前に居る"人"の後ろから無数の手が伸ばされる。


 それはまるで、地獄の。

 

「――逃げるよ!」

 彼女が叫ぶや否や、ゾンビ共は堰を切ったように溢れ出す。回れ右して走り出した私達に、着地に成功したゾンビが食らいつく勢いで迫る。ちらりと助けを求める手が見えたような気もしたが、その時には既に顔を前に向けていた。

 地面を蹴る。以前よりも体を押し出す力が強い。随分と速く走れているようだった。何故と考えれば私もゾンビになったからで、きっとあいつらのように体の限界が壊れているからだ。


 必死に走っていると、駅のホームが見えた。

「登れる!?」

 ホームは私の背より低いくらいだ。私は頷く。少し息が上がっていた。

 助走をつけるように、スピードは落とさず、そのままホームの端を捉える。勢いのまま体を振って足を引っ掛けた。

 ホームによじ登り雪さんに続く。彼女は改札口へ走り、すぐ側の窓口のドアが開いていると見るやそこに飛び込んだ。

 続いて入った私は急いで、けれど大きな音がしないようにドアを閉める。どっと汗が吹き出してきた。

 追ってきたゾンビからは見えないようその場にしゃがみ込み、息を整える。


 ゾンビの咆哮と微かに振動が来るほどの足音に、私は項垂れた。また、閉じ込められてしまった。

「さぁて、これからどうしましょう……」

 荒い息遣いも収まってきた頃、スチール製の引き出しに背を預けた雪さんが力なく笑った。

「とりあえずゾンビ達が落ち着くのを待つくらいしか」

 私は狭い室内を見回した。棚の上部には明るい光が差しているのに、少し肩の力を抜いた。

 ここはまだ陽の光が分かる。時間の感覚が何となく掴めるだけでもマシだ。

 それに私達は多少噛まれても平気なのだから、限界が来る前に無理やりにでも脱出すればいい。

「そうねぇ。ゾンビも勢いに任せて外に出て行っているのが居るみたいだし、今は待つしかないわね」

 それからふっと彼女の顔が顰められた。

「あの人、置いてきちゃった」

 私はあぁと頷く。電車のドアをこじ開けたのはゾンビじゃない、おそらく普通の人だった。その人は一番に外へ出て、ゾンビに揉まれて姿は見えなくなっていたから、気にかける暇なんてなかった。

「人、かはちょっと怪しいですよね」

「私達と同じような感じかしらね。顔は良く見ていなかったけれど、あの中に居たならもう……」

 雪さんが眉を下げる。白髪赤眼だったかは私も見れていなかったけれど、同じ意見なので小さく頷いた。

 雪さんがため息をつく。

「助けられそうならそうしたいけれど」

 ゾンビ達が落ち着くのはいつ頃だろうか。改めてゾンビに向き合わなかった自分を痛感する。避難所での敵は自警団だけだった。

 何となく傷一つ無い手を眺める。


 確かに、私達は守られてもいたのだろう。


 どこか鬱屈とした気持ちになりそうなのを、ぎゅっと手を握ってこらえる。 

「頭以外ならどうなっても平気なのかしら」

 雪さんの呟きに私は首を傾げた。

「皮膚もある程度再生するし、一気に無くなる事がなければ何とかなりそうじゃないですか?」

「……でも五分十分くらいで無くなりそうよねぇ」

 あの人の事を言っているのだろうけど、思わず想像してしまった私は顔を顰めた。

 再生すら叶わないくらい食べられてしまったら。

 正直、もうゾンビに食われる痛みは経験したくなかった。けれどその苦痛を全身に感じながら、死ぬに死ねない苦しみを思うと心がざわつく。

 揺れる天秤を止めてくれたら、と私は雪さんに問いかける。


「助けに行きますか?」

 彼女はしばらく悩んだすえ、そうねと呟いた。私は内心ほっと息をつき、頷きかける。

「でも真美ちゃんは来なくていい」

 間髪入れずに言われて、私は目を見開いた。

「一人で行くつもりですか?」

 リスクを負いに行けと、そういう意味を持たせたつもりはない。

 口を開きかけた雪さんを遮る。

「私も行きます。二人の方が絶対良いでしょ?」

「そうだけれど……」

 頬に手を当てる彼女の目に浮かんでいるものを見て、私は小さく笑う。

「足でまといじゃないなら、行かせてください。守るものだって見てくれなくて良いですから」

 ふっと彼女の眉間の皺が濃くなる。それから瞳を伏せて視線を逸らされた。

 何を懸念しているのか、彼女は逡巡している様子だ。私は首を傾げる。

「どうしたんですか――」


「だれかぁっ! 助けて!!」


 私と雪さんは弾かれたように声の方向に顔を向けた。荒い息の合間に絞り出した叫び。続くのはゾンビの咆哮。まだ遠いが、確かに聞こえた。

「真美ちゃん」

「行きましょう」

 頷き合い、私達は銃を手に持つ。

「一気に走り抜けるわよ。――真美ちゃん、私は援護をする。助け出すのを任せても?」

「はい」

 私が返事をすると、彼女は微笑んでみせた。

「でも真美ちゃんを優先する。約束ね」

 その言葉に、微かに感じていた不安が和らいでしまう。この人はきっと言葉通り、無理だと感じたら私を回収してくれるだろう。

 男性の声は段々と狂乱みを増し、今にも張り裂けそうだ。早く行かなければ。


 三、二、一で扉を開け放つ。ゾンビが視線を向けてくるが、動き出したのは半数程度だ。

 半身でかわし、時には体当たりでよろめかせ、私達は声の元へと向かう。


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