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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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重なる危機

 暗闇にじっとうずくまる。眠れているのか、目を瞑っているだけなのかは自分でも良く分からなかった。


 ただ体の感覚が遠くなったり、ふと寒気で意識がはっきりしたりする。それを幾度か繰り返して、私は漸く薄らと目を開けた。


 途端に耳朶を打つ、激しい雨音。地面を叩いて、僅かに溜まった水溜まりが激しく跳ねる。

 あぁ、と私は心の中で呻いた。あまりにも、寒くて、冷たくて、気持ち悪い。



 物凄い雨に、俺はまた目が覚めた。

「すげー……」

 覚醒しきらない頭でぼんやりと呟く。レインコートのフードを深く被り直し、雨粒を少しでも避けようとする。


 俺はフードの下から空をうかがった。夜、とは言えないけど完全に日も昇っていないだろう暗さだ。曇っているから夜が開け始めたかどうか分からない。ただ火の手のおかげで他人の顔がぼんやり見える程度には明るい。


 ふと俺は隣にいる戸倉さんを見やった。それからえっと目を見開く。

「戸倉さん起きてるの」

 戸倉さんが身じろぐ。瞬きをして、目線を動かす。

「戸倉さん?」

 彼女の反応が鈍い事に不安になる。もう一度呼びかけるけど、やっぱり反応が薄い。

 良く見れば戸倉さんは小さく震えていた。目の下が黒く見えるのは、顔がかなり青ざめているからか。


 俺は三ノ輪さんに相談しようと立ち上がった。ぱっと見て寝ている人の中に見当たらないから、今はドアを見張っているのだろうと、ドア側に回る。


「白樺か。次は坂本だぞ」

 すぐに気付いた三ノ輪さんは、俺が見張りの交代を勘違いしていると思ったらしい。俺は首を横に振った。

「戸倉さんが体調悪そう。なんか、すごい寒そうなんだよね」

 三ノ輪さんがフードの下で顔をくもらせる。一旦ドアの見張りを交代して、三ノ輪さんに戸倉さんの様子を見に行ってもらう。


 ドアを叩く感染者はもう居なくなったみたいだけど、まだ呻き声は微かに聞こえる。多分まだドアの前でたむろしているはずだ。


 そわそわしながら待っていると、三ノ輪さんが難しい顔をして戻ってきた。

「どうだった?」

「低体温症手前って感じだな」

 低体温症、と聞いて俺は眉を寄せた。確かに肌寒くはあるけど。

「それってもっと、真冬とか」

「今は雨に濡れてるからな。有り得なくはない」

 けど、と三ノ輪さんは目線を下げて考えるように言う。

「同じような状況で、同じような体型の御陵が大丈夫なんだ。元々体調が悪かったのかもな」

 うーんと俺は唸った。戸倉さんなら不調だったらこの調達には参加しないはずだ。そこの判断は誤らないように、ジェイドさんからも口酸っぱく言われている。


「……でもこのままだとヤバいんじゃない」

「そうだな。できれば屋内に移動させたい」

 俺は柵の向こうを見やった。


 食料を縛る為のビニール紐をより合わせて、頑丈にした上でそれを伝って脱出する。ビルの隙間なら感染者は滅多に入り込まないから、上手くいけば何とかなるかもしれない。


 だけどそれは最後の手段として考えていた事だった。

「無理だ。まだ多すぎる」

 俺が視線を滑らせたことに目敏く気づいた三ノ輪さんが断言する。

「じゃあどうするの」

 思わず飛び出た声は、自分でも驚く程に苛立っていた。

「とりあえずレインコートを脱がせて、体を拭く。蛍さんの傘も使ってこれ以上体を濡らさないようにするんだ」

「……分かった」

 今はとりあえずで対処するしかないのだと気付いて、渋々頷く。どうにかならないのかともう少し食い下がりたかったけど、それが通用する世界じゃなくなった事なんてとっくのとうに分かっている。


 見張りを武仁(たけひと)と交代し、三ノ輪さんと二人で戸倉さんに話しかける。

「戸倉さん、大丈夫? これからレインコート脱がすよ。ごめんね」

 微かに顔を上げた彼女は、億劫そうに、瞬きをするみたいに頷いた。


 銃やら何やらは、防水加工のしてある八木さんのリュックにひとまとめにする。万が一を考えれば、武器を一つの場所に集めるのは良くないけど、仕方ない。


 ふっと雨の音が遠くなる。三ノ輪さんが傘をさしてくれたのだ。

 ボタンを外し、レインコートの前を開けた。首筋から流れた雨で、服の襟元まで濡れている。

 タオルを持つと、戸倉さんの唇が微かに動いた。震える手が持ち上げられる。


 自分でやろうとしているのだと気付いて、タオルをそのまま手渡す。ガタガタと震えながらも体を動かせる事にほっと息を吐く。


 ある程度体を拭き終えたところで、三ノ輪さんが横から栄養バーを差し出した。

「戸倉、これも食っとけ」

「でも……」

 躊躇いの声に、俺は眉をひそめる。なんだか恐れも混じっているような。


 白樺、と傘が手渡された。三ノ輪さんがしゃがみこんで、栄養バーの袋を開ける。

 何をするのかと見つめていると、三ノ輪さんは不意にその栄養バーを戸倉さんの口元へ持っていった。ぴくりと彼女の目が嫌悪に細められる。

「死にてぇのか」

 戸倉さんが顔を背けようとした瞬間、三ノ輪さんがぴしゃりと言った。

 そこまで言うと、戸倉さんは漸く栄養バーを受け取った。それでも渋々といった様子で、食べる事に忌避感があるようだった。


 確かに今は切り詰めていかないといけない状況ではあるけど、戸倉さんは少し、過剰に怖がっている気がする。

 何でだろうとぼんやり考えていると、地面に金属が擦れる音がした。音の方向へ目をやって、顔を顰める。


 御陵が起き出したのか、目の前に立っていた。それも何故か、シャベルを手に持って。

「何?」

 焦点の合わない目線に困惑する。どうも、様子がおかしい。御陵はぼんやりした表情で俺達を見つめ――唐突にシャベルを突き出した。

「はっ?」

 咄嗟に頭を屈めて避ければ、御陵はまた緩慢な動作でシャベルを引く。

「三ノ輪さんこれって何!?」

 戸倉さんに傘を持たせ、立ち上がる。

 三ノ輪さんへの問いかけは、戸倉さんから小さく返ってきた。

「む、夢遊病です。多分……」

「夢遊病、って!」

 再度突き出してきたシャベルを裏拳で払う。じん、と手が痺れた。

「半分寝ながら行動するアレでしょ!?」

 確かに御陵は寝ぼけ眼で動いているようだった。


 ――けど何でこんなに速いわけ!?


 文句を言う間もなく、また素早くシャベルが突き出される。今度は腕で防いで、そのままシャベルの柄を掴んだ。途端に強い力で引っ張られるが、流石に負けない。


 その隙に後ろに回り込んだ三ノ輪さんが御陵を羽交い締めにする。御陵は身を捩り、何とか拘束から抜け出そうともがく。

 俺はシャベルをしっかり抱えたまま持ち手へ手を伸ばした。御陵の指を無理やり剥がしてシャベルを奪い取る。両手が空いた御陵はむちゃくちゃに腕を振り回し始めた。

「白樺手を抑えろ!」

 俺はすぐに御陵の両腕を掴み、抑え込んだ。雨で滑りそうになるが、離せばまた暴れ出すので必死に堪える。

 汗でレインコートの中が蒸し暑い。目に入るのが雨なのか汗なのか最早分からない。


 しばらく抑え込んでいると、ふっと御陵の腕から力が抜けた。

「へっ?」

 間の抜けた声に顔を上げれば、御陵の目はしっかりと俺を捉えていた。ずるりと俺はしゃがみ込む。

「私……何してたの?」

 不安そうに、怯えたように御陵が呟く。

「夢遊病だよ。こんな状況じゃ珍しくもない」

 三ノ輪さんが拘束を解くと、御陵は自分の腕をさすった。

「夢遊病……」

 初めて聞く様子の御陵に、俺は溜息をついた。自覚していなかったという事は、戸倉さんは夢遊病である事を把握していて本人には知らせていなかったのだ。


 知らなかったのなら、責められない。

「これからは寝る時、シャベルとか傍に置かないでよね……」

 これが銃だったらと考えると恐ろしい。御陵は難しい顔をしていたけど、どうにか気持ちを落ち着けたのか、こくりと頷いた。

「うん……ごめんなさい」

 戸倉さんが絡むと面倒くさいけど、他は素直なんだな、と俺は多少御陵を見直す。


 普通に出会っていたら、友達思いの良い子なんて評価だっただろう。

 出会う機会があるかは、知らないけど。


 どたばたしている間に雨脚は少し弱まったようで、視界も良くなっていた。



 ほっとして戸倉さんの方を見やった時、ガチャンと荒い、ドアノブが回る音。

「――武仁!?」

 弾かれたように体は動いた。


 すぐに見えたのは、ドアから伸びる腐った腕だった。獲物を探してバタバタと動く腕の向こうで、武仁が必死にドアノブを掴んでいる。

「やばい、やばいやばいやばい!」

 繰り返す武仁は明らかに恐慌状態だ。 

「武仁っ――三ノ輪さん全員起こして!」

 素早く踵を返し、三ノ輪さんへ叫ぶ。無我夢中でシャベルを手に取り、伸びる腕ごとドアへ押し込む。


 ここが開ききったら、俺達は死ぬ!


 ぐんとドアの向こうの暗闇が明るくなった。感染者の顔が、良く見える。その顔へシャベルを突き立て、掴まれる前に引く。

 作業のように繰り返して、でもドアノブがガチャガチャと回る音が平静を掻き乱す。シャベルの先から血が伸びて飛び散る。

 ノブを抑える武仁を見やる余裕も無く、耳に届く声で様子を推し量るしかない。

「死ぬ――死ぬ!」

 微かな息で押し出す、細い悲鳴のような声だった。恐怖の限界なんだろう。手を動かしながらも誰かを呼ぼうとした所で、八木さんのピンと張った声が届いた。

「坂本、代われ!」

 荒い仕草で武仁をドアから遠ざける八木さんを視界の端に捉えて、俺はシャベルを平たく使って感染者の手をへし折る。

 ぐん、とドアが迫ってきた。最後の最後にドアを掴む感染者の顔へとシャベルを突き出す。

 手が離れた瞬間、大きな音を立ててドアが閉まった。


 ほっと、力を抜きかけて。ドアノブが回る音に耳の後ろが総毛立った。

「クソっ、何でだ!?」

 再度開きかけるドアを八木さんが抑え込む。俺はシャベルを手に持ったまま声を上げた。

「三ノ輪さん! ドアを開けれるやつが居る!」

 ドアが少しでも開いて手をかける隙間が出来てしまえば感染者は体をねじ込んでくる。これじゃイタチごっこだ。そのくせ俺達はほぼ負け確。

 解決策を出す思考の隙間が無い。その絶望を感じる余裕さえも。

 顔が暑く火照っている。息を整えつつ目の前のドアを睨んだ。


「了解! 荷物と女子二人はこっちだ」

 返事は上から降ってきた。ちらりと目線を上げると、三ノ輪さんがこちらを見下ろしていた。その後ろに戸倉さんと御陵もいる。

 なるほど、万が一の為に二人を上へ避難させたらしい。

「降りるぞ、動くなよ!」

 言われるまでもなく、俺はドアから目を離さずじっとしている。一息の間のあと、三ノ輪さんが飛び降りた。着地する音からして上手くいったんだとは思うけど一応声をかける。

「大丈夫?」

「平気だ。今は?」

 短く問う三ノ輪さんに八木さんが返す。

「開けるやつは居るけど、他のがバンバン扉叩いてっから持ち堪えてる。さっきみたく隙間が空いたら終わりだな」

「なるほど」

 三ノ輪さんが頷いた。顎に手をあてて考え込む。


「扉を開けられる感染者がいるのね?」

 いつの間にか蛍さんがバットを持って隣に立っていた。俺はドアから目を離さず頷いた。

「うん。倒せるなら倒した方が良いと思うんだけど……」

「難しいわねぇ」

 蛍さんが唸った。体力のない時やすぐに反応出来ない時にドアを開けられたら死に直結する。あまりにも厄介だ。

 それでもってその厄介な感染者はドアノブをひねれるだけじゃなく、どちらに引けば開くかまで分かっている。という事はドアの目の前にそいつはいるはずで、この状況だと、こちらからドアを開けても飛び込んでくるのは別の感染者だ。


 ぞろぞろと出てこられては勝ち目が無い。


「少しずつ倒す?」

 確実に数を削り、最終的には脱出を目指す。体力がある今だからこそのパワープレイ。

 けど蛍さんは俺の呟きに首を横に振った。

「さっき見たけれど、入口からはまだ感染者が入り込んできてるわ」

「扉を開けられる奴だけ倒せれば良いだろ。正直これキツいぞ。交代でやっても限界がくる、絶対」 

 八木さんの声に俺は顔を歪めた。回るドアノブを押さえつけ、雨に濡れるそれを握りしめてドアを開かないようにするのはそれなりに大変だ。


 早くケリをつけないと、俺達は本当に全滅する。 

 

 

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