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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
73/99

袋の鼠 3

 トランシーバーにざっとノイズが走った。


『了解した』


 ぱっと、白樺さんと顔を合わせる。ジェイドさんの声だ。

『こちらは異常なし。墜ちたのは自衛隊のヘリだ』

 異常なしと聞いてほっと肩の力を抜く。そして自衛隊のヘリだと言い切ったという事は、彼は墜ちる前のヘリを確認したのだろう。だから最初の通信に反応できなかったのだ。


 それから情報共有をして、短い通信は終わった。


「そりゃ迎えには来れねぇよな」

 八木さんがため息をつく。

 下では感染者が唸りを上げ、走り、バイパスの方へ向かっている。歩きフラフラと移動している感染者も居るようだが、殆どは走っている状態なので、そんな感染者に見つかれば身構える間もなく肉薄されてしまう。


 あからさまではないけれど、少しだけ落胆した雰囲気が場に漂う。そんななかで三ノ輪さんが小さく苦笑した。

「あいつ、かなり気を揉んでるんだろうな。一番に応援を寄越せるかどうかって」

 もはや呆れ混じりのそれに、八木さんが眉間の皺を解いた。

「まぁ怪我してなかったら一番に来てるだろ」

 確かに、トランシーバーでの通信は手短にしなければとは言っていたけれど、あちらの状況はそこそこに迎えの話をしていた。


 見捨てるつもりの無い彼の言葉に、不安が緩んだ。白樺さんも同じなようで、含み笑いで口を開く。

「不知火さんと一緒にしておいて良かったかもねー」

「でもあの人ブレーキになれるかしら」

「引っ張られるのが目に見えてるだろ」


 束の間明るく会話するが、ぽつぽつと細い芯だったような雨が少しずつ重さを持ち始めた。

 かと思えば、数分後にバケツをひっくり返したような大雨になり、私達は慌てて荷物を抱えることになる。

「やべー、もうびちょびちょじゃん」

 坂本さんが顔を顰め、足元に張り付いたズボンを摘む。

 跳ねる雨粒でレインコートを着ていても濡れてしまうのだ。


「折り畳みがあるわ。荷物こっちに寄せて」

 蛍さんが取り出した黒い折り畳み傘はかなり大きい。扉の壁際に寄せて、銃弾を入れてあるリュックを優先に置いていく。

 それでも流石に全員分は入らないので、後はタオルだけ避難させ、リュックはその周りに放置するしかない。


 そうこうしている間にもこれ以上ないくらいに雨は強まり、顔までびしょ濡れになってしまう。

「すごいね。すぐ止むかな」

 白樺さんが眉間に皺を寄せる。彼の声も雨音に掻き消されそうな程だ。

「どうでしょう……でも長く振りそうですね」

 私も少しだけ声を張って応えた。どれだけ向こうを見ても雨雲が空を覆っている。

 目に入りそうな水滴を払うが、すぐに雨が前髪を濡らした。


 どうする事も出来ず、荷物の傍に立ち尽くしていると、白樺さんにつんと腕をつつかれた。

 首を傾げると、彼はそのままヘリの墜ちた方を指さした。追うように目をやって、息を呑む。


 黒い煙がもうもうと上がっている。かと思えば炎が勢いを増し、うねるように煙を飲み込んだ。炎は曇天まで届きそうな程高く、周辺をオレンジの光で染め上げる。


 踊るような火は、綺麗だった。


 けれど迫る美しさは一瞬で追いやられ、不安が首をもたげる。

 明らかに火は飛び、範囲は広がっていた。同時に車が火に巻かれ爆発する頻度も高くなったように思える。


 震える手を握りしめ、白樺さんを見る。彼は頷くように半ば目を伏せた。私は雨に濡れて冷たく動かしにくい頬を僅かに持ち上げる。

「ジェイドさんなら、切り抜けられますよね」

「当たり前だよ」

 僅かに聞こえる彼の声と動く唇で読み取って、私は頷いた。



 少しずつ辺りが暗くなり、日が落ちようとしている事が分かると、私達は夜になる前にと軽く食事をした。

 薄暗い中で乾パンを齧り、少量の水を飲む。乾パンは袋から出した途端雨に濡れ、湿った食感になってしまった。

 一枚口に入れ、私はすぐに残りを鞄へ戻す。

「ね、それだけで良いの?」

 海麗ちゃんが私の耳元に顔を寄せる。私は怪訝そうな彼女に向かってにこりと笑ってみせた。

「まだ大丈夫だよ」

 彼女は聞き取りにくかったのか、まだ眉を寄せている。

「大丈夫」

 私も少しだけ耳元に寄せて言うと、ちゃんと伝わったらしい。小首を傾げながらも彼女は手元の乾パンを齧る。


 私は息を吐いて空に目を眇める。未だ雨脚は強く、顔に当たった雫が首元へ流れて服を濡らしていた。レインコートも動きづらく、いっそ脱いでしまいたい程に不快だった。

 感染者は執念深く扉を叩いているし、そうこうしている内にもう陽が沈みかけているのだ。

 これでは動きたくても動けない。


「やっぱここに一晩中居るしかなさそうだね。もう戸倉さんも座っちゃったら?」

「そうですね……」

 雨の跳ねる地面に座るのが嫌で、食べている時もしゃがんでいるだけだったけれど、ずっと立ち続けている訳にもいかない。

 レインコート越しに伝わってくる冷たさに気が滅入るが、強ばっていた体から力が抜けた。

 体育座りをして、膝の裏に手を回す。


 さっきから手が震えて仕方がなかった。風がないだけまだ良いけれど、昼間の暖かさが嘘のように寒い。

 冬に比べれば暖かいのだからと自分に言い聞かせるが、どんどん体温は雨に奪われていく。

 膝に額を押し当て、少しでも雨に濡れないようにしていると、周囲の音が遠くなった。


「…………ちゃん、海音ちゃん?」


 はっと私は顔を上げる。海麗ちゃんが隣から私を覗き込んでいた。雨は弱くなったのか、声は良く聞こえる。

「寒い?」

 聞かれた途端、頼りなかった体の感覚が戻ってきて、意味も無いのに二の腕を掴んだ。

 肩が薄ら寒い。顔に血の巡りが無いような気がする。濡れた靴の中で足が冷えている。

 けれど海麗ちゃんの顔を見て、私は何とか口を動かした。

「……ちょっと寒い、かも」

 うたた寝をしてしまったのは、間違いだったのかもしれない。余計に寒さが堪えるようだった。

「どうした?」

 三ノ輪さんが目の前にしゃがみ込む。

「海音ちゃんが寒いって」

「触るぞ」

 それを聞いた彼は一言断ると、私の額に手を当てた。

「熱は無いけど、今の内に体を拭いておいた方が良いな」

 顔を曇らせた彼に頷く。


 タオルで濡れた所を拭いていると、三ノ輪さん達男性が何やら話し始めた。蛍さんだけ、扉を見張っている。


「私行った方が良いかな?」

 海麗ちゃんが姿勢を変える。

 自然と話が始まって近くの人達が集まってきたようなので、これからの事を軽く話しているのだろう。

「行ってみても良いけど、必要なら呼んでくれるよ、きっと」

 それもそうか、と海麗ちゃんが座り直す。

「海音ちゃん、まだ寒い?」

 濡れた服はどうしようもないけれど、外気に晒されている部分を拭くだけでも、寒さがましになった。 

「ううん。さっきより平気」

 まだ小雨程度に降っているからと拭くのは躊躇っていたが、これでも体温が戻りそうでほっとする。

 

 またさっきのように土砂降りにならなければ良いなと思いつつ、すっかり日が落ちた空を見上げる。

 空に未だ分厚い雲がかかっているのが、大きな炎のおかげで良く見えた。




 ラジオの声は、霞ヶ浦駐屯地と名乗った。


『石美市内の生存者へ。石美市内の生存者へ。明朝五時から六時。日の出にかけヘリを飛ばす。屋上で待機をしておくように。ヘリが一度に運べるのは七人。感染が確認された場合でない限り、全員を救出する』


 ハキハキとした声はそれを繰り返し、後にはラジオの複雑なノイズが残った。


「もしかして僕達、助かるのか」


 信じられないような表情で不知火が呟く。

 いや、と俺は小さく返した。それは確かに、今より状況は良くなるだろうが。

「……俺はこの事を全員に伝えてくる」

 怪訝そうな顔を不知火は、しかし小さく頷いた。それを確認して俺は部屋を出る。


 扉を開けると、何かにぶつかった。そして小さな悲鳴。

 目を見開いて顔を出せば、鼻をさすり涙目になった夢前が目の前に居た。

「すまん、怪我は無いか」

「大丈夫……うぅ」

 しばらく痛みに耐えかねた様子で俯いていた夢前だったが、やがて顔を上げる。

「あの、皆にはもう伝えてきました。あんまり取り乱してる人は居なかったです」

 併せて他人の様子も観察してくれていたのはありがたい。火が遠い故だろうが、妙に騒ぐ奴が居なかったのは幸いだ。

「そうか、ありがとう。こっちも丁度連絡がとれたところだ」

 ぱっと夢前の表情が明るくなった。余程気にしていたらしい。

 俺は僅かに目を細めた。

「全員無事だそうだ」

 伝えてやると、明らかにほっとした様子で胸を撫で下ろす。


「ただ少し厄介な事態らしくてな。マンションの屋上に籠城して、今は動けない状況らしい。俺達も」

 夢前の顔が曇った。廊下から外を見やり、慎重に口を開く。

「……これじゃ動けない」

 呟いた内容に、こちらの言いたい事を素早く汲み取ったのだと分かる。


「これからどうしますか」

「自衛隊から救出の放送が出た。まずはそれの準備をしてもらう」

 準備と言っても荷物を纏めるくらいのものだろうが。

 真剣に頷く夢前を見ながら更に付け加える。

「時間は明日の日の出。それまでに持っていく物を纏めてるだけで良い。夢前はそれを――」

「分かりました。皆に伝えてきます」


 言うや否やこちらに背を向け、彼女は俺の横を通り抜けて階段を降りて行く。遠くなる足音を聞きながら、俺は小さくため息をついた。


「……それは俺がするつもりだったんだがなぁ」

 夢前には同室の藤宮(ふじみや)に伝えるだけで良いと言うつもりだったが、妙な行動力で行ってしまった。先の読める奴だとは思ったが、早合点もするタチらしい。


 ならばと俺は上階へ行き、武器や食料のある部屋へ向かう。全て持って行けるかどうかは分からないが、あちらにとっても物資はある方が良いだろう。

 少し整理をして屋上へ繋がる階段の踊り場に置いておけば、明日は少し運ぶだけで済む。

 薄暗い部屋にはダンボール箱が数個積まれている。食料から順に軽い物を詰め直し、踊り場と部屋を往復した。

 次は武器が詰められた箱だが、今は調達に出た八人が持って出ているからそう重くない。

 そう思いぐっと腕に力を込めた途端、肩に鋭い痛みが走った。慌てて箱を置き、痛みが収まるまでじっと動きを止める。痛みの衝撃も抜けた頃、俺はふっと息を吐いた。今度はしゃがみ込んで、重みを胸に預けるようにしてから持ち上げる。

 じくじくとした鈍い痛みに俺は顔を顰めた。傷が開いたかもしれない。


 ダンボール箱を踊り場に置き、不知火の居る部屋へと戻る。

「あ、おかえり……何だか顔色が悪いね?」

 目敏い不知火に俺は気まずく視線を逸らす。

「あぁ、ちょっとな。傷口が開いた」

「何したの!?」

「……物資の整理を」

 俺は袋に詰めた包帯を取り出し答えた。

「それは出来る人に頼むべきだと思うけどね」

 呆れ顔の不知火に、俺は乾いた笑いで返す。出来ると思っていた自惚れに、自分でも呆れているのだ。

「それは僕みたいのより動けるけど、ジェイドくんだって酷い怪我だ」

 それ、と不知火は包帯を指さす。顔を上げると、不知火はまだ血の気の無い顔で笑った。

「出来る人に頼みに行こう」


 不知火の言葉に、様子見も兼ねて包帯の巻き直しを適当な奴に頼む。

「頼んでくれたらやったけど」

 話を聞いたそいつも顔を曇らせたが、俺は黙って背を向ける。シャツを脱ぐと、うわっと不知火からも声があがった。

「血ぃ出てる」

「どのくらいだ」

 聞くと、そいつは恐る恐る包帯を巻き取り唸った。

「まぁ……ガーゼ全体って訳じゃないけど。三ノ輪帰ってきたら変えてもらった方が良いかな。俺下手に触りたくねー」

 帰ってきたらというその言い方は何となく楽観的に思えたが、やはり人づてだと状況は伝わりにくいのだろう。


 キツく包帯を巻いてくれたのに礼を言うと、そいつは軽く頷いた。それから躊躇うような間をおいて、口を開く。

「な、夢前に伝言頼んだの、何で?」

 気まずそうなその雰囲気に、何かしらの含みを感じた俺は眉を寄せる。

「調達に出た奴らの中に、戸倉と御陵が居たから向こうから状況を聞いてきた。夢前が伝言を申し出てくれたから、そのまま頼んだんだ」

 きっかけは俺じゃない事を言ってみれば、相手は期待した答えじゃなかったのか、ふぅんと気の抜けた相槌を打つ。


「どうした?」

「いやぁ……ちょっと気まずかったっていうか、あっちはそれで良いのかとか気になって」

 頬をかき、少し話し始めた事を後悔しているような様子ではあるが、更に話を続ける。

「だから、その、無理に仲良くしなくても大丈夫だからさ。お前がそうするように仕向けたんなら、無理させなくても良いって思っただけ」

 怯えられるの気分悪いし、と相手は締めくくる。


 そうか、と考えて、ふと口元が緩んだ。自警団率いる集団とはもう変わってきているのだ。

 はっきり言って今は他人の事を考える余裕など無い状況だが、その人の良い気遣いも当たり前に出来てしまえるような空気は出来つつあったのかもしれない。


 抑えつけていたものが無くなったというのも、あるだろうが。


「そうか、分かった。無理しないように目を配ろう」

 伝わったのかと安堵の息を吐く相手に、俺は表情を引き締め釘をさす。

「ただ今はそこまで悠長にしていられる状況じゃない。辺りが火に巻かれて俺達もマンションから出られなくなる可能性がある」

 ぎょっとしたように相手が目を見開く。

「出られなくなるどころじゃないよ。僕達は蒸し焼きになってしまうかも」

 不知火が横から口を挟む。脅すようなその口調は子供に言いつけるようだが、それも有り得ない話ではないのだ。


 外へ出れば感染者に追いかけられる。そうこう迷っている内に動けなくなる程火が近くなれば俺達は終わりだ。


「良いか、いつでも出られるようにしておけ。部屋で一人だけになるのも駄目だ。二人以上で動いてくれ」


 相手がしっかりと頷いたのを確認してから、俺はふっと笑った。


「包帯、助かったよ。……それから夢前も、無理している訳ではなさそうだから、普通に接しておけ」

「……おっけー」


 実際の所は分からないが、夢前本人がやると言い出した事だ。わざわざ横から口を挟む事もない。気まずくはあるだろうが、せっかく男女の関係値が回復してきたのだ。仲間内で分断しない方が良いのは身に染みてわかっている。


 最後に明日の朝は早い事を念押しし、不知火と部屋を出る。


「うわ、やっぱり雨か」

 出た途端、小さな雨粒が肌に当たった。不知火が嫌そうに身を引く。外は景色がけぶるくらいの大雨で、音には聞こえていたが想定以上だ。

 いよいよか、と俺は眉を寄せた。ガソリン火災の恐ろしい所以だ。 

 

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