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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
72/99

袋の鼠 2

 沈痛な面持ちでそう言った三ノ輪さんの背後では、感染者が咆哮を上げ、扉を叩き続けている。

 どうして出られないのか、なんて、分かりきった質問は出来ない。

 重苦しい沈黙がその場に落ちる。


 ぽつんと胸に浮かんだのは、友人の骨ばった手だった。


 それから呻くように納得する。さっきの涙の理由はこれだ。追いつかない感情の正体だ。


 死ぬのが、怖い。


 あまりにも当たり前の感情。今となっては片時も離れない、呪いのような。

 さっき私は安心したのだ。大量の感染者に終われ、安全な場所に出た途端、離れなかった恐怖からほんの少し解放されて。

 それにすぐ気づけなかった異常。人の心を歪ませるこの状況。


 嫌な知覚の仕方だ。あまりにも皮肉だ。束の間解放された分、恐怖は重くのしかかってくる。


「……どうするよ、俺達」

 八木さんの声が震えている。少しだけ手の感覚が戻ってきた。

 八木さんだって、大人だって怖いのだ。この場に居る全員が、取り乱しそうなのを歯を食いしばって堪えている。

「時間が経てば、感染者が諦めるまで、耐えれば」

 三ノ輪さんが彼らしくなく、弱々しく言う。

「いつまで?」

 坂本さんが呆然と呟いた。歪む寸前の、震えた口の端。彼が息を吸う、その瞬間に、私は今の今まで背負っていたリュックを下ろした。なるべく音がするように、重みに任せて。

 それを手早く開け、中からペットボトルを、少しの食料を取り出す。はぐれた時、すぐに拠点へ戻れない時のために、軽い食料は持っている。


「私が閉じ込められた時、これだけの食料で一週間弱保ちました」

 携行食を手で分ける。乾パン、栄養バー、飴。

「この順番で食べました。水は出来るだけ一番最後です。飴を舐めたらもう少し保ちます。水だけならプラスして一日、二日が限度だと思います 」

 一息に言い切る。男の人は必要な分がもっと多いかもしれない。それでも死ぬのは今すぐじゃない。少しずつでも生きようとしていたら、ジェイドさんが来てくれた。私はジェイドさんが助けてくれたこの命を、真美の食べ物を食べてまで繋いだこの命を、捨ててはいけない。醜く生き延びたのに死んだら、真美に顔向けできない。


 目の前に立つ皆を見上げる。意味がないと、呆れられるだろうか。私の思いは届かない程、失意は色濃いだろうか。


「――死ぬまでの時間は数えられるかぁ」

 金井さんが唇を歪ませて言う。どさりと、彼も自身のリュックを下ろし、食料を次々取り出す。

 私は肩から力を抜く。

「受け取り方がひねくれてるわねぇ」

 ちょっと呆れたように蛍さんがため息をつく。金井さんが無理やりのような笑い声を上げた。

 それでも少し、張り詰めた空気が緩む。


 皆で食料を地面に出し、数を数える。


「白樺さん、なんだかまたお菓子が多くないですか」

 じっと彼を見つめると、面白いほどに目線が泳いだ。

「そ、そんなこと……」

「あるな」

「あるねー」

 三ノ輪さんと金井さんが白樺さんの手元を見て頷く。

 しゅんとした白樺さんが、またリュックに手をつっこんで何か取り出す。

「あとこれもあります……」

「桃缶……」


 堪えきれず私は吹き出した。いつかこっそりと隠して持っていこうとしていたのと同じ桃缶。今度は自己申告した白樺さんが可笑しい。

「白樺さん、これとお菓子、交換しましょう」

 笑いながら乾パンを差し出す。五枚で一袋、二袋の内の一つだ。

「え、でも」

「そのチョコバーが良いです」

 渋る白樺さんに私は言い募った。乾パンを差し出すと、彼は少しの間思考して、躊躇いながらそれを受け取った。代わりに乗せられたチョコバーは、乾パンよりいくらか軽い。

 それを機に何人かが食料のやり取りをして、それぞれの量がなんとなく均等になる。リュックへ詰め直し、一箇所へ固めて置いた。


 それにしても、と私はヘリが墜ちた場所を見やる。どこに落ちたか考えずとも分かるのは、炎が明るく曇天を照らしているからだ。それを取り巻くようにもうもうと上がる黒煙も、見つめていると臭いまで届きそうだ。

 火の手が上がっている場所は、丁度例のバイパスだろうか。

「……白樺さん」

「ん?」

 私はごうとうねる炎を指さした。

「あれ、車に引火したりとかしないんでしょうか」

 あーと白樺さんが唸る。

「あるかもね」

「燃え広がったら厄介ですよね」

 辺り一帯焼け野原なんて、どんな障害になるか知れない。特にバイパスに沿って延焼していけば、いつ鎮火するかも分からない。

「まぁでもほら、雨も降りそうだし」

 白樺さんが空を見上げた。重く立ち込めた雲は、億劫そうに動いている。

「俺達それどころじゃないしね」

 彼が肩を竦めた。私は苦笑して頷く。それもそうだ。


「……さっき」

 話を変える前置きに、私は白樺さんの横顔に目を向けた。視線に気づいた彼もこちらを向く。

「すごいね、戸倉さん」

 あ、と私は目を見開いた。

「ごめんなさい、私、また出しゃばって」

 少し目線を下げて言うと、彼は強くかぶりを振った。

「俺褒めんてるんだよ、嫌味とかじゃないって。あのままだったらだいぶ雰囲気悪かったよね」

 私は内心ほっとして、微笑んだ。

「この状況から、私はジェイドさんに救われたから……だから、まだ助かるかもしれないじゃないですか」

 束の間、差し込んだ光を思い出して目を細める。

「うん、まだ分かんないよね。どうなるか」

 自分に言い聞かせるように、白樺さんが口の中で呟く。そしてにっと笑った。

「ジェイドさんのとこ、早く戻らなくちゃ」

 私も無理やり口角を上げる。戻ったら彼はまた、あの厳しい光を目に私達を迎えてくれるのだろうか。

「はい!」



 どのくらい経っただろうか。白樺さんと話していたのが、話の種も無くなって、柵に身をもたせてうとうとしていた時だった。

 爆発音にびくりと目を開く。身を捻り、ヘリの墜ちた方を見やる。

 炎がうねりを上げ、一際大きくなった。同時に感染者の唸り声も上がる。

「車かなぁ」

「だろーな」

 様子を見に来た八木さんが白樺さんに頷く。

「あそこに居る奴らもそっちにつられてくれりゃ楽なのにな」

「つられて俺達が出れたとしても、すぐここ離れなきゃだよねー」

 白樺さんが顔をしかめてため息をつく。

「場合によるだろうけどな。ガソリンでついた火とかってなかなか消えねぇイメージあるし」

「そうなんですか?」

 立ち上がり、八木さんの隣に並ぶ。彼は私をちらりと見て頷いた。

「自然鎮火とか待ってる間に家に飛び火したらやばいだろうな」

 もしかしたらこの状況は、私が思っているより危険なのかもしれない。それにバイパスはジェイドさん達が居るマンションの方が近いのだ。じわじわとでも火の手が近づくなら、彼らは移動せざるを得ない時が来てしまうかもしれない。


 そうなったら最悪、二度と会えない。


 束の間、胸が詰まって息が吸えなくなった。キツく目を閉じて、落ち着かせるように息を吐く。

「じゃあ、早く、出ないといけませんね」

「そうだな」


 不意にポツと瞼に冷たい雨粒が当たった。私は驚いて空を見上げる。

「雨……」

 呟くと、八木さんがぎょっとしたようにこちらを振り向いた。

「それ、気のせいじゃないのか? 本当に降ってきやがったのか?」

 焦る様子の彼に私は首を傾げた。白樺さんが身を乗り出して自分を指さす。

「あ、俺も俺も。降ってきてるよ」

 八木さんが苦い表情で炎を見やる。パッと振り返ると、扉近くへ立つ三ノ輪さんに歩み寄った。

「三ノ輪、トランシーバーは?」

 何故そんなに焦った様子なのか分からない私達は、顔を見合わせる。

「どうしたんですか」

「雨だよ」

 その一言で三ノ輪さんの顔色が変わった。手を差し出し、八木さんの言葉を確かめる。

「……ヤバいな」

「ねぇ何でそんな焦ってんの? 雨降ったら火消えるじゃん」

 白樺さんが言うと、八木さんの目が苛立った。


「バカ、油でついた火は水じゃ消えねぇんだよ」


 はっと私は口元を抑えた。油と水は混ざらない。それは私でも知っている。それどころか。

「ガソリン火災なんかは水をかけると火が飛び散るんだ」

 三ノ輪さんが言いながらリュックをガサガサと漁る。

「え、じゃあ、ジェイドさんの、とこ」

 白樺さんがつっかえながら話す。私はぎゅっと拳を握った。

「分かんねぇよ、どれくらいの距離散るか。マンションからバイパスは見えたけど、そうそう飛び火する距離じゃなかったはずだ」

「けど」

「あった」

 三ノ輪さんがトランシーバーを手にこちらにやってくる。その間にも雨はぽつぽつと降ってきていた。

 いつの間にか傍に来ていた金井さんが三ノ輪さんの手元を覗き込む。

「さっきは返ってこなかったけど」

 どうやら私がうとうとしている間に連絡をしようとしたらしい。返ってこなかったと聞いて、少しばかり眉を寄せるが、誰だってヘリが墜ちたとなればそちらに気を取られるだろう。

「海音ちゃん、レインコート、着といた方が良いよ」

 振り返ると、海麗ちゃんがレインコートを差し出してくれる。その案じるような目を見てふっと気分がほぐれた。笑みを浮かべてレインコートを受け取る。

「ありがとう」

 彼女や蛍さんは既にレインコートを着ている。まだ雨粒も小さい小雨程度だけれど、私も透明なレインコートに袖を通した。

 その間に三ノ輪さんが手早く連絡をしてくれていた。今のこちらの状況に、雨が降り始めて危ない事。

「――気をつけてくれ」

 二回程繰り返した彼は通信ボタンから手を離す。

 私は息を詰めて返事を待つ。それはきっと白樺さんも同じだろう。

 ノイズ混じりの彼の声を、聞きたかった。




 ヘリが墜ちた。それも自衛隊のものだ。この辺りだと霞ヶ浦だろうか。

 しかしもう聞ける人物は居ない。とりあえず階下へと急げば、音を聞きつけて廊下へ出てきたらしい女性二人と目が合った。

「あ、あの、今のって……」

「ヘリが墜ちた。とりあえず部屋の中に居てくれ。窓は絶対に開けないように、出来れば傍にも近づくな」

 あのまま燃えるようなら、必ず車にも引火する。爆発がここまで届くとは思えないが、何かしらの破片が飛んでくれば怪我をする可能性はある。

「分かりました」

 夢前が青い顔で頷く。すぐに事態を飲み込んでくれるのはありがたい。小さく頷き返し、背を向ける。

「あの! ごめんなさい、一つだけ……海麗ちゃんと海音ちゃん達は」

 気を遣ってか早口のそれに、俺は微かに首を振った。

「分からない。不用意に連絡は出来ない」

「待つしかないって事ですか」

 相手の状況が分からない中でこちらから連絡は出来ない。だから相手からの連絡を待つしかないのだ。


 それがどれだけ歯痒い事か。


「じゃあ私、他の人に伝えてきます。ヘリが墜ちたって。だから、ジェイドさんは海麗ちゃんと海音ちゃん達からの連絡を待っていてください」

 俺は半身で振り返る。……彼女も自警団の被害者ではなかったか。怖くはないのか。

 しかし真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は意思の硬さを表して強い。

「……頼む」

 言葉は勝手に滑り落ちた。人の強さに、俺はまた圧倒される。夢前がしっかりと頷いた。


 だが感傷に浸っている場合ではない。連絡が取れたらまた来ると伝え、早足に自室となっている部屋へ戻る。


「不知火、ラジオをつけてくれ」

 十分程度は充電器を回していたのだから、多少は充電出来ているだろう。緊急で何かしらの放送をかけるかもしれない。どこの駐屯地だか分かれば何としてでも助けを求めなければならない。

 枕元に置いたままのトランシーバーは沈黙を保っている。今までも通信をした事はあるから、このトランシーバーは壊れていないはずだ。

 ラジオの電源をつけた不知火が顔を上げる。

「あのヘリは政府関係のもの?」

「あぁ……自衛隊のヘリだ。乗っていたのもおそらく自衛官だろう」

 不知火が眉を寄せたまま首を傾げる。

「目的は何だったんだろうね」

「さぁな。何かしらの理由で感染者が出たんだろうが」

 俺は窓へ目を向ける。カーテンはしっかりと閉じ合わせたままだ。その向こうでは今もヘリの残骸が燃え上がっているのだろう。

 ちらりと見えた揉み合う影。感染者という風貌ではなかった気はするが、人の理性を保っているようにも見えなかった。


 そこから会話は途絶え、手持ち無沙汰に時間は過ぎていく。

 小一時間経った頃、ヘリが墜ちた時よりかは幾分小さな爆発音が聞こえた。恐らく火が車に引火したのだ。

 延焼の気配に唇を噛む。これは頃合いを間違えてはいけない。マンションを捨てる準備をしておかなければ。

 これからの行動を頭の中で組み立てていると、ぷつりとトランシーバーから小さくノイズが鳴った。


『三ノ輪だ。こちらは全員無事。感染者に追いかけられてビルの屋上に退避した。すぐには出られそうにない』


 俺は思わず舌打ちを漏らす。活発になった感染者に追い詰められた末の判断か。あまりにも状況が悪すぎる。これを二回繰り返す三ノ輪は冷静そうだが、他のメンバーは平静で居られるだろうか。


 ……追い詰められた人間は危うい。

 ひとまず誰も怪我していない事だけは喜ぶべきだろうが、精神的にはかなり参る状況だ。


『――それから雨が降り出した。俺達に危険はないだろうけど気を付けてくれ』


 俺は立ち上がり、窓の外を見やる。重い雲が立ち込め、日の光は一切見えない。

 外に居なければ気づけない程の小雨らしいが、これが本降りになれば厄介な事になる。

 状況を呪っても仕方ないことは分かっているが、空に向かって悪態をつく。

「……了解した。こちらは異常なし。墜ちたのは自衛隊のヘリだ。悪いが、今応援は送れそうにない」

 感染者の咆哮は絶えず響いている。そんな状態で人は出せない。

『了解。感染者どもはバイパスに向かってる。出ない方が良い』


 それからビルの大まかな位置と、籠城に耐えられそうな日数を聞き、通信を終える。

「心配だね。大丈夫?」

 振り返り、片手でラジオを抑える不知火を見やる。

「大きい爆発さえ起きなきゃ火が飛んでくる事も無いだろうが……」

「あぁ、うん。それもそうだけど」

 言葉を濁した不知火に首を傾げる。窺うような、その瞳。

「三ノ輪くん達が心配でしょ。特にあの二人なんかは」

 あの二人、は聞き返さずとも分かる。白樺と海音の事だ。

 俺は淡く苦笑してみせた。


「心配だ。死ぬほどな」


 本当はすぐにでも走っていきたい。籠城しているというビルを探したい。だが、今は押し殺すしかない。

「まずは俺達が生き残らないといけないだろう」

 言うと、不知火は神妙な顔で頷いた。

「他の人の事心配してられる状況でも無いか」

「そうだ、俺は夢前に連絡がとれたのを――」

 ラジオから何か聞こえた気がして口を噤む。不知火も手元に目をやり、慎重にチャンネルを合わせている。

 やがてラジオからくぐもった人の声が聞こえ始めた。

いつも読んでいただきありがとうございます。


本編とは関係のない小さな出来事やifをこちらの「くらげのあし」にて投稿しています。興味ある方はぜひ!


→https://ncode.syosetu.com/n6312hy/

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