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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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初陣

 移動中は真っ直ぐ進むにしても、曲がり角は警戒に警戒を重ねなければいけない。その役は前を行く四人が果たしてくれているので、気を付けつつも、消耗する程気を張る必要はなかった。


 それなのに、どうしても鼓動が速くなる。喉の乾きも既に感じ始めていた。


 久しぶりの緊張状態に、私はぐっと拳を握った。ずっと海麗ちゃんを気にかけていたけれど、私こそ、少し緊張し過ぎている。


 周りに悟られないように深く息を吐いた所で、三ノ輪さんがふっと振り返った。五十メートル先に感染者が一体。私達と同じ方向を向いているので、まだこちらには気づいていない。


 声量を抑え、海麗ちゃんに短く問いかける。

「どう?」

 彼女の目が一瞬だけこちらを向いた。すぐにまた先の感染者へと向けられる。

 そのまま彼女は、小さく返した。

「やる」

 それを聞いた私は、三ノ輪さんに大きく頷いてみせる。


 私は腰のナイフホルダーに手を触れた。しっかりとそこにナイフは収まっている。


 私達はふらつく感染者へじりじりと近づいた。間隔を開けて先行する四人の内、三ノ輪さん以外が、他に感染者が飛び出してきそうな所へ構えに行く。後ろにいた私達は三ノ輪さんに追いつき、海麗ちゃんがシャベルを振り回せるように少し離れた。


 私と蛍さんが斜め後ろ、一歩で海麗ちゃんに手が届く距離に、白樺さんはその後ろで銃を構える。


 三ノ輪さんがポケットから小銭を取り出した。数枚をセロハンテープで留めた物だ。


 海麗ちゃんがシャベルを抱え直す。


 三ノ輪さんが小銭を軽く放り投げた。金属が地面に落ちる高い音が耳に鋭く届き――感染者が振り向いた。

 三ノ輪さんが後ろへ下がると同時に感染者が獲物を認めて走り出す。


 今一番前に居るのは、海麗ちゃんだ。


 ぐんぐん近づいてくる感染者は、胸の下辺りから腹が大きく裂かれていた。真っ赤な腹の中が、近づいてくると良く見える。


感染者の頭は、海麗ちゃんよりも随分と上にあるようだった。

  

 感染者が海麗ちゃんに飛びかかる、その瞬間に、彼女はシャベルを真っ直ぐに感染者の腹へと突き立てる。

 感染者がたたらを踏んだ。

 彼女はすぐにシャベルを引き、すくい上げるようにして感染者の顎を跳ねあげる。

 

 もう一押しだ、と私は海麗ちゃんを見つめる。


 彼女の肩が、大きく動いた。跳ね上げたシャベルを、感染者の斜め上から勢い良く振り下ろす。

 ガン、とシャベルが骨を打つ鈍い音の後ろに、骨の砕ける音が重なっていた。


 感染者がもんどりうって倒れ込む。


「っ、海音ちゃん」

 振り返った彼女の顔には、安堵と喜色が浮かんでいた。


 ざっとうなじに鳥肌が立つ。まだ駄目だ。


「海麗ちゃん!」

 半ば叫ぶようになってしまって、しまったと臍を噛むがもう遅い。一歩踏み出し、彼女をこちら側に引っ張る。そのまま位置を入れ替えた。

「えっ?」

 混乱する彼女の足元に伸びる手を、思い切り踏みつける。

 もう片方の手が伸ばされる前に、感染者の頭に影が落ちた。頬骨が陥没してぐちゃぐちゃの顔に蛍さんのバットが一直線に振り下ろされる。


 ふっと踏みつけていた手から抵抗する力が抜けた。そろりと足を引く。


 けれど別の所から感染者の唸り声だ。

 

「ごめんなさい、」

 小さく呟く。私が思わず声を上げてしまったせいだ。緊張が手伝って声も大きくなってしまった。

「戻るぞ」

 三ノ輪さんの簡潔な指示に、私は海麗ちゃんから体を離す。

「あ……」

 事態を飲み込めたらしい彼女の表情は弱々しく、今にも泣き出しそうだった。

 けれどフォローもできない。

「行こう」

 彼女の背をとんと叩く。私だってたくさん反省しないといけない。


 海麗ちゃんを中心に、また前を三ノ輪さん達四人に任せる。

 その間に、スーパーの方向からは遠くに居た感染者達の姿が見えていた。

「少し走るぞ、大丈夫か」

 三ノ輪さんに頷く頃には既に全員が押されるようにして走り出していた。 

 けれどやはり前四人とは徐々に間が開いてしまう。焦りを感じ始めた時、前の四人が目配せをした事に気が付いた。

 感染者が前からも迫ってきているのだ。三ノ輪さん達がぐんとスピードを上げる。――その背を追うようにして、コンビニから感染者が一体飛び出した。

 私は咄嗟に走るスピードを上げるが、追いつけるはずもない。

 後ろの足音が近づいたので、白樺さんだとピンと来た。海麗ちゃんに近寄れば、間髪入れずに銃声が耳を打つ。

 弾丸が感染者の肩を掠め、僅かによろけさせる。感染者は怒ったように唸り声を上げた。

 血走った目が完全に私達へと向けられる。

 俊敏な動きで踏み出した感染者の腕は、私に伸びてきていた。

「っ、」

 海麗ちゃんの居ない左側へ上半身を倒しつつ、片足を出して半ば地面に伏せる。

 単純な感染者は私の足を避けられず、前に転んだ。更に白樺さんがその頭を蹴り落とす。


 そのまま足で感染者の肩甲骨辺りを抑えた彼は、感染者の頭を撃ち抜いた。 

「戸倉さん速く!」

 白樺さんが私の腕を引いて立ち上がらせる。息を吐く暇もなく私達はまた走り始めた。後ろからも感染者の声が聞こえている。


 コンビニから出てきた感染者を対処している間に、海麗ちゃんと蛍さんは三ノ輪さん達へ追いついていたようだ。一番後ろを行く蛍さんがちらちらとこちらを振り返り、急かすような目線を送っている。

 

 ちらりと振り返り、感染者との距離を見る。三体とも脚は健在のようだ。追いつかれずに蛍さん達のもとまでは行けるだろうが、どっちみち対処しないといけなくなるだろう。

 全速力で彼らに追いつくと、坂本さんと蛍さんが感染者と対峙しに行くように前に出た。私達を休ませてくれるつもりだ。

「お前らもっと下がれ」

 八木さんに促される。私達は息を整えながら彼の後ろに待機した。

 目の前では蛍さんと坂本さんが、それぞれ武器を体の中心に持って、腰を落として構えている。

 私はナイフホルダーからナイフを引き抜いた。いつもよりずっしりと重く感じる事に落ち着かない気持ちになる。


 前の二人が踏み出す。感染者との間合いに入ったらしい。

 先に飛び出た一体は小柄で、坂本さんよりも頭二つ分ほど低い。女性だったようで、腰までもある長い髪を振り乱す様子は、下手な映画の幽霊より怖い。

 けれど坂本さんは、誤たずその頭を捉えた。真上からバールを振り下ろし、力で負けた感染者は膝から崩れ落ちる。


 その間に蛍さんは、二体目の頭をバットで殴り飛ばしていた。すぐにバットを切り返すその軌道を少量の血が追う。半身を捻った彼は、最後の感染者の首目掛けてバットを振るった。ゴキン! とここまで響く大きな音と共に、感染者の頭がありえないくらい真横に折れる。感染者は、血を吹き出させながら後ろに倒れた。


 同時に先程殴られた感染者が、もがきながら立ち上がった。

 海麗ちゃんが恐ろしいように呟く。

「蛍姉さん」

 動きかけた彼女の肩を私はぐっと掴んだ。もう八木さんが走り出している。

 蛍さんが半身を引いたと同時に八木さんの蹴りが感染者の腹に入っていた。間一髪で距離を取れた蛍さんが、再度感染者の頭目掛けてバットを振るった。


 しんとした静寂が束の間下りる。どうやら視界に私達の姿を認めた感染者はこれだけらしい。


「平気だ。行くぞ」

 息の荒い二人に変わって、八木さんが怪我の有無を伝える。それを受けた三ノ輪さんはすぐに歩き出した。

 前は三ノ輪さん金井さん、白樺さん、真ん中に海麗ちゃんと私で、後ろはそのまま三人に任せるようだった。


 首筋に流れる汗を拭う。顔に熱がこもり、目の前がはっきりと見えた。 


 行きと同じように曲がり角や物陰に警戒しつつ、マンションを目指す。最初は遠くに感染者の咆哮が響いていたが、それもやがて聞こえなくなった。


 私は細く、気取られないように息を吐いた。

 隣の海麗ちゃんを見れば、彼女はぎゅっと眉を寄せて前を見つめていた。結ばれた唇は微かに震えて、明らかに泣くのを我慢していた。


 私は彼女からそっと目を逸らす。今は泣きたくないだろう。


 黙々と移動し、マンションも遠目に見えてきた頃。


 左側を小さなビルの壁に沿い、先を行く三人が角を覗き込んだ時だった。

「……?」

 遠くから微かに、低い音が聞こえてきた。それは頭上から途切れる事無く聞こえてくる。


 鈍い曇天を思わず見上げる。銀色に散った太陽光が眩しくて、思わず目を細めた瞬間、風を切る音と共にシャベルが目前を掠めた。





「ヘリの音がする」

 不知火がふと呟いた声に顔を上げる。

 午前中にいつものメンバーが外へ出たので怪我人が一纏めになっていたのだが、特にやる事も無く、暇を持て余していた所だった。


 手回し式で充電出来るラジオのハンドルを回していた手を止め、耳を澄ませる。


「……聞こえるか?」

 特に何も聞こえず眉を顰めるが、不知火は神妙な顔付きで頷いた。

 俺はラジオをその場に置き、立ち上がった。見る限り手鏡は無かったので、あまり使いたくはないが、ライトを持ち出す。意図を察したらしい不知火がキッチンの引き出しから包丁を取り出した。

「屋上?」

「ああ」


 マンションの廊下に出れば、漸くヘリの音が捉えられた。

 不知火の気のせいでは無い事に、俺は思わず空を見上げた。しかしヘリらしきものは見当たらない。

「西の方からだと思う。とりあえず屋上に出ないと」

 不知火の顔色を見、束の間逡巡するが、迷っている暇も無い。俺は頷き、階段へと足を向けた。


 屋上は十二階、対してここは四階だ。駆け登っても時間がかかる。更に腕と大量の血を失った不知火に無理強いは出来ない。

 ヘリの音からしても、すぐに通り過ぎる事は無いだろうと踏んで、俺は息を切らさない速度で階段を登る。


 しかし屋上に漸く着いた時、ヘリの音は有り得ない程に近かった。


 扉を押し開き、屋上に出た途端、微かな風を感じた。


 まさかと首を巡らせ、音の方向を見やる。

「っ、近くないかい!?」

 続いて出てきた不知火が、声を張り上げた。 

 目視で確認出来るなどというレベルではない。あと数十秒でこちらに向かってくる速度なのに、高度が異常に低い。風が前髪を嬲る。


 暗い色彩に、高さ五メートル程の機体――あれは自衛隊の多用途ヘリだ。


 機体は不安定に揺れている。


「不知火戻れ! 下までだ!」

「ジェイドくんは!」

「構うな! 良いから早く行け!」

 怒鳴ると、不知火はさっと奥へ引っ込んだ。

 ヘリがどんどん近づいてくる。せめて見上げる高さだった機体が、同じ目線に来ていた。びりびりと駆動音が歯の奥を揺らす。腕をかざして強風から目を守った。


 腰を落とし、すぐに扉の向こうへ飛び込めるような体勢をとりつつ、機体の操縦席に目を凝らす。何か揉み合っているらしく、更にその背後では発砲時の光が明滅していた。しかし良く見る前に、ぐん、と機体が引き上げられる。

 俺に気づいたらしい操縦士が高度を上げたのだ。

 ヘリは強い風と駆動音を撒き散らしながら頭上を通り過ぎ、そのまま大きく右に傾いていく。マンションにに激突する最悪は免れたが、どんどんとヘリの高度は下がる。

 ざっと肌が粟立った。海音や白樺は、まだ戻ってきていない。これがもし街中に墜ちたら。


 しかしヘリが滑り込むように墜ちた先は、例の感染者が多いというバイパスだった。自動車をひしゃげながら、滑り込むというには荒々しく半ば突っ込む。鼓膜を揺らす轟音と共にヘリのプロペラや、機体の一部が飛び散った。一拍を置いて、ばん、と爆発音が大きく響いた。炎が機体を巻き込むように昇り立つ。


 あの操縦士は、もう助からないだろう。


「ジェイドくん、怪我は!? それにこの爆発……」

 不知火が息を切らせて屋上にでてきた。

 俺は今すぐにでも駆け出したい衝動を抑え込む。

「俺は平気だ。ヘリがバイパスに墜ちた」

 あそこには近づかない方が良いと、三ノ輪もそう判断していたから、海音達が近くに居る可能性は低いだろう。


 ――それに今行って、俺がどうにかできるか。


「……くそ」


 歯を食いしばり、考えを巡らせる。どうにもできないと分かっていても、腹の底のざわめきは収まらない。


 オオオ……と燃え盛る炎の音に混じる感染者の咆哮。この音だ、近くの感染者は何も考えずに集まってくる。

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