表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
69/99

出発

 ふぅ、と私は息をつく。汗ばんだ額を雑に手で拭えば、目の前の海麗ちゃんが水を差し出してくれた。

「ありがとう」

「足、大丈夫?」

 水を一口飲んで、私は頷いた。


 足を怪我してから二週間程経った今日、私は漸く本格的に体を動かしたのだ。具体的には屋上をぐるぐると走り回っただけだけれど、体に纏わりつく蒸し暑さのせいもあってか、すぐに息が乱れた。


「ゆっくり走るくらいなら平気だよ」

 右の足首を軽く回す。微かに引っ張られる感覚と、僅かな痛み。おそらく急な動きをすればかさぶたが割れてまた血が出てしまうだろう。

 海麗ちゃんがほっとしたように胸に手を当てた。

「良かったぁ。あの傷すごく痛そうだったから……」

 足を気遣って歩く私を、いつも心配してくれていた彼女に、私はちょっと微笑む。

「もう大丈夫。一緒にトレーニング出来るよ」

「えー、無理しないでね?」

 その言葉に、傷口を見る厳しい目を思い出して私は苦笑する。

「三ノ輪さんとジェイドさんが怖いからしない」

 海麗ちゃんもトレーニング中の二人の目を思い出したのかくすりと笑った。


 傷口が開きそうな事をした時は二人とも私の名前を咎めるように呼ぶのだ。その時の目が怖い。物凄く怖い。特に三ノ輪さんは若干冷ややかに見てくる。


「ねぇ、海麗ちゃん」

 呼びかけると、彼女はぱちりと瞬きをする。

 以前まで薄らとあった目の下のクマも無く、頬の血色も良い。彼女はデパートに居た時よりも良く眠れているはずだ。

「私の体力が戻ったら、外に出てみようか」

 言うと、きゅっと彼女の顔が引き締まった。


 伝わってくる緊張をほぐそうと、私はすぐに付け加える。

「今すぐに、って訳じゃないよ。まだ時間かかると思う」

 私はとんとんと彼女の両肩を叩いて、そのまま彼女の手を取る。ゆるゆると手を振り、私は小さく笑った。

「大丈夫。白樺さんも蛍さんも、フォローがすごく得意な人達だから」

 私も何度も助けてもらった。白樺さんは反射神経が良いのか、何かあればすぐに反応してくれる。蛍さんは蛍さんで、危機管理能力が高いらしく、先回りして助けてくれるのだ。


 手を離すと、彼女は漸く笑顔を浮かべた。

「うん。ありがと、海音ちゃん」

 緊張し過ぎても、何も良い事は無い。そのせいで寝付きにくくなったり、体調に変化が現れるようならやめておけ、とはジェイドさんの言葉だ。

 でも私が教えて貰っている時、彼はそんな事は言わなかった。ただ背を軽く叩いたり、安心させるような行動をとっていた。


 余計に意識させても逆効果だし、緊張するなと言っても、難しいのだ。だから、出来るだけ彼女の緊張を解すように心がけていた。


 注意深く彼女の様子を見ながら、私はまた体力を付けるためのトレーニングをこなす。

 一方で海麗ちゃんは、扱う武器をシャベルにして、ひたすらイメージトレーニングをしていた。感染者役は蛍さんだったり、白樺さんだったりだ。


「二人とも、体力面は大丈夫そうだな」

 ジェイドさんの言葉に、私は顔をほころばせた。彼からの合格点は安心出来る。

「だが無理はするなよ」

「はい」

 すぐに釘を刺されて、私は笑みを収めて神妙に頷いた。ジェイドさんはそれに満足したのか、今度は海麗ちゃんに向けて言う。

「御陵もだ。感染者と対峙して耐えられないと思ったらすぐに離脱しろ」


 彼女は遠目に感染者を見た事はあるけれど、至近距離では見た事が無いと言っていた。速さや力の強さ云々の前に、感染者の風貌に竦んでしまう事は有り得る。それは最早当たり前として、その後どれだけ回避行動を取れるかだ。


「分かりました」

 彼女は目に緊張の色を浮かべながらも、しっかりと頷いた。緊張し過ぎてはいない様子に、私は密かに息を吐く。


 後は実際に感染者と向き合ってみてからだ。


 ジェイドさんのお墨付きを貰ってから、私達は漸く探索に混ざる事になる。以前と同じように少人数の班を作って回していたらしいけれど、今回は私達の為に班を編成してくれたらしい。

 人が多いので、屋上でお昼ご飯の後に動きの確認も兼ねた顔合わせをする。

 顔合わせと言っても、白樺さんに蛍さんに、三ノ輪さんと、海麗ちゃんとのトレーニング中に良く顔を出してくれた人ばかりだった。


「あ……!」

 海麗ちゃんが小さく声を上げる。班にはあの金井さんも居たのだ。視線を向けられた彼が首を傾げる。けれど、すぐに明るく笑って声を掛けてくれた。

「戸倉も御陵も、ジェイドの秘蔵っ子なんでしょー。よろしく!」

「秘蔵っ子……?」

 そこに陰もなく、人懐っこい笑みを浮かべる彼に、私達は顔を見合わせる。彼が元気そうなのは嬉しいけれど、秘蔵っ子と言われる覚えは無くて、海麗ちゃんと一緒に困惑する。

「金井さんが早速困らせてる」

 白樺さんの笑みを含んだ声に、からかわれただけかと気づいて思わず笑ってしまう。

「秘蔵っ子に見合う働きをするので、よろしくお願いします」

「お願いします」

 海麗ちゃんと一緒にぺこりと頭を下げると、金井さんは満足げに頷いた。

 次に、白樺さんの隣に居た明るい茶髪の男性が前に出た。

「えーっと、海音ちゃんに海麗ちゃん? オレ、坂本武仁です。あんま話したことなかったよね」

 年上の人に下の名前で呼ばれた事が無かったので、束の間驚く。けれど三ノ輪さんや蛍さんよりは歳が近そうだし、親しげな雰囲気も相まって、嫌な感じはしなかった。


「班が違うと話す事はなかったですよね。よろしくお願いします、坂本さん」

「私も、ずっと下に居たから……よろしくお願いします」

「うん、がんばろーね」

 坂本さんがにかっと笑う。私や海麗ちゃんが足を引っ張る可能性は充分あるのに、彼からは鬱陶しさも感じられず、ただ好意的に接してくれるのがありがたかった。


「お前ら、本当に大丈夫なのか」

 会話の終わりを見計らって声を掛けてきたのは八木さんだ。その言葉はまるで、足でまといにならないのかと、遠回しに言われたようだった。

「えっと……」

 どう答えたものかと頭を悩ませていると、白樺さんがニヤニヤしながら八木さんの肩を叩いた。

「八木さーん。心配するならもっと心配そ〜に言わないと」

 煽るように言葉を伸ばす白樺さんに、八木さんは苛立たしげに肩の手を振り払う。

「お前、最近ほんっとうざいからな!」

 白樺さんが心底楽しそうに笑うのを、私は目を丸くして見つめた。呆気に取られる私達に、坂本さんが耳打ちする。

「あの二人いつもあんな感じだよ」

「そうなんですか」


 私の知らない間に、二人は随分と仲良くなっていたようだ。


「あーくそ、分かったよ。戸倉は足、大丈夫なのか? 御陵だってあんなのと戦うのは怖いだろ」

 白樺さんの煽りに耐え切れなくなった彼は、恥ずかしいのか早口で私達を案じてくれた。その変わり様に私は吹き出す。


「わー良い人だ」

 海麗ちゃんがぽかんと口を開ける。彼女にとっては漠然と悪い人だという認識だったのだろう。嫌悪感は八木さんよりも鹿嶋さんの方に向いていたのかもしれないから、海麗ちゃんからしたら印象は薄いのかもしれない。

「うん、八木さん、良い人でしょ」

 言いつつも笑いが止まらない。なるほど、こういう所を白樺さんは嬉々としてからかいにいっていたらしい。


「戸倉……」

 彼の非難めいた声に、私はぐっと笑いを飲み込む。ふぅと深呼吸して、真面目な顔を作った。

「ごめんなさい。でもちゃんと、ジェイドさんから大丈夫だって言ってもらいましたよ」

 正確には体力面だけだけれど、八木さんの表情は目に見えて和らいだ。

「あいつが言ったんなら、まぁ、大丈夫か」

 ジェイドさんを信頼している様子の八木さんに頬が緩む。同時に私の信用の無さに悲しくなった。


 でもビルでの感染者との戦いで無理矢理前に飛び出してしまったのも私なので、それはおくびにも出さない。


「それじゃあ、作戦会議だ」

 三ノ輪さんがパンと手を叩く。自然と円を描くように集まって座り、その中心に地図が置かれる。


「今回は物資集めは程々に、経路確保を目的にする」

 とん、と三ノ輪さんが地図を叩いた。

「ここ、スーパーまでの道だな。極力音を出さずに感染者達を仕留めて、後からも動きやすくしたい」

 私は小さく頷いて、周辺の目印になりそうな物に目を向ける。スーパーまでの距離は普通に歩けば二十分程だろうか。


「戸倉、御陵は一対一の想定だな?」

「はい。あとシャベルなので、狭い所は想定してません」

 周りに障害がある状態――他の感染者が居たり、屋内だったり――での練習はしていない。そこまで気を遣う余裕があるか分からなかったからだ。

「分かった。戸倉と白樺、それから蛍さんは御陵についてください。俺と金井、八木さん、坂本は先行で」


 それから海麗ちゃんが感染者を倒す条件、基本的な動きを決める。

 海麗ちゃんが倒し損ねたら、一番近くに居る私が彼女の回避を手伝う。ナイフは使える時だけ。手伝うと言っても、倒し損ねたらその場に伏せるか、横に逸れさせるかくらいだ。それが出来れば蛍さんか白樺さんが感染者を倒してくれる。


 ここまで来て、海麗ちゃんが考え込むように俯いている事に気づく。眉間に皺を寄せ、唇を固く結んだ表情から、かなり気を張っている事がうかがえる。


 けれど今は声を掛ける隙は無い。すぐに三ノ輪さんから注意事項が伝えられる。


「はぐれた場合は何があってもこのマンションを目指す事。それも難しいならここ、市役所に避難してください。感染者は居ないし、寝床もある」

 示された場所を必死に覚える。スーパーよりかはマンションに近い場所だった。

「ただ、このバイパス周辺には近づかないように。感染者が多い」

 殆どの人は聞き流している様子だから、これは私と海麗ちゃんに向けてのものだ。了解を示す為に三ノ輪さんを見て頷く。


 話は終わり、今日はこれで解散だった。最後に三ノ輪さんが地図を渡してくれる。

「スーパーまでの道筋と市役所の場所を頭に叩き込んどいてくれ」

 三ノ輪さんがすっと視線を海麗ちゃんへ向けた。

「それさえ出来れば後は良いから」

 その一言で、海麗ちゃんの雰囲気が目に見えて緩む。上手いな、と私は三ノ輪さんを羨ましいような気持ちで見つめた。


 彼は感染者を倒す事を目的にして、緊張している海麗ちゃんに、地図さえ覚えられれば良いと言った。

 ハードルを下げてくれたのだ。失敗しても良いと、彼女自身の及第点を下げた。


 海麗ちゃんはきっと、感染者と対峙する不安や恐怖はもちろん、倒し損ねる緊張も感じていただろう。当たり前だ。私も、普通なら五、六人で編成する班を八人した事から、彼らの優しさと、それに対するプレッシャーを感じていた。


 私達は、完全な戦力としては数えられていない。倒せるかどうかも分からない、怪我も治りたての二人が入るとなれば、私だってそう考える。

 けれど感染者に見つかりやすくなるリスクを押してまで、人数を増やしてくれた。その優しさに少しでも応えたくなる。


 それはきっと、海麗ちゃんも同じなのだ。


 三ノ輪さんにお礼を言い、部屋に戻る。すぐに二人で頭を付き合わせて地図を覚えた。

「覚えられた?」

「多分。三ノ輪さんが言ってたバイパスってこれだっけ?」

 海麗ちゃんが地図上をなぞる。バイパスを追って地図の端まで目を向ければ、そのバイパスは最終的に東の方へ曲がっていくらしい。

「うん。流石に近づく前には気づけそうだけど……」

「気を付けなくちゃだね」

 三ノ輪さんのお陰で、海麗ちゃんの緊張も前向きなものになったようだった。地図を見つめる彼女の眼差しは、真剣そのものだった。不安に気をとられてはいない。


 翌日、しっかりと睡眠をとった私達は、準備をして一階のロビーへと降りた。

「ちょっと曇ってるね」

 海麗ちゃんがロビーの大きな窓を見やる。陽の光は時々見えるけれど、雲は鈍色で、雨の気配に眉を寄せる。


「午前中はもちそうだけど……」

 雨が降ると視界も悪くなるし、身動きが取りづらくなる。それは感染者も多少同じだろうけど、雨が降る時に外に出るのはなるべく避けた方が良いだろう。


 ふと足音が聞こえて振り返ると、蛍さんと白樺さんだ。

「おはよ。早いね」

 白樺さんがよっと手を上げる。

「おはようございます。昨日張り切って早く寝たら朝も早く目が覚めちゃったんです」

 それを聞いた蛍さんがくすりと笑う。

「準備万端ねぇ」

「ちゃんと地図も覚えたから」

 海麗ちゃんがぎゅっと拳を握る。私は昨日の事を思い出して、笑いを噛み殺した。

 海麗ちゃんが不安がっていたから、覚えられているかちょっとテストなんかもして、学校の勉強のようだった。


 不安を見せない海麗ちゃんの様子に、蛍さんは優しく微笑んだ。

 その目が語る感情に、私は微かに口を開ける。


 幼い頃から一緒だったと聞いていたから、親愛、と言えばそうなのだろうけど。


 実らない恋じゃなくなれば、と前から思っていたのだ。だから蛍さんの感情を余計に勘繰ってしまう。


「どうしたの、海音ちゃん?」

 蛍さんが私を覗き込む。どうやら彼をじっと見てぼんやりしてしまっていたらしい。慌てて誤魔化し笑いを浮かべる。

「何でもないです」

 ひょいっと蛍さんの眉があげられた。

「調子悪い訳じゃないわよねぇ?」

 体調は全く悪くないので、私は間髪入れず否定する。私だけ置いていかれるのは嫌だ。

「大丈夫です! 本当に!」

 ほら、と腕を広げると、尚も疑わしそうな目で見られた。負けずに私も見返す。


 意味の無い膠着状態に決着をつけてくれたのは、三ノ輪さん達四人だった。

「お待たせしました。……何してるんですか」

 三ノ輪さんが軽く眉を顰める。私はさっと目を逸らした。

「何でもないです」

 まだ蛍さんがこちらを見ているような気もするが、ぐっと我慢して目を逸らし続ける。


 全員が集まった所で、自然と昨日のように円になって最終確認が始まった。視線が漸く外れて一安心する。


 最後に武器の損傷が無いかチェックして、三ノ輪さんが声をかけた。


「それじゃ、行きましょうか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ