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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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踏み出す一歩

 海麗ちゃんに銃を持ってもらって、軽く部品の説明をする。マガジンは入っていないから、緊張する必要はあまりないけれど、彼女は銃を恐る恐る扱っていた。


「ここがセーフティだよ。ここがハンマー。セーフティを解除して、このハンマーを下に降ろしたら、撃てる状態になる」

 ちょん、とセーフティやハンマーをつつく。


 ここはマンションの屋上だ。きっぱりした青空が広がっていて、まだ梅雨の気配はない。


 今日は銃を撃たせるつもりはないけれど、一応は外で、銃の撃ち方を彼女に教えるつもりだ。

 海麗ちゃんが言っていた、感染者を倒せるようになりたいというお願いを、少しでも叶えるための第一歩だった。


 構えた時に、ちょうど親指の下辺りにくるボタンを示す。

「これはマガジンの排出ボタン。弾が無くなって、マガジンを替えたい時にここを押せば、マガジンが出てくるよ」


 これで一通りの説明は終えただろうか。注意点は先に伝えたし、ジェイドさんに教えてもらった事をなぞるように言っているから、伝え忘れは無い筈だ。


 次は実際に構えてもらって、照準を合わせる練習をしてもらう。

 海麗ちゃんの後ろに回って、同じ目線になりながら銃の位置を微調整してみる。

「撃ってみないと感覚は分からないと思うけど……」

 実は私も、銃は数える程しか使った事が無い。中学校に居たときも、構え方や銃の整備の仕方をひたすらに教えてもらったけれど、撃った事は無かった。

 だから初めて撃った時は、その反動と狙いにくさに驚いた。

 

「反動、とかあるよね。それに構え続けてるの結構辛いかも」

 海麗ちゃんが眉を下げる。体育倉庫で何も出来ずに筋肉が衰えていた私よりはましだろうけど、やはりずっと構え続けているのはしんどいだろう。

「そうだね……反動も上手く抑えないと弾がすごい場所行くんだよ。ぴょーんって」

「ぴょーんて?」

 指を動かして、大袈裟に弾道を示してみせると、海麗ちゃんが可笑しそうに笑う。実は結構忠実に示してみたつもりだけど、言い方がツボに入ったのだろうか。


「はい、海麗ちゃんあそこ見て。あのビルの看板」

 切り替えるように、少しだけ声を張る。少し離れた不動産の看板を指すと、彼女は素直に目で追った。

「あそこまでがぎりぎり射程内だよ。そこに感染者が居たら狙い始めるくらい」

 ふんふんと彼女が頭を振る。

「ジェイドさんとか、白樺さんはこの距離でも当てられるみたいだけど」

 海麗ちゃんが首をねじって私を見る。

「海音ちゃんは?」

「私には難しかった。この半分の距離でやっと当てられるかな?」

 反動を抑える時、どうしても左側が僅かに押されてしまうらしく、遠い距離だと弾が逸れてしまうのだ。


「でも感染者は頭を撃たないと止まらないから、私にとって銃を使うのは最終手段だよ」


 それに銃を上手く扱えるようになるまで練習できる程、銃弾がある訳じゃない。撃つ時は狙いを定めて落ち着いて撃てる環境でもないから、さらに精度は落ちるだろう。

「海音ちゃんはナイフで戦ってるんだよね。なら私も、そっちの方が良い気がする」

 海麗ちゃんが銃を持ち替え、右手をぷらぷらと振る。

「ならナイフもやってみよう。他にも武器になりそうな物はいっぱいあるから、全部試そう」

 海麗ちゃんの目標は、感染者を一体でも倒せるようになる事、自分で自分の身を守れるようになる事だ。

 それにはまず、彼女が使いやすい武器を持ってもらわないといけない。使いやすいと思えたのなら上達すると、ジェイドさんは言っていた。


「海音ちゃんは銃とナイフの他には何か使った事ある?」

「えっと、バットとか、シャベルとか。リーチの長い物を一回だけ」

 中学校を出て、白樺さんとも出会った頃だ。そこそこに振り回しても疲れない事を確認して、ナイフよりもはるかにリーチの長い物を使って感染者を倒した事がある。


 その時の事を思い出して、私は思わず遠い目をした。

「ああいう柄の長いものって、感染者も近くに来ないし、汚れも少なくて良いんだけど」

 言葉を切った私に海麗ちゃんが首を傾げる。

「私、絶対に振り下ろすタイミングが合わないの」

 シャベルを振り下ろしたは良いものの、先端は感染者の鼻先を掠めて地面に甲高い音を鳴らしただけだった。もしくは鉄の部分ではなく、木製の柄で叩いてしまうだけ。


「海麗ちゃん知ってた? 空振りすると感染者もちょっと戸惑うの」

 怯んだだけなのだろうが、感染者によっては微妙な間が空いて、妙に居た堪れなくなったりする。すぐに飛びついてくる感染者は居たので、個体差ではありそうだけれど。

 海麗ちゃんが笑って良いのか分からないような表情で言う。

「ちょっと見てみたいな、空振りする海音ちゃん」

「何も面白くないよ」

 シャベルのお試し中はジェイドさんか白樺さんがぴったり横にいてくれたから何とかなったけれど、誰も居なかったらすぐに噛みつかれていそうだ。

「でもナイフは使えるのに不思議だね。そっちの方が怖そうだよ」

 私は小さく苦笑する。確かに感染者のギラつく目や、むっとした血なまぐさい臭いは恐ろしい。

 けれど、と私は海麗ちゃんの銃に目線を移す。

「……ナイフが使えるっていうよりは、ナイフしか使えない、かな」

 軌道が一番体に近く、他の武器を使うよりも動きが想像しやすい。

 海麗ちゃんが良く分からない様子で首を傾げる。私はとりあえず話を元に戻した。

「海麗ちゃんもナイフ使ってみよっか」

 ぱっと彼女の顔が輝いた。

「うん!」


 海麗ちゃんに銃の扱い方を一通り教えた後、私は出来る限り彼女へ感染者を倒すコツを伝えた。今の時点ではイメージトレーニングにしかならないけれど、知らないよりかはましな筈だ。

 ナイフを持ってもらい、蛍さんが持っていたバットを借りてそれも使ってみる。

 実践は出来ないとはいえ、海麗ちゃんの体も大きく動くようになってきていた。

 屋上でお昼を食べるのが恒例になったので、さらにその前に私と海麗ちゃんで対感染者の練習をするのもすっかり日常になった。数日が経ち、他の人にも私達がやっている事が何となく伝わっただろう頃、不意に白樺さんが顔を出した。


「……はい、こういうのも使ってみたいんじゃない」

 無愛想にずいっと差し出されたシャベルを、海麗ちゃんは思わずといった風に受け取った。

「探してきてくれたんですか?」

 目を丸くすると、彼はふんとそっぽを向く。

「バットじゃ滑りそうなんでしょ」

「えっ」

 海麗ちゃんが怪訝そうに眉を寄せた。バットじゃ滑りそうで不安だと零したのは、彼女にとっては私だけだ。

 ただ私から、ジェイドさんには話していた。出来ればジェイドさんに直接見てもらいたいけど、海麗ちゃんが緊張してしまだろう事、ジェイドさんの怪我も不用意には動けない事もあって、私伝いに海麗ちゃんの様子を伝えていたのだ。

 そこでぽろっと言った事を、白樺さんは覚えていたのだろう。

 仲は良くなくても気遣う優しい白樺さんに私は笑顔を浮かべる。


 一方の海麗ちゃんは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「何で知ってるの? ストーカー?」

 彼女がシャベルを抱えて身を引く。事情を知らないので訝しがっているのだ。説明しようと私が口を開く前に、白樺さんが不機嫌そうに言う。

「要らないならいーけど」

「要りますありがと!!」

 手を伸ばした白樺さんに、海麗ちゃんがやけっぱちのようにお礼を言う。


「ありがとうございます、白樺さん」

 彼に向き直ると、先程の憮然とした表情から、ふわりと相好を崩す。

「良いんだよ、戸倉さん。バリケードの材料集めるついでだったし」

「またそうやって……っ」

 身を乗り出しかけた海麗ちゃんに、白樺さんが遮るように口を開いた。

「それに御陵さんも頑張ってるみたいだし?」

 さっきよりかは柔らかい雰囲気に、海麗ちゃんはたじろいだらしい。噛み付く言葉が出てこないようだった。

 二人とも素直じゃない、と私は笑いを噛み殺す。

「じゃ、もうちょっとでご飯だからね」

 くるっと背を向けた白樺さんに、私は頷いた。


 それから少しずつ、色んな人と交流が増えてきた。

 蛍さんは勿論、あれから白樺さんも来てくれるようになったし、ジェイドさんも体力の回復がてらに、と屋上に顔を出してくれる。彼は蛍さんと一緒の時は直接手ほどきをしてくれた。海麗ちゃんの事を気遣っているのだ。


 扉の開く音に振り返る。蛍さんがにっこり笑って手を振っていた。海麗ちゃんの顔が明るくなる。

 彼の方へと歩きかけて、後ろに人が居る事に気付く。ジェイドさんじゃない。


「不知火さん!」

 青白い顔をした彼は、息を切らしながらも、私に向かって軽く微笑む。

 私は彼の右腕を見やって俯いた。彼の絶叫が耳の奥に蘇る。白樺さんに聞いて、順調に回復してはいるとは聞いていたけれど、右腕を失った彼は今、どんな気持ちで居るのだろう。

「何だか久しぶりだね」

 息を整えた彼は、気兼ねさせない明るさで言う。

「足の調子はどう?」

 私は眉を下げて何とか笑う。

「治ってきました」 

 例の彼女に貼ってもらったあの絆創膏は、三ノ輪さんの言う通りドレッシング材だったらしく、三日後に剥がしてみれば傷口はまだ乾いていなかった。かさぶたになって治るような雰囲気ではなく、傷口自体が少し小さくなっているようだった。

 それからは傷口が開かないように気をつけつつ、今は硬く、膿の固まったようなかさぶたで塞がっている。

「不知火さんは、もう痛みませんか」

 私は慎重に言葉を選んでから口を開いた。

「うん。ちょっと貧血気味だけどね。感染もしてないだろうって、三ノ輪くんに言われた」

 それを聞いて私はほっとする。良かった、と言いたくはないけれど、やはり腕ごと切断したのは間違いではなかったのだ。

 それから少し、彼は沈黙する。私が訝しく思って口を開きかけるタイミングで、彼は決意したように唇を結んだ。

「御陵さん、戸倉さん」

 改まった雰囲気に、何の話が始まるのかと首を傾げる。視界端の蛍さんを伺えば、静かな表情で不知火さんを見つめていた。

僕達(・・)がした事を、謝らせて欲しい」

 青白い顔で、苦しそうな声で。


 何の事かは、すぐに分かった。鹿嶋さんが視線を滑らせた先に彼は居たのだ。彼も――自警団だった。

 でも彼はきっとその事を酷く後悔しているのだろう。それは鹿嶋さんの策略のせいで私達が危機に陥った時に、真っ先に動いたのが彼だった事から分かる。

 あの人を止めないと、と厳しい顔で呟いた声もまだ覚えているのだ。

 彼が、すっと頭を下げる。

「……謝るの?」

 海麗ちゃんが小さく呟いた。謝る事さえ許さないような、そんな言い方に私は思わず彼女を振り返った。

「私、貴方にはあんまり怒ってない、気がする」

 けれどその表情を見て私は瞬いた。少し悲しげな、それでいて困ったような表情。

 不知火さんも、困惑した様子で再度頭を上げた。

「……一回だけ。水、くれたよね。避難所に居た時に」

 私覚えてるよ、と彼女は静かな声で言った。どんな感情を乗せれば良いか、決めかねているのだろう、いっそ平坦にも聞こえた。

「そんなの飲めないって言っちゃったけど、でも、今はちょっと優しかったなって思う」

 先程から曖昧な言い回しをするのはきっと、不知火さんに自警団からの加虐を重ねられないからだ。

 鹿嶋さんの策略に気付いて真っ先に動いた彼と、僕達のした事だと謝りたい彼と、自警団の非道な行動が重ねられない。

「あ、その……謝るの止めちゃって、ごめんなさい。でもそうされても私、まぁ良いよって言うだけだよ」

 確かに私も、彼には怒る気になれない。彼が自警団であった事は確かなのだろう。でもその集団に与していたからと言って、等しく酷い人間だとは思えない。


 白樺さんだって、そうだ。


 一方の不知火さんは、そんな海麗ちゃんの様子を見てうろたえたようだった。縋るように向けられた視線に、あぁ、と私は苦笑する。


 彼も、許されたくないのかもしれない。


「不知火さんは、謝りたくなるような事をしたんですか?」

 虚をつかれたように、彼は瞬いた。次いで苦々しく顔を歪める。

「君達が一番良く知っている筈だよ」

 その苦しげな目を見ていられずに、私はそっと目を伏せた。

「……私、不知火さんに嫌な事をされた記憶ないです」

 うん、と海麗ちゃんも頷く。

「けど、僕は、自警団のために人を殺した。自分のためでもあったんだよ。僕は、」


「私もだよ」

 彼女の短い言葉に不知火さんは目を瞠った。

「私、梅谷さんを殺したよ。自警団だったんだから、不知火さんの仲間を殺した私も、謝らないといけないね」

 海麗ちゃんがちょっと微笑んで、首を傾げる。不知火さんは呆気にとられた様子で、けれどなんとか口を開く。


「そんなの――」

「要らない?」

 遮るように海麗ちゃんが彼に一歩近づく。

「私も良いよ。不知火さんからのは要らない。復讐したい人も、謝って欲しい人も、自分で分かってるもん」


 不知火さんに歩み寄った彼女は、私や蛍さんに向けるのと同じような笑顔を浮かべていた。


「ありがと、不知火さん」


 あぁ、彼女は。


 梅谷さんを手にかけて、自警団を憎いと、全てを恨むようだったのに。もう戻れないような、そんな冷たい空気を纏っていたのに。


 彼女はしっかりと顔を上げて、不知火さんを見詰めている。


「ね、不知火さん。考えすぎって言ったでしょお」

 今まで口を挟まず静観していた蛍さんが、不知火さんの肩に手を置いて嬉しそうに言う。

 不知火さんはまだ驚きの冷めない様子で小さく頷いた。

 彼はきっと、自警団に居て苦しかった人だ。責任感も、仲間意識も強いのだろう彼は、ずっと自分を責め続けていたのだろう。


 私達は理解しないといけない。自警団に入らされた人も居るのだと、彼らも生きるために必死だったと。


 元の世界のルールに照らせば許せない。彼は犯罪を犯した。

 でももうそんなルールは無い。許すかどうかは、自分達で決めるしかないのだ。

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