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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
67/99

答え合わせ

 だって少しだけ、気になっていた。保健室で何の気なくハーフなのかと尋ねたら、端的に違うと返された。でも日本人ではないと。

 けれど彼はすらすらと日本語を話す。それにそのおじいさんも、きっと日本人だ。


 聞いて良いのだろうか。私達は今、それくらいの関係を築けているだろうか。

 ドキドキしながら、私は口を開いた。

「……ジェイドさんは、どうやって日本に来たんですか?」

 彼がほんの一瞬、驚いたような顔をした。私はそれに少し怯む。

 それを見抜かれたのだろうか、ジェイドさんが僅かに目線を逸らして首を振った。

「いや、そうだな。俺も詳しく言ってなかった」

 その言い方に、少しだけ期待する。

「そういえば俺も知らないや。イギリス出身って言ってたよね。家族で日本に来たの?」

 白樺さんが首を傾げる。私はジェイドさんがイギリス出身だった事も知らなかったけれど、イギリス人だというなら、彼の薄い色素もしっくりと馴染む。

 ジェイドさんが束の間沈黙した。話しても良いか迷っているようだった。

 やがて、一つ瞬きをすると、彼は口を開いた。

「俺と弟は、イギリスで孤児だったんだ。それで日本の夫婦に引き取られた」

 へぇと白樺さんが声をあげた。

「そういうことだったんだぁ」

 白樺さんの明るい声とは裏腹に、私は眉をくもらせる。躊躇っていた様子の彼が気になったのだ。

 もしかして言いたくなかったのかもしれない、と考えていると、彼が私を見て目元を和らげた。

「わざわざ言う事でもなかっただけだ。それに、俺にとっては悪いことじゃなかったんだから、そんな顔するな」

 私は胸を突かれた思いでジェイドさんを見返す。私を気遣うでもなく、本当に、心の底からそう思っているような言い方だった。

 予想していたものとは違う反応に、返す言葉を探しあぐねる。その隙に白樺さんが、興味津々といった様子でジェイドさんに尋ねた。

「ねぇ、ジェイドさんって弟がいるの?」

「あぁ。一つ下のな」

 ジェイドさんが頷く。そういえば、最初にそう言っていた。

 私は、いつの間にか止めてしまっていた鳩の解体をまた始めながら、ジェイドさんの話に耳を傾ける。

「似てる?」

「……似てると言われた事はない。性格的には、白樺に似ているかもな」

 ふっと彼の声に笑みが滲んだ。

「俺にぃ? ジェイドさんの弟なのに?」

「一人で良く喋るところとか似てるぞ」

 私はくすりと笑う。白樺さんに似ているなら、きっと楽しい人だ。

 白樺さんは、ジェイドさんの言い方に引っかかるところがあったのか、唇を尖らせた。

「それはジェイドさんが返事しないからでしょ」

「……ああ、それもあるか」

 名前も知らない弟さんと、ジェイドさんの掛け合いもこんな感じなのだろうか。私は一人っ子だったから、歳の近い家族がいる感覚が、良く分からない。

「ジェイドさんとは仲が良いんですか?」

 きょうだいがいた友達は、良く喧嘩をしてはむすっとした顔で学校に来ていた。

 聞いてみると、ジェイドさんは少し考える素振りを見せる。

「そうだな。仲は良い、か? 喧嘩をした覚えはあまり無いが」

「何か曖昧だね」

 仲が良いとは言い切らないジェイドさんに、白樺さんが首を傾げた。

「大学に入ってからは殆ど会ってないからな」

 ジェイドさんがさらりと言う。確かに大学生になると一人暮らしを始めたりして、顔を合わせる機会は少なくなりそうだ。

 私はラップの上に捌いた肉を乗せる。ここまでくればもう鳩とは分からないだろう。

「出来たな」

 ジェイドさんの声に顔を上げる。どうやら合格点を貰えたらしい。

「もう焼いちゃいますね」

 彼が頷いたので、コンロに火をつけ、フライパンで焼いていく。じゅうと音を立てたお肉は、少しして良い匂いを漂わせ始めた。味付けはとりあえず塩だけだ。

 完全に火が通ったところでお皿に移して、ジェイドさんに差し出す。

「なんだ?」

「ジェイドさんにあげます」

 驚いた様子の彼に、更にお皿を突き出す。

「早く怪我、治してください」

「いや、お前が食べるべきだろう」

 何故かちょっと呆れたように言って受け取ろうとしないジェイドさんを、私はじっと見つめる。

「俺にも……」

「白樺さんは自分で捌いてください」

 白樺さんが手を伸ばすので、私はお皿を反対側によける。

「けどな」

 まだ食べる気のないジェイドさんに、私は眉を寄せた。ジェイドさんに食べてもらおうと思って、あの柔らかい感触に耐えたのに。

 私は何とか彼に受け取ってもらおうと、ちょっと考えて、彼に言った。 

「私達が三人で食べたら、不公平じゃないですか。ジェイドさんなら怪我もしてるし食べても許されます」

 ピタ、と面白半分にかまだ手を伸ばしていた白樺さんの動きが止まった。すすすと座りなおし、彼がジェイドさんを真っ直ぐに見据える。

「そーだそーだ!」

「おい」

 態度が一変した白樺さんを、ジェイドさんが呆れた目で見る。

 ジェイドさんが深いため息をついた。諦めだと察した私はお皿を彼の前に差し出す。

 ふっとお皿の重みが手から消えた。

「分かった、食べるよ。ありがとう」

 彼の言葉に、私は嬉しくなってにっこり笑う。

「はい!」




 夜、筋トレをやり終えた俺はべちゃりとその場で伏せる。一日二日休んだだけで、随分と鈍っている感じがした。

「体おも……」

「ペース、ちょっと速かったぞ」

「そう?」

 ロウソクに照らされるジェイドさんが頷く。考え事をしていると、どうもペースが速くなるらしい。

「ねージェイドさん」

 軽く息を整えた俺は、その場にあぐらをかいた。

「なんだ」

「ジェイドさんってさぁ、日本に養子に入ったんだよね」

 そこまで言って、俺はちょっと目を泳がせる。この先は聞いても良いか、まだ判断しきれていなかったからだ。


 言葉が続かない俺に、ジェイドさんは怪訝そうに眉を顰めた。

 ジェイドさんはここまで連れてきてくれた。鍛えてもくれた。自警団が居るという俺の遅すぎる告白にも怒らないでいてくれた。

 そんなジェイドさんの、つつかれたくないかもしれない事を聞くのは、少し怖い。


 それでももうジェイドさんは待つ体勢だ。ここまできたら言うしかない。

「……答えたくなかったら良いんだけどさ。引き取ったのが日本人だったら、ジェイドさんの苗字って日本の名前じゃないかなぁ、とか、思ったり」

 だんだんと目を見開くジェイドさんに、俺も言葉がしりすぼみになっていく。


 周りが皆ジェイドと呼ぶから、最初は深く考えていなかった。でもイギリスから日本かと思った時、不意に気にかかったのだ。

 ジェイドさんは、ジェイド・フローレスと名乗っていた。


 黙り込んでしまったジェイドさんに不安が募る。

 こんな世界になってしまっても名前を偽る意味があるとは、考え難い。あるとするなら、元のように政府が、警察が機能し始めたら不都合になる事があるからくらいだ。俺にはそれくらいしか思いつかない。


 けどジェイドさんは、悪い人じゃないと、俺は心の底から信じている。

「白樺」

 名前を呼ばれて、俺はきゅっと顔をこわばらせた。

 ジェイドさんが真っ直ぐに俺を見る。

「すまない。確かに俺は嘘をついていた。……ただ、そう身構えることじゃない」

 僅かに苦笑したジェイドさんに、俺は緊張に上がっていた肩を落とす。

「じゃあどうして」

「話してもいいんだが、海音には言わないと約束してくれるか」

 どうして戸倉さんには言えないのかと首を傾げると、ジェイドさんは苦笑を深めた。

「必要なら、俺が言いたいんだ」

「……じゃあとりあえずどうしてか教えて」

 きっと戸倉さんに言うタイミングをはかる理由も、そこにある。


「あぁ」

 そうして一つずつ話し始めたものは、想像よりも優しい理由だった。

 お祭りで出会った幼い戸倉さんが、誘拐されかけて、それを助けたのがジェイドさんで。その時に名乗ったのが、旧い姓名だった。

「弟が勝手に言ったんだ。俺が、あまりにもイギリスでの事に執着していたから。その時の俺も肯定したかったんだろう、あいつは」

 ジェイドさんは過去を思い出すように半ば目を伏せる。その過去か、弟か、どちらだろうが、大切に思っている事がありありと分かる表情だった。


「イギリスでの事って?」

 俺は恐る恐る聞く。この際だから、気になった事は全て聞いておきたい。

「あまり気持ちの良い話じゃないぞ」

 そんな前置きに、俺は覚悟を示すように頷く。

 引く気の無い俺に、ジェイドさんは、小さくため息をついた。

「……父親が、すぐに手を上げる男でな。俺たちがもっと幼い頃は、そんな事は無かった気がするんだが、いつからか酒が入ると暴れるようになった」

 いわゆる家庭内暴力を、目の前の人が受けていたという事が信じられない。これまで話に聞いていた事はあっても、当事者に会う事なんて無かった。


 微かに口を開ける俺に、ジェイドさんは苦笑した。

「な? 嫌な話だろう」

 頷くのも躊躇ってしまう。言外にこの話を止めるかと、そんな意図を含んだ問いかけだった。

「それで、保護されたって事?」

 何故か緊張していた。そこまで踏み込まなくて良いと頭のどこかが止めるけど、もう無理だった。

「お母さんは?」

 柔らかいロウソクの下で、ジェイドさんの顔が微かに強ばった事が分かった。

「父親に、殺された。俺達を、守るために、」

 ジェイドさんが顔を背けるように、俯いて額に手を当てた。


「俺は母親を、守れなかった」


 俺は大きく目を見開く。ジェイドさんが目覚めてすぐ、怪我した事を報告した時の苛立ちの裏には、身を絞るような後悔があったのだ。

 一つ息を吸って、またジェイドさんは話し始めた。

「それが、執着していた事だ。……祭りで海音に会う前にな、俺は人を殴った。父親と同じ事をしたと、怖くなった」

 その恐ろしさが、何故か分かるような気がした。自警団の鬱屈を理解出来た時の、あの恐怖だった。


「……でもジェイドさんなら、理由があったんじゃないの」

 言葉は勝手に滑り落ちた。ジェイドさんが、酒が入って暴れるような、そんな父親と同じだとは到底思えない。とたん、弾かれたようにジェイドさんが顔をあげた。

「……同じような事を、養母にも言われた」

 それから、落ち着いた低い声でジェイドさんは続けた。


「俺は、日本に引き取られて普通に暮らしていた今を、可哀想だと言われるのが我慢ならなかったんだよ。養母の事を貶されたのも、あの時は気づいていなかったが、耐えられなかったんだろう」

 ほっと、俺は肩の力を抜いた。今はもう、分かっているんだろう。酷い事をした父親と自分は違う事。

「でもあの時の俺には父親と同じ事をした恐怖の方が強かった。そんな矢先に、祭りで関わった海音まで拐われて、もしそのまま見つからなかったら、俺は人と関わる事を辞めていただろうな」

「戸倉さん、ちゃんと見つけられたんだね」

 ジェイドさんが柔らかく目を細める。

「あぁ。お陰で弟の気持ちも分かったし……多少は変われたと思う」

 それからジェイドさんは歯切れ悪く続けた。

「それで、狛平で海音を見つけて、覚えているかどうか試すために、旧姓を名乗ったんだが」

「覚えてなかったんだ」

 ジェイドさんからしたら、大事な思い出だろうけど、戸倉さんは名前を聞いてもピンと来なかったらしい。

「誘拐されかけたのに忘れちゃうんだね……」

 どれだけ小さくても、それは結構ショックな事だと思うけど、と首を傾げるとジェイドさんは小さく笑った。

「怖い思いをしただろうから、トラウマになるより忘れてくれている方が良いとも思ったけどな」

 若干混ざる寂しそうな声音に、ちょっと同情する。

「それで、今まで嘘つき通してたの?」

 そういえば、鹿嶋と初めて会った時も、違う名前を呼ばれていたような。それでもってジェイドさんは鹿嶋を詰めていたような。

「あぁ。まさかここまで引っ張る事になるとは思っていなかった」

 後悔らしきものが見え隠れするジェイドさんに、俺ははーっと息を吐いた。

「でもすっきりしたよ。良かった、犯罪者じゃなくて」

 ぴく、とジェイドさんの眉が動いた。

「それを心配してたのか、お前」

 気に障ったかと、俺は咄嗟に誤魔化し笑いを浮かべる。

「いやだってこんな裏あると思わないじゃん。そんでそれくらいしか思い浮かばないじゃん!」

 全く、とジェイドさんがため息をついた。

「……もう一度言うが、海音には言うなよ。怖い経験を忘れて無意識に押し込めていたなら、思い出させるのは酷だ」

 俺はしっかりと頷く。もしトラウマになっていたら、特に今の世界では致命的な弱点になってしまうかもしれない。


 ふとロウソクを見ると、もう長さが三分の一程になっていた。

「話してくれてありがとう、ジェイドさん。疑ってごめん」

 頭を下げると、ふっと、今度は鼻で笑われた。それから、ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でられる。

「素直に謝るところは弟と似てないな」

「似てないんかい!」

 突っ込みつつ、その手を払い除ける。この年で撫でられても嬉しくないから。

 俺はそのままの勢いで布団を広げた。

「もう寝るし」

 布団にくるまると、ジェイドさんがロウソクを消した。

 気恥しさを誤魔化すように、ジェイドさんに背を向けて目を閉じる。

「……身内以外でこの話をしたのはお前が初めてだよ。聞いてくれてありがとう」

 その穏やかな声に返事はせず、音が鳴るように、大袈裟に掛布団を引き寄せた。

 悔しい事に、背中からかけられた声が少し、嬉しかった。




 うとうとと、糸に引かれるように眠りに就きかける。けれどふと頭を過ぎった可能性に、はっと目を開いた。


 小さい頃に会ってたとか、しかも誘拐されかけた所を助けたとか、――流石にそのエピソードは負ける!

 戸倉さんは忘れているようだけど、この事を思い出されたら、更にジェイドさんへの好感度は上がるだろう。

 この状況でこんな事にかまけてはいけないのも分かっているけど、唐突な焦燥感はなかなか消えない。


 途端に現れた言い様のない焦りに、俺は暫く眠れなかった。

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