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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
66/99

懐古

 それから少しして、海麗ちゃんも落ち着いた頃、コンコンとノックの音がした。海麗ちゃんがぱっと立ち上がってドアスコープを覗きに行く。


「白樺さん」

 振り返った海麗ちゃんの顔は、少し顰められていた。朝の出来事のせいだろうか。

「あ、多分食べ物持ってきてくれたんだよ」

 海麗ちゃんの言い方からして白樺さん一人だけなのだろう。遠回しに彼女へドアを開けるように促す。

 不服そうな顔をしながらも、彼女は鍵を開けてドアを押し開いた。

 ドアの前には、ダンボールを一つ抱えた白樺さんが立っていた。

 

「戸倉さん、……と御陵さん」

 彼は海麗ちゃんを見下ろしてふっと眉根を寄せる。


 やっぱり朝の事が尾を引きずっているのだろうけど、どうしてこの二人はこうも折り合いが悪いのだろう。


 先に目を逸らしたのは、白樺さんの方だった。私に視線を移した彼は、そのまま無愛想に言う。

「これ、晩御飯ね。缶詰め好きなの選んで」

 仲良くして欲しいけれど、と、缶詰めへと視線を落とす前に、私は白樺さんに眉を下げる。

 それに気づいた彼が少し居心地悪そうに口をへの字に曲げた。


「私はこれにしようかな。海音ちゃんは?」

 海麗ちゃんも海麗ちゃんで、振り返った彼女の表情は硬かった。私が居るから何とか表情を取り繕っているのだろうけど、笑顔も浮かべられていない。

 言外に早く選べと伝えてくる彼女に、適当な缶詰めを一つ手に取った。

「私はこれで。ありがとうございます、白樺さん」

 笑いかけると、漸く彼は表情を緩めた。足を怪我した私がお手伝いを申し出ても、彼は遠慮してしまうだろうし、海麗ちゃんの様子からしても良い気はしないだろうから、それ以上は何も言わず彼を見送る。


 隣に立つ彼女へちらりと視線だけ向ける。

「……海麗ちゃん」

「うん」

 何が聞きたいかすぐに悟ったらしい彼女は、やっぱりむすっとした表情で応えた。

「白樺さんと何かあったの?」

「……ううん、別に。ただ、」

「ただ?」

 海麗ちゃんは一瞬逡巡する様子を見せた後、ぷいっと背を向けた。次いで怒ったような声が背中越しに飛んでくる。


「何か自警団のくせに海音ちゃんと仲良いなって、それだけ!」

 言い置いてリビングに飛び込む海麗ちゃんを唖然と見つめて。

 ふっと込み上げてきた可笑しさのまま問いかけた。

「えー、海麗ちゃん、それどういう意味? ね、もう一回。私良く分からなかったなぁ」

 痛む足を堪えて、早足でリビングに戻れば、彼女はベッドに突っ伏していた。にこにこしながらその傍に座る。

「もう言わないし!」

 抗議するように海麗ちゃんが拳でベッドを叩く。完全にただの照れ隠しだ。

「そんな事言わずに、ね? 一回だけ」

 私も同じようにベッドに体を預け、突っ伏する彼女を見る。そっと彼女が顔を横に向けて、腕からちらりとこっちを窺った。短い髪が彼女の瞳にかかる。


 こちらを窺うような、怖がるような目だった。

 私は彼女に軽く微笑んでみせた。

「……海麗ちゃん、白樺さんはね、もう仲間だよ。確かに自警団だったけど、今は仲間」

 穏やかに言うと、彼女の瞳が揺らいだ。


 自警団のくせに、とそう言った事が嫌じゃなかったと言ったら嘘になる。でも海麗ちゃんにとって私は、既に友達で、仲間だったのだ。だからあんな言葉が出た。だから白樺さんを敵視して、当たり前のように私と話している事に良い気持ちがしないのだろう。

 けれど白樺さんを詰るように言った事にバツの悪さを感じているのは、彼女の目を見れば明らかだった。


 その私への優しさが綯い交ぜになった彼女の言動に、少しの可笑しさを感じて、でも無理に我慢させているようで、悲しかった。

 だから咄嗟に茶化した。揶揄えば彼女への言葉は怒っているようにも、責めているようにも聞こえない。彼女の思いを蔑ろにすることは無い筈だ。


「白樺さんは、海麗ちゃんにとっての仲間にはまだならないかもしれないけど……友達の友達みたいな感覚で良いから、信用はしてあげて欲しいな」

 視線を下に向ける彼女は、しばらく思考に沈んだ様子だった。

 彼女に少しでも躊躇いがあれば、これはただの願望で、無理強いするつもりは無いと伝えるつもりだった。実際その通りだし、いくら彼女の考えが変わったとしても恐怖の対象は男性なのだから、そう簡単に受け入れられる筈がない。それは彩瑛さんが気づかせてくれたことだった。


「…………うん。海音ちゃんがそう言うんなら」

 少し間を置いて、渋々ながらも頷いてくれたことに肩の力を抜く。

 けれど間髪入れずに彼女は不貞腐れた表情で続けた。

「あ、でも白樺さんは単純に人間性が嫌い」

 眉間に皺を寄せる彼女に、上げかけた顔をぱたんとまた自分の腕に伏せる。

「そっかぁ」

「だって何あの言い方! 嫌味ったらしい!」

 怒りが再燃した彼女はがばりと身を起こす。


 あの時は海麗ちゃんから喧嘩腰だったような気もするけれど、白樺さんも白樺さんで、すすんで彼女を煽っていたので、私は小さく苦笑するだけに留める。ここは怒りが収まるまで吐き出してもらう方が良いだろう。

 それに単純に性格が合わないというそれだけなら、彼女の憤りを止める気にはならなかった。

「それで海音ちゃんには良い顔するでしょ。意味わかんなーい!」

 やっぱり嫌い! と最終的にはその方向で落ち着くようだった。

 けれど、と私は脳裏に白樺さんの鬱陶しそうに歪められた顔を思い出す。


 確かに海麗ちゃんが最初から喧嘩腰だったから、彼はその態度を返しただけなのかもしれない。けれど皮肉のように返した彼は、一瞬で嫌うにはもっと前から心証が悪かったような雰囲気だった。

 普段の彼だったら海麗ちゃんに突っかかられてもまず困惑しそうだ。


 浮かんだ小さな疑問は、けれど海麗ちゃんがふぅと大きく息をついた事で頭の隅に追いやられる。

「落ち着いた?」

「落ち着いた。あ、海音ちゃん、あれ書いて欲しいな」

 切り替え早く、彼女は机の上に置いてあるクリップボードを指さした。挟まれている紙には名前が手書きされている。

 そういえば彼女は、蛍さんと彩瑛さんと名前を聞いて回っていたのだった。

「海音ちゃんと、後は調達に出てた人だけなんだ」

 羅列された名前をざっと流し見て、顔と一致させていく。けれど数人はやはり曖昧だ。

 その事実を歯痒く思いながらも、一つ見つけた面白い事に、私はふっと微笑む。

「海麗ちゃん、見て」

 紙に自分の名前を書き付け、彼女に向ける。

 それに気付いた彼女は、ぱっと顔を明るくさせた。

「名前似てるね! ……あまね、ってそう書くんだ」

 海麗ちゃんが紙面をちょんとつつく。

「私達、漢字も知らなかったんだよね」

 彼女とはかなり仲良くなったつもりでいたのに、名前の漢字でさえ把握していなかった。妙な所で希薄な関係になってしまうこの状況の異様さを改めて思い知る。


 学校で出会っていれば、幾らでも紙の上で名前を見る機会なんてあったはずなのだ。


 私はちらりと窓の方を見やる。少し日が傾いて、向かいの家にチカチカと光が反射しているのが見えた。

 ここで暗い雰囲気になってしまえば、夜にまたずるずると思考を持ち越してしまうだろう。

 私は暗くなりかけた思考を頭を振って追い払う。

「同じ漢字が入ってるの、なんだか嬉しいね」

 共通点を見つけるともっと仲良くなれたような気がするし、それが海麗ちゃんだから尚更だ。

 海麗ちゃんも目を細めて大きく頷く。

「うん!」

 笑い合いながら、反対に重苦しい気持ちを胸の何処かで感じていた。

 いつかもこうやって、あの子とくだらない話をして笑い合っていた。ここに彼女が居たらと考えてしまう。彼女の笑った顔を思い出すのだ。


 それは意味の無い、それこそくだらない事。





 どうしても引き攣る顔のまま、私はジェイドさんを見た。

「やるんですか」

「やる」

 その素早い返事に正座のまま床に突っ伏したくなる。けれど目の前の物がそうはさせてくれなかった。

 ビニール袋の上にぐったりと横たわるのは、白樺さんによって既に絞められた鳥だ。例によって鳩だった。ただ前のように羽が青灰色ではなく茶色で、何となくフォルムも違う。

「これ、前の鳩とは違う種類なんですか?」

 ベッドにもたれ掛かる白樺さんに聞くと、彼は首を傾げた。

「違う種類、だと思うよ。名前は知らないけど、一匹だけ居たから獲ってみた。鳩なのは変わらないだろうけど」

「そうなんですか」

 ジェイドさんは別に鳩じゃなくてカラスでも何でも良いと言っていたけれど、一回捌かれる様子を見ていた鳩の方が精神的には楽、かもしれない。

「食べられれば問題は無い」

 だから諦めて捌きにかかれ、とジェイドさんが急かす。絞めたばかりとはいえ、早く捌いてしまわないと菌が繁殖してしまう。


 時間稼ぎも微々たるものに終わって、私は渋々動き出した。

 ビニール手袋をはめ、恐る恐る鳩を掴めば、既にその体は冷え切っていた。反対に生きているような柔らかさに額が強ばる。

「そのまま羽を抜いてみろ」

 今にも手を離したくなるのをぐっと堪え、言われた通りに羽を何本か握り、流れに沿って引っ張る。少しの抵抗の後、案外プスンと軽く抜けた。


「ジェイドさんさぁ、これってどこで覚えてきたの? 自衛隊?」

 白樺さんが首をねじってジェイドさんを見上げる。

「いや。鳥の捌き方は、祖父に教えてもらった」

「おじいちゃんに?」

 羽をもぐ手は止めず、私は視界の端にいるジェイドさんをそっと窺う。声色は特に変わっていないけれど、彼の過去を聞くのは初めての事だった。

「父方の祖父でな、田舎に住んで、自給自足みたいな生活を送ってる人だった」

 言い方からしてもう亡くなっているのだろうか。もしそうだとしてそれがパンデミックが起きる前か後かは分からないけれど、ジェイドさんからは辛そうな雰囲気は感じられない。彼が少しの苦笑をもって話を続ける。

「……小さい頃の俺は少し偏食だったんだ。祖父にはそれを叩き直された」

「その方法って」

 白樺さんが恐る恐る聞くと、ジェイドさんは諦めたようにふっと笑った。

「肉も野菜も自分で作れ、ってな」

 わぁ、と白樺さんが声を上げる。野菜嫌いの子どもに調理を手伝わせるというのは良く聞くけれど、加工前から手伝わせるのは豪胆というか、ワイルドというか。

「それって偏食は治ったんですか……?」

 荒療治が過ぎるその方法は、野菜はともかく、肉類は一歩間違えたらトラウマものだ。


「治った」

「それで治っちゃうジェイドさんもジェイドさんだね! やべぇ!」

 白樺さんがわははと指を指して爆笑する。すっと仏頂面になったジェイドさんを見て、私は羽抜きを再開した。

「あっ、ジェイドさん何するの――痛い痛い痛い! やめて!」

 ジェイドさんが腕を伸ばした先は白樺さんの頭らしい。ただただ握力に物を言わせて頭を締め付けるその技はアイアンクローだったか。

 まぁジェイドさんも冗談でやっているのだろうし大丈夫だろう、と白樺さんの悲鳴を聞きつつ、最後の羽をむしる。

 

「なるほど」

 丸裸になった鳩を見た後、自分の腕に視線を移して小さく頷いた。確かに良く似ている。

「戸倉さん今トリハダに納得したんでしょ、助けて!」

「バレましたか」

 はにかんで白樺さんを見ると、顔が真っ赤になっていた。意外と限界そうなその様子に思わず腰を浮かせ、慌ててジェイドさんを止める。


「ジェイドさん白樺さんの顔色が! 止めてあげてください!」

 ジェイドさんがパッと手を離す。それからふいと顔を逸らした。

「人を規格外みたいに言いやがって」

 憮然と言うその横で白樺さんが頭を抑えて恨めしげにジェイドさんを睨む。

「言ってないし」

「海音、次は産毛を火で炙る。コンロつけてくれ」

 不満げな白樺さんを無視する彼に、私はくすくす笑う。最初こそ喧嘩になりやしないかとハラハラしていたけれど、二人にとってはただのコミニュケーションだと気付いた後は、笑ってしまう事が多かった。

「こんな感じですか?」

 言われた通りにコンロに火をつけ、ぴょんと出た目立つ毛を焼いていく。

「あぁ。それくらいで良い」

 ジェイドさんが軽く頷いたので、火を止める。肉に火が触れないようにしたので、当然、まだ柔らかい。

 次の工程こそ、鳥を捌く本番であり、私が一番苦手そうな事だった。

「次は解体、だな」

 やりたくない雰囲気を悟ってか、ジェイドさんが小さく笑う。

「はい……」

 渋々ナイフを手に取る。折り畳み式の、小ぶりなナイフだ。

 ジェイドさんの指示に従って、ナイフを入れたり、骨を抜いたり、手袋の向こうの感触に顔を顰めながらもこなしていく。


「戸倉さん頑張れー」

 のほほんと言う白樺さんを、私はきっと睨んだ。

「……白樺さん、自分はやりたくないから一匹しか獲ってこなかったんでしょう」

 図星だったのか、白樺さんの目が分かりやすく泳いだ。

「そ、そんなことないよ?」

 意地でも目を合わさないように顔を逸らす白樺さんをじーっと見つめる。


「白樺は明日だな」

 膠着状態を切ったのはジェイドさんだった。白樺さんが彼へと勢い良く振り返る。

「何で!」

「出来るようにしておいた方が良いからだ」

 問いかけというよりは抗議だったけれど、簡潔で一番納得のいく答えに白樺さんが口を噤む。

 パンデミックが起こってからは、お肉は缶詰めでしか見られなかったし、量もほんの僅かだった。それが鳥さえ捕まえられれば手に入るようになるのだから、確かに出来ておいた方が良い。お肉は貴重なタンパク源だ。


 それに、と私はジェイドさんを盗み見る。

 彼の過去を少し知れたのが、嬉しかった。大切に、懐かしむような目を見て、何故か安堵したのだ。

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