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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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彼の覚悟

 蛍さんがノックをするその後ろで、俺は深呼吸する。さっきから肩が上がりがちなのを、なんとか脱力させた。

「入るわよ〜」

「え」

 何故か返事も待たず、気軽に扉を開ける蛍さんに俺は待ったをかけたくなったけど、ちらりと肩越しに振り返った目が笑っていたので、なんとか抑える。

 

「今は?」

 玄関に向かいかけていた様子の三ノ輪さんに、蛍さんが間髪入れずに投げかけた。三ノ輪さんも三ノ輪さんでそこまで驚いていなさそうだった。

「……大丈夫、かな。普通に話せはしますし、空元気くらいは出せそうですよ」

「それ出せるに入るのかしら」

 二人の会話は軽い口調で進んでいるけど、それとなく三ノ輪さんは後ろの扉を閉めたし、蛍さんも声量を絞っているようだった。

「白樺も、あいつに気遣わなくて良いからな」

 三ノ輪さんにとっては、俺が金井さんを励ましに来たように見えるのだろう。実際その通りではあるけど、自分の中でまださっきの失敗を拭えない。

 

 俺はまた深く息を吸った。

 さっき心に決めたことを繰り返し、顔を上げる。

 

「…………俺、突進しても良い?」

「思う存分やってやれ、ほら」

 三ノ輪さんは俺が何をする気かは分からないはずだけど、すぐに頷いてくれた。扉の前へ通してくれる。

 俺はドアノブに手をかけると、勢い良く開け放った。


「金井さん!!」

「うわ、お前外に聞こえたらどうすんだよ」

「金井さん俺ね!」

 力いっぱい叫んだ俺に、三ノ輪さんが非難の声を上げるが、無視して部屋にズカズカ入り込む。

「小学校の時にね、共働きだから両親が遅くまで帰ってこなかったんだけど」

 一体何を言い出すのか、と未だ目を見開いたままの金井さんは思っているんだろう。多分後ろの二人もそう思っているに違いない。

「寂しくってさ、公園のハト連れて帰ったんだよね。そしたらめっちゃ怒られたの!」

「そりゃそうだろ」

 いち早く立ち直ったらしい三ノ輪さんに突っ込まれるけど気にせず続ける。

「二匹だったのも悪かったんだけど。理由言ったらちゃんとお店からなら飼ってもいいよって言ってくれて」

 そう言ってくれた父親は、母親よりも俺に甘かった。母親はと言えば、……今思えば申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「そうして飼った子がわたあめっていってすごく可愛いギンバトなのね! マジックとかでよく見る白いハトだけど、ふかふかしててすごい懐いてくれたんだ」

 亡くなったのは、俺が中学生のときだった。もう受験も終えて気が抜けた頃だった。父親はまたペットを飼うかと聞いてくれたけど、もう寂しくないからと断った。

 その判断は、間違っていなかった。

 もし飼っていたら、今頃は餓死しているか、食べられているかだ。避難所にペットは連れていけない。

 

「わたあめはね、俺にとっての宝物」

 どこか話半分で聞いていた様子の金井さんが、ハッとしたように目を見開いた。

 俺はまだ続ける。まだ話せる。十六年程度の人生でも、一丁前に大切なものはあった。そうと気づけていなかっただけ。


「でもわたあめだけじゃないよ。俺がぼっちで居たら話しかけてくれた友達だって」

 今はもう、違うけど。

 悠銀は小学校の頃からの友達だ。これ以上ないくらい、仲が良かった。きっと世界に感染者が溢れなければ、自警団なんて出来なければ、まだ友達だっただろう。

 いつから間違えたのかと、遡れば、それは高校に入ったあの時だ。

 初めは、多少空気の読めない奴に絡まれたなと、ただ面倒くさい気持ちだった。

 

 でもそいつに絡まれた途端、出来始めていた高校の友達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。中学のときの知り合いが、そいつとは関わらない方がいいと、そう噂を流していたから。

 でも今思えば、あれはただ事実だったのだろう。

 

 何度でも思い出す。

 

 戸倉さんの父親を撃つ前に、楽しげに嗤うそいつの声。こちらが躊躇っていれば、苛立ちを滲ませた。

 自警団に入ろうと誘ってきたのも、あいつだった。

 

 あの時きっぱりとあいつを拒絶していれば、悠銀は友人のまま、戸倉さんとも違う関係だったかもしれない。


 俺は一つ息を吐いた。もう考えても意味の無いことだった。

「中学校の修学旅行は京都でさ。楽しかったよ。ハモの湯引きが美味しくてさー……、友達と、交換したりして」

 楽しかった。大浴場にクラスメイトの男子と入って、ふざけて先生にめちゃくちゃ怒られて。サウナ対決でのぼせて、またちょっと怒られた。それでもって夜中にカードゲームをして、見回りの先生に見つかった。今度は何故か先生も一緒に遊んで、全員で教頭先生に怒られた。


 なんだ、楽しいことも思い出せるじゃないか。今が苦しくても、楽しかったことはある。その思い出は確かに今の俺を作っている。


 それが嬉しいと同時に、皆が見ている俺にこんな思い出は無いことに気づいた。話してようやく、自分がはっきりしたような感覚。


 人は、他人から作られているんだ。

 

 それから金井さんに、にっこり笑ってみせる。


「金井さんは?」

 軽く、お昼ご飯はなんだったか聞くような素振りで。

 すると金井さんは、大きくため息をついて、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。

 ふっと見上げたその瞳は、真摯を通り越して据わっている。

「野球」

 後ろの気配が少し動いた。三ノ輪さんだろうか、振り返れないけど、どこかそわそわした雰囲気を感じる。

「中高の部活は野球だった。どっちもそんな強くなかったけど」

 訥々と、思い出をなぞるような話し方だった。

「でも楽しかった。野球がなかったら、学校はめちゃくちゃ退屈だったと思う」

 そこでふっと、苦く笑う。

「そんだけ好きだったんだけど、高二の時だっけ?」

 問いは三ノ輪さんに向けたものらしい。後ろから肯く声。

「病気になったんだよ」

 え、と俺は金井さんをまじまじと見た。話の流れ的に野球が出来なくなるほどの病気だったのだろうが、今は大丈夫なのだろうか。

「あ、今はへーき。ただ足が動かせなくなって、野球なんか続けてらんなかったんだよ。な」

 また彼は三ノ輪さんに向けて言う。気付けばその顔には、からかうようなニヤニヤした笑みが浮かんでいた。

 不思議に思いながらも、先を聞くために相槌をうつ。

「部活無くなったら学校なんて勉強するとこじゃん。だから放課後に勉強してたらさぁ」

「金井」

 三ノ輪さんが制止の声をあげるけど、金井さんは無視して話を続けた。

「三ノ輪が言うわけ。俺も勉強するっつって。でもって医者になって足治してやるって。俺もう手術するって決まってんのに」

「金井!!」

 金井さんが首を吊ったと聞いて焦ったときとは違う、羞恥の混じった声だった。なるほど、と俺も金井さんと同じようにニヤニヤし始める。

「俺は頭良かったし、親も多少金があるしでもともと医大も選択肢に入ってたんだよ」

 言い訳のようなそれに、金井さんはいっそう笑みを深めた。そして言うことなんて決まっていたような早さで返すのだ。

「けど俺は手術失敗しても大丈夫だ、って、めちゃくちゃ安心した。足痛いのもいつかは治るんだーって」

 三ノ輪さんは何も言わない。

 彼にとって医大を選ぶひと押しは、金井さんの病気だったのかもしれない。金井さんも金井さんで、治してやると言われて安心できたのは、三ノ輪さんを信頼していたからだ。


 その思い出は、それは宝物だろう。


 俺は、一人で頷いた。その宝物を、それに形作られた金井さんを、三ノ輪さんを背負っていく。二人がどうなろうと、決してその存在を、宝物ごと忘れない。

 金井さんと三ノ輪さんと、蛍さんにも俺を背負わせてしまったけど。


 その前提で、死なないし、死なせない。


「白樺」

 金井さんは改まった顔で俺の名前を呼んだ。この人はきっと覚えている。直感的にそう悟ってしまう声だった。

「死ぬなよ」

 俺は思わず笑った。セリフをそっくり取られてしまった。

 拍子に滲んでいた涙がぽろっとこぼれる。

「金井が言えたことじゃねぇだろ」

 三ノ輪さんも笑っていた。そこにはどこか安堵が潜んでいる。

「何よぉ三人して。置いてけぼりにしないでちょうだい」

 蛍さんが表面上は怒りながら、ティッシュを手渡してくれる。そういえば蛍さんはこの話をしている時は居なかったのだった。

「えーと、旅は道連れ?」

 なんとかあの重い話を気楽に表せないものかと絞り出すが、蛍さんは怪訝そうな顔だ。

「一緒に旅するなら相手のことを知らないとってことです。この前話してたんですよ」

「あぁ、そういうこと」

 三ノ輪さんのフォローに、蛍さんは納得いったのか、大きく頷いた。

「世は情け、ねぇ」

 蛍さんがにこりと笑う。自分で言っておきながら意味は良く分かっていないけど、蛍さんのなかで噛み砕けたなら伝わったということだ。


 いつか言えるかな。


 過去の交換を、願えるだろうか。死なせないと、言えるだろうか。


 ナイフと向き合った夜のことを思い出す。


 欠けていく彼女を守ると決意した。頼りなかった顔も少しはましになっているだろうか。


 目の前の金井さんの、強い光をたたえた目。その光を灯す一助くらいにはなれたなれたのかもしれない。


 この光を、いつか彼女にも灯そう。そのために俺は、感染者も、――人間も。


 そしていつか、彼女を形作るものを聞いて、その感情を守りたい。


 覚悟を胸に沈める。


 


 それだけで何故だか、"資格"を与えられたような気がした。


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