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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
61/99

同類

 お揃いねと微笑んだ彼女は、けれど私の表情を見て眉を下げた。

「違うの? ……もしかしてあなたは元から、なのかな?」

 困惑した様子の彼女に、私は目を伏せる。

 

 元から。


 元から髪は白く、瞳は赤かったのか。その白髪赤眼(はくはつせきがん)は、生まれ持ってのものか。


「……違います。私も、あいつらと同じ、」

 同じ物だと、その先がどうしても言えなかった。


 溢れるのは、数ヶ月前の幸せな記憶。その記憶の中の私と、今の私はあまりにも違う。


「同じだったら、私は……」

 私だと、胸を張って言えるだろうか。

 一人ただ埋葬のために動いているとき、どうしても考えてしまった。

 少しずつ、前の私を知っている人を埋めて、この世から見えないようにしてしまって。自分自身も以前とは違う体で、思いを持っている。今までは知らなかった人の悪意と醜さに触れて、経験したことの無い飢えを味わった。


 白髪赤眼は、以前の私を証明するものにはならない。数ヶ月前の世界と変わらない私だと証明してくれる人はいない。


 他人がいなければ、以前の私が居たことは否定されてしまうのかもしれない。


 だからもう人間じゃないと否定することが、酷く恐ろしい。それは、彼女が居るから尚更だった。

 だって人じゃない私が彼女に認められてしまうのだから。

 

 唐突に黙り込んだ私を見て、何かを感じ取ったのか、彼女は静かに口を開いた。

「ごめんなさい、無神経だったわ」

 謝る必要なんてないと、そう言いたかったけれど、今はきっと震えた声しか出せない。

 それが嫌で黙り込んでいると、やがて彼女はそっと立ち上がった。彼女の気配が遠ざかる。

 一人にさせてくれるのだと気づいた途端、視界が歪んだ。


 誰か、誰か私が化け物であることを否定して。人間のままだと、以前と何も変わらないと証明して。

 涙を落とすまいと、強く瞼を閉じる。

 一人でいる時は、まだ良かった。私がゾンビになったことを誤魔化すことができた。鏡も見ず、髪も縛れば、その異様さは私からは見えない。


 けれどもう、誤魔化せない。彼女が――同類が、いるなら。



 認めなければ。



 瞼を持ち上げる。ふと、すぐ側にあったリュックに気が付いた。彼女が置いておいてくれたのだろう。

 覗いてみれば、中身は何も変わっておらず、彼女は開けもしなかったことを理解する。例の手紙も、ポケットに入っていた。

 銃の整備のためにも開いたそれをもう一度開けば、ひりつく目の痛みも和らぐような。


 一人でいる時も、この手紙は随分と私を助けてくれた。彼女に会いたいという思いは、私が人間だろうが、ゾンビだろうが変わらないだろうから。



 幾らか落ち着いた私は、改めて部屋の中を見回す。

 目の前は障子、背後と自身の左側は襖だ。障子の向こうは外だと思うけれど、流石に今歩こうとは思えなかった。

 どこを見ても、思い描くような日本家屋の一室だ。嗅ぎ慣れない、畳の甘い匂い。

 

 見れる範囲でキョロキョロしていると、背後の襖がすっと開いた。

 私の様子を見た彼女は表情を和らげる。その手には木製のお盆。同時に、ふわりとコーンポタージュの良い匂いが鼻先をくすぐった。

「もう平気なら、食事にしましょうか?」

 私はこくりと頷く。

 いくら空腹に慣れたとはいえ、目の前に持ってこられては断れない。

 暖かい湯気の昇るコーンポタージュと、数枚のビスケット。食べ始めれば猛烈にお腹が空く感じがして、咀嚼も惜しいくらいだった。


 すぐに食べ終えると、彼女は微笑んだ。

「お腹空いてたのねぇ」

「……ごちそうさまでした」

 お礼も言わずに受け取ってしまったことを思い出して、私は少し気まずく思いながら頭を下げた。そもそも助けてくれたことにもお礼を言えていない。

「お粗末さまでした。私は熊谷雪(くまがいせつ)。あなたは?」 

「橋本真美です。助けてくれて、それからご飯も……ありがとうございました」

 もう一度頭を下げると、彼女は顔の前で手を振った。

「やだ、気にしないで。真美ちゃんみたいに生きている人と会えて嬉しいわ」

 生きている人と言われて、私は思わず顔を曇らせた。

「雪さん。私は、多分一度死んでいるんです」

 一度死んでるなんて言葉、自分が使うだなんて思っていなかった。

 複雑な気持ちになっていると、雪さんもちらっと表情を変えた。けれどすぐに平気そうな、飄々とした様子で肩を竦める。

「まぁ……そうね、信じたくないけれど。私もきっと死んだんでしょうね」

 それから今までのことを掻い摘んで話してくれた。


 県外で働いていた彼女は、暴動事件を受けて何とか実家に戻ってきたこと。父親が感染してゾンビになっており、母親を貪っていたところを止めようとして、自身も噛まれたこと。

 そして噛まれた後、血が止まらずに意識を失ったらしい。その時に失血死かな、と彼女は明るく笑う。

 彼女の明るさに呆気にとられるが、続く言葉にハッとした。

「起きたのは数日前。ぼんやりしていたら、今日銃声が聞こえてね」

 銃声を聞きつけた雪さんが外に出たというなら、最初の三発が他の生存者だろう。

「銃声は全部、雪さんだと思ってた……」

 私の呟きに、雪さんが怪訝そうな顔をした。

「え、じゃあ最初の銃声は真美ちゃんじゃなかったの?」

 頷くと、彼女は顎に手をあてて考える素振りを見せた。

「距離はかなり近かったよね。私も真美ちゃんも、その銃声につられて出てきたから」

 今度は私が話す番か、と雪さんの目を見て口を開く。

「私は今まで狛平中にいました」

 さっと彼女の目が見開かれた。何か聞きたげな様子に、私は少し間を開ける。けれど彼女は何も言わなかった。ただ頷いたので、私は続けて今までのことを話す。


 自警団に全て奪われ、今はもう、誰も居ないこと。


 できるだけ簡単に、遠回しな表現をしたものの、話している間にどんどんと彼女の顔が青白くなっていく。それに気づいた私は、眉を寄せた。

「雪さん、なんだか顔色が……」

「中学校ではどのくらいの人が避難していたの?」

 さっきまでとは打って変わって、雪さんの表情にどこか鬼気迫るものが見えた。

「百人以上は……」

 気圧されながらも答えると、彼女はますます焦った様子で質問を重ねた。

「その中に熊谷蛍(くまがいけい)は居たか分かる?」

「中学校に避難していた人? 姉妹ですか?」

 名前だけ出されても分からないし、記憶の中にあるリストを思い出してみても熊谷という名前があったかは覚えていない。


 私が顔を顰めていると、雪さんは少し落ち着いたらしく、前へ乗り出していた姿勢を正した。

「蛍は私の弟よ。家に向かうっていうメールの後、連絡がとれなくなってしまって。けど家には居なかったみたいなのよ」

 私はそういうことかと、納得して頷く。家に居ないならどこかへ避難していると考えるのが自然だ。他の仮定は考えたくないだろう。

「もう一つ聞いていいかしら。御陵海麗(みささぎみれい)っていう女の子は知らない? あなたと同じ、狛平中の生徒なんだけど」

 私は再びリストを思い出す。みれい、と口の中で反芻するけれど、聞き覚えはあるような、無いような。


 それからハッと思い当たって、雪さんに名前の漢字を尋ねた。

「下の名前? 海に麗しい、で海麗よ」

 私は少し微笑む。

 リストは食料受け取りの時に良く使われたけれど、海音の分も書き入れることがあった。その時は下の名前を見てチェックしていたから、海音と同じ、海から始まる彼女の名前には見覚えがある。

「多分、居ました。……でも」

 リストにあったということは、もう死んでいる可能性が高い。自警団に着いていけた子もいるのだろうけど、誰かまでは把握していない。


 雪さんが悲しげに目を伏せる。

「……その子はお隣さんでね。蛍とはかなり仲が良かったのよ。もし、私も、両親も死んだと分かったなら、次はきっとその子を探す」

 弟と仲が良かったと言うけれど、雪さん自身もその子と仲良しだったのだろう。抑えきれない悲しみが、結ぶ唇に表れている。


 私は手の中にある紙の厚みを感じながら、口を開いた。


「もしかしたら、その子も、弟さんも生きてるかもしれません」

 雪さんが怪訝そうに眉を寄せる。有り得ないと思っていることがありありと分かる。

「自警団は……」

 そっと息を吸う。声が震えればこの話は雪さんの中で触れてはいけないものになるだろう。

「避難所の男性ほぼ全員が入るものでした。それは途中から避難してきた人も同じです。リストに弟さんの名前があれば、自警団に入ってるって考えて良いと思います。使える人間なら自警団は見捨てないから、弟さんが普通の成人男性ならきっと大丈夫」

 彼女の翳っていた赤い瞳が、仄かに明るくなった気がした。

 

「それに避難所で弟さんと海麗さんが無事出会えていたなら……、きっと一緒に連れて行くんじゃありませんか」


 この言葉が雪さんにとって、救いになるかは分からない。ただ嘘ではないし、有り得ない話でもない。


 あの手紙を見つけた時、海音が生きているかもしれないと分かった時にようやく、しっかりと地に足がついたような気がした。

 それまでの不安で頼りない、落ち着かない気分は一人では抱えきれないだろう。

 雪さんも同じような思いをしていたんじゃないかと思えば、可能性の低い話でも伝えずにはいられなかった。

「私も探してる人が居るんです。同じ避難所にいた、友達で」

 だから一緒に探しませんかと提案すれば、彼女は今までよりも柔らかい笑みを浮かべる。

「一人じゃ辛いものねぇ」

 私は大きく頷く。一人だと出来ることはどうしても限られてくる。私は知恵も何も無いから、遠回りしてしまうことだってあるはずだ。

 でも大人がいれば、出来ることも知識も、ぐっと幅が広がるだろう。

 

「利害の一致です」

 私と行動して彼女が得をすることはないだろうけど、と胸の内で付け加える。本気でもなければ冗談のつもりもなかったけど、冗談として受け取ったのか、雪さんはからりと笑った。

「じゃ、同盟って感じかな」

 その言葉に私も笑みを浮かべて頷く。

 これから先、仲間というより、同盟で居た方が気が楽な選択肢が浮かぶこともあるだろう。


 とはいえ、足が治らないと私はほぼ役立たずだった。

「痛みはどう?」

「動かさなければ」

 平静を装って答えたけれど、正直もっと気絶していたいくらいだ。

 膝には止血のためかきつく包帯が結ばれ、喰われた部分にも包帯が巻かれていた。その包帯は元からその色だとでもいうように真っ赤だ。

「骨まで見えてたから、包帯はどうかとも思ったんだけれどねぇ」

 ぎょっとした私に、彼女はただ、と付け加えた。

「私も一度、こうなってから奴らに噛まれた事があってね。……でもほら、今は傷跡もないでしょう」

 彼女は服の襟を引っ張り、首元を示してみせる。確かにどこを見てもまっさらな肌だ。

「真美ちゃんよりは酷くなかったけれど、それでも血は大量に出ていたし、普通の人なら止血できてもどうなってたか。そんな怪我が、三日程度で治ったわ」

 しかも傷跡一つ残さず。

 人間にはありえない回復力を、嘘だとは笑い飛ばせない。

 目覚めた直後、腹にあった肉塊と一緒に皮膚もちぎれてしまった時を思い出す。あの時は気絶してしまったから正確な時間は分からないが、かなりの早さで傷は治ったはずだ。

「どの程度の怪我が、どれくらいで治るか。把握しておきたいと思わない?」

 きっとこれからは、今までの感覚で怪我を測らなくても良くなる。この世界で活動するには有利なことだろう。

「そうですね。……そういえば、ゾンビには私達を襲うやつと襲わないやつがいますよね」

 雪さんはきっとゾンビに向けて銃を使ったのだ。あいつらの違いはとっくに気づいているだろう。

「うん。それは私も気になってた。奴らは何を基準に仲間を認識してるのかしらね」

 小さく頷いた彼女は、やはり違いについて知っていたらしい。

 

 ゾンビ達との違いは理性があること、見た目が違うことだ。

「でも私達とゾンビの違いがはっきり分かっても、あまり意味がないと思います。そこに基準があったとしても」

「私達を襲ってくるゾンビと、襲わないゾンビが居る理由は分からないわね」

 私達は襲ってくるゾンビへの対策をしなければならない。だから知りたいのは、ゾンビ側の違いだ。

 

「襲ってくるゾンビはあまり頭が良くないとか?」

「頭の良し悪しか……。それなら階段を登れる個体と、出来ない個体が居たり、きちんと見れば能力に差があるのかもしれないわ」

 今のところ、ゾンビの外見に違いは無い。外見以外の違いを探し出して対策していくことになるだろう。

 

 ゾンビについての話はこれで一旦終わりだ。これ以上考えても的の外れた憶測になる気しかしない。


「日暮れまでもう少し時間があるわね。真美ちゃんは休んでいて。私は最初の銃声があった所を探してみる。探したい子の名前は?」

「戸倉海音、です。黒髪で、長さはこれくらいの」

 背中に手を回して、肩甲骨の下あたりを示す。

 かなり前の記憶だから、今はもう少し伸びているかもしれないと伝えると、彼女はしっかりと頷き、早足で部屋を出ていった。

 

 それを見送り、私は足を気遣いながらゆっくりと布団に横たわった。

 

 雪さんが銃声を聞いたとき、真っ先に弟さんの事が浮かんだはずだ。それなのに私の叫び声を聞きつけて優先してくれたのだから、彼女はかなり人が良い。

 何か裏があるようにも見えないし、彼女のことは信じていいのだろう。

 それでも利害の一致だなんて言って逃げてしまったのだから、いつの間にか立派な人間不信になっていたらしい。


 しんと静まり返った部屋は、明るいおかげであの体育館を思い出すことは無い。このまま忘れられたらと思うけれど、きっと無理だ。


 傷付けられた記憶を、忘れることは無いだろう。

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