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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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生きている人

 友人を探すと決めて、でも体育館にいる人達の埋葬はキッチリと行った。

 考えるのも馬鹿らしいけど、もし世界が元のように機能し始めたとき、身元が分かるものがあった方が良いだろう。

 だから私は、死体の一部を残した。主に歯だったり、髪の毛だったり。

 頭皮から髪を引き抜くのはあまりにも容易で、痩せた歯茎から覗く歯はどれだけしっかりくっついていても、少し力を込めればぽろりと取れた。

 人を触っているのとは全く違う感触は、さすがに精神を参らせた。


 それでも止めなかったのは、罪悪感があったからだ。


 見限る日を把握しておいて誰にも伝えなかった。怖かったからだ。情報源が私だと知れたら、自警団に何をされるか分からなかったから。

 けれど数人だったら、助けられたんじゃないか。相手を選べば、あの夜の惨劇から逃げられた人は居るはずだ。


 そんな後悔と罪悪感が、手を止めさせなかった。濁り腐った目玉がいつでも私を詰るのだ。


 昼は死体と向き合い、夜はグラウンドに出て、埋葬するための穴を掘った。

 その途中で、死体の下敷きになった避難用リュックを幾つか見つけた。体育用具室に投げ込まれたものとほぼ同じものだった。

 混乱の際に踏みつけられてボロボロの栄養バーを齧る。ペットボトルは圧に耐えきれず、フタが開いて潰れたものが大半だった。

 

 それらをチマチマと消費しながら、三日目。分かる範囲の死体は全て、一部を残すことが出来た。家庭科室にあった保存用のジッパーにそれらを入れて体育館のステージ上に残し、打ち捨てられていた、避難している人達のリストを横に添えた。

 

 今度は一日中地面を掘る。

 例の物置小屋からはシャベルが見つかったので、最初は一部を埋めようと思っていたが、予定を変更して、全て埋めることにしたのだ。


 時間を縛るものは何も無い今、睡眠時間もしっかりとれている。足りない物と言えば食料だろうが、栄養バーでも今の所は凌げていた。

 疲れにくい体になったのか、それとも単に疲れに鈍くなっただけなのか。

 ともかく、予想に反して短期間で、それなりの穴を掘る事が出来た。深さでなく、広さを重視したから、土がまだ柔らかい方だったことも関係しているかもしれない。


 後は死体をここへ運んで、土を被せてやるだけだ。

 

 言葉にするのは簡単だけれど、死体を運ぶのは結構な重労働だった。シャベルと一緒に古びたリヤカーを見つけたのは良いものの、最初は上手く運べず、死体を何度も地面へと落としてしまう。

 自分が死んだ後にこんな扱いを受けたら、と思うと申し訳なさでいっぱいだった。


 それでも埋葬を止める気にはなれなかったのは、やり遂げないと自分の中でしこりになって残り続けるだろうからだ。これから生きるとして、折に触れて死者の目を思い出すのは辛い。


 土を被せ、軽く押し固めたあと、ふぅ、と私は息をつく。額に滲んだ汗を拭って、白い雲が浮かぶ青空を見上げた。季節は冬から春へ。それも過ぎてもう夏への準備期間だろうか。

 とにかく冬服では少し重く感じる。体もベタついて気持ち悪かった。

 シャベルを横に置き、私はその場に座り込んだ。

 一日中動いても、埋葬にはかなりの日数がかかった。さらに掘った穴が浅かったせいか、軽く固めても地面はおうとつを作り、綺麗とは言えない。


 それでも体育館にあった死体は全てこの下に眠っている。


 私は彼らを、埋葬してあげられた。

 

 座り込んだ場所と、数センチ先の地面の色は違う。色の違う地面の下には、自警団と私のせいで死んでしまった人達がいる。


 汗が引いた私は、正座になって居住まいを正した。スネに砂利や小石がザラザラと当たって少し痛かった。


 けれど彼らの痛みに比べれば、こんなもの何の苦でもない。

 

 私は地面に手をつき、そっと彼らに頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 きっと、貴方は悪くないと言ってくれる人もいるだろう。あの状況なら仕方ないと。

 分かっている。不必要に自分を責めても意味は無い。頭では分かっていても、自分を責める気持ちは変わらなかった。


 ――だからこれは、ただの自己満足なのだ。ただ罪の意識を消したいだけの身勝手な行動だ。


 深く頭を下げ、目を閉じる。確かに胸のつかえは軽くなっていた。

 心の整理がついた所で体を起こし、今度は手を合わせた。


 傍から見ればこんな状況で馬鹿らしいだろうけれど、これでようやく、この学校に思い残すことは無くなったのだ。


 やっと、ゾンビに噛まれたというその人と行動しているだろう友人を、心置きなく探せる。

 

 埋葬をやり遂げて気が抜けたその瞬間、唐突にパンッと幾度も聞いた発砲音が聞こえた。それも三度立て続けに。

「っ、何!?」

 びくりと肩が跳ねるが、響いた発砲音はすぐ近くという訳じゃない。それでも発砲音というだけで恐ろしく、ざっと血の気が下がった。

 

 まさか自警団がまだ近くにいるのだろうか。

 恐怖を紛らわせるために立ち上がったまま、私はいや、と一つ頭を振る。

 近くに居たとしても、あいつらがここに戻ってくることはないはずだ。ここには自警団の求める食料も女もありはしない。

 ただ歩ける距離に他の生存者がいるかもしれない。それは自警団のように攻撃的か、友好的かは分からないけれど。


 私は保健室に戻り、少しの食料と銃をリュックに纏めた。リュックは学校に取り残されていた、通学用の大きくて丈夫なものだ。


 発砲音はさっきの一度きりだったが、ゾンビの絞るような唸り声が静寂を破り、外は一気に騒々しくなっていた。

 

 リュックを背負って校門が見える窓まで移動する。窓の下にしゃがみ、そっと外を覗けば、音の発信源へフラフラ移動するゾンビが校門の向こうに見えた。

 一体、二体と、どこに隠れていたのか、不規則な間隔を開けて通り過ぎる。


 私は爪を噛んで考えこむ。

 音の発信源へ行ってみるか、このまま嵐が過ぎるのを待つか。発砲した本人と会ってみる以前に、ゾンビが私を同類として襲いかかってこないかも気になるところだ。


 さっきから鬱陶しいくらいに、ゾンビどもの咆哮が響いている。頭の中にもわんわんと響く騒音に、私は意を決して、校舎の外に出た。

 

 ゾンビが私を食べ物として認識するかどうか、判別するなら校門で隔てられている今が良い機会だ。どうせもうすぐゾンビと対峙しなければいけなかったのだ。それなら安全な場所から確かめられる今しかない。

 


 昇降口すぐだと、ゾンビは見向きもしなかった。食べ物を目指している状態だと、視野は極端に狭まるのかもしれない。

 

 私はそろそろと校門に近づいていった。

 ちょうど間隔が開いて、通り過ぎようとするゾンビは一体だけだ。腕が異様に長く、動くたびに物のように揺れていた。首と肩の間から肉が覗いている以外は、体を損傷していない。

 私はある程度近づき、もしゾンビが校門を登ってきても、すぐに校内に逃げ込める距離で足を止めた。


 海音に宛てた手紙には、ゾンビは人の声に敏感だと書いてあった。同じ音量でも、人の声がした方へ動くと。


 そっと息を吸う。一緒に恐怖も押し込む。


 大丈夫、ゾンビどもがこの高さを登ってこれるなら、自警団がバリケードを施さないわけがない。


 私は、わっと声をあげた。萎縮して小さくもならなかったそれは、咆哮の間に短く響く。――反響が消えない内に、あちこちからゾンビの唸り声が聞こえた。


 でも目の前の、腕のだらんとしたゾンビは、私を一瞥しただけだった。数秒こちらを見やった後、興味を失ったように、顔を前に向け歩き始める。

 ほぅっと体から力が抜ける。


 やっぱり、私は同類なのだろう。

 

 ただ声だけでは判別できないらしい。門の前にゾンビが集まってきていた。呻き声も相当なものになっていくだろう。

 ゾンビに襲われないことが分かったとはいえ、聞いているだけで鳥肌の立つ唸り声はそれだけでストレスだ。

 いったん構内に戻ろうかと考えて――また、銃声が唐突に響いた。今度は一発、先程より大きく重い音に聞こえるのは、距離がさらに近くなったからか。

 

 銃を持ったその人はきっと、ゾンビに囲まれ始めている。


 皮が剥げ、血に塗れた肉と骨をさらすゾンビ達に。

 助けようかと、その思いが芽生えた時点で走り出さなければいけなかった。躊躇っていたらその人はすぐにでも噛みつかれてしまう。

 

 私は踵を返し、グラウンドへ向かった。周囲に張り巡らされた金網は一部開閉できるようになっている。校門よりゾンビは少ないはずだ。


 予想通り、ゾンビは少ない。


 扉を開けるのはどうしようもなく怖かったが、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる。

 いざとなれば銃を撃てば良い。あの手紙の通り残弾を確認したし、撃ち方も頭に入っている。


 一つ息をつき、私は走り出した。



 ゾンビの向かっている方向にひた走るが、あの一発の後、銃声は全く聞こえてこなかった。

 額に滲む汗を拭い、目の前のゾンビを追い抜こうとした、その瞬間。


 ガクン、と体が沈んだ。何かに足を取られた。何に。――人の手に。

 振り払ってと叫ぶ彼の声が耳に蘇る。

 そうだ、ここで立ち止まってはいられない。今度はゾンビだ、恐れることはない。


 けれど気づくべきだった。

 襲われないと確認したはずなのに、足を食われて地を這うゾンビは、私に手を伸ばした。その時点で、ゾンビは私の肉を噛みちぎるつもりでいたのだと。


 見た事のない体の内側。聞いた事のない湿った音。知らない痛み。

 叫び声は、勝手に口をついて出た。

「あぁああああああっ!!!」

 耳がカッと燃えるように熱くなる。叫んでいないと正気を保てそうになかった。

 怯えた情けない声を漏らしつつも、足を引き抜こうと、腕を伸ばし、地面を掻く。けれど上手く力も入らなければ、ゾンビが諦める様子もない。

「誰か、誰かっ……」

 虚しく響く声に、遠くのゾンビが反応したのだろうか、咆哮が高く上がる。喉の奥がくっと締まった。

 恐怖に堪らず叫びたかったのに、ゾンビが集まることを恐れてそれすら出来なかった。

 視界の端がチカチカとうるさい。速くなる呼吸はもはや吐いているのだか吸っているのだか分からなかった。それがまた頭の中を掻き乱す。


 ガチガチ震える歯の音と、自身の肉が咀嚼される音が混ざり、他の音がふっと遠ざかったその時。


「伏せろ!」


 ピンと張った声が耳朶を打った。言われた通りに慌てて伏せる。

 

 声は、女性のようだった。

 

 ふっと頭上を何かが通り過ぎる気配がした、その直後、鈍い音と共に体に衝撃が走った。

 助走をつけてゾンビを蹴り飛ばしたのだとは、後になってから気づいたことだった。

 ゾンビの顎が足から外れる拍子に、ブチッっとゴムを弾くような妙な音が聞こえた。拍子に、これまでとは比にならない凄まじい痛みが、足に、もはや体全体に感じられた。

 自分の絶叫が、耳を劈いた。痛みに再び混乱に陥る私の頭に優しく手が置かれる。

「しー、もう大丈夫よ」

「いたい、いたい、」

「うん。少し、我慢してねぇ」

 口の端から涎が垂れる。涙もぼとぼとと溢れて、顔はきっとぐちゃぐちゃだ。


 滲む視界の向こうで微笑む顔。詳しい顔立ちは良く分からないけれど、その目は真っ赤に光っているように見えた。

 その人は、私にハンカチに噛ませると、そのまま横抱きに抱えて歩き出した。

 ブラブラと揺れる足から、血が絶えず流れ出ていく。

 白いハンカチは、口を塞ぐよりも、止血のために使ってほしかった。体の芯が空っぽになっていく薄ら寒い感覚は、ぼやけていく思考のなかでは恐怖でしかない。


 そうして揺られていく内に、私の体力は尽きてしまったようで、いつの間にか意識はブツリと途絶えていた。

 




 気持ち悪い。

 喉の奥に何かつっかえているような気分だ。それを吐き出したいのに、そんな力は全くと言っていいほど出ない。体はふわふわと浮いているようで、とにかく頼りなかった。

 けれどそんな状態でも意識だけは覚醒してしまったのは、左足の痛みのせいだった。

 どうも左足は何か台に乗せられて、頭より高い位置にあるようだ。血が流れる感覚は無い。

「……起きたかしら?」

 その声に、ようやく重い瞼を持ち上げる。

 視界に広がったのは、知らない天井だった。木目の天井の中心には、四角い笠のついた電球がぶら下がっている。


「気分はどう?」

 先程よりもはっきりした意識で聞く声は、女性にしては低い。

 声の聞こえる方向へ目だけを動かす。

「ここ、は……」

 口内は酷く乾いていて、上顎に舌がひっつきそうだった。見上げた先の女性はにっこりと笑う。


 赤い眼が、きゅっと細くなった。薄明かりに照らされるその眼は、ぞっとする程綺麗に見えた。


「私の家だよ。起き上がれそう?」

 話している内に、体の感覚は戻ってきていた。腕を動かし、首を持ち上げて、なんとか体を起こそうとする。

 けれど少し体勢を変えただけで、猛烈な吐き気が襲ってきた。ぐるりと視界が回る感覚。

「あらら」

 ふらついた私の体を、女性は難なく受け止める。暖かい腕が背中に回される。

「水、飲む?」

 今飲んでも吐き出してしまいそうだ。けれど女性は返事も待たず、小さい急須のようなそれの飲み口を、私の口元にあてた。

 勝手に流れ込んでくる水は、どうしようもなく甘かった。吐き気も忘れて、流し込まれるまま飲む。


「……ありがとう」

「どういたしまして。このまま座っていられそうねぇ」

 いつの間にか背後に回り、体全体を支えてくれていた彼女は、私の重心が落ち着いたことを確認して離れた。


「あなた、ゾンビに食べられてたのよ。覚えてる?」

 のんびりした口調に、物腰柔らかな態度。本当にこの人が私を助けてくれたのだろうか。

 

「……お姉さん、の目」

 けれどそれよりも気になることはたくさんあった。ずっとずっと、目に灼きつく赤色が、彼女の和やかさを打ち消す異様だった。充血しているのではなく、虹彩が混じり気のない赤で染まっている。

 質問に答えない私に、彼女は怒らなかった。

「目が、どうかした?」

 彼女はただ不思議そうに小首を傾げる。さらりと白髪(はくはつ)が揺れた。

 まるで自分の異様さを自覚していないその行動。

「眼が、真っ赤だから」

 さっき水を飲んだのに、もう喉が渇いていた。

 彼女はまた、きゅっと目を細める。


 外に出ればゾンビに襲われ、無くなっていく食料に追い詰められるこの世界で、この人は随分と穏やかだ。

 それはゾンビの脅威に晒されていないからじゃないか。襲われる心配が無ければ外に出るのは簡単だ。付随して食料を探し出すのも楽だろう。


 そしてその脅威に晒されない理由は、あるとすれば。


 彼女は微笑んだまま、また少し首を傾げて言った。

 

「あなたとお揃い、ね」

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