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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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追憶 2

 彼の体がぐらりと傾いだ。暗視ゴーグルが床にぶつかって跳ねる硬い音。

 後ずさった私の腕を海音が引っ張る。


 放たれた銃弾が私の頭上を飛んだ。


 止める間もなく悲鳴が口をついて出る。海音が私の横に寄り添うように抱き留めた。

「いや、いや、いや」

 半狂乱で叫ぶのは、銃口を向けられた恐怖に抗うためだった。月明かりの向こうに見えるそいつは、銃口をこちらに向けつつ、身を屈めて倒れた彼から暗視ゴーグルをもぎ取る。


「や、」

 体が動かない、逃げなきゃと思うのに震えることしか出来ない。

 そいつは舌打ちをして、彼の体を蹴りつける。最後に無造作に頭を撃ち抜くと、今度こそ銃口をこちらに向けた。

 目を閉じることも出来ないでいると、不意に明るい光で照らされた。眩しさに目を細める。

 思わずといったふうに振り返ったそいつが、ぐぅっと唸った。ライトの光を暗視ゴーグルで直視したのだから、かなり痛いに違いない。

「先生!」

 海音が叫ぶ。助けに入ってくれたのは、どうやら担任らしかった。

 他にも数人がライトを点けたらしく、体育館に騒がしい光がチラついていることに気づいた。

「こっちに来なさい!」

 口汚い言葉を発しながら暗視ゴーグルを外そうともがいている男の横をすり抜け、先生の元へ急ぐ。

 途端に数人の大人が私達を囲み、壁際へと促した。顔を見る限り殆どが見知った先生達で、後は中年の、誰かの親らしき人達だった。

 その内の一人が、撃たれたのかもんどり打って倒れた。それなのに、誰もその人の名前すら呼ばない。ただ必死の形相で周囲を睨みつけている。


「走って!」

 ライトで先が照らされているお陰で、さっきよりはスムーズに走れた。

 呻き声がそこかしこから上がっている、地獄のような景色。ぬめる血が、踏みしめる度足を濡らす。

 いつの間にか頬に涙が伝っていた。


「入れ!」

 いつも明るい体育の先生が、聞いた事もない大声で怒鳴る。目の前には開かれた鉄扉があった。

 海音の腕を引いて、言われるがままに飛び込む。

「いや! ママ……っ」

 抵抗するように身を捩る彼女の体を、おばさんは突き飛ばした。よろけた彼女を受け止める。

 銃声はすぐ近く、明らかに私達を狙っていた。彼女に振り払われないようにきつく体を抱き締める。

 扉が音を立てて閉まっていく。隙間から避難用のリュックが投げ込まれたのを最後に、外の音が一気に遠のいた。

 けれど静寂も束の間に、幾つもの怒声と叫び、銃声が扉に容赦なく叩きつけられる。

 海音がその場に泣き崩れ、熱の篭った腕をそっと離す。

 上がった息を整えている内に、行き場のない怒りが体を突き動かした。扉に勢い良く拳を叩きつける。

「何よ、あんな、勝手に……!」

 もう手出しさせないっていう、約束だったじゃない。ゾンビになるなんて言って、同情を引くつもりだったの――――。

 カン、と甲高い音が耳を貫いて、びくっと体が跳ねた。弾丸が扉に当たったのだ。受け止めた扉がこちら側に膨らむ。

 その衝撃に憤懣はするりと抜け落ちた。呆然と目の前を見つめる。

 この扉一枚を隔てて、向こう側には惨劇が繰り広げられている。無意味な蹂躙が無差別に誰かを襲っている。

 内に籠る音は海音のすすり泣きと私の鼓動だけ。


 平静を取り戻し始めた頭に首をもたげたのは、嫌な可能性だった。

 もし、彼がゾンビに噛まれたというのが、私と行為をする前だったら。


 ドロドロした皮膚を纏う自分が、脳裏に浮かぶ。おちくぼんだ目が、涎を垂れ流す口が、今にも彼女に襲い掛からんとしている。

 

 外の喧騒は未だ止まない。


 私はばっと扉に取り付いて、取手に手を掛けた。

 扉を揺するが、ガチャガチャと無意味な騒音を響かせるだけで開く気配は無い。

 鍵が掛けられたのだ。内側からは開けられない。


「嫌よ、」


 理性を失って、人じゃない何かに成り果てて、友達を貪るなんて。


「開けて! お願い、誰か!」


 泣けど喚けど、扉の向こうからの返事は来ない。当たり前だ、外の叫喚に比べればこんな声など囁く程度にもならない。扉を叩いても同じこと。

 

 息が切れるまで扉を叩いて、声も嗄れた頃。


「真美」

 小さな、少し怯えた声が聞こえた。

 ハッとして友人の元へにじり寄る。暗闇に漸く慣れた目がぼんやりと友人の輪郭を捉えていた。

「海音、大丈夫」

 肩の辺りに手を伸ばせば、柔らかい何かが触れた。海音の手だ。

 その手を握り込み、引き寄せる。

「真美、」

 糸が切れたように、彼女は泣き出した。

 

 彼女の背中には熱が篭っていたし、私の体も熱かったからその時は寒さも耐えられた。

 けれど苦痛の日々はすぐに始まった。

 相手の顔も見えにくい暗闇に、体の芯にくる冷たさ。マットを敷いて二人でどうにか耐え忍ぶけれど、体を温めるためのエネルギーさえ取れないのだから、寒さが日に日に堪えるようになる。

 飲み水はペットボトル二本、食べ物は栄養バー数本。投げ込まれた二つのリュックにそれぞれ入っていたのはこれだけ。避難用のリュックは一人一つ、絶対に持つものだったから、あの騒ぎでも足元を見ればすぐに見つかったのだろう。

 水が一人二本ずつあるのはありがたいけれど、すぐに空になるのは明白だ。

 同時に目に見えて体は衰弱していく。常の空腹はいつの間にか痛みに変わり、髪の毛は細く、よく抜けるようになった。


 最初は恐ろしかった。絶対に来る終わりを感じては気が狂いそうだった。

 それでも寄り添う友人の温もりが、随分と気持ちを落ち着けてくれる。同時に傷つけたくない思いも膨れ上がった。

 もし感染していたら。


 なんだかやけに喉が渇くのだ。






 ガラリと保健室の扉を開け放つ。何の抵抗もなく開いたそれに、心臓は期待に高鳴った。

「海音!」

 ぱっと飛び込んできた室内は――カーテンを閉め切って薄暗く、しんと静まり返っていた。

 あぁ、と俯く。私が眠っているのだか死んでいるのだか分からない間、友人には何があったのだろう。

 せめて生死さえ分かれば。

 弾んだ息を整えるため、私は保健室のベッドに腰掛けた。

 汗で髪が張り付いてうざったい。後頭部のほうから手ぐしで髪を梳けば、すっと首筋に空気が触れた。

 しばらくぼんやりしていたが、私はなんとか立ち上がった。落ち着いて目をやれば、ベッド脇の小さなテーブルには溶けたろうそくがあり、確かに人が居たらしいことが分かった。

 そういえばベッドも、ほこりはあまり被っていないようだ。

 隅に置かれたダンボール箱があったので、開けてみれば、中には汚れたタオルが入っていた。濃い茶色のシミは、きっと血だろう。出血を止めるためというよりは、拭うために使ったらしい。それも軽くたたまれ、使った人の几帳面さが伺えた。隣には銃弾が描かれた箱が詰められている。

 正直銃のことは何も知らないから、もし中身があったとしても、今持っているものに対応した銃弾かは分からない。

 とりあえず持ち上げてみると、銃弾が入っているとは思えない軽さだった。何か入ってはいるのか、持ち上げた拍子にからりと音がした。


 開けてみれば、四つ折りにされた紙が入っていた。四、五枚ほどの厚さがあるようだが、説明書か何かかと少し期待して紙を広げる。

 けれど四つ折りの紙は、開くと手の中でばらけた。手書きらしいメモが目に入る。簡略化された銃も描かれているそれは、形は違えど、期待していたものとそう大差ないだろう。

 

 一体誰が、誰に宛てて書いたものなのか。

 気になりながらも、中身をさっと斜め読みしていく。

 銃の撃ち方、弾の込め方、整備のやり方まで、丁寧に書かれている。これさえあれば、この拳銃はなんとか扱えるようになりそうだった。壊れていなければ。

 さらにナイフに関しても色々と書いてあるが、持っていないので今は必要ない。

 名も知らぬ誰かに感謝しつつ、紙を後ろにおくる。

 最後の紙は文字ばかりか、と一番上の行に目を落として、目をみはる。

 滑り落ちそうになる言葉を必死に掴まえて、何度も何度もその部分を読み込んだ。

 つん、と鼻の奥が痛くなる。

 

 海音へ、と書き出されたその手紙が、何を意味するのか。

 それを正確にするためにも、私は一呼吸置いて、文字を追い始めた。

 書き始めは、もし、と仮定からだった。

  

 ――もしこの手紙を読んでいるなら、俺はもう帰ってこないだろう。突然で悪いが、きっと感染者になっているだろうから、探さなくてもいい。


 淡白さも感じる、簡潔な文章。けれど色んな可能性が頭を巡る。

 私は唇を噛んで、その先を読み進めた。


 ――食料はお前だけなら二ヶ月程度もつ。銃は他の紙に書いてある通りに使うこと。それから


 それから、感染者のことがつらつらと書かれていた。どこを狙えばいいのか、その生態、特徴について。

 ニュースでは全く触れられていなかった部分だった。

 それなのに、書き手はどうしてそんなことを知っているのだろう。


 ――桜木製薬は、感染症の研究が一番進んでいたらしいから、行けばワクチンが手に入るかもしれない。


 桜木製薬は、一応聞いたことはある名だ。けれど感染症の研究が一番進んでいたなんてことは、聞いたことがない。

 手紙の最後には、その桜木製薬会社の住所が書いてあるようだ。二箇所、一方はここからほど近く、もう一方は茨城らしい。


 ――感染した身で勝手に助けたくせに、最後まで面倒を見てやれなくてすまない。


 もう手紙も終盤だった。何故か次の行からは、少し筆圧が濃く、線が太くなっていた。書いた日が違うのだろうか。


 ――身勝手なことだと思うが、海音は生きていてくれ。恨んでくれてもいいから、生き延びて、助かってほしい。


 私は笑おうとして、笑えなかった。

 私以外にも、海音の生を願った人が居て、経緯は分からないけど、おそらくこの人が彼女を助けたのだ。

 だから、海音は生きているかもしれない。

 言いきれないのは、ここに手紙があるからだ。今ここで私が読んでいるからこそ、生きているかもしれないし、……死んでいるかもしれない。

 書いた人が本当に感染者になって、海音は生き延びたとして、この手紙を置いていくことはないだろう。

 手紙を置いて、この学校に誰も居ないとなれば、それは二人揃ってここを出たか、考えたくはないが、二人とも死んでしまったか。

 もしくは揃ってどこか――例えば桜木製薬所――を目指していたとして、その先で手紙の主が理性を失っていたら。


 私は机に手を置いてしゃがみ込んだ。


 海音は本当に、運が悪い。

 ゾンビ予備軍と閉じ込められて、助けられたかと思えばまた同じように感染したらしい人と行動を共にしている。


 ――探さないと。


 強い衝動が喉に込み上げる。


 母さんは死んで、挙げられる身近な人は皆もういないだろう。自分も死んだようなものだから、この先をぼんやり考えていた。

 でもここまではっきりと、海音が居たことを示されては、諦めきれない。


 それに海音がこの手紙を読んでいないのなら、手紙の主と一緒に行動することが危険だと知らないだろう。今は大丈夫かもしれないけれど、いつ理性を失うか分からないのだ。


 探そう。どれだけ長くかかろうが、諦めがつくまで挫けない。


 きっとこの世界で唯一生きている知人へ宛てたその手紙を、大切にポケットに入れ、私は立ち上がった。

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