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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
58/99

追憶

 「……は?」

 意図せず低い声が出た。思わず目の前の相手を睨みつける。

「だから、もう終わりなんだって。鹿嶋さんは二日後にはここを出てく」

 女子供は捨て置いて。奪える物は奪えるだけ奪ってから。

 あまりに非道なその計画に、私は絶句する。

 その様子を怯えているととってか、同じクラスだった男子は慌てた様子で付け加えた。

「大丈夫、真美はもう連れて行ける。鹿嶋さんも知ってるから。お母さんは難しいかもしれないけど、」

「そんな心配してない」

 大声を出しそうになるのをぐっと堪え、喉の奥から絞り出すように相手の話を遮った。

 ここは校門の前だ。大声を出せば奴らに気付かれる。

「あんた、それに賛成したの」

「そうだけど……だからお前に全部教えてるんじゃん。誰か誘うなら今の内だよ。戸倉とか、友達居るだろ」

「……」

 ――お前はその代償に何を払わせるか分かった上で言ってるのか。

 またしても激情が身のうちに籠る。


「何もしないのなら、いいけど」

 無理だろうなと思いつつ、感情を押し殺して相手に言う。

「無理だよ」

 案の定、彼は不満そうな顔をした。少し子供っぽい、駄々を捏ねるような雰囲気。

「鹿嶋さんは役に立たない人間は連れて行かないって言ってた。連れて行こうとした人間も同じだって言うんだから、俺まで置いてかれるよ」

 自分が置いていかれるのは嫌なくせに、他人を置いていくのは平気なのか。

 もはや怒りを通り越して呆れてしまう。学校で会っていた頃の彼はもっと他人のことを気遣える人間だと思っていたけど、環境は人を変えるみたいだ。


「な、戸倉も誘ってあげるよ。大人はともかく俺達ぐらいの奴らならそこまで酷いことしないし。だから、真美も一緒に行こう」

 熱心なお誘いを、私は軽蔑の視線と共に断る。

「嫌。絶対に行かないわ。あんた達と離れられるんだから。……もう二度とその話をしないで」

 きっぱりと断ると、目に見えて彼の機嫌が悪くなった。その態度にまた私はため息をつきたくなる。

「…………いいんだね。それで。俺はもう、知らないよ」

 苦し紛れに吐き捨てる彼に、私は再度頷いた。脅しているつもりだろうか。けれどもう彼に言うことは無い。

 その場に重苦しい沈黙が落ちる。

「私、もう行くから」

 そう言ってくるりと踵を返そうとすると、腕を掴んで引き寄せられた。

「何のつもり」

 横目で彼を睨みつけるが、返事はない。その事を訝しがりながらも腕を振り払う。

「…………最後に、一回だけ」

 意を決したにしては昏い表情で、彼は私と目を合わせずに言う。

 ちゃんとゴムはするから、と付け加えられたものにぞっと鳥肌が立った。まるでそれが免罪符かのように言うのだから、彼は充分あの屑どもに染まっている。

「最後に、ね」

 あんたにくれる餞別なんて一つも無いけれど。

 今までは体を触られるだけだったけど、お別れに最後までやりたいらしい。


「私にとっての最後がそれなの?」

 ふっと嘲ると、彼は顔を上げて、首を横に振った。

「何が違うの? 男手が居なくなった私達が生き残れると思う?」

 無理とまでは言わない。ただ誰かさんのせいで精神もボロボロの私達が、見捨てられ、その上食料も持っていかれたとなれば、生きる気力は残るだろうか。

 黙り込んだ彼に、私はため息をついた。

「そんなにしたいなら、どうぞ。でもその後は誰にも手を出さないで」

 彼は眉を寄せ、今にも泣きそうな顔で私に抱きついた。

「約束するよ」

 耳元で囁かれたそれは、多少は信じられそうだった。




 今日か、と朝起きたときに何の感情も無く思った。

 あの日以降、確かに暴行はぱたりと止んだ。母さんは少しほっとしていたようだけど、私はその嫌な静けさに身を置くのが、もう耐えきれなくなっていた。

 もう終わりだ。その思いが口を軽くした。


「……ねぇ、最近自警団に同級生が増えたよね」

 一つ一つ、ヒントを与えるように。

「食料が減ってるのは皆知ってると思うけど」

 或いは何も知らない彼女を、嬲るように。

 どういうこと、と怒りを滲ませる彼女に告げる。もう、私達に未来は無い。

「……見限るための準備をしている可能性だってある」

 加虐心を努めて出さないように気を付けて、最後の言葉を吐き出す。

 友人がはっと息をのむのが分かった。


「パパも、かな……」


 震え、今にも泣き出しそうな彼女の声に、ぱっと加虐心は消え去った。代わりに激しい後悔が胸を苛む。

 そうだ、彼女の父親は自警団に入っている。だからこそ、自警団の内情には詳しいと思うだろうけど、おそらく情報を流す人を選んでいるのだろう。彼女の父親は計画のことは何一つ聞かされていないようだ。


 なんて煩わしい結束。早く崩れてしまえば良いのに。

 けれどそんなふうに呪っても、自警団によって終わりはもたらされる。


 食事を届けに行ったとき、海音が見張り番をしていた同級生に手伝うように言われた。それが何を意味するのか分かって、すぐに私も手伝うと言ったけど、相手が地面に置いた銃に手を伸ばしたのを見て、思わず口を噤んだ。

 もう何もしないと言ったのに、どうしてこんな直前になって。

 ふつふつと腹の底から怒りが沸くのを感じながら、一方で迷ってもいた。

 もし海音が自警団につく決心をしたのなら。

 少なくとも私達は生き残れる。どれだけ酷い目に遭うかを考えると、ぞっと竦むけど、それでも二人ならきっと何とかなる。


 人がぎゅうぎゅう詰めの体育館に戻って、海音が扉をするりとくぐる、その背中を見つめる。


 ぎゅっと唇を噛んだ。嫌な記憶を思い起こしてしまうのを止めたかった。

 私が今、知らない振りをしていれば、この先も海音と居られるかもしれない。


 海音が、泣き叫んで、その身を犯されれば。


 ひゅ、と息を飲む。弾かれたように立ち上がって駆け出した。

「一人でどこ行くの!」

 母さんがヒステリック気味に叫ぶ。こんな状況なのに、よく一人行動をする私が心配で仕方なかったのか、母さんは以前よりも怒りやすかった。

 一瞬だけ振り向いて、心配そうに眉を寄せたその顔を見る。

「海音のところに行ってくるね、」

 バイバイ、母さん。

 それだけはどうしても言いたくなくて、涙を堪えて前を見据えた。母さんが追ってくる気配は無い。


 体育館に四つある出入り口には、それぞれ自警団が一人ずつ立って見張りをしている。不用意に出られれば、自分達の悪行がバレるかもしれないからだ。

 私は出入り口にさっと視線をやる。

「おじさん!」

 寝床確保の為に足の幅程度しか無い通路を走り抜け、出口に立つ海音のお父さんの元へ急ぐ。

「真美ちゃん、どうかした?」

 海音に良く似た目を見開いて、彼は驚いていた。

 いつ感染者が来るとも知れない今、大声を出すのはご法度だった。それなのに私が体育館に響く程の声を出したものだから、驚いて当然だろう。

 当然周りの視線も集まるけど、そんな事は気にしていられない。

「海音が呼び出されたんです! 今すぐ行かないと!」

 場所は知っている。海音が向かってから数分と経っていない。まだ、まだ間に合うはずだ。

「早く! こっちです!」

 おじさんの目にキツい光が宿った。彼は娘に

何をされるかすぐに理解したのだ。

 だからそれ以上のことは何も言わず、私は海音が指示された場所へ足を向ける。


 外に出ると刺すような冷気が頬に触れた。

 迷いなく体育館の裏手にまわる。人の声が風に乗って聞こえてきた。

 間違いない、海音はそこに居る。

 ほっとしたのも束の間、力いっぱい上げただろうくぐもった叫びが微かに聞こえる。

 おじさんにもその叫びはしっかり届いたらしい。ぱっと駆け出したその背中に倣う。

 数人の男共と、――組み敷かれている友人の白い足。


 私より先に海音に近付いたおじさんは転がる大ぶりな石を拾いあげ、馬乗りになっている男の頭を殴りつけた。鈍い音と共に、勢いのまま男は地面に倒れる。


「海音!」


 海音が億劫そうに身を起こす。この短時間で、まるで憔悴してしまったようだった。ほつれた髪に、頬には涙の跡。私を認めて、その跡をなぞるように水滴が落ちる。

 心臓がぎゅっと掴まれたみたいに痛い。私は彼女のこんな姿を望んだのだ。自分の身勝手な願いで。


 おじさんが倒れた男には目もくれず、鹿嶋に向かっていく。

 その隙に私は海音を抱えるようにして立たせ、体育館へと戻る。どこか痛いのか、堪えるように顔をしかめている彼女を見ると、謝りたくてたまらなかった。


 けれど悩む間もなく体育館に着いてしまう。顔面蒼白で入り口に立っていた海音のお母さんはそれでもしっかりと海音を見ていて、何も言わなくても彼女がどこを痛めているかを見抜いた。

「湿布を取ってくるから、真美ちゃん、お願いね」

 それだけ言うと、私の返事も構わずおばさんは背中を向けて行ってしまった。


 謝るなら、今しかない。それでも口を開けば、一緒にここを出ようと言ってしまいそうで怖かった。


 海音、ごめんね、ごめん。


 罪滅ぼしのように、震えて横たわる彼女をさする。


 

 終わりは、乾いた銃声を合図に始まった。


 銃声を聞きつけた人々のざわめきを鬱陶しがるように、体育館内にも発砲音が響き始めた。音がなる度パッとどこかが光って、悲鳴がこだまする。

 一気に阿鼻叫喚の様相を呈した体育館で、私達は立ち上がることすら出来ない。

「真美――――!」

 悲鳴のような、絶叫のような母の声が、やけにくっきりと聞こえた。

 時折散る火花しか光源が無い暗闇で、私は覚束無い動作で立ち上がる。

「真美! こっちだ!」

 思わず伸ばした手を、硬い手のひらが掴まえた。手を引っ込めようにも、相手の力が強すぎて解くことすらできない。

「あんた、」

 聞き覚えのある声に目を見開くと、今度は耳元で声がした。

「戸倉にも着いてくるように言って」

 ぱっと海音が居るはずの方向を向く。ふっと風が頬を撫でた。と思ったその瞬間にすぐ近くで銃声が耳を劈く。私の後ろに居た誰かを撃ったのだ。

 光った一瞬でうっすら見えた彼は、物々しいゴーグルを身につけていた。きっと暗視ゴーグルだ。

「海音、私の手掴んで! おばさんも着いてこれるように!!」

 掴んだ瞬間に、彼に強い力で引っ張られた。それに任せて私も走り出す。床には倒れ伏した人や、流れる血が凹凸を作っていた。それに足を取られないように、必死に走る。

「どうして……っ」

 切れる息に混じらないように、声をできるだけ張り上げる。

 彼が振り向いたのが、なんとなく分かった。

「……ごめんって、お前に伝えたかったから! 俺はもう、ずっと前に噛まれてっ。死ぬんだ、ゾンビに、なるんだ、だから、その前に、……っ」

 彼もまた、叫ぶようにして荒い息の間から答えてくれた。

「なに、それ」

 呆然と呟く。止まりかけた足は、力強い腕に引っ張られて勝手に歩を進める。


 海音が戸惑ったように握る手を緩めたのを、強く握りしめた。

 ぎゅっと唇を噛んだ。


 謝りたかったって、今更。

 急に良い人ぶって、勝手にもう死ぬのだと。


 悔しいような、行き場のない怒りがぐるぐると頭を巡る。

 私の体を好き勝手しておきながら、約束を破っておきながら、許されようだなんて、虫が良すぎる。


「出口だっ」


 彼がまた発砲する。その衝撃が腕から伝わって指先がひりついた。

 きっと後一歩なのだろう。その急いた雰囲気に希望を見出す。

 

 顔も見えないのに、海音を振り返ろうとした、その時だった。

 誰かに足首を掴まれて、前のめりに体勢を崩す。靴下越しにも伝わるぬるっとした感触に、背筋に寒気が走った。

「足を掴まれた!」

「振り払って!」

 手を引かれて、引きずるように立ち上がる。

 けれど足首を掴んだ手を振り払おうにも、ぎちぎちと骨が軋みそうな程に力強く握ってくる。

「……たすけて、たすけ」

 助けを乞うその人は更に足元に縋り付く。掠れた声が這い登ってくるのにゾッと鳥肌が立つ。

「ぃたい、頼むから、俺もつれていっ」

 パン、と体のすぐ側を銃弾が通る。同時に声は途切れた。銃声に跳ねた体がずるりと力を失って倒れる。

 海音が後ろで小さく悲鳴を上げた。繋いだ手に生暖かい血が飛び散ったのだ。

 膝の力が抜けて足がガクガク震えた。今絶え間なく響いている音は、その度にこんなふうに誰かを殺している。


 そしてその中に、きっと母さんも居るのだ。


「行くぞ!!」

 錯乱したように叫び声を上げそうになって、けれど彼の叱咤で我にかえる。

 必死に足を動かすと、数歩で彼は立ち止まった。銃と扉が触れ合う微かな音が叫喚の合間にやけに大きく響く。

「もう外に、出れるから」

 私の手を離し、全身を使って扉を開けようとしているらしい。力を溜めるように詰まった声の後、重い鉄扉が軋んだ。

 僅かに開いた扉から、月明かりが差し込む。

 私も手伝おうと取っ手に手を掛け、全身に力を込めた。

 

 瞬間、目の前で火花が散る。

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