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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
54/99

居場所を求めるもの

 屋上での食事は、なんにせよ皆にとって良い気分転換になったようで、賑やかさは無いものの、和やかな雰囲気だった。

 早々に食べ終えて暇になった俺は、ダンボールの中身を整理し始める。缶詰を積んだり、袋を立てて入れたりして後で数えやすいように整えた。そう数も無いから、すぐに終わったけど、その間にも食べ終えた人がぽつぽつ出て、用意していたゴミ袋に割り箸やら使い捨てのお皿を放りこんでいく。

 そのついでか、去り際にお礼を言ってくれる人も居て、俺は笑顔で答える。探索の時に感じた憂鬱さが、少し救われるような気がした。

 戸倉さんもジェイドさんにご飯を作るために帰って、後は三ノ輪さんや蛍さんが片付け要員として残ったあたりで、俺は漸く、悠銀と目を合わせた。

「……何で居るわけ」

 不機嫌さを全面に押し出すと、悠銀は戸惑う様子で目を逸らす。

「僕は」

 悠銀は小さく呟いて、それきり黙り込んでしまう。何を言いたいのかは何となく予想がついた。けど助け舟を出す気は無かった。

「悠銀、用が無いなら部屋に戻ったら?」

 びくっと彼の肩が震えた。瞳が泣きそうに歪む。

「秋、僕は……」

 八木さんと違って彼を許す気になれないのは、きっと何度も裏切られてきたからだ。

 もう何ヶ月もピアスを付けていないのに、未だに塞がらない穴を指で弄ぶ。これを開けられた時も悠銀は黙って見ていた。

 腕に長く出来た傷痕は、自警団を抜けようとして見せしめに付けられたものだ。――悠銀は直前の問答で見せしめにされることを悟って、すぐに首を横に振った。そうして嬲られる俺を、あいつはどんな気持ちで見ていたのか。

 最後には、俺の為だと言いながら拘束して、大切なものを踏みにじろうとした。もう二度とそちら側には付かないと、分からない筈がなかったのに。

 あの二人が、そんなに大切かと。歪んだ表情で聞いてきたのなら、もう分かってるだろう。


 溢れそうな怨嗟を、大きく息を吐くことで押し留める。

 悠銀を真っ直ぐに見つめた。

「俺はもう裏切られるのは嫌だよ。これから悠銀を信用することもないから」

 悠銀の目が、恐れるようにこちらを見た。

「そんな、…………ごめん、秋」

 急かされるように出たその言葉を俺は嘲笑う。

「別に無視するって訳じゃないじゃん。話も必要ならするし。ただ悠銀を信用しないだけ」

 友達としての期待をかけないだけ。

「俺はもう傷付きたくない。分かるでしょ」

 悠銀の目に涙の膜が張る。何か言いかけて、それからまた止めた。肩の力を抜いて、涙を堪えるように唇を結んでいる。

「……もう良い?」

 反応の無い悠銀から視線を外し、ゴミ袋を持ち上げる。

 立ち尽くす彼の横を通り抜け、最後まで何も言わなかったことに唇を噛む。じくじく痛む胸の底を悟られないように、自然と歩調が早くなった。

 ゴミを回収して埋め立ててくれる人はもう居ない。だからこのゴミ袋は外に放置するだけになるけど、部屋に虫が湧かなければそれでいい。

 早歩きから小走りに、階段を駆け下りる。


 一生を掛けてでも償うと決めたのだ。たとえ埋まらない溝がどれだけ深くても、越えられなくても。それは絶対に揺らがない。

 おまじないのようにそれを繰り返し続けて、ただ階段を降りていくと、いつの間にか後ろから足音がすることに気が付いた。

 悠銀か、と思って、振り返ることもせずまた一息に階段を降りる。

「――待てよ、白樺」

 声が掛けられたのは、丁度踊り場に立った時だった。その声に、ほっと肩の力を抜く。悠銀が追ってくるよりか何倍も良い。

「八木さん、どしたの」

 振り返ると、眉間に深く皺を寄せた八木さんが居る。

「どうしたのって……お前こそどうしたんだよ? あいつは友達なんだろ? 喧嘩したのか」

 言われてくっと喉が締まった。もう友達じゃない。喧嘩なんてする訳もない。

「……違う。八木さん、あいつはもう友達でもない」

 確かに、今度こそ友達としてのあいつとは決別した。

「……お前、せっかく人が気ぃ回してあいつも連れてきたのに、」

 ぱっと顔を上げる。

「八木さんが、悠銀を連れてきたの?」

「? おう。仲良かっただろあいつと」

 ぎり、と奥歯を噛み締める。八木さんが善意で動いてくれたことは分かるから、なんとか罵倒を飲み込めた。それでも余計なことをしてくれたと、恨むような気持ちになる。

「八木さん。俺はあいつに酷い目に合わされてきた。だからもう友達でもなんでもない。気を遣ってもらって悪いけど」

 八木さんは納得いかない様子で渋面を浮かべていた。その表情からこの人は俺と悠銀がただ子供の喧嘩をしただけと思っているのが分かる。

 だから八木さんが口を開く前に、言葉を重ねた。

「悠銀は戸倉さんとジェイドさんのこと、どうでも良いと思ってる。あの二人のことを否定したんだよ。その時点でもう、分かり合えないって分かっちゃった」

 二人の否定はそのまま俺への否定だ。今の俺を保たせているのは、あの二人以外の誰でもない。それなのに悠銀自身が俺の全てだと勘違いして押し付けた。それが友達なら、さっさと離れる以外の選択肢は無い。

「もう仲直りするつもりも無いよ」

 未だに渋面を浮かべる八木さんに付け加える。それからふと、彼が何故こんなに納得のいかない顔をしているのか気づいた。

 ジェイドさんと俺と、重ねているのかもしれない。八木さんは悠銀の気持ちが分かる側だ。だから納得がいかないというよりは、落ち着かないのだろう。俺が八木さんと同じ立場の悠銀を許さないと、自分も許されてはいけなかった気がするんだ。

「そう、か」

「うん。でも無駄に虐めるようなこともしないし、あっちが何かしてこない限り動くつもりは無いよ」

 だから安心して、と話を切り上げる。もう話したくない事は伝わったのか、八木さんは諦めた様子で口を閉じた。

「それじゃ俺はゴミ捨ててくるから。八木さんは……あ、やっぱ一緒に行こうか? 戸倉さんのとこ行くよね」

 調達に出る前の会話を思い出す。八木さんもそれを意識していたのだろう、特に表情は変わらない。

「俺は、……一人で行く。あいつの部屋は?」

「今はジェイドさんのとこに居ると思うよ」 

 それから少し思考して、やっぱり何号室かを伝えた。

 八木さんが戸倉さんに危害を加える可能性を考えなかったと言えば嘘になる。ジェイドさんと一緒だと伝えても、怪我をしている状態の彼を見て好機と捉えるかもしれない。今度こそ復讐を、なんて考えることもあるだろう。

 疑うにも今更だけど、自分にとって都合の良いシチュエーションになればどうなるか。


「八木さん、信じてるからね」

 真っ直ぐ見つめると、八木さんは何も気負わない風で頷いた。

 その様子に、これは分かってないな、と俺は小さく苦笑する。多分、謝るかどうかの話だと思ってるんだろう。

 けど分かってないなら俺の心配も無駄になりそうだ。

 ゴミ袋を軽く揺すり、しっかり握り直す。

「頑張って」


 ロビーまで降りて、例の裏口からポンと放り出す。明日か明後日か、次の調達の時にもう少し遠くで捨てるつもりだ。

 それから蛍さんを探してドアを叩いた。

「はぁい。秋くん、何か御用?」

「暇になったから。金井さんのことも聞きたいし、不知火さんのことで何か手伝うことありません?」

 蛍さんは腕を切り落とした不知火さんを看ている。不知火さんはすぐ止血したとは言えジェイドさんよりも出血量は多かっただろうし、今は彼が一番重傷かもしれない。

「ありがとう。じゃあ入ってちょうだい」

 蛍さんはにこりと笑って俺を招き入れた。その向こうにはやっぱり疲れが見える。

「来てくれたのは嬉しいけれど、実は特にすることもないのよねぇ。不知火さん、秋くんよ」

 窓のすぐ側の壁に頭側をくっ付けた布団は、不知火さんが背を預けて楽に座れるようにするためだろう。

「白樺くんか」

 敷布団の上で体を起こしていた不知火さんは青白い顔をしながらも、俺を見上げて微かに笑ってくれる。

「食べ物を、取りに行ってくれたんだって?」

 口を開くのも億劫そうだった。痛みを我慢しているからか、声は酷く硬く、聞いているこちらが辛くなる程だった。

 俺は膝をついて不知火さんと目を合わせる。

「大して集められなかったけどね」

 不知火さんは微笑を浮かべたまま、首を横に振った。その一動作でさえ緩慢だ。

「ありがとう」

「……不知火さんもうご飯食べた?」

「あぁ、美味しかったよ」

 それを聞いて俺はほっと頬を緩めた。

 ご飯を食べられるなら回復の見込みはあるはずだ。

「俺また食べ物見つけてくるからさ、早く治そうね」

 不知火さんが自分の右側にちらりと目をやった。服の袖がくたりと潰れて垂れている。

 切り落とした腕は今頃感染者の腹の中で、回収出来ていたとしても、くっつける事は叶わないだろう。もちろん腕が生えてくることももうない。

 不知火さんはもう無い右腕を一瞥した後、束の間黙り込んだ。

 あぁ、間違えた。腕がもう戻らない、治らないことなんて本人が一番良く分かっている。俺が体調の事を指していても本人の捉え方は違う。体調の事だと気付いても、一瞬の痛みは消えない。

 沈黙に耐えられずまた口を開こうとすると、不知火さんが暗い表情で呟いた。

「……僕は、ここに居ても良いんだろうか」

 俺ははっと目を見開いた。咳き込む金井さんの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。

 今の不知火さんにも、自ら命を断ってしまいそうな危うい雰囲気があった。

「どうしてそんなことを……」

 蛍さんも同じような気配を感じたらしい、顔をくもらせ、不知火さんを心配そうに見やる。

「僕は、もう何もできない。利き手を失ったんだ、平時ならまだ、いいけど」

 そこまで言って苦しげに顔を歪める。左腕で右肩をぎゅっと掴んで、何かを堪えているようだった。

 途切れた言葉の続きを想像するのは容易だ。

 利き手を失うのは、この世界ではもはや生死に関わる。グループにいれば援助は受けられるが、立ち位置は言ってしまえば穀潰しだ。

 以前の世界よりも深刻なそれは、グループからの排斥も容易にする。

 不知火さんはきっと、自分の居場所を失ったような心地がしているんだろう。

 

「……ごめん。ちょっと、参ってるみたいだ」

 どう声を掛ければその不安を拭えるだろうと考えていると、不知火さんはそれを困惑と捉えたのか、話を切り上げようとしてしまう。

「でも」

 慌てて口を開きかけるが、不知火さんの顔色がさっきよりも悪い事に気がついて押し留まる。

「不知火さん、まだ横になっていた方が良いんじゃないかしら……」

「そう、だね」

 蛍さんに促されて、不知火さんは顔を顰めつつ、ぎこちない動作で布団に入った。それだけの動きで、彼の息は上がっていた。

「お水はここに。私達は少し外に出るから、ゆっくり休んでください」

 蛍さんが枕元に蓋が付いたコップを置く。横になった不知火さんは軽く頷いて、すぐに目を閉じた。

 蛍さんに目で促されて、俺は出来るだけ静かに部屋を出る。

「さ、金井くんのところ行きましょうか」

 振り返った蛍さんに、俺は虚をつかれて瞬く。金井さんの状態を知りたいとは言ったけど、会いたいとは言ってないはずだ。

「けど金井さん、あまり誰かと会うのは負担にならない?」

 今度は蛍さんがきょとんとして、それからくしゃりと破顔した。

「何、遠慮してるの?」

 俺は何故笑われるのか分からなくて、むっと口を尖らせる。

 だって俺は三ノ輪さん程仲良くもないし、少し前に何も出来ないと気付いたばかりなのだ。金井さんが思い詰めていることに気付けなかったのも、金井さんにとって俺が胸の内を明かす相手ではなかったからだろう。

 不用意な言葉を掛けて消耗させるのは嫌だった。

 束の間の沈黙の後、蛍さんがやけに軽い調子でまくし立てた。

「やだ、秋くんまで暗い顔して! こういう時はねーぇ、図々しく会って話し相手になるのよ。落ち込む隙なんて与えない! っていう気持ちでね」

 明るく揶揄うような声音の割に、確かに俺を案じる気配があった。ばん、と背筋を強く叩かれた気分で、俺は顔を上げる。

「まずはいつも通りの秋くんで。金井くんが一人になりたいって言わない限り、孤立させないようにしましょ?」

 蛍さんが軽く首を傾げてみせる。

 孤立させないように。俺は今まで金井さんには一人の時間が必要だろうと思っていた。でもそれでは逆に金井さんと俺達を隔絶してしまうことになる。

 そんなこと、俺は望んでいない。

 今も蛍さんがいてくれたお陰で、暗くなった思考を持ち直せた。同じことが俺にも出来るかは分からないけど、誰かと話すだけで気分が明るくなる時もあるんだと分かった。

 本当はまた言葉を間違えるんじゃないかと怖かったけど、俺は蛍さんに向かってしっかりと頷いてみせた。

 

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