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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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君の選択

 屋上には既にほぼ全員が揃っていた。三ノ輪さんと金井さんが居ないのは何となく予感していたけど、実際に姿が見えないと、落ち着かない気分になる。

「今お湯を沸かしてるから、二人とも好きな食べ物を選んで待っていてね」

 蛍さんを見ると、前方を指さしていた。地べたに置かれた二つの携帯コンロの上に、それぞれ大きめの鍋が乗っている。その横にはダンボールが置かれて、今は数人がかがみ込んでいた。他の人は既にインスタント食品を手に持っているみたいだ。

「俺の分も入れにいかないとだね」

 ただ選ぶのに手間取っている様子から、足りないことはないのだろう。

 戸倉さんも相槌を打ちながらも、俺と同じ思いなのか、のんびりと辺りを見ている。

「……皆、ちょっと明るくなったみたいです。白樺さん達のおかげですね」

 嬉しそうに、弾むような声で戸倉さんは言う。花が咲くように笑った顔を見て、俺はあぁ負けたな、と笑みを返した。

 俺は加害者だから、彼女は被害者だからと、埋まらない溝を自覚しても。その溝から顔を背けて逃げ出したくなっても。


 結局、彼女へと芽生えたこの感情が、彼女から離れることを許さない。


 だってこんな一言で救われてしまう。鬱屈とした気分も、和らいでしまう。


「そーかな」

 この気持ちを悟られないように、わざと素っ気ない返事をしてみる。けどそんな抵抗も虚しく、頬は緩んでしまう。

「そうですよ」

 戸倉さんはくすくす笑っている。もしかしたら照れ隠しだと思われているのかもしれない。

 そんな会話の間に、ダンボールにかがみ込んでいた人はほぼ居なくなっていた。

 選んでいる人の邪魔にならないように、上からダンボールの中を覗き込み、それとなく戸倉さんに話を振る。

「戸倉さん何食べたい? オムライス?」

「え、覚えてたんですか?」

 戸倉さんが目を丸くする。

 本人は何気なく言ったつもりだったんだろう。そんな驚き方だ。

「俺、記憶力良いんだよ」

 戸倉さんは感心したように頷いた。その後の会話も思い出したのか、痛みを堪えるように、戸倉さんがちょっと笑った。

「でもオムライスはまだ当分無理ですよね」

「…… 養鶏場でも見つかれば、なんとかなるかもよ?」

 選び終えた人が軽く頭を下げるのに返しつつ、俺と戸倉さんはダンボールの前にしゃがみ込む。

 適当にリュックの中身も出して、俺は目に付いた即席のスープを手に取った。

「確かに、火を通すなら……白樺さん、それだけですか?」

 俺は意気揚々とリュックの中からパック米を取り出した。

「これでおじやにします」

 と、自慢げに言ってみたけど、しくしく痛む胃に固形物を入れられる気がしないだけだ。乾パンとか食べる気さえ起きない。

「確かにお粥じゃ味気ないかもしれないですね」

 ふっと考え込んだ様子の戸倉さんに、何を思ったかぴんと来た俺は選んだものと同じインスタントのスープを手渡す。

「はい。ジェイドさんに追加」

 顔を上げた戸倉さんの表情が見る見るうちに明るくなる。

 ずっとお粥だけよりも、少しは栄養が摂れるだろう。怪我人に対して食料を惜しむことは出来るだけしたくない。

「良いんですか?」

 袋を更に差し出して頷くと、戸倉さんは何故だか少し恥ずかしそうにお礼を言った。

 そんなに遠慮しなくてもいいのに、と思ったけど、ジェイドさん本人が欲しがった訳じゃないから、彼女自身は言い難いだろう。

 それから戸倉さんも食べる物を手に取る。さほど迷うこともなく選んだので、元々当たりを付けていたみたいだ。

「海音ちゃーん」

 まだお湯が沸く気配が無いので、二人して立ち上がったところに、御陵から声がかけられた。

 振り返ると、戸倉さんを手招いている。傍では夢前さんが控えめに手を振っていた。

 戸倉さんが伺うように俺を見たので、行ってきなよと促す。足を気遣ってゆっくりと、でも先程よりは速い歩調で戸倉さんが二人に歩み寄った。


 それを確認して、俺は火にかけられている鍋――の前であぐらをかいて番をしている八木さんに目を向けた。

「八木さーん」

 呼びかけるも、俯いて頑なに目を逸らされる。

「八木さん」

 もう一度呼ぶと、やっとのろのろと顔を上げた。

「戸倉は……気づいてたか」

 めちゃくちゃばつの悪そうな顔で、そんな弱気なことを呟く八木さんに、俺はちょっと呆れてしまった。その場にしゃがみ込んで八木さんと視線を合わせる。

「どっちだろうが、いつかは言わなきゃいけないって思ってるんでしょ」

 気づいてたかどうかについては、薄っすら気づいていた気もするけど。だってあんなに視線を送られたら誰だってそっちが気になるだろう。

「そう、だけど」

「じゃあご飯食べた後で良いんじゃない」

 八木さんが謝ったところで戸倉さんの気が楽になるかなんて分からないし、謝ることで許すかどうかの選択をさせてしまうのも俺の本意じゃない。

 そもそも他人が居る場所であんなに平身低頭で謝罪したら、戸倉さんが自分の答えを出せないかもしれない。

「それに多分、皆に向けて謝る方が先だと思うよ」

 蓋をした鍋からポコポコとくぐもった音が聞こえる。完全に沸騰するまでもうすぐだ。

「……ああ。そうだな、そうだった」

 ハッとした様子で八木さんが頷く。決めていた事とはいえ、やっぱり直前になると気が重いらしい。

 励ます義理も無いので、何か言葉を掛けることもしないけど、物投げられたら受け止めるくらいはしても良いだろう。


「白樺、来てたのか」

 後ろを振り向くと、三ノ輪さんが色々と抱えて立っていた。どうやら食器類のようで、同じような大きさのお皿を重ねてビニール袋に入れているものを二袋、器用に片手で掴んでいた。動かないようにキツく縛られているけど、落としたら一瞬で割れそうだ。もう片手には不透明な袋を提げて、シルエット的にお箸やスプーンだろう。

「お皿の持ち方怖……」

 お皿を入れた方の袋を受け取ろうと、手を伸ばす。三ノ輪さんが助かる、と袋を差し出した。

 金井さんのことを聞きたかったけど、今はぐっと我慢して、袋を受け取る。

「ほらぁ。やっぱりその持ち方見てる方は不安になるのよ」

 三ノ輪さんの後ろに居た蛍さんが頬に手を当てて呆れた目線を送る。

 蛍さんは紙皿やプラスチックのスプーンを持ってきてくれたらしい。多分使い捨てじゃ足りなかったから、三ノ輪さんがこれだけの荷物になったんだろう。

「……割れなかったのでセーフで。八木さん、お湯沸きました?」

 露骨に蛍さんの視線を避けつつ、三ノ輪さんが並んでいる鍋を見やる。蓋の小さな穴から、湯気が微かに昇っていた。

「もうちょっと、だな」

「もっと沸かす鍋増やした方が良かったですね」

 三ノ輪さんが苦笑する。この様子だと、ここまで沸騰するのに結構時間が掛かったらしい。

「ガスコンロ二つ見つかっただけで充分だろ。……三ノ輪」

 改まった表情で、八木さんが呼びかける。

 俺は何も言わず、ただこれからどう転ぶかを考える。自警団の影がこれでようやく消え去るか、それとも繰り返すのか。


「分かりました。鍋も沸きかけてますし、ここですっきりさせましょう」

 三ノ輪さんは八木さんの態度から何となく予想していたのか、すんなり頷いた後、バラバラに座っている皆を集めた。


「食べ物持ってない人いますか? ……もうすぐお湯が出来るんで、その間ちょっと聞いて貰いたいことがあります」

 適当にしゃがんだり、少し近づいてきたそのまま立ったりしている人に対して三ノ輪さんは手に持った袋を軽く示す。

 呼びかけに対しての反応は薄く、数人が首を振るだけだった。続く言葉に関しても、何も知らない人は特に表情を変えず言葉を待っている。

 八木さんが前に進み出た。――その瞬間に、場の雰囲気が一変した。

 野次を飛ばす人も、あからさまに嫌悪を浮かべる人がいる訳でもない。ただ静かな怒りのようなものが、その場に集まる人から発せられている。

「…………まず、鹿嶋の策略に加担したこと、私怨に巻き込んでしまったことを、謝罪したい」

 そっと頭を下げた八木さんに、誰も声はかけない。

 静けさの中で朝も聞いた謝罪が落ちるのを聴きながら、一人一人の様子をさりげなく窺う。やっぱり誰かが口を開く様子はなかった。でもほんの少し、空気が緩んだことを感じ取る。

 最後に戸倉さんを見やると、彼女と目があった。眉の辺りを曇らせて、何か言いたげな表情だ。

 流石に言葉を交わせないので、俺は口の端を上げるだけに留める。戸倉さんは一度目を伏せると、八木さんに視線を戻した。


「確かに俺達は巻き込まれましたけど、八木さんはもう、こんなことはしない筈です。……食料の調達に快く参加してくれましたし、今皆が手に持っているのも、彼と探し出したものです」

 こんなこと、はもう起きないだろうけど、と胸の内で呟く。

 原因になったのは、八木さんの弟が死んでしまったこと、その恨みを煽る鹿嶋がいたことだった。だから八木さんに関しては起こりようがない。彼自身の性格もあるだろうけど、俺や三ノ輪さんなんかが止めに入れるだろう。

 それに、と俺はまた皆を見回した。三ノ輪さんがしっかりと強調してしまった、"快く"調達に参加してくれた、という言葉に、気まずそうに俯く人を、俺は見逃さなかった。そういう気持ちの人が居るならひとまず大丈夫だろう。

 三ノ輪さんがちらりと鍋を見る。完全に沸騰して、沸き上がる湯に押されて蓋がカタカタと音を立てていた。

「じゃ、ご飯にしましょうか」

 三ノ輪さんがにっこり笑ったのを合図に、皆の雰囲気が一気に緩んだ。

 動き出した空気に、ほっと胸を撫で下ろす。

「お湯が必要な人はこっちに、湯煎の人は俺の方来てください」

 パック米を選んだ人なんかは湯煎だろうから、必然的に一つの鍋に人が集まる。どれくらい掛かるかは分からないけど、複数まとめて放りこんだとしても時間はかかるだろう。

 やっぱこっちの方が楽だよなーと思いつつ、その場でスープの袋を開けて、パック米を入れる。マチがあるから大丈夫でしょ、とお皿は取りに行かずそのまま並ぶ。前には二人しか居ないから、すぐに順番は回ってきた。

「お疲れ様八木さん、ここに適当にお湯入れてよ」

 おたまを持つ八木さんに袋を差し出す。

「ものぐさにも程があるだろ。ちゃんと持っとけよ」

「はーい」

 袋の口を大きく開いて、指先にしっかり力を込める。

 お湯が注がれると、途端に袋はずっしり重くなった。それでも落としそうになるほどじゃない。

 ただ問題なのは。

「あつっ! 無理!」

 掴んでいる指のところまでお湯がある訳じゃないけど、湯気やら伝わってくる熱やらで指の腹がすぐに熱を持つ。それこそすぐに離したくて堪らないくらいには。

 最後の我慢で零れないようにそっと袋を地面に置く。

「馬鹿だろ」

 赤くなった指先に息を吹きかけ、八木さんを睨みつける。

 大人みたいな謝罪済ませたからって余裕な表情しやがって。

「これから何投げられても知らないからね!」

 後ろにも人が居たので、横にずれつつ捨て台詞を吐く。

 困惑顔の八木さんはほっといて、もう一度袋をそっと持ち上げた。限界が来ないうちにお皿を配っている蛍さんのもとへ急ぐ。

「白樺さん、これどうぞ」

 案外人が固まっていることに焦っていると、戸倉さんが深皿を持ってきてくれた。

「ありがとう、ちょっとそのまま持っててもらってい?」

 戸倉さんが頷いたのを確認して、俺は袋を深皿へ傾けた。白い湯気と一緒にいい匂いが漂ってくる。

 指先がじんじんするのを感じながら、俺はほっと息をついた。

「ありがとう。戸倉さんのは?」

 手にあるのは、今俺が中身を入れたばかりの深皿だけだ。

「今温めてもらってます」

 戸倉さんはちらっと三ノ輪さんを見て、端的に答えた。

 それから不意に瞳を翳らせる。

「……白樺さんは、もう良いんですか」

 随分と端折った問いだけど、何が言いたいかはすぐに分かった。

 俺は束の間逡巡して、慎重に口を開いた。

「……八木さんは、俺に謝ったよ。だから俺にした分は、許そうと思う」

 戸倉さんがきゅ、と唇を結ぶ。見上げる瞳に複雑な色が浮かんでいた。

「でも戸倉さんがどうするかは別だから」

 好きな答えを出して欲しい、と続けると、彼女は目を軽く伏せて頷いてくれた。

 自分を傷つけようとした人と暮らすとなれば、当然対応を決め兼ねるだろう。今はお互いに近付かなければ良いけど、それでも八木さんを見る度に戸倉さんは苦い思いをすることになる。

 でも戸倉さんなら、と思ってしまう。あの鹿嶋にも最後は優しく接してしまったのだ。


 また御陵が彼女を呼んだ。ご飯が十分に温まったらしい。三ノ輪さんがトングで一つ一つ袋を取り出している。


 けれど俺は、その期待を表に出してはいけないのだ。戸倉さん自身で、自分が楽になれる選択をして欲しいから。

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