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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
52/99

過去の残滓

「金井」

 呟きとともに三ノ輪さんが走り出し、金井さんが居るだろう部屋に飛び込んだ。

 三ノ輪さんの様子に、不吉なものを感じて鳥肌が立つ。

「金井!!」

 今度は怒鳴りつけるような、責めるような声だった。その声に押されるようにして、俺はようやく動き出す。

 部屋を覗き込むと、激しく咳き込む金井さんと、その背をさする三ノ輪さんの姿が見えた。部屋は特に荒れた様子も無く、血痕も見当たらない。金井さんにも怪我は無さそうで、とりあえずほっとする。

「何があったんだよ?」

 八木さんが尻もちをついたままの女性に話しかける。記憶が正しければ、苗字は夢前だったはずだ。

 けれど夢前さんは答えに躊躇している様子だ。そこに若干の怯えも見られる。

「今……人数把握のために名前を聞いて回ってたんだけど」

 御陵が部屋の中から目を離さずに、ゆっくり口を開いた。


「ドアを開いたらあの人が首を吊ろうとしてた」


 ほっとしたのも束の間、御陵の言葉に目を見開く。

 出る前に見た金井さんは確かに疲れた様子を見せていた。それから運転していたのは自分だからと謝られたけど、気にしてないことを伝えたら、申し訳なさそうにしながらも笑ってくれた。自殺を図るくらいに追い詰められていたとは思えなかった。


 気付けなかっただけかもしれない。朝にはもう、金井さんは限界だったのかもしれない。それを俺は、どうして見抜けなかったんだろう。


 動揺しているうちに、御陵が動いた。俺のわきをすり抜けて夢前さんの側にしゃがみ込む。

「ごめんなさい。まだ、男の人はちょっと、怖くて。……彩瑛さん、立てる?」

 御陵が八木さんを見上げる。八木さんははっとしたように一歩下がった。

 夢前さんを立たせてやり、御陵は部屋に戻ることを告げて俺たちに背を向けた。目の前で人が自ら命を絶とうとする瞬間を見たのだから、二人ともそれなりにショックだっただろう。男が集まっているこの状況に留まり続けるのが辛くなったのもあるかもしれない。

 どちらにせよ無理に引き留めることはないので、二人を見送る。もう一度部屋の中に目を向けると、蛍さんがこちらに歩いてきて、首を振った。

「今はそっとしておきましょう。人が居たら落ち着けないでしょうし」

 蛍さんが扉を後ろ手で閉める。その向こうを後ろ髪が引かれるような思いで見やって、ふと悲しくなった。

 確かに俺は、今の金井さんの側に居ても何もできない。掛ける言葉が響くほど、一緒に居たわけでもないからだ。

 金井さんだけじゃない。今の俺には側に居て、助けられる人なんて、もう居ない。


 本格的に物思いに沈みかけたとき、パンと手を叩く音が響いた。


「皆食べ物を取ってきてくれたのよね?」

 明るい声で蛍さんが言う。俺は無理矢理に口角を上げて、さっと背中のリュックを前に回した。

 チャックを開けて、蛍さんに中の食料を見せる。

「今日明日くらいは皆なんか食べれるよ!」

 声は若干白々しく、遠いようだった。頭に浮かぶものを深く考えないように必死だった。

「本当? 皆ろくに食べれてないだろうから、嬉しいわぁ。ありがとうね」

 その心からの言葉に、少し肩の力を抜いた。喜んでもらえることが救いだ。

「もう飯にしようぜ。丁度良い時間だろ?」

 八木さんの提案に、蛍さんがぱっと顔を輝かせた。頬に手を当ててにっこり笑う。

「いいわねぇ。そろそろ集まりたいところだったもの」

「屋上かロビー……まぁ屋上だな。なんか敷くもん探しとくから、他の奴ら集めとけ」

 今日は風も無いし、陽も出てるから、外で食べるには良い天気だ。気分転換にもなるだろう。

 ただ――

 ちらっと横に立つ八木さんを見やる。

「なんだよ」

「そんな協調性あったんだぁと思って」

 八木さんが目を剥いたのを横目に、俺は回れ右して廊下を走り出した。

「ジェイドさんとこ行ってくる! 後で合流するね!」

「おい!」

 戸倉さんとジェイドさんが居る部屋のドアノブを掴む。回すと抵抗なく開いた。鍵をかけていないことに驚きながらも玄関に入って扉を閉める。

 同時に警戒の表情を浮かべた戸倉さんがリビングに繋がるドアから顔を出す。

「ただいま」

 俺を見た戸倉さんがはっと目を丸くして、それから安心したように笑った。

「おかえりなさい」

 向けてくれる笑顔と、いつも通りの柔らかな雰囲気に、すっと力が抜けた。

「ジェイドさんは?」

 戸倉さんの肩口から部屋を覗き込む。カーテンの隙間から漏れる光が穏やかに部屋の輪郭を浮かび上がらせていた。

「今は寝てます」

「そっか。……ちょっと待ってね」

 若干声のボリュームを落としつつ、リュックをまさぐる。

 中からパック米とインスタントのスープをそれぞれ三つ取り出して、戸倉さんに差し出した。

「これは?」

「ジェイドさんの分。後で皆集めてご飯にするんだけど、食べやすそうなものだけ避けておこうと思って」

 ジェイドさんはあまり動けないだろうから、皆と同じタイミングで屋上には来れないだろう。でもジェイドさんにはたくさん栄養を摂って、早く怪我を治してもらいたかった。

 受け取った戸倉さんは嬉しそうにしながら、お礼を言って、キッチンに食料を置きに行く。その肩は若干左に傾いて、不自然に上下する。

 右足を庇う歩き方に、俺は眉をくもらせた。

「戸倉さん、足、痛い?」

 きょとんとした顔で戸倉さんが振り返った。俺の視線を辿って、自分の足元を見やる。

「大丈夫ですよ」

 顔を上げた戸倉さんは笑っていた。そんなに気にしなくてもいいのにと、そう思っているのが伝わってくる。

「これ、かなりきつく包帯が巻かれてて、歩きにくいんです。無理に動かすと痛いし……」

 確かに、よく見れば包帯はくるぶしの上辺りに巻かれている。その上結構分厚い。これだと足首の曲げ伸ばしが難しいだろう。

 戸倉さんが不満げに頬を膨らませ、拗ねたように続ける。

「三ノ輪さん、絶対私のこと信頼してないからこんなにきつく巻いたんですよ」

「でも戸倉さんそうでもしないと動き回るでしょ」

 含み笑いで言うと、戸倉さんの瞳が揺らいだ。

「まさか筋トレとかストレッチとか、しようとしてないよね?」

「しっ……」

 痛いところを突かれたように、戸倉さんが言葉に詰まる。次いですいっと目を逸らされた。

「してないです」

「本当?」

「…………本当に」

「本当かなぁ」

「………………するわけないじゃないですか」

 

 堪えきれずに俺はふきだす。戸倉さんが恨みがましい目で俺を見るけど、それさえ笑いの種だ。

「誤魔化すの下手だねー」

 なんとか笑いを収めて言うと、戸倉さんはさらにむくれた。

「でもその方が良いよ」

 戸倉さんが口を開きかけたのを遮って、俺は彼女と目線を合わせた。

「痛いのとか、辛いのとか、誤魔化せない方が良い」

 さっきの不安がまた胸をちくちく刺すけど、どうにかして押さえ込む。


 俺はもう、救える誰かなんて居ないかもしれない。届く言葉を持ち合わせていないかもしれない。――――いつか彼女を救えない時がやってくるかもしれない。


 そうなったら、俺はきっと絶望する。俺は彼女に生きても良いと、許すと言われたのに、その恩すら返せなかったのだと。


「……何かあったんですか?」

 声を掛けられて、はっと物思いから覚める。

「いや何も、……無かったわけじゃないけど」

 そう簡単に口に出せることじゃないかなと言うと、戸倉さんは眉をくもらせた。

「もしかしてさっきの探索で誰か」

「ううん、大丈夫。皆怪我すらしてないよ」

 慌てて否定すると、戸倉さんはほっと愁眉を開いた。申し訳ない気持ちになりながら、どこまで言ったものか悩む。

 負の感情は、連鎖しやすい。この話を聞いて後押しされる人が居るかもしれない。戸倉さんがそれとは考えにくいけど、少なくとも気分は沈む。

 それにきっと、自殺を図る覚悟を目の当たりにするのは初めてだろう。感染者に噛まれて仲間入りするか、全身を食われることは、覚悟とまではいかなくとも、可能性は身近に転がっていた。他人の裏切りのせいで命が脅かされることも、嫌というほど体験してきた。

 自ら命を絶つ、その死の形はなかなか身近には迫ってこない。それはきっと戸倉さんも同じはずだ。

 けれど先の無い今、その方法を選んだ責任は誰からも問われない。

 死を考えるには容易な状況で、それに気づいてしまえば簡単に実行出来てしまう。


 そんなものを、戸倉さんに教えてしまうのは怖かった。


「……ただ、皆気分が落ち込んでるみたいだから。引っ張られないようにしないといけないなと思って。戸倉さんも気を付けてね?」

 誤魔化しの笑顔を浮かべると、彼女は腑に落ちない顔をしながらも、頷いてくれた。


「――白樺?」

 部屋の奥からジェイドさんの声が聞こえた。戸倉さんが半身を引いて中の様子が見えるようにしてくれた。

「あっ、起こしちゃった?」

「大丈夫だ。そっちは? 順調だったか」

 言いながらジェイドさんがベッドから起きあがろうとする。戸倉さんが慌てた様子でそれを手伝いに行った。それを受けてジェイドさんは苦笑していたけど、何も言わずに介護されている。

 俺も続いてジェイドさんの側に寄り、荷物を下ろす。

「量はそんなにないけど、一応食料は見つかったよ。とりあえず今日明日の分は心配しなくて良いよ」

 ジェイドさんの表情が微かに柔らかくなる。食料の把握もしてたジェイドさんだから、余計に気に掛かっていたのだろう。

「そうか、ありがとう。……悪いな、任せきりになって」

 最後の謝罪に、俺は思いっきり顔をしかめた。

 全くこの人は、どこまで責任感が強いのか。怪我をしているときくらい、大手を振って休めば良いのに。

「怪我してるんだから、しょうがないでしょ。それに結構居るんだよ、ジェイドさんの他にも探索に出れなかった人」

 勢いで言ってから、しまったと後悔する。ジェイドさんの表情が明らかにくもったからだ。戸倉さんも怪訝そうな顔をしている。

 けれど心配そうな表情を浮かべる二人の手前、話を切り上げることもできなくて、俺は話を続けた。

「戸倉さんにはもう言ったけど、メンタルやられてる人多くて。体調悪い人もいたから、無理強いも出来なくてさ。だから今日探索できたの四人だけだったんだよね」

 こんな事を伝えてもどうにもならないうえに、愚痴っぽくなってしまって、さらに後悔する。それなのに話したいことはまだ沢山あって、自分がどれだけ不安と不満を持ち合わせていたかを自覚する。

「でも、食料だけはなんとか__」

「白樺さん」

 見つけるから、と言おうとして、戸倉さんに遮られた。彼女は眉を下げて、どこか悲しそうな顔をしていた。

「無理しないで。私も動けるようになったらすぐに参加します。だからそんなに重荷を背負わないでください」

 

 そんなことを言わせるつもりじゃなかった。

 そんな顔するなんて思ってなかった。


 心臓がきゅっと縮むような感覚。戸倉さんに気を遣わせてしまうことを予感できなかった自分に嫌気がさす。


「絶対に、また任せきりにすることはしませんから」


 戸倉さんは念を押して、気遣う表情でこちらを窺った。

 けれど俺は思わず視線を逸らし、微笑むことすら出来なかった。戸倉さんがやけに俺を気遣っている理由が、やっと分かったから。


 また(・・)


 彼女は恐れている。自警団と同じ未来を辿ること。その一端を、俺が担うことを。

 俺と戸倉さんの間には消せない関係が深くにあることを痛感してしまう。

 加害者と被害者。その意識をどれだけ友人として、仲間として上塗りしても、結局は最初に刷り込まれた関係が首をもたげる。


 俺が一生背負う罰は、きっとこれなんだろう。


 けれどこの一瞬で受け入れられる罰じゃなかった。逃げたくて堪らなかった。


 でも黙ってしまうと、戸倉さんはますます心配するだろう。

 一呼吸置いて、どうにか言葉を吐き出そうとしたとき、ふいにジェイドさんが口を開いた。


「そうだ、白樺、お前鳥捌いてみるか」

 予想外の言葉に、俺も戸倉さんもびっくりしてジェイドさんを見つめるしかない。

「カエルかヘビの方が良かったか?」

「そこじゃないよジェイドさん」

 呆気にとられつつ返すけど、ジェイドさんは何でもないように続けた。

「タンパク質を摂ったほうが、気分も良くなるだろう。それに、二人にはいつか教えておこうと思ってたんだ」

「私にも教えるつもりなんですね……」

 戦いた様子の戸倉さんに有無を言わせぬ微笑みを返して、ジェイドさんは続けた。

「丁度良いから、海音から先に教えてやろう。白樺は頑張って鳩探してこい」

「私が先なんですね……」

 もはや遠い目の戸倉さんが呟いた。多分俺も同じような目をしている。カラスは駄目か、鳩じゃなきゃ駄目か。


 尊い犠牲に黙祷していると、コンコンとノックの音が響いた。

 腰を浮かせかける戸倉さんを手で軽く制して、ドアの鍵を開けに行く。

「蛍さん。もしかしてもう準備できたの?」

 蛍さんがにっこり笑って頷く。

「それにね、ここまだ水が出るみたいよ。さっき貯水槽を確認したけど、ちゃんと綺麗な水だったわ」

 大きなマンションになると、貯水槽がよく設けられている。でも汚れて使えそうにない場合もあり、確認は必須だった。自殺か、水を汲もうとして足を滑らせたのか、死体が浮いていることは、確かにあった。それ以外にも使えないことはあるけど、そんなものを飲んだらトラウマ待ったなしの、最悪なパターン。

 とりあえず綺麗な飲み水を確保できたことに、ほっと安堵する。今の状況でこれ程嬉しいことはなかった。

 これからは食料を中心に探索できる。水よりも軽いし、見つける難易度も下がる。

「しかもかなり残ってるから当分水の心配はしなくて良いわ」

「適当に決めたのに、ラッキーでしたね」

 ここら辺で階数の多いマンションを探しただけなのに、

「水出るんですか?」

 遅れてやってきた戸倉さんが、明るい声で言う。嬉しそうな様子に、俺も顔を綻ばせた。

「そう。これで少しは楽になるわぁ。……ところで海音ちゃん、これから屋上でご飯の予定だけど、動ける?」

「はい。あ、でもジェイドさんが」

 戸倉さんが気がかりそうに振り返った先で、ジェイドさんは苦笑していた。行ってこい、と戸倉さんに頷く。

「俺はまだ良いから。コンロあったら借りてきてくれ」

「じゃあ、行きましょうか?」

 蛍さんが促すと、戸倉さんはまだ気がかりな表情を浮かべつつも、靴を履いた。

 俺は慌ててリュックを取りに戻り、去り際にジェイドさんに手を振る。

「また後でね、ジェイドさん」

「あぁ。ちょっとは楽しんでこい」

 先のことがあるので楽しめるかは微妙だけど、きっと彼なりの気遣いだから、俺は笑ってジェイドさんにまた手を振った。


 

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