陰
それから幾度か遭遇する感染者を避けて、あるいは倒して、俺達は目的の市役所へ辿り着いた。
「感染者だけ居ないか確認して休憩しよう」
三ノ輪さんからの提案に俺達はすぐ頷いた。折り返し地点にしては疲れすぎている。
市役所は二階建てで、白で統一されたその空間に感染者が押し入った形跡は無かった。
「上は数人寝泊まりしてたっぽいですね。職員か一般人かは知りませんけど」
二階を見た阪本さんと三ノ輪さんは、十分と経たずに戻ってきた。
「慌てて出てった訳でも無さそうだから、救助の形でここを出たんだろうな。そっちは?」
話を振られて俺はさっと地図を掲げた。
「あいつらも生き残りも居なかった。見つけたのがすぐそこのパンフと、あっちの本棚にあった地図」
八木さんが簡潔に言う。見つけたの俺なんだけど。
「……白樺が見つけた」
八木さんに視線を送ると、呆れたように付け加えてくれた。これで存分に胸を張れる。
「おー」
ぱちぱちと拍手してくれる阪本さんの気遣いが逆に痛い。
「うん、ありがとうな白樺」
「はい……」
苦笑気味にお礼を言われて、俺はそっと地図を下ろした。
不発に終わった茶番は置いておいて、とりあえず待合のソファに腰をかける。
三ノ輪さんは地図に何やら書き込んで、八木さんはさっき見つけたパンフレットをぱらぱら捲っていた。
特に何もすることの無い俺は、同じく暇そうな阪本さんに近づく。
「阪本さん」
彼が水を飲み終えたことを確認して、俺は話しかけた。
「何で今日来てくれたんですか?」
「え? それはだって……誰か行かなくちゃだし」
困惑した様子で阪本さんが答える。
「でも他の人は皆疲れてたし、調子悪そうだったし」
その流れなら、同じように外には行けないと言うことだってできた。八木さんは理由付けて引っ張ってこれたけど、阪本さんには多分無い。
「君だって同じようなもんでしょ」
「俺若いから」
すぐ回復するんだとおどけて言えば、阪本さんは喉を鳴らして笑った。
「そうかぁ」
本当はジェイドさんも戸倉さんも怪我をしてるから、俺が行くしかないと思ってるからだけど、それこそ俺が勝手に思ってるだけなので口には出さない。
「じゃあ、そうだなぁ。自分の為って言えば納得してくれる?」
首を傾げてみせると、阪本さんは笑って答えた。
「こういうのって最初っから入らないと孤立しちゃうでしょ。大学のサークルみたいな? 学期初めに休むとなんとなくグループに入りにくいみたいな」
「はぁ……まぁ」
大学のサークルは良く分からないけど、後半は何となく分かる気がする。確かに学年が上がってすぐ休むと友達が出来にくいなんて話は聞いた事もあるような。
「結構微妙な反応だね。ま、そんな感じ。ここで孤立するなんてマジで無理だし、立場が弱くなるのも嫌だしね」
俺はとりあえず頷いて、同意を示す。食料調達に参加出来ない人は立場が弱いなんていう考えは嫌だけど、状況がそう思わせているから否定は出来なかった。
「それに、」
更に何か言おうとした阪本さんを見る。手元にあるバールを撫でて、やっぱりいいやと思い直したようだった。
「なんでもない。あ、あと敬語じゃなくていいよ。オレ達そんなに歳離れてないよ」
「俺十六ですけど……」
「あれ? 高校生だったの?」
もしかしてもっと上に見られてたのかと、俺としては若干嬉しい気持ちで思う。
「いや、ノリなんて高校生も大学生も変わらないか?」
「阪本さん大学生?」
阪本さんは頷いて、今年で二十歳だと答えた。年上だろうなとは思っていたから、特に驚きはなかった。
「でもやっぱ敬語はナシで。呼ぶのも武仁で」
高校生と大学生で考えると結構壁を感じるけど、阪本さんが敬語とか苦手、と顔を顰めたので、大人しくタメ口に切り替える。
「おっけ。俺も秋でいいよ」
そういえば最近名前で呼ばれてない。名前で呼ぶのは悠銀くらいだった。それから、父親と、母親と……。
不意の懐かしさに胸が痛くなる。
でもそれは表に出さずに、俺はぱっと立ち上がった。ちらりと三ノ輪さん達の様子を見る。
二人とも地図を見ながら何か話し合っているようだ。
「俺は何か探しに行くけど、武仁も行く? もうちょっと休む?」
「オレも行く」
武仁がズボンのベルトにバールをねじ込む。準備はそれだけで良いらしい。
「三ノ輪さーん。俺らここ探索してくるねー」
背中に向かって声をかけると、三ノ輪さんは手を止めて顔をこちらに向けた。
「頼んだ。じゃあこっちは下見とくから、二人は二階見てくれないか?」
「了解」
二階に上がると、やっぱり白い空間が広がった。ただ一階と違って、どことなく生活感がある。隅に畳まれた毛布や、ゴミをまとめてあるらしい袋のせいだろう。
部屋の一角に避けてあるソファーは、器用に積み重ねられてあった。
「秋、こっちきて。なんかある」
武仁に肩を叩かれて、ソファーから視線を外す。武仁が立っているのは窓口のすぐ側だ。
覗き込む姿勢に倣うと、ダンボール箱が積まれている。一番上の箱にはよく見るカップ麺の柄が印刷されてあった。
「やばい、期待できそう」
三ノ輪さんの言う通りここに居た人達が救助されたなら、残った食べ物は置いていってるかもしれない。
咎める人も居ないので、行儀悪くカウンターを乗り越える。
何も封のされていない箱を開けて中身を覗き込む。
そこには茶色い瓶がきっちりと並んでいた。
「……何これ」
期待と大きく外れたその中身に小さく呟く。
「どしたの」
武仁が不思議そうに小首を傾げた。
そんな彼に示すように瓶を持ち上げる。中身がちゃぷちゃぷと音を立てた。
瓶には蓋の代わりに湿った布が詰められ、その下に紐状のものが垂れているようだ。透かしみれば、紐はその液体の中に三分の一程度を沈めていることが分かった。
近くで嗅がなくても分かる、アルコールの臭い。
「もしかして……火炎瓶?」
「多分」
瓶をそっと箱に戻して、床へ慎重に降ろす。爆弾ではないけど、火炎瓶なんて扱ったことはないから何が起こるか分からない。
「今はほっとこ。残りの箱そっちに渡すね」
武仁は興味を惹かれたように火炎瓶を見ていたけど、下にある箱を持ち上げると、すぐに腕を伸ばして受け取ってくれた。
ダンボール箱は全部で五つ。どれも食品の箱詰めのようだった。うち一つは火炎瓶だったわけだけど、残りの四つは程々に中身がありそうだ。
今度こそ期待しながら、ダンボール箱を開く。
結果的にはパック米とフリーズドライ食品がそれぞれ詰められていた。それで三箱、もう一つには雑多に詰められた消耗品が入っている。
「切り詰めて三日分、ってとこかな」
中身をざっと見てどれくらい保ちそうか当たりを付けてみる。これでも一部の人から不満が出そうなくらいケチった考え方だから、実際のところ三日も保たないかもしれない。
三人の時はこれだけで一週間は過ごせただろう。
こんなにあっても十分とは言えないことに、なんとなく憂鬱を感じる。前のデパートから持ち出せた分があるとはいえ、食料はもっと必要だ。
そしてその食料を探せる人は、今何人か。
「__秋? 聞いてる?」
武仁に呼びかけられて、ようやく自分が食品を見つめたままぼんやりしていることに気づいた。
「ごめん、もしかして今なんか言ってた?」
「これ三ノ輪さん達に見せよって」
武仁は箱を指さしてさっき言っただろう言葉を繰り返す。
これを見せたら地図の時よりは良い反応が貰えそうだ。
「そうだね」
さっき考えたことを何とか思考の隅に追い払う。しっかりしないと、ぼんやりしていたらすぐに感染者に食べられてしまう。
「食べ物は大体一箇所に集めるだろうし、今日はここら辺にしておこう? 調子悪そうだし」
心配そうな武仁に、大丈夫だよと笑ってみせる。でも彼の言う通り、この階では他にめぼしい物は無さそうだ。
とりあえずは火炎瓶以外のダンボール箱を階下へ運び、三ノ輪さん達に見せる。
「あとね、火炎瓶があった。動かすの怖かったから持ってきてないけど」
箱の中を覗き込んでいた八木さんが怪訝そうに俺を見上げる。
「火炎瓶? そんなもん使うことあるか?」
「ここら辺で使った跡も無かったよね。自衛用に作ってたんだろうけど」
それか自殺する為のものか。でも火炎瓶を使うより楽な方法は他に幾らでもあるだろうから、それは考え難い。
「わざわざ持って帰ることもないな」
入り用なら作れるだろうし、持ち帰るにしても瓶が不用意に音を立てるかもしれないから、余程の理由が無い限り、火炎瓶はここに放置していくことになるだろう。
「白樺、その火炎瓶はどこに置いてあるんだ?」
「三ノ輪さん持ってくの?」
立ち上がる三ノ輪さんを見上げる。
「いや、見に行くだけ」
何か気にかかることがあるのか、三ノ輪さんは少し落ち着かなさそうだ。
それならと三ノ輪さんを火炎瓶の所まで案内する。その方が言うよりも速い。
「これか」
三ノ輪さんが箱を持ち上げて窓口のカウンターに置く。それから少し周囲を嗅ぐような仕草をした。火炎瓶から漂うアルコール臭は相変わらずだ。
「何するの? 飲む?」
「殺す気か。……白樺、窓、開けてくれ」
「全部?」
三ノ輪さんの指示を聞き返しながら、俺は一番近い窓から開けていく。
「全部。全開で」
言われた通りに全て開けて、三ノ輪さんを見やると、火炎瓶の蓋代わりに詰められていた布をペンで中に落としていた。
「何してんの?」
「無いと思うけど、うっかりこいつらが爆発しないようにな」
「やっぱ爆発することあるの……」
ちょっと身を引くと、三ノ輪さんは笑って、ペンをカウンターに置いた。
「勝手に爆発することはねぇよ。ただ気化したアルコールに火がついて燃え広がりでもしたら、ここら辺の探索が難しくなるかもしれないからな」
それを聞いて安心、とまではいかないけど、火炎瓶に対する警戒を緩める。
「あとは揮発するに任せるかな。行くぞ」
三ノ輪さんに背を押されて、俺は階段へ足を向ける。
階下ではさっき見つけた食料が四等分に分けて並べられていた。それを阪本さんと八木さんがせっせと自分のリュックに詰めている。
「火炎瓶、そんなヤバいもんだったのか」
「いや、ただのアルコールです。これ詰めたらもうマンションに戻りましょうか」
一旦手を止めた八木さんに、三ノ輪さんが何でもないように伝えた。八木さんも少し心配していたのか、それを聞いて表情が少しやわらぐ。
「八木さんもしかして心配だったぁ?」
ここぞとばかりに含み笑いでつつくと、八木さんの顔がぱっと赤くなった。
「誰がお前らの心配なんかするか! さっさと詰めろ!」
指摘されたのが悔しいのか、八木さんが放り投げるというには強めにパック米を投げつけてくる。
俺はそれを危なげなくキャッチして、声をたてて笑う。
別に俺達の心配をしてたかは聞いてないんだけど。
食料をリュックに詰めると、先に見つけた水のせいもあって、リュックはパンパンになってしまった。これでも比較的軽い物を選ばせてもらったから、見た目よりは重くない。
「帰りは少し大回りして、スーパーに続く道の感染者の多さを確かめたい。店には入らないけど、マンションまではちょっと遠くなる。いいか?」
さっき二人で話しているときに決めたらしく、俺と武仁に向かって三ノ輪さんは言った。
体力的にはまだ行けるだろうから、俺は賛成を込めて頷く。その方が次の調達は楽になる。
武仁も表情を引き締めて頷いた。
スーパーに向かう道には、感染者はやっぱり彷徨いていた。でも行きよりは少なく思える。
やっぱりバイパスに近づくにつれ感染者の数が増えているみたいだ。渋滞に耐えられず出てきた人間を狙っていたのだろうか。それが少しずつ下りてきたのかもしれない。
できるだけ感染者を倒したいから、車の影や道の曲がり角に身を隠しながら、銃で感染者を狙う。外した時のフォローは武仁と八木さんだ。
マンションに着く頃には、かなり連携がとれるようになってきた。
思ったより食料調達は順調に進み、内心ほっと胸を撫で下ろす。
いつまでもこの四人で回さなくちゃいけないことも無いだろうし、調達に出れる人が回復するまでどうにか繋げられるだろう。
そんなことを思いながら、マンションの階段を上がり、通路に出た時だった。
鋭い悲鳴と、制止の声。次いでバタバタと荒い足音。
開け放たれたドアに飛び込む蛍さんと、突き飛ばされた女性が尻もちをつくのが見えた。その側で立ち尽くしているのは、調達に出る前も戸倉さんと一緒に居た御陵海麗だろう。
何事かと疑問に思うのも束の間、三ノ輪さんの呟きで我にかえる。
「金井」
その呟きはどこか怯えが混じって、三ノ輪さんらしくない感情の揺れを表していた。




