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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
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過去の話、未来の話

「戸倉さん何してん?」

 ひょこっと顔を覗かせた白樺さんに、私は手元の本を閉じた。

「ここに住んでいた人、戦争のお話とか好きだったみたいで、少し読んでたんです」

 無事に目的のマンションへ到着した私達は最上階の一室に拠点を置いた。

 広さといい、家具といい、ここの住人はきっとお金持ちだったんだろう。

 慌てて避難したのか散らばった衣類に開けっ放しのドア。最上階だからか、感染者が入り込んだ様子がなかったのは、とてもありがたかった。

 

「それ、面白い? 僕もちょっと読んでみよーかな」

「面白いです。著者が戦争体験者みたいなのですごくリアルですよ。……というか、白樺さん」

 本を横に置いて、床に正座した彼を見る。その目が少々じとっとしてしまったのは仕方の無いことだと思う。

 

「あと五十回。腕立て伏せ、残ってますよね」

 

 気まずそうに視線を逸らして、頬を膨らませる白樺さんは年上というより、いとこの小さい子に似ていた。

 

「……数えてたんだ」

「当たり前です。困るのは白樺さんです」

 

 ジェイドさんがここに居ないのは久しぶりに暖かいご飯が食べたい! と目の前のサボり魔さんが言ったからだ。

 少し遠いホームセンターまで携帯用コンロを探しに行ってくる、とやや冷めた表情で言っていたのは記憶に新しい。

 それから去り際に放たれた、腕立て百回とスクワット五十回に白樺さんが膝から崩れ落ちたのも。

 

「ていうかさ、戸倉さんが速すぎるんだよ」

「それは白樺さんがすぐ休むからじゃないですか?」

 

 課せられたのは私も同じで、やっと出来るようになった腕立て百回はまだ慣れず、一度は休憩しなくては出来ない。

 だからきついのは同じなんだけれど。

 文句を言いつつも腕立て伏せを再開している白樺さんを眺めながら、ぼんやりと思い出す。

 確かに最初は私も十回ぐらいが限界だったな、と。まあ白樺さんは昨日始めてすぐだから、かなり辛いだろう。

 

「やっぱりジェイドさんはスパルタなのかな……」

 

 いや、世の中がこんな風になってしまったから、鍛えることはとても大事だと思うけれど。

 手を握ったり広げたりをしながら、綺麗な金髪を浮かべる。

 ハーフやクウォーターじゃないけど、日本国籍。純外国人だけど、小学校からは日本で暮らしていた。……どういうことなんだろう。

 聞きたいけど、聞かれたくないことだったりしたら気まずい。

 

「……九十九、ひゃーくっ! っ終わったー!」

 

 ……地味に一回多かったことは黙っておこう。私が残り五十回って言ったから五十から始めたのかな。

まあ一回増えたところで白樺さんはやりきったのだからいいだろう。

 机に置いていたペットボトルとタオルを手に取り、白樺さんに渡す。

 顔が真っ赤だ。

 

「あ、ありがと…………」

「お疲れ様です」

 

 すぐには飲まず、息を整えている白樺さんは、帰宅部だったらしい。

 ジェイドさんが出てからすでに三十分以上。

 帰ってくるにはもう少しかかるだろう。

 本も読み終えてしまったのですることがなくなってしまった。

 確か棚には戦争やなんやらで使われていた武器が説明されている本もあったはず。

 

 立ち上がり、本棚のある部屋に行こうとすると、くん、と軽く服の袖を引っ張られた。

 正体はもちろん白樺さんだ。

 俯いているから表情が分からず、さらに何も言わないので、何をしたいのか見当がつかない。

 

「白樺さん?」


「戸倉さんは、さ。自警団に酷いことされたんだよね」

 

 いつもより弱々しくて暗い声。

 私から自警団の話をしたことは無いから、ジェイドさんが教えたのかもしれない。

 

 とにかく全て聞かないと何も言えない。

 その場に腰を下ろし、話を聞く姿勢をとっていれば、白樺さんはやっと目を合わせてくれた。

 

 のに、その顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

 私より年上の、しかも男の人に泣かれては、対応に困ってしまう。

 とりあえず白樺さんに渡したはずのタオルを再度持つが、彼ははばからずに話し始めてしまった。

 

 

「戸倉さん、俺は自警団に入ってたんだ。戸倉さんに酷いことしたあの」

 

 言葉が出なかった。

 自警団に対する複雑な気持ちは湧き上がらず、ただ動揺していた。

 このお人好しで、第一印象は最悪だけど子供みたいなこの人が?

 

「な、なんで、今それを」

 

「俺のこと、どう思う? 友達に誘われて、てきとーに入って。最後には戸倉さんの大切な人達を殺した集団に入ってた俺のこと」

 

 伝えたいことを、上手く纏められない。

 白樺さんは悪くない、と言い切れはしないけど。

 悪い人ではない。それだけはこの短い付き合いの中で思っていた。

 だから。

 またぽろぽろと泣いている白樺さんの顔にタオルを押し付けて、言った。

 

「私、自警団の人達なんて死んじゃえばいいって思ったことがあります。……でも貴方にはどうしても死んでしまえ、とは思えません。」

 

 そっと手を離すと、引き継ぐようにして彼は顔をタオルの下に隠した。

 頑なに顔を見せないことに苦笑する。

 私は復讐は出来ない。死んでしまえとは思っても、殺すことは出来ないから。

 

「だってちゃんと言ってくれたじゃないですか。今だって私の反応が怖くて泣いてるんですよね? 悪いことをした、許されないことをした。それは事実です。……悪いことをしたと思ったのなら、生きて、償って下さい」

 

 これは枷だ。今私は白樺さんに重い枷をはめている。

 被害者ぶって、無茶を押し付けている。

 彼の中であの日の事はずっと自分を責める材料になるだろう。

 綺麗事になるかもしれないけど、私にとっては最後まで責任を負わずに自殺したりすることのほうが許せなかった。

 タオルに埋めていた目がいつの間にかこちらを見ていた。少し赤い。

 

「戸倉さん、すぐ騙されそう」

 

 完全に顔を出してふにゃりと笑いながら、失礼なことのたまった。

 私も声は出さずに笑って意趣返しだ。

 

「今更泣いてたのは演技ですなんて言うつもりですか」

 

 あれだけ不安そうにしておいて。

 二人で小さく笑う。

 白樺さんと一緒になってから、空気が少し穏やかになった気がする。私は口下手だし、ジェイドさんも寡黙な方だから、こんなふうに笑い合うことは少なかったからかもしれない。

 白樺さんは友達がたくさん居そうだ。自警団にも友達に誘われて入ったらしいし。

 

 そこまで考えてふと気づいた。

「白樺さん、友達と一緒に自警団に入ったんですよね?」

「そうだよ?」

「じゃあ、そのお友達は今も自警団に?」

 ぴし、と白樺さんが動きを止めた。

 どう言ったものかと迷っているらしいが、ほんの一瞬だけ、眉が寄り、唇が歪められたのが見えた。

 けれど彼は、すぐにいつもの笑顔になり、小首をかしげてみせた。

「どーだろ。僕が抜けてからかなり経つし」

 曖昧な態度に、違う意味で今度は私が首をかしげた。

 しかし彼はそれ以上何か言うつもりはないらしい。

 ふんふんと鼻歌混じりに食料を確認しにいくのは、ガスコンロがよほど楽しみなのか。

「戸倉さん何食べたいー? 僕肉食いたいんだよね」

 特に何が食べたいとは思わなかった。

 ただ、しいて挙げるなら。

 食料が運びこまれているのは玄関すぐの廊下だ。

「オムライス食べたいです」

「難しいこと言うね?」

 もう生卵なんて腐りはてているだろうし、ケチャップだって野菜だって、手に入れるのは無理だ。食べたいなら自分で畑を耕したり、鶏を育てなければならない。そして私にはそんな知識も方法も無い。

 つまりオムライスなんて夢のまた夢なのだ。

「また、そんなものが食べれる日がくるかな」

 ぽつりと漏らされた言葉は空々しく、来るわけがないと知っているけれど、思わずにはいられない、そんな気持ちを含んだものだった。

 その気持ちに上手く寄り添う言葉が思いつかなくて、無言で返してしまう。

 つんと針で突かれたような痛みが胸を刺した。

 いつか来ると信じてる疑わなかった未来が、高校生になって、大学生になって、大人になる、当たり前に享受できたはずのそれが、急に閉ざされた。たった一つの、得体の知れない感染症のせいで。

 これからどうなっていくのか予測のつかない未来。

 どう足掻いても、完全に元に戻ることは私が生きている内は無いだろう。

 

「ただいま」

 暗い空気に溶ける静かな声。ジェイドさんだ。

 冷たい空気を纏い帰ってきた彼は、リュックに多分、携帯用コンロ。そして右手には何故か、ぐったりとした鳩。

 先ほどの雰囲気はどこへやら、私達は揃って目を丸くするしかない。

「ジェイドさん、おかえりなさい。……それは?」

 恐る恐る聞くと、彼は珍しく少し笑って言った。

「捕ってきた。捌いて食べよう」

 よく見れば、鳩の首元には線が一本入っていた。捕ったその場で血抜きしたに違いない。

「アッ、それっ、食べ、ええ?」

 駄目だ。白樺さんが混乱している。白樺さん、公園で鳩に餌あげてそうだし、私としても鳩を食べ物だと思ったことは無いから、なんというか、本当に食べていいの? と誰かに聞きたい。

「ちょ、俺が鳩飼ってたの知ってて捕った? ねえ、ねえ!!?」

 勢いよく立ち上がり、ジェイドさんの肩を掴んで訴える。

 対するジェイドさんは、ひたすら目を逸らしていた。知っていたのか、否か。

 私はもちろん知らなかったので、遂にジェイドさんを揺さぶり始めた白樺さんを宥めようと、声をかけた。

 

「白樺さん、お肉! 食べたいって言ってたお肉ですよ! ジェイドさん早く捌きましょう!?」

 

 お肉、に反応したのか、揺さぶりと訴えを止めた白樺さんをソファに座らせて、ジェイドさんを手伝う。

 といっても、お皿を出したり、味付けにどうかと塩を探したくらいだけれど。

 捌いている経過は極力見ないようにしたけど、包丁を扱う手馴れた動作は素直にかっこよく見えた。

 一口大に切り分けられたそれは、ただの鶏肉にしか見えない。焼けると、もはや懐かしく思えるいい匂いが漂った。

 軽く塩を振って、三人分のお皿をテーブルへ運ぶ。

「と、鳥肉ですよー。美味しそうですねー?」

 なんだか虚ろな目をしている白樺さんがお皿を見てぼそっと悲しそうに言った。

「ああ、ゴンザエモン……」

 飼っていた鳩の名前!? 

 ジェイドさんをちら見すると、なんと肩を震わせ声も無く笑っていた。

「ゴンザレス……うう」

 二匹飼っていたの!?

 

 駄目だ、こらえきれない。

 半分泣きそうな白樺さんを尻目に、それでも笑いをこらえようと、口に手を当てる。が、それが良くなかったらしい、く、と変な声が漏れてしまった。

 

 その後、なんとかとりなして暖かい食事をしたが、終始むくれている白樺さん(しかも食べている手は止めない)に、何度か笑いそうになったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

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