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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
48/99

平穏

「ジェイドさん!」


 薄く開かれた瞳を見て声をあげる。

「起きたな。気分は?」

 最初こそぼんやりしていたようだけれど、三ノ輪さんに声を掛けられて、徐々に意識がはっきりしてきたらしい。

 私達を少しの間見つめて、何を思い至ったのか、はっと目を見開いて、彼が上体を起こそうとする。

「っ……」

 手をついて起き上がろうとしたのだから、当然肩も動く。肩から背中側にはまだようやく血が止まった程度の傷。起き上がれなかった彼は、傷のある肩と反対の肘をついて、うなだれるような姿勢になった。

 彼を支えようと思わず伸ばしていた手を、ベッドの縁に下ろす。一体どうしたのだろう。


「急に動くなよ。ジェイド、今貧血起こしてるだろ」

 三ノ輪さんが呆れたように言いながらも、ジェイドさんが起き上がるのを慣れた手つきで手伝う。私も出来るようになった方が良いだろうから、その起こし方をじっと見る。

「ほら水」

 三ノ輪さんが真新しいペットボトルを開けて、ジェイドさんに手渡す。

 けれどジェイドさんは受け取らず、私達に視線を向けた。

 その目には疲れがありありと浮かんでいて、だからかは分からないが、表情からはどこか鋭く、ピリピリしたものを感じた。

「海音、白樺。……大丈夫だったか」

 そんな彼に名前を呼ばれて、返事に少し間が開いた。それをどう捉えたか、彼が眉を寄せる。大丈夫かと問われても、目の前に明らかに自分より大丈夫じゃない人がいるのに、自分の痛みを訴えることは出来る筈もない。

 慌ててこくこくと頷くと、視線の鋭さが僅かに緩んだ。

「そうか。でも、」

「お前二人の顔見えてる? まず自分の心配だろ」

 何か続けようとしたジェイドさんを遮って、三ノ輪さんが水を押し付ける。

 一方で私と白樺さんはお互いの顔を見合わせた。自分達はどんな顔をしていただろう。次いで三ノ輪さんを見る。

「いや、めちゃくちゃ心配そうな顔してたから。なんでそんな分かんないみたいな顔するんだよ」

「えー本当にぃ?」

 信じられなさそうに白樺さんが口を尖らせる。

「本当に。白樺、ジェイドの体拭くの手伝ってやれ。俺は戸倉の足見るから」

 そう言えば足の傷も消毒しようと言われていた。素直に足を差し出す姿勢を作って、ズボンを捲る。怪我したすぐ後も歩き回ったりしたせいで、広範囲に血が滲んでいる。

「……海音」

 刺すような視線と一緒に硬い声が頭上から振ってくる。

 私は努めてジェイドさんの方を見ないようにしながら、もごもご言い訳した。

「その、これでも歩けますし、見た目より酷いものじゃないし、ジェイドさんの方が絶対痛いから……だから、大丈夫です」

 口を閉じると、凄まじい沈黙が落ちた。私は頑なに目を合わせないし、ジェイドさんは多分私が大丈夫を撤回するまで動く気が無い。

 そして暫く、膠着状態を破ったのは三ノ輪さんだった。

「とりあえずちゃんと消毒して綺麗な布を当てよう。治る傷なんだから」

 私は三ノ輪さんを見て必死に頷いた。この無言の尋問から一刻も早く逃れたい。

 すると頭上から軽い溜め息。

「二人は後で怪我した箇所を全て言うように。経緯も聞くからな」

 有無を言わさぬそれに、渋々はいと返事する。白樺さんも苦笑して頷いたようだった。

 そこでようやくほっと肩の力を抜く。

 三ノ輪さんが見計らったように、手元の箱からはさみを取り出した。

「じゃ、布切るぞ」

 固く縛ったので、解くよりも切る方が速いとふんだらしい。

 血で固まった布は傷口にも張り付いており、三ノ輪さんもかなり注意を払ってゆっくり取ってくれたが、全く痛まない訳はなかった。

 それに消毒も加わって、耐えきれず涙目になる。それでも刺された時よりはましだとぐっと堪えた。


「はい。もういいぞ」


 言われて私は漸くほっと息をつく。真新しい白い包帯に巻かれた足はまだ消毒の痛みが残っているけれど、包帯は元のシャツよりも伸縮性があるから動きやすそうだ。

「暫くは無理な動きはしちゃいけないからな」

 釘を刺されて、私はそんなに信用がないのかと不満に思いながらも頷く。

「海音」

 ジェイドさんの声にびく、と肩が跳ねた。有耶無耶に出来ないかと期待したが、どうやら出来ないらしい。

「白樺さんは」

「もう言った」

 観念しろと言葉の端々から伝わってくる。三ノ輪さんと白樺さんを助けを求めるように見やるが、二人とも苦笑いするだけだ。

 少し粘るが、三ノ輪さんが先にすっと目を逸らした。

「頑張れ、言ったら楽になる。白樺、外に出る準備しようか」

「はーい」

 流れるように見放されて私は目を見開く。三ノ輪さんと白樺さんが居なくなったらジェイドさんと二人きりになってしまう。

 けれど引き留める暇もなく二人はさっさと準備を終えてしまった。恐らく既に外に出ることは事前に決めていたのだろう準備の速さだ。

 そそくさと部屋を出た二人を見送り、私は項垂れる。





「戸倉さん置いてきちゃった」

 大丈夫かなぁと心配を混ぜると、三ノ輪さんが振り返った。

 今はもう一人か二人、物資を見つけるために手伝ってもらえる人を探しているところだった。一つ下の階に下って、手近な部屋をノックしたところ。

「大丈夫だろ。それにあんま人が居ると話せないこともあるだろうし」

「話せないこと?」

「ジェイドに謝られただろ」

 それで何となく察して、あーと納得の声を上げる。

 ジェイドさんが知りたいのは怪我をした経緯というよりも、ジェイドさんが居ない間に何をされたかだろうから、睡眠剤を飲まされたことと勇銀に拘束されたことも話した。正直その後はお小言が続くかと思ったけど、ごめん、と一言謝られた。俺がもっと気を付けるべきだったって。

 俺達が怪我した原因は自分にあるとでも思ってるらしい。

 だから戸倉さんの足を見た時にちょっと怒った風だったのは多分、自分に対する苛立ちも混じってるんだろう。

「俺は別に謝って欲しいとか全く思ってなかったけど……戸倉さんも困っちゃいそう。やっぱ俺もど」

 くるりと踵を返すと、服の襟を遠慮なく引っ掴まれた。思いっきり喉が絞まってぐえ、とカエルみたいな声が出る。

「もう水が少ないんだよ。無くなる前に補充したいってお前も賛成したろうが」

 すぐに手は離されて、解放された首に僅かな違和感だけ残る。俺はちょっと不貞腐れた気分でドアに向き直る。こんなに反応ないって、寝てるんじゃないの。

「そうだけどさぁ」

 だって良く考えたら部屋にジェイドさんと戸倉さんの二人きりだし。そうなると多分、ジェイドさんは戸倉さんの話を聞いて慰めるだろうし。

 それって結構、ヤバくない?

 ジェイドさんが自警団みたいな思考回路を持ってるって訳じゃなくて、ただ純粋に――遅れを取りそうで。

 でもそんな事言ったら多分、いや絶対、目の前の人は勘づく。

「何気にしてるんだよ……と」

 前触れもなくドアが開いて、三ノ輪さんが一歩下がる。鍵もチェーンも何もかけて居なかったからか、ドアノブが回るまで人が動いたことには気づけなかったのだ。

「うわ」

 ドアを開けた人物に対して遠慮なく僕は顔をしかめる。

「……」

 玄関に立つその人は俺を見て眉を下げ、唇をぎゅっと結んでいた。

「三ノ輪さん、この人と行動することないよ。次行こ」

「待ってくれ」

 視界に入るのも嫌で、さっさと歩き出そうとすると、慌ててそいつは腕を掴んできた。

 睨みつけて手を振り払う。

「……待ってくれ」

「なに」

「謝らせてほしい」

 やけに真剣な表情で、八木はそんなことを言う。三ノ輪さんが聞いてやれとでも言いたげな視線を送ってくるから、俺は渋々八木に向き直った。

 八木は俺の顔を見たあと、ぐっと眉根を寄せた。多分、頬に貼ってある絆創膏を見たのだろう。

 ゆっくりとその頭が下げられる。

「すまなかった。……俺は、お前のことを傷つけるつもりだった。許さなくてもいい、何をしてもらっても構わない」

 絞り出すような謝罪だった。俺よりも年上の大人が頭を下げている様子は――謝罪されるのが当然でも――奇妙な感じがした。

 だから、こんなとき何を言えば良いか分からない。

 確かに八木のやった事には腹が立つ。ジェイドさんや戸倉さんもそうだけど、最終的に被害を被ったのはここに居る皆だ。

 だけどその前にも八木は唯一の肉親を喪って、さらに鹿嶋という後押しする存在が居たのだ。

 頭を下げられなければ、手酷い文句の一つでも言えたのに。

「とりあえず頭上げてよ。喋りにくいじゃん……」

 恐る恐るといった感じで八木が頭を上げる。怯えたような、不安そうな目を見て、俺はため息をつきたくなった。

 戸倉さんに、彼女の父親を殺したことを告白する時の俺も、きっとこんな目をしていた。

「俺だけの事情で言ったらさ、良い機会だったんだよね」

 勇銀に言いたいことを言えて、戸倉さんにずっと黙っていたことを告白できて。

 俺の言葉は完全に予想外のものだったのか、八木は大きく目を見開いている。

「これ、本当に俺だけに限って言えばだからね。この事が無かったら俺、もうちょっと苦しんでたと思う。……でもジェイドさんがたくさん怪我したのとか、戸倉さんがまた男の人に怖い目に遭わされたのとか考えると、すっごくやだ」

 探り探りで言葉を紡ぐ。一方で八木の表情も注意深く観察する。

 最初は戸惑っていたけど、ジェイドさん達の事を出すと、途端に目がかげった。そして思わずといった感じで俯きかけて、慌てて顎をあげる。

 自分のやった事の残酷さを自覚して後悔してるからこそ、目を合わせていられなくなったのだろう。でも自責の念があるから、逸らしたくはなかった。

「皆がここまで逃げてこなくちゃいけなかったのも、八木さんのせいでもあるし。けど、鹿嶋も関わってるじゃん。だから」

 そこまで言って、俺は頭を抱えた。自分が何を言いたいのかも、よく分からなくなってきた。

 また暫く考えて、なんとか伝えたいことをまとめる。


「八木さんに謝られても、俺が許せることは少ない、と思う。傷つけられたのは事実だし、今は物資が足りなくて大変だから、それで謝るなら、受け入れてもいいよ」


 これじゃあ他の人に丸投げしたみたいだけど、俺が代表な訳でも、皆の総意な訳でもないから、案外しっくりくる答えになった。

 一仕事終えた気持ちで、ふぅと息を吐く。

「これが俺の気持ちかな」

 ぽかんとした表情の八木さんが、我にかえったように瞬きを繰り返した。信じられないとでも言いたげにその顔が歪む。

「お前ら、どうしてそんな簡単に……」

 俯いて、目元を手で覆う。弱々しく呟いたあと、ぱっと顔をあげた。目に薄らと水が張っているのは気のせいかもしれない。

「お前ら?」

「ジェイドも俺の気持ちは分かるからって、許す、っていうか、水に流すみたいな軽さで言われた」

 えぇ、と俺は眉を寄せる。八木さんの一番の被害者はジェイドさんだった気がするんだけど。

「それから、白樺と戸倉にしたことは許せないってことも」

「あー……」

 その保護者面に体が痒くなって、じわじわ恥ずかしくなる。

 本人に言われるよりはまだマシだけど、人づてでも充分な破壊力だ。

「まぁ……俺はもう良いよ。ジェイドさんが良いって言うんならそれも納得はしとく。戸倉さんには?」

 むず痒さを抑えて、若干早口で言う。話の流れから、ジェイドさんとは和解したみたいだし、俺が怒るのも違うだろう。


「まだだな」

 八木さんが首を横に振る。そういえば八木さんと戸倉さんは駐車場で感染者を倒す時に顔を合わせたくらいか。それ以降は会ってすらいないはずだ。


「じゃ、帰ってきたら会いに行こう。俺もついてく」

 本当なら全員に謝った方が良いんだろうけど、皆が集まった時でいいだろう。それに戸倉さんは一対一じゃないと流してしまいそうだし。


「帰ったらって、お前たち外に出るのか?」

「さすがに食べ物が足りないですから」

 怪訝そうな表情の八木さんに、今まで静かに会話を聞いていた三ノ輪さんが口を開いた。

「八木さんも来てくれます?」

 八木さんは充分に感染者と戦えるし、怪我もしてないから、ほぼ強制のようなものだった。

 それに、と俺は三ノ輪さんをちらりと窺う。

 ここで八木さんが積極的に動いてくれれば、皆にもう反抗の意思が無いことが示せるかもしれない。大人しく反省しているように映ってくれるし、もっと謝罪も受け入れやすくなるはずだ。

 三ノ輪さんがそれも含んで考えているかは分からないけど、計算には入れていそうだ。

「良いよな?」

 三ノ輪さんが俺に視線をやる。別に俺の了承なんて要らないだろ、と思いかけて、八木さんに開口一番言ったことを思い出す。

「別に良いよ」

 頷くと、あからさまに八木さんがほっとした表情を見せた。

「じゃあ準備してくるよ。お前らは?」

「俺達はもう一人確保してくるんで、準備できたらまた廊下に出といてください」

 頷く八木さんを横目に、三ノ輪さんが迷いなく廊下を歩き出す。

「一緒に行ってくれそうな人いるの」

 ここにもう一人加えるなら金井さんだけど、当の本人は一昨日のショックで落ち込んでいるらしい。


 感染者から逃げている時に、コンクリート片が散らばる研究所の前を通ってしまったのは確かに良い判断ではなかったかもしれないけど、俺は責めるつもりはなかった。でも本人はかなり責任を感じて、ちょっとしんどくなっているみたいだ。

 だから金井さんには少し休んでもらおうと、最初から人数には入れていなかった。


「一応。トラウマになってなきゃ良いんだけどな」

「あれ結構キツかったもんね」

 肉剥き出しの顔に囲まれるのもそうだけど、特に追われる恐怖も強かった。さらに今日は徒歩での移動のつもりだから、嫌でも意識せざるを得ない。

 だからといって、動けない程になる人は少ないだろう。


 なんていう楽観的観測は、ものの見事に外れた。

 何人かは外に出ると聞くと、さっと顔が強ばって返事に躊躇した。そんな人に無理強いするとろくな事にならないから、俺も三ノ輪さんも素直に引いた。もう何人かは、単純に体調不良だ。メンタルが体調に響いたらしい、目眩やら頭痛やらでしんどそうな人達ばかりだ。


 コンコンと三ノ輪さんが扉をノックする。俺の計算が合っていればもうこの部屋に居る人で全員に聞いてまわったことになる。

 出てきたのは比較的俺と歳が近そうな青年だ。柔らかい茶色に染めていたのか、毛先だけ髪色が違う。

 事情を話すと、大きく頷いた。

「じゃ、オレ行きますよ」

「いやもう助かるよほんと……」


 三ノ輪さんがため息をつく。この人に断られたら、後はもう不知火さんを見てくれている蛍さんしか居ない。

 あっさり了承してくれたことに感謝しつつ、八木さんのところへ行って、ようやく外に出るための準備を始める。



遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします

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