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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
47/99

必要なラベル

 うつ伏せで眠っているらしい彼を見て、息を飲んだ。上げかけた声もどうにか一緒に飲み込む。


 上半身は晒され、肩から背中にかけて包帯が巻かれていた。それはやけに膨らんで、下に何かあてがっていることがうかがえる。横に向けられた顔には血の気が無くて、怖くなるほどに白かった。瞼を閉じて眠っているらしいその姿はうっかりすると――――。

 けれど側には三ノ輪さんがあぐらをかいていて、タオルを水に濡らしていた。きっとジェイドさんの体を綺麗にするためだろう。それだけで嫌な想像が少し薄れる。


 意識して息を吐いて、早鐘のように打っていた胸を抑える。そろそろと彼の側に近づいた。

 気づいた三ノ輪さんが顔を上げる。

「あの、ジェイドさん、大丈夫なんですか」

 どうにか心臓を落ち着かせても、気持ちははやってしまって、挨拶もせず三ノ輪さんに聞いてしまう。

 それに気を悪くした素振りも見せず、三ノ輪さんはまたジェイドさんに目を向けて答えた。

「大丈夫っていうか、まぁ、生きてるな。殴る蹴るされたとこも折れてないし、怪我の方も血は止まったし」

 大丈夫とは言い切らないものの、大丈夫だと思えるように気を遣われた答えだった。

 それに、と苦笑して三ノ輪さんは続ける。

「この怪我であんだけでけぇ声出せたんだ。何とかなる」

 海音、と呼ばわった声が耳に蘇る。続けて撃つなと腹の底に響く大きな声。

 今は包帯に巻かれて見えないその傷を抱えて、彼は駆けつけてくれた。疲弊しきって、ボロボロの体で、きっと走りたくなんてなかった筈なのに。

 どうして出会ってからたった数ヶ月しか経っていない赤の他人にこんなことが出来るの。どうして私をいつも助けるの。女で、しかも子どもの私を。助けてくれる理由は、本当に職種だけ?

 ずっと疑っていた。最初から優しすぎて、それは受け取るのも戸惑う程で、怖かった。でもいつの間にか浸ってしまうくらいにはその優しさは甘かった。

 私は怪我をした貴方を見て、貴方が死んだら私は生きていけないと、自分を心配した。どうしようもなく不安になった。

 だって私が危ない時に来てくれるのはいつも彼だったから。

「……縫合しようとも思ったんだ。でもこの状況じゃ縫合するリスクの方が高かった。俺も失敗しないとは限らないし、むしろ上手く出来る可能性のが低い」

 私の様子を知ってか知らずか、三ノ輪さんがゆっくりと話し始めた。

「けどほっとくとなるとジェイドは満足に一人で動けないだろうな。傷に障らないように動くには介助が必要だ。それも感染症の心配もあるから、あまり出入りしない人が良い」

 独り言のように淡々とした口調が、途中から噛んで含めるような説明になっていることに気付いて、私は顔を上げる。


「怪我人の介助を君達に頼みたい」


 直前の話で、君達、が誰を指し示すか分かった。


「女だからですか」

 噛み付くように言うと、三ノ輪さんは虚を衝かれたように目をしばたたかせた。


 私と出会ってから、ジェイドさんはきっと損な役回りばかりさせられている。自分で自分の身を守りきることが出来なくて、最後には彼頼みになってしまって。それは私が女だから、余計に課してしまった重みじゃないのか。

 それなのに私は、まるで死んだように眠っているジェイドさんを見て、守ってくれる人が居なくなる心配をした。

 その二重の自己嫌悪が、三ノ輪さんに八つ当たりさせる。

「やっぱり女は足でまといで、出来ることが少ないから、だからまた外に出さないようにするんですか」

「……ちょっと待て。戸倉は結局何が言いたいんだ?」

 彼が怪訝な表情で言い募った私を遮った。本当に意味が分からないとでも言いたげだった。

「だから、」

 言いさして口を噤む。三ノ輪さんは中学校で何があったのかは知らないはずだ。

「また、こんなふうに分けちゃったら、溝が出来ちゃうから……」

 俯いて小さく言う。自分が酷く子どもじみた行動をしているのは分かっているけど、何故か止められなかった。

 混乱したような頭で、もっとしっかり伝えようと言葉を探していると、不意に背中に暖かい手が置かれた。


「鹿嶋がね、そんな態度をとってたんだ。前に居た避難所で。

 男女でやることが分かれるところまでは良かったんだけど、ストレスのかかり方が違って、男側が荒れ始めちゃって。最終的に鹿嶋は必要な奴だけ引っこ抜いて後は置いてこうとしたんだけど、ストレス溜まってた奴らは軒並み賛成したんだよ。その置いていく方法も、これだったから」

 白樺さんが側にあったガンホルダーを小突く。

 私が説明できなかったことをあっさりと説明出来てしまう白樺さんに胸が沈んだ。私はきっとまだ、そんな風には話せない。

 一方で説明を受けた三ノ輪さんは眉を寄せ、最低だな、と吐き捨てた。意味は正しく伝わったらしい。


「それで、戸倉は心配してるんだな? また同じことが起こるかもしれないって」

 何も言わず、ただ俯いたまま頷く。三ノ輪さんが大きく息を吐いた。

「そうだなあ」

 何か悩んでいる様子で、部屋に沈黙が落ちる。

 その間に私は八つ当たりしたときの気持ちが静まってきて、自分の幼さに落胆していた。

 長く忘れていた子どもっぽい自分にまた嫌気がさす。

 喉元を掴まれているような苦しさと圧迫感。気まずさも相まって、すぐにでもここから逃げ出したかった。


「何から言えば良いか分からないけど」

 耐えられそうになくなったとき、ようやっと彼が口を開いた。

「まず俺が差別するような人間に思われてたことに腹が立つな」

 はっと顔を上げる。彼の目は真っ直ぐ私を見据えていた。目から分かってしまう怒りを見たくなくて、またすぐに視線を落とす。

 確かにそうだ。私は彼を疑った。彼もまた、自警団のようなことを考えるんじゃないかと。


 すみません、ごめんなさい。反射的に謝ろうとした私に被せるようにして三ノ輪さんが重ねた。

「でも戸倉の思考をそういう風に歪めた奴らには、もっと腹が立つ」

 その内容に、私は目を瞠る。

 思考をそういう風に歪めた。心の内で繰り返して、私は狼狽えた。


 どこが歪んでいるのかが、分からない。


 何故かその指摘に対する言い訳や、抗議の言葉を探している自分が居た。

 私の表情でまだ納得出来ていないことに気付いたらしい三ノ輪さんが、諭すように問いかける。

「何で俺が女性に怪我人の介助を頼んだと思う?」

「……女の方が、得意だから?」

「何が」

 冷静に問い詰められる居心地の悪さを感じながら、私はまた答えた。

「他人のお世話をするのが」

「違う。少なくとも俺はそんな浅い考えで頼んでないもないし、理由はもっと単純だよ。……何だと思う?」

 私が出した答えを一蹴して、彼はまた質問を投げかけてきた。

 女が理由じゃないなら、一体何なのか。でもそもそも彼が介助を頼んだ相手は女性に限定していた。

 ならやっぱり理由は女だからじゃないかと思考が堂々巡りする。

「分からない? ……そうか」

 しばらく経っても答えが出ずに閉口する私を見て、三ノ輪さんが小さくため息をついた。その反応が怖くて肩をすぼめる。

「じゃ戸倉だけに限定しよう。もう何度も感染者とは戦ってる戸倉に怪我人を見ててもらいたい理由」

 それは、私が足を引っ張るかもしれないから……と答えようとして、彼の目がちらりと動いたことに気づく。

 視線を辿っていって、あっと私は声を上げた。

「足を怪我してるから、です」

 傷に障らないように崩した足を見て、ようやく思い至った私に、三ノ輪さんが表情を少し柔らかくする。

「そ。その足で走るのは嫌だろ」

 ましてや全力疾走なんてできるはずもない。今の私が外に出るなんて、ただの自殺行為だ。

 そして言われるまで気づけなかった恥ずかしさに、頬が熱くなった。

 先程から自分のことも把握出来ていないくせに、ただ気に入らないから喚いているだけだったのだ。


「後で消毒して布替えような。……で、後の女性らについてだけど」

 自分については納得したけれど、まだ海麗ちゃん達にも頼む理由は分かっていない。

 三ノ輪さんの言葉を待つ。

「これはもう、効率の問題。性差による力量は、まぁ今は置いとくとして。……そもそも夢前や御陵は感染者と戦った経験が無い。戸倉みたいに対処の仕方を教えて貰う機会も無かったんだ。今急に、はい、感染者倒して食料やら何やら取りに行きましょう、なんて言われても難しいだろ。かといって悠長に教えるには足りない物資が性急すぎる。

 物資は動ける奴らが取りにいけばいいし、無理な奴らは屋内で出来ることをすればいい」


 そこまで言ってもらって、漸く私はさっき三ノ輪さんが指摘した歪みを理解する。


「私……」

 理解したことを伝えようと思うのに、く、と喉が締まって上手く話せない。

 それでも大きく息を吸って、吐き出す代わりに言葉を押し出した。

「私、分かってなかった。どこからがおかしくて、おかしくないのか」

 ぎゅっと自分の左腕を握る。そうしないと手がみっともなく震えそうだった。

「男女で別けるのは、こんな世界じゃ仕方なくて、それは変なことじゃない。おかしく、ない」

 自分の間違いを認めるのは思ったよりも辛く、しかもその間違った考えをさっき振りかざしてしまったものだから、居た堪れない。

「おかしいのは、お互いに出来ないことを補い合っていたはずなのに、それを絶対のものにして、優劣を付けてレッテルを貼ったこと。なのに、私は、……男女で別けることが嫌で、おかしいことだと、思った」

 訥々と、でも声は小さくならないように。まだ間違えているかもしれない恐怖を押し殺して。

 白樺さんが私の肩に手を回した。勇気づけるように、まるでジェイドさんの代わりをしてくれているようだった。


 この世界で生き抜くためには、身体能力の差がある男女で違う役割をするのは異常なことじゃない。大抵は男性の方が力はあるし足は速い。だから彼らに食料や物資の調達を任せるのは、合理的だ。


 起きてすぐの海麗ちゃんとの会話を思い出す。

 適材適所だ、と私は彼女の考えに賛成した。そこで外に出て物資調達をする方が先だろうと、そこに加われなんて、露程も思わなかった。

 だって彼女には難しい。銃の扱い方も知らなければ、きっと感染者にも慣れていない彼女に、どうしてそんなことが言えるだろう。

 でも彼女が感染者と対峙する方法も知っていて、何の問題も無く行けるなら。そして彼女自身がそれで良いと思えるなら、私は物資調達に参加することに眉を顰めることはないだろう。


 逆に感染者を見ると竦んでしまったり、病弱だったりして体力がない男性が居たらどうするだろう。

 男性が複数居る今の状況なら、感染者と対峙せずに居ることも許されるのではないだろうか。

 

 結局は状況に拠るのだ。誰が何をするのが効率的かなんて、一つの性別(ラベル)で決められることじゃない。でも今の判断材料に性別の違いは必要だ。


 そう思うと、すとんと腑に落ちたような、肩の力が抜けたような感じがした。


 今度はつっかえることも無く、落ち着いて考えた事を話す。

 三ノ輪さんはその間、ずっと真剣に聞いていてくれた。話し終えると、ゆっくりと頷いてくれた。

「うん、そう。戸倉は女だからこうしなければならない、とかそういうのが嫌だったんだろ。しかもそれ押し付けられた挙句荷物扱いされて、不安に思うのも、別けることに嫌悪感を持つのも無理ないよ。でもずっとそうやって一つの事に問題の原因を求めすぎたら、いつか何が正しいのかわからなくなる。視野が狭くなるからな」

 俺もまだ言える立場じゃないけど、と苦笑する。それに私は強くかぶりを振った。


「私、気づかせてもらえて良かったです。そういう自分が居ることに気づけて良かった。……ありがとうございます」

 ちょっと目を見開いた後、三ノ輪さんが嬉しそうに笑う。けれどすぐふいっと横を向いた。

「まぁ……うん。ありがとうとか、言わなくても良いけど」

「あー照れてるんだー!」

 お礼を言われ慣れていないのか、頑なに目を合わそうとはしない彼を、白樺さんがここぞとばかりにつつきにいった。

 それに私は笑みを漏らす。

「うるせぇ。こんなおっさんみたいな説教するとか考えたことなかったんだよほっとけ」

「三ノ輪さんおっさんじゃないの?」

「え?」

「え?」

 意外そうな声を出す白樺さんに三ノ輪さんははっきりと傷ついた顔をして――、白樺さんの頬をつねりあげた。

「おわーーー! バッッカバーカ! バーカ!」

「別に怪我してる方じゃねぇだろ大袈裟だな!」

 バーカバーカと口にする白樺さんの頬には、大きな絆創膏が貼られている。それは多分、お友達と絶交する時についた傷だ。

 傷もそうだけど、白樺さんは大丈夫なのかな、と私も笑いながらも、胸がちくりと痛んだ。

 だって生きているのに、また会えたのに決別してしまうなんて、寂しくないのだろうか。惜しくはないのだろうか。

 もしまた会えたなら、私なら別れたくはない。白樺さんだって、彼とは随分仲が良さそうだった。

 それなのにどうして。

 三ノ輪さんにわーわーと抗議する彼は普段と変わらない明るさだ。

 流石に今この事を発言する勇気は無いので、とりあえず白樺さんを宥めに掛かる。

「白樺さん、おじさんなんて言っちゃ駄目ですよ。指摘されたら傷つくでしょ?」

「戸倉? フォローに見せかけた肯定は一番心に来るんだが?」

 隣では白樺さんが遠慮なく爆笑している。自分で言っておいて気の毒な気がしてきたので、笑いをどうにか噛み殺していると、三ノ輪さんがそんなに老けて見えるのか……? と単純に落ち込み始めてしまった。

 慌てて手を振って否定する。

「嘘です! 冗談ですから!」

「うわぁ戸倉さん結構エグいことするんだね……」

 わざとらしく手で口元を抑えて、白樺さんが身を引く。

「白樺さんが何をっ……」

 ふと横から白樺さんじゃない声が聞こえた気がして、口を閉じる。

 もしかして、ジェイドさんが目を覚ましたのだろうか。

 期待を込めて、彼の顔を見るために体を傾ける。白樺さんも聞こえたのか、顔をジェイドさんの方へ向けた。


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