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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
46/99

できること

 朝日が目に眩しい。

 どうやら海麗ちゃんと話している内に眠ってしまったらしい。目を擦りながら身を起こす。

 隣で寝ていた海麗ちゃんがうーんと唸った。

「あ、おはよう」

 億劫そうに起き上がる彼女に挨拶をする。起き上がったはいいものの、眠気が取れないのだろう。大きなあくびをして、今にも瞼が落ちそうだ。

「まだ寝てる?」

「んー……。いい。起きる」

 別に好きなだけ眠ったって良いのだけど、彼女の意思は硬いらしい。

 もそもそとベッドから這い出る。

「皆起きてるかな」

 隣の部屋や外からは何も聞こえてこないけど、どうだろうか。

 今まで誰も私達の部屋を訪ねてこなかったのは遠慮しているというよりは、疲れてそんな気力も無いという方がしっくりくる。

「外出てみよっか」

「そうだね。……あ、でもその前に着替えたいかも」

 海麗ちゃんが服をつまんで苦笑する。私も自分の服を見下ろして、思わず顔を顰める。

 埃や血でどろどろだ。きっと汗も吸っているのだろう、急に服が重く纏わりついてくるような気がした。

「海麗ちゃん、下着ある? そっちなら二人分あるよ」

 廊下に打ち捨てられたように置いてあるリュックを取りに行く。後ろからお願い、と声がかかった。

 リュックを開けると、一番上に剥き身のナイフが光を返した。

 まさかホルダーにも入れずに突っ込んだのかと、自分に対して呆れる。疲れていたからって、それはない。

 血液はきちんと拭われているからまだ良いけど、これで中の物が壊れる可能性もあるし、何よりリュックから飛び出て、その拍子に誰かが怪我をするかもしれない。

 ナイフを取り出し、ホルダーを探そうとした所でリュックの中には見当たらないことに気づく。

 え、と腰に手をやって、未だにしっかりと巻きついているホルダーの存在を確認する。

 今度こそため息をつき、ホルダーを外した。


「海麗ちゃん、何してるの?」

 ナイフをきっちりとホルダーに納め、こちらに背を向ける海麗ちゃんに声をかける。彼女はどうやら部屋の隅にあったカラーボックスを漁っていたようだ。

 中身は服だろうか。腕に何着か引っ掛け、かなり奥の方までひっくり返していたらしい。

「下着、机に置いとくね」

「ありがと。これ、海音ちゃんの分。男物だけど、とりあえず着るくらいならいいよね?」

 そう言って寄越されたのは無地の黒い服とハーフパンツだ。男物なだけあって、どちらもかなり大きいが、ハーフパンツは紐を絞ればずり落ちる心配も無いだろう。

「うん。海麗ちゃんは着れそうなのある?」

 彼女の手元を覗き込む。中にはズボンやシャツがぐちゃぐちゃに入っていた。元の持ち主が大雑把なのか、海麗ちゃんが漁ったからか。皺の付き方から前者のような気がする。

「上は何でも良いんだけど、ズボンが……あ、これでいっか」

 引っ張りだしたのはカーゴパンツだ。彼女がどうでも良さそうに呟く。

 彼女をそっと横目で窺う。その表情に躊躇いや嫌悪感は無い。

 知らない人の、しかも男性の服を着るのは抵抗があるんじゃないかと思っていたが、案外平気そうだ。

 着替え始めた彼女に倣い、私も汚れた服を脱いだ。


「……これじゃ着たい服があってもすぐ見つけられないよね」

 着替え終わった海麗ちゃんが、カラーボックスを見ながらぽつりと言った。緊張しているように声が硬い。

 脈絡の無さもあいまって、私は首を傾げる。とりあえず続きを待ってみると、彼女は私に視線を移した。

「誰だってできないことはあるから。……もしそれを私が出来るなら、やった方がいいかな」

 海麗ちゃんは慎重に言葉を選びながら、自分の考えを口にした。私はそこでようやく、彼女の言いたいことが理解できた。


 出来る人が出来ることをやる。出来ないことは他の人に任せる。適材適所、役割分担のことを言いたいのだろう。

「うん。その方が良いよ。今までよりも、ずっと」

 海麗ちゃんの手を両手で握り、しっかりと肯く。微笑むと、彼女はほっとしたように目を細めた。

 そのまま彼女の手を引いて、立ち上がらせる。海麗ちゃんのその思いは、出来るだけ早く行動に移した方が良い。

 ……それに、早くジェイドさんに会いたい。

 鍵を開け、チェーンは外さず共用廊下を覗く。見えるところに人は居ない。呻き声も聞こえないから、近くに感染者も居ないだろう。もし居たとしても、ドアを開ける音に反応しているはずだ。

「あいつら居る?」

 こそりと囁く声に私は首を横に振る。

「多分、大丈夫」

 マンションの外にはうろついているだろうけど、部屋はなるべく上方を選んでいる。多少の開閉音は気にしなくて良いだろう。

 今度はチェーンを外して扉を開ける。顔だけ出して、再度感染者が居ないことを確かめてから、やっと部屋を出た。

「とりあえずノックしてみる?」

「そうだね」

 インターホンが鳴るわけないし、不必要に声を出すのも躊躇われたから、海麗ちゃんの提案に頷く。


 出てすぐ右の扉を三、四回叩いて、じっと反応を待つ。ふと中で動く気配があった。玄関で立ち止まり、ややあってから、がちゃりと鍵を外す音。

「えっと、海麗ちゃんと……海音ちゃん、だよね」

 ドアから顔を出したのはあの大学生くらいのお姉さんだ。

 確か名前は、

「はい。おはようございます、夢前(ゆめさき)さん」

「あっ、全然、彩瑛でいいから。あんまり気を遣わないで」

 夢前さんが顔の前で手を振る。今まで苗字で呼んでいたからそれで良いのだと思っていたけど、目の前の彼女は本当にそうして欲しそうだった。

「じゃあ、彩瑛(さえ)さん」

 彼女の少し嬉しそうな表情を確認して、私はほっと胸を撫で下ろす。


「私達、これからどうしたら良いか分からないので、とりあえず起きてる人を探していたんです。それで最初にこの部屋をノックしたんですけど、迷惑じゃありませんでしたか?」

 説明すると、彩瑛さんが納得したように頷いた。

「少し前に起きていたから、大丈夫だよ。むしろ海音ちゃん達が来てくれて助かったかも」

 私もどうしようか迷ってたから、と彼女は眉を下げて笑った。

「本当は全員集めるのが良いんだろうけど、一人で男の人に声をかけるのはどうしても出来なくて」


 そういえば彩瑛さんはあの避難所に居たのだろうか。けれどあの人なら誰かを見つけたとしても、まず何か要求しそうだ。それが女性の場合は、医療や、サバイバルか何かの専門的な知識を持っていない限り、大抵その身一つだろう。


 私はできる限り信用してもらえるように、彩瑛さんの目を真っ直ぐ見ながら言った。

「大丈夫です。私も海麗ちゃんも、男性の中に信頼できる人は居ますから」

 けれど彩瑛さんは曖昧に頷くような仕草で、視線を下げてしまう。

 その様子に私は目を瞬かせ、内心首を傾げた。どうやら彼女を安心させることは出来なかったらしい。

 次に続ける言葉が思い浮かばず閉口していると、海麗ちゃんが身を乗り出した。

「あとね、彩瑛さんに酷いことした人、多分もう居ないよ」

「え?」

 ぱっと彩瑛さんが顔を上げる。その目には驚きと期待が浮かんでいた。

「私もちゃんと見たわけじゃないけどね」

 海麗ちゃんが笑って付け加えた。期待させないようにか、あえて軽い口調だ。

 それが伝わったのか、彩瑛さんは首を横に振って、淡い笑みを浮かべた。明らかに先程よりは落ち着いた表情で、少しは気楽になっただろうか。

「ううん。ありがとうね、海麗ちゃん。海音ちゃんも。……あの、えーと、誰だっけ」

 うーんと人差し指をこめかみに当てて、彩瑛さんが唸る。誰かの名前を思い出そうとしているようだが、なかなか出てこない。

「あの人、目元にホクロがある……海音ちゃん達と一緒に状況を伝えに来てくれた人だと思う」

「あ、三ノ輪さんですか?」

 何とか捻り出されたヒントに、浮かんだ名前を口にする。すると彩瑛さんがそう、と大きく頷いた。

「多分そう! その、三ノ輪さんなら、どこに居るか知ってるんだけど」

 普段から話す機会が少ないから、顔と名前が一致していなかったのだろう。私も十数人の顔と名前は、一回の自己紹介では覚えられない。実際彼の名前も最初は出てこなかった。


「三ノ輪さんなら、大丈夫そうだよね」

 不安げに海麗ちゃんが私をうかがう。

 三ノ輪さんはジェイドさんと良く話しているのを見かけるし、今までかなり私達に気を遣ってくれている。ここで警戒するのは、むしろ彼に失礼なくらいだ。

「不安になることは無いと思うよ。それに梅谷さんのときだって、わざわざ来てくれたでしょ?」

「うん……ごめん、やっぱり男の人ってなるとなんか……」

 やはり警戒してしまうらしい。

 その気持ちが分かる一方で、信頼できると分かったなら、警戒する必要も無いのにと憮然とした気持ちになる。

 たくさんの気遣いをしてもらった三ノ輪さんだから、それは尚更だった。

「仕方ないよ、海麗ちゃんは。私も男の人はまだ怖いもの。海麗ちゃんなら尚更だと思う」

 場を執り成すような彩瑛さんの発言は、私達にというより、私に向けられたもののようだった。

「……ごめん」

 今度は私が謝る。確かに恐怖なんてそうコントロールできる感情じゃない。

 海麗ちゃんは困ったように笑って頷いた。謝らなくてもいいと言われているみたいだった。 

「じゃあ行こっか」

 彩瑛さんが靴を履く。何でもないように掛けられた声に先程までの微妙な空気は消え去って、内心ほっとする。


 三ノ輪さんが居るという部屋は、階段を下ってすぐの、一番近い場所だった。

 こつこつと彩瑛さんが扉を叩く。その横顔には微かに緊張の色が浮かんでいた。

 けれど暫く経っても、扉が開く気配がない。

「寝てるのかな?」

 彩瑛さんが首を傾げて、もう一度扉を叩いた。呟いた内容から、部屋の場所が曖昧な訳でもないらしい。

 三ノ輪さんは眠っているか、今は居ないのか。

 どちらにせよ埒が開かないので、他に居場所を知っている人がいないか聞こうとした時、ガチャリと扉が開く音がした。

 目の前のものではなく、すぐ隣の部屋からだった。

「白樺さん」

 出てきた目的は最初から私達にあったのか、扉から顔を覗かせた彼の目線は既にこちらに向いていた。きっとノックの音と話し声が聞こえたのだろう。

 明らかに安堵した様子で、白樺さんがドアを全開にした。

「戸倉さん、どうしたの?」

 視線を私の後ろへやって、彼は窺う表情になった。

「何かやることは無いかと思って」

 本当は一番にジェイドさんのことを聞きたかったけれど、後ろの二人は不思議に思うだろうからぐっと我慢する。

「え? ……あぁ、じゃあできるだけタオル持ってきてくれない? 部屋にあったので良いから」

 白樺さんにとっては想定外の内容だったのか、一瞬だけ怪訝な顔をする。けれど海麗ちゃんと彩瑛さんを見て納得したように頷いた。

「戸倉さんが持ってきて。この部屋ね」

 白樺さんがわざわざ私を指名して、それから、と後ろの二人に向き直る。

「蛍さんなら角部屋に居るよ。多分そっち行った方が指示貰えると思う」

 二人への指示はどこか投げやりな言い方だが、私は白樺さんに後でお礼を言おうと決める。タオルが必要なのはきっとジェイドさんで、怪我人だ。

「なんで私達と海音ちゃんを別けるの? なんでタオルが要るわけ」

 ジェイドさんにやっと会えそうで内心ほっとしていたら、海麗ちゃんが食い気味に言った。私の横に立って、どこか不満げな様子だった。

「それは」

 ジェイドさんに会いたいから、と言うのは、二人の前では気が引けた。自分でも何故なのかは分からないけど、そう言うと彼女達と壁が出来るような気がしたからだ。

 言い淀んだ私を見て、白樺さんが笑みを浮かべた。けれど微妙に目が笑っていない。

「タオル運ぶのなんて一人で十分だからだよ。でもって怪我人の看病に使うの。それに御陵さんも蛍さんに会いたいでしょ?」

 も、を強調した白樺さんの真意は、海麗ちゃんに伝わったのか。

 横に並んだ彼女が、はっとしたように私を見た。


「……ごめん、ずっと気になってた」

 気まずく目を逸らしてそれだけ言うと、海麗ちゃんが目に見えて慌て始めた。 

「嘘っ、海音ちゃん、ごめん、ごめんね。うわ私すっごく蛍姉さんに会いたい彩瑛さん行こ」

「うん? え、大丈夫……あ、キミ海音ちゃんと一緒に来た子か」

 まくし立てる海麗ちゃんに、彩瑛さんが戸惑いながら引っ張られていった。状況は飲み込めないでも、私のことをしっかり気遣ってくれるのだから、彼女は優しい。

 廊下の端まで行って扉を叩く海麗ちゃんを横目に、私は白樺さんにお礼を言った。

「ありがとうございました。タオルすぐ持ってきます」

 白樺さんがよろしくねと頷く。その顔は少し不機嫌そうだった。

 最後に彩瑛さんに疑われたのが嫌だったかな、と当たりを付けつつ、部屋に戻ってタオルを探した。

 部屋の持ち主は洋服の片付け方は大雑把だったものの、タオルはきちんと畳んで洗面所の棚に全て置いてあり、そう時間を掛けずにタオルを白樺さんの元に届けることができた。

 一応ノックしてから扉を開ける。


「ありがと、戸倉さん」

「いえ……ジェイドさんは?」

 タオルを受け取りながら、白樺さんは考え込む様子を見せた。

 駆けつけてきてくれた時は大きな怪我をしているようには見えなかったけれど、よく思い出せば、彼の背中はかなり濡れていた。――きっと血液で。だから怪我を負っていることを隠すように振る舞っていただけかもしれない。

 考えれば考える程、ジェイドさんは大怪我を負っていたような気がして、不安が波のように押し寄せてきた。

「大丈夫! 少なくとも死にはしないって三ノ輪さんが言ってたし」

 はっきりと不安が顔に出てしまっていたのか、白樺さんが慌てて言った。少なくとも、が引っかかるけど、ひとまず安心する。

「ただちょっとびっくりするかもだけど」

 白樺さんが淡く苦笑する。どうして、と聞く前に、部屋の奥の方へ行くように促された。

 部屋に繋がる扉を開ける前に、深く息を吸う。

 ジェイドさんが起きていても私に気を遣うことのないように、努めて不安を表に出さないようにしながら、そっと扉を開けた。


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