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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
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受け入れがたいもの

 泥から引き上げられるように、ゆっくりと意識が覚醒した。

 けれど辺りは真っ暗なままだ。瞼がノリでくっつけられたように開かない。体はありえないほど重く、気だるい感じがした。動くことも、億劫だった。

 どうすることも出来なくて、ただじっと暗闇のなかに息を潜め、時間が経つのを待った。



 どれくらい経っただろう、起きているのか夢の中なのかわからなくなって、しだいに意識の輪郭がぼやけていく。


 ああ、似ている。


 暗闇の中、飢えすら感じられなくなって、ただ気絶するように眠っては醒めていたあの時。呼吸しているのかも定かじゃないなかで、自分の命がさらさらと砂のように零れていくのを見つめるしかなかったあの長い時間。

 目を覚ませば死と向き合わなければならないから、ずっと眠って、そのまま死にたいとさえ思った。


 その状況と、今の状況は良く似ていた。


 起きたいと思うのに起きられない。どこか圧迫感を覚える。

 夢なら、さっさと覚めて。

 心の内でもがいていると、いつの間にか空気は埃っぽくなり、私の鼻は肉の腐るすえた臭いを嗅ぎとるようになっていた。

 

 うっすらと目を開ける。やっと開いた、と安堵した瞬間、視界に広がる薄暗さに息が詰まった。

「え……」

 声は予想外に掠れ、ほぼ吐息のように漏れた。鼓動がしだいに速まっていく。

 恐る恐る視線だけを動かしていくと、青白い手が無造作に投げ出されていた。

 それは自分の手だった。どれだけ動かそうとしても、粘土みたいに床に張り付いて動かない。まるで、もう。

 そう思った途端に口の中が急速に乾いていった。舌が上顎に張り付く。

 唐突に狭まっていく視界に、ぬっと黒い影が現れた。その人影からはすすり泣きが聞こえた。

「真美、真美お願い、一人にしないで。いかないで」

 そう言いながらこちらにしがみついて震える人影の輪郭がぶれて、ただの黒い塊になっていく。

 やがてすすり泣きが遠のき、思考だけが唯一動くものになる。


 あれは私、だ。

 違う。

 臆病で、卑怯者の私。

 違う。

 真美を死なせた、私だ。

 違う。


 私が真美の分の水を、食べ物を奪ったから、真美は死んだんだ。

「あんたが、……」

 だからあの子は、私に生きてなんて言えるはずない。もし最期に思うなら、言うなら。



「……あんたが死ねばよかったんだ」




 は、と目が覚めた。

 何か自分の声で目が覚めたような気がして口元を抑える。

 荒い息がくぐもって耳に届いた。

 悪夢の名残りが収まったところで手を下ろし、何度か深呼吸をして痛いほど鳴っていた心臓を落ち着かせる。

 汗で張り付いた髪を払おうとして、手が空をきった。そういえば、髪を切ったのだった。

 それに気づくと同時に、今までのことが蘇って、どっと疲れが押し寄せてくる。


 あの後思わず眠りこけてしまった私だったけれど、あまり間を置かずすぐに起こされ、無事に適当なマンションに着いたことを知った。そのまま朝日に照らされながら鍵の掛かっていない部屋を探し、最初に見つけた部屋で海麗ちゃんと先に休ませてもらったのだ。

 さっと埃を払っただけのベッドに二人で横になると、もう眠った瞬間も覚えてないほどすぐに寝付いてしまったらしい。


 疲れのせいか若干くらくらする頭を振り、ベッドから足を下ろす。後ろでは海麗ちゃんが寝息をたてていた。

 彼女を起こさないように、そっと熱のこもる布団から抜け出すと、汗ばんだうなじがすっと冷えていった。

 立ち上がろうとして、ふくらはぎの痛みに顔をしかめる。梅谷さんに刺された傷は、腫れているのか、そこだけ血がたくさん流れているように脈打って感じられた。

 傷に触らないように、ゆっくりと足を動かし、窓際まで移動する。

 窓の外は暗く沈み、月は高い位置で輝いている。カーテンから漏れる月明かりでなんとなく予想はしていたけど、どうやら半日熟睡していたらしい。


 窓を開け、ベランダへ出る。少し寒いくらいの空気が体を包んだ。もう少し暑くなってくれば、梅雨がやってくるだろう。

 柵に肘を預けて頬を支えながら、ぼんやりと考える。


 ジェイドさんは、大丈夫だろうか。暗がりのなかでも彼はたくさん怪我をしてたのは分かったし、普段の余裕は無さそうだった。

 本当は今すぐにでも彼のところへ行きたいけれど、どの部屋に居るか知らないし、虱潰しに探したら色んな人に迷惑がかかるだろう。

 明日、とりあえずマンションの廊下に出てみよう。一人くらいは起き出しているはずだ。

 撃たれてかなりの出血をしていた人も気になるし、最後に助けてくれたあの人も、ここにいるのなら会えるだろう。話せたらお礼を言いたかった。


 ひんやりした風が腕をさすった。体にこもっていた熱もすっかり抜けて、少し肌寒い。そのおかげか、頭はすっかり冴えてしまって、眠れそうになかった。


 直前までの記憶がまとまると、今度は夢の内容が自然と脳裏に浮かんだ。

 既におぼろげな夢を、忘れないようにゆっくりと思い出す。


 今までは友人の最期の言葉を支えに生きてきた。だから梅谷さんに襲われたとき、一瞬でも諦めた私を責めるために、あの場所は夢にまた出てきたのだろうか。

 けれどそう解釈するのも何か違う気がする。だって目が覚める直前の言葉は、きっと私の生を願っていない。それだけはぼんやりと覚えている。


……私は彼女の分の食糧を奪って、生き延びた。


 それも彼女はまだ生きているときに。もしその食糧に手を伸ばしていなかったら、彼女はもっと長く生きていたかもしれないのに。

 今、一緒に居れたかもしれないのに。


 そっと両手で顔を覆う。震える唇を噛む。


 自分の体を自警団に差し出さなかった後悔より先に、このことを後悔しなければならなかったのに、できなかった。

 いや、したくなかったのだ。その自責から目を逸らしつづけてきた。

 彼女は清廉だった。生きてと言ってくれたのに、意地汚く食べ物を横取りした私とはあまりにも違う。


 自分の汚さを自覚できない弱さが、さらに私を苦しめる。


 じわりと目に涙が浮かんで、けれど私はそのことに笑ってしまう。

 この涙は、自分のための涙だ。己の情けなさを嘆くための涙。


 それを流すまいときつく瞼を閉じる。微かに滲んだ水滴が乾くまで、そうするつもりだった。


「海音ちゃん」


 後ろから名前を呼ばれて、ぱっと涙を拭う。海麗ちゃんが起きてしまったらしい。

 はっきりと私の名前を呼んだことから、以前のように意識無く動いているような状態ではないだろう。

 そう当たりを付けて、こちらも名前を呼んで振り返る。

「海麗ちゃん、どうしたの?」

 月明かりを受けて、彼女の顔が青白く浮かんでいた。その顔が、つと歪む。


「……ごめんね」

 絞り出すような謝罪に、眉をひそめる。謝られるような覚えなんて無い。

「何が?」

 聞くと、虚を衝かれたように彼女は瞬いた。ついで目を泳がせる。

「だから、その……おかしいとか言っちゃって」

 あぁそのことか、と得心して、私は微笑む。

 きっと梅谷さんに襲われた後の問答のことを言っているのだろう。

 復讐を止めた私を、綺麗事を発した私を、彼女は人としておかしいのだと、そう感じた。彼女がそう思ったことを私は否定するつもりはない。

「大丈夫だよ。気にしてないし」

 だから別に謝る必要なんてないのに。そう思ったけど、彼女は納得していないようで、ふるふると首を横に振った。


「海音ちゃんはきっと、人より強いだけなんだよ。だから、おかしくなんて、ない……」

 最初はしっかりとこちらを見ていたのが、後半になると言葉も尻すぼみになって、目線もついに逸らされてしまった。

 理由は聞かなくても分かる。

 きっと自分は今、冷めた目で彼女を見ているのだろう。

 

 私は彼女が思っているよりも卑怯で、弱い人間だ。しかもそれを、受け入れようともしなかった。

 海麗ちゃんはそんな私を知らない。そんな彼女の言葉をどうして信じられるだろう。

 だからといって、この弱い心を打ち明ける勇気はない。彼女に向かって正しく居ようと語りかけたのに、全く逆の私を見られるのだ。彼女に失望されそうで怖かった。


「……海麗ちゃんは」


 どれくらい黙り込んでいただろう。彼女が弾かれたように顔をあげる。


「私が卑怯で、悪い人だったらどうする?」

 口からぽろりと零れた言葉に自分で呆れ返る。またそんな、ずるい、試すような質問をして。

「それは……」

 問われた海麗ちゃんも、眉を下げ、答えかねているようだった。

 それでも必死に思考しているその顔を見て、ふと気分は和らいだ。彼女はどうにかして先の質問を否定しようとしてくれているのかもしれない。


「ごめんね。からかっただけなの、気にしないで」

 笑いかけるが、彼女はまだ難しい顔をしている。

 不思議に思って首を傾げると、彼女は長い逡巡のあと、ゆっくりと口を開いた。


「えっとね、海音ちゃんは強いよ。私はそう思う」

 さっきと同じことの繰り返しで、話の先が見えず、私は戸惑う。

 けれど口は挟まず、黙って続きを待った。きっと彼女なりの考えがあるのだろう。

「でもさっきの質問って、海音ちゃんにも弱いところがあるってことだよね。私、ちょっとほっとしたんだ」

 だって、と胸の前で手を重ねる。


「その方が、人間らしいもん。……だから、ね。海音ちゃん」

 彼女が手を伸ばす。その手に月明かりが宿る。

「もっと海音ちゃんのこと、教えてほしいな。悪いところも、良いところも」

 伸ばされたその手は、月明かりに青白くても、柔らかそうだった。



 本当は否定してほしかった。あなたは卑怯な、酷い人じゃないって、言ってほしかった。


……肯定されてしまった。知りたいと言われて、教えてと請われた。

 私が否定してきた私自身を。


 渦巻くこの気持ちはなんだろう。重苦しく喉を塞いで、彼女を真っ直ぐ見ていられなくなる。彼女への、微かな嫌悪。


 どうして、この汚さを受け入れることができるの?

 この汚れを落とそうとしてきた私は、人間らしくはないの?

 唇を引き結んで、つかのま目を瞑る。

 いつか感じた隔壁が目の前にあるような気がした。どれだけ手を伸ばしても、伸ばす場所が違っているからか、触れられなかった向こう側。


 瞼を持ち上げて、目の前の彼女を見る。手をおろす気配は無い。



 一瞬の逡巡の後、私は彼女に手を伸ばした。


いま現在、海音の後悔のお話でした。この話を入れるか迷っていたのですが、せっかくなので。

最後に、いつも読んでくださって、ありがとうございます。ブクマや評価励みになっています!

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