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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
41/99

始まり

あの祭りから十年経って、二〇一四年十二月某日。――遠い異国の地で、地獄が始まった。


ありえない早さで日本に飛び火したその未知の病気に対して、政府はあっさりと陥落。自衛隊の派遣はそのギリギリまで引き伸ばされ、結果として、出動要請がかかって間もなくで自衛隊の独断により動くことになってしまった。

そんな状況でも目まぐるしい早さで感染者の数は増え、自衛隊も警察も、少しずつ疲弊していった。食料も弾薬も、じりじりと削られ、精神的にも追い詰められる。

 避難命令は早いうちに出されたものの、あぶれてしまった住民の誘導をしなければならず、俺はほとんどその役回りに当たっていた。

 その日は、飽和状態の避難所から人を集めてまわり、図書館を使って新しく設営した避難所への誘導をしていた。


「なんかあそこだけ人が避けてないか?」

同僚に言われ目を向けると、たしかに人が列を作り避難するなかで、妙に列が崩れるタイミングがあった。

「感染者……じゃなそうだ。俺が見に行ってくる」

 人々に反応が無いところを見ると、死体でもなさそうだ。今まで避難所にいた人達は耐性が無いだろうから、死体だったら多少の騒ぎがあるはずだ。

 頷く同僚に避難誘導を任せ、列が崩れる場所へ行ってみる。

「すみません、通ります」

列に割り込むと、すぐ足元に小さな女の子がうずくまっていた。

 まさかあの子かと思って鼓動が跳ねたが、もうこんなに小さくないなと思い直して、女の子に声をかける。

「大丈夫か。親は?」

 避難している間にはぐれてしまうことは良くある。親がどんなに注意していても、小さな子は人波にさらわれやすく、そうなると再び見つけるのは容易ではない。

 声をかけられたことに気づいてた女の子が、のろのろと顔をあげる。

 その頬には、べっとりと血が付いていた。

ハッとして女の子を列の外に連れ出す。血を見ただけでも恐慌状態に陥る人はいるのだ。

 そして女の子がしっかりと抱えているものは、……おそらく人の頭部。

「……お母さんか?」

尋ねた声は掠れた。女の子がこくりと頷くのを見て、例えようの無い絶望が胸に広がった。

たった数ヶ月前ほどで、片手で数えられる歳の子どもが、家族の遺体を抱える世界になってしまった。あまりにも酸鼻な、救いようのない世界。同時に自分の無力さがひどく歯がゆかった。

 なるべく人混みに背を向けさせながら、女の子から話を聞く。

 思い出すのも辛いだろうに、女の子はつっかえながらもこれまでのことを話してくれた。それによると、女の子は単にはぐれたわけじゃないらしい。

 もと居た避難所で感染者が出て、その時に両親とも感染。母親はそのまま体を貪られ、噛まれたものの何とか正気だった父親がこの子を近くの輸送車両に押し込んだ。列の途中でうずくまっていたのは、この子はもう限界だったからか。

とりあえずこの子を安全に避難させるには、腐りかけた頭部を持たせたままにはしておけない。

俺の目線が腕の中に向いたのを察した女の子が、またぎゅっと体を縮める。

「やだ」

頑なな声に、胸が締め付けられた。

 ――そうだ、そんなの嫌に決まってる。もうそれだけが、この子の拠り所だ。

 ヘルメットを外して、女の子に差し出す。

「これでお母さんを守ってあげて」

 完全に覆い隠すことは出来ないだろうが、胸にくっつけるようにして持っていれば、すぐにバレることは無いだろう。

 素直に従った女の子の頬の血を拭い、抱き上げる。せめてここで保護者がわりになってくれる人を探さなければならない。

 上官に伝えると顔をしかめられたが、今回は誘導の規模も考えて駆り出された人員が多いからか、最終的には許可がでた。

「こっちで預かることはできないからな」

 自衛隊で面倒を見ることができないわけではないが、市民全員を保護することはできない。特に一人だけを特別に、なんてしようものなら他の市民からの批難は免れない。それに自衛隊がこれから先、安全を維持できるとは決して言えないからだ。

 だから、必死に声をかけた。すでに移動を終えた人を中心に、歳は関係なく。

すみません、親とはぐれたんです、どうか保護を――。

 

 けれど首を縦に振る人は現れない。反応するにも、ちらりと視線を寄越して知らぬ振りをするか、申し訳なさそうに首を横に振る者ばかり。

「……ごめんなさい」

か細い声が下から聞こえた。目に一杯の涙を浮かべて、女の子がこちらを見上げている。

 その不安げな顔を見て、改めて責任の重さを痛感する。今ここでこの子を放り出してしまうのは簡単だ。でもどうにかして居場所を見つけてやらないと、女の子はずっと孤独を抱えることになる。そんなものを抱えるには、この子はあまりにも幼すぎる。

 ただ不安がっているだけでなく、そこに申し訳なさそうな表情も含まれていたから、いったいどんな言葉をかければ良いか、つかの間迷った。

「君は何も悪くないから……大丈夫」

 子どもは、理不尽な目に遭うと、全て自分のせいだと思い込むそうだ。この子もそうなのかと思い、尚更、どうにかしなければと焦りが生じる。


 けれど焦ったところで、状況が良い方へ転がることはなかった。

 ついに無線で連絡が入る。

『飯村、持ち場に戻ってこい。――感染者が来る』

感情を押さえ込んだような上官の声は、同じ内容をもう一度告げたあと、ノイズとともに切られた。

 来た、ではなく、来ると言ったことに違和感を覚えながらも、あまりの間の悪さに内心舌打ちをする。


「……ごめんな、俺はもう行かなくちゃならない。一人で頑張れるか」

 女の子がぱちと瞬きをする。そして首を傾げた。

「もどってきてくれる?」


 思わず頷きかけて、かぶりを振った。そんな保証はどこにもない。


「ごめん」

 女の子と目の高さを合わせるように膝をついて、謝ることしかできなかった。 

 酷い仕打ちだと思う。期待を抱かせるような真似だけして、結局は見放してしまう。これではただの自己満足だ。

「絶対にここから出るなよ。酷いことをされたら、誰でも良いから言うんだ」

苦くそれだけ言う。

 頷いたのを確認して、立ち上がる。まだ状況を把握しきれていない、その表情がなんだか痛々しく思えた。


 外に出ると、隊員それぞれ拳銃やナイフの確認をしていた。


「遅い!」

 上官からの怒鳴り声に、もはや反射的に謝罪をする。

「すみません……保護してくれそうな方は、見つかりませんでした」

 その目に案じるような色を見て、目を伏せて告げる。喉の奥がすぼまったようで、声が出にくかった。

「そうか」

 どん、と肩に分厚い手が乗る。

「まぁ、親探しなんてやろうと思えば誰にでも出来る。これから俺たちは俺たちにしか出来ないことをやるんだ。……切り替えろ」

 覚悟の決まった硬い声に言われて、思わず背筋が伸びる。


 同期からの説明によれば、二台目の護送車が感染者に追われており、どうしても撒ききれないのだと。感染者は普通の人間より足が速いとはいえ、車には勝てないはずだ。いくら都心からは外れていても、東京は東京だ。過疎化が進んでもいなければ、どこへ行っても一定の数市民がいる。

 要は上手く撒いたとしても、その感染者の咆哮が他の感染者を呼び寄せてしまうのだ。

 それに車がいつも正常に動くとは限らない。感染者との戦闘は死体や弾丸で道を荒らす。それらに足を取られて減速しなければならないこともあるのだ。

「何もなければあと……十分。数は増減を繰り返しながら十かそこら。既に車体に乗り上がっているヤツもいるが、そいつらは俺たちが引き受けて、遅れてきたのを八九、撃ち漏らしたのをまた俺たちが引き受ける」

 図書館の横に面している道路は、しばらく緩やかなカーブくらいしかない。獲物の姿が見えなくなっても感染者たちは少しの間探し続けるから、後から集団で来る可能性があるのだろう。

市民が避難し終えてからっぽの護送車を、図書館の入口すれすれに付けて、万が一にも感染者が入り込まないようにする。

「来ました!数は五!」

「バディ確認!絶対に図書館には入れるな!」

 車が見えた。その上に蠢く影もある。

混乱が生じないようにバディ一組につき感染者一人として、十分に対応できる数だ。

 バディと顔を見合わせると、緊張を滲ませた顔でかすかに頷いた。その手には撃鉄を起こした状態の拳銃が握られている。

 護送車が少しずつ近づいて、影がよりはっきりと見えた。

「気づきました!……降ります!」

 声とともに感染者が次々と車の屋根から飛び降りていく。受け身なんて知らない感染者たちは顔を潰し、足を折って地面へ飛び込んだ。

 それでも尚立ち上がり、空腹を満たそうとするその執着心は、呆れて笑ってしまうほどだ。


 至近距離での対峙はこれが初めてだった。この班では全員がそうだろう。筋肉を晒し、臓腑を抱えるその姿にうなじがすっと冷える。額がこわばる。

 それでも目を逸らすことはできなかった。ボロボロの体を動かす感染者のその裏に、生きたかった思いを透かし見てしまう。

 護送車が通りすぎた。これで弾が当たる心配はしなくて済む。

 病におかされる前がどうであれ、今ここで倒さなければ被害が増えるだけ。選択する余地などあるはずもない。

 感染者が射程距離に入った。示し合わせたように発砲音が鳴り始める。

 あちこちで血しぶきが上がるが、それでも感染者は動き続け、じりじりと距離が縮まっていく。やがて血しぶきも上がらなくなる。近づくにつれはっきりと見える感染者の異様な姿が手を震わせ、照準を狂わせるからだった。

「撃ち方やめ!」

 上官の声でぴたりと銃声が止む。どれだけパニックに陥っていても、上官の指示に従うことは骨身に叩き込まれていた。

 そしてこの指示が出たと同時に、感染者との肉弾戦にもつれ込むことになる。指示は銃弾が当たらなければ即座に噛みつかれるだろう距離まで感染者が接近したときに出されるから、今度は銃を構えず待機していたバディが感染者と対峙することになる。

 残る三体が地を蹴り、手近な隊員へ飛びかかろうとする。

 ――その中に俺のバディである隊員は含まれていた。

 咄嗟の判断で感染者に蹴りを入れる。半長靴から伝わる感触は到底人とは思えない柔らかさで、軽さだった。

 感染者はもんどり打って倒れ込むが、こちらに飛び込んでくるまでに数秒とかからない。

 迷っている暇は無かった。

 ナイフを手に構え、向かってくる感染者の顔へと突き立てる。それでも動きは止まらず、伸びてきた腕が喉を無遠慮に掴んだ。圧倒的な腕力の差に押し倒される形で、地面に転がる。

 吐き出せない、吸えない。

 混乱に飲まれそうになりながらも、必死にナイフを押し上げ抵抗する。

 どろりと垂れる血と膿で手が滑りそうだ。

 少しずつ感染者の顔が近づいてくる。カチカチと鳴っているのは自分の奥歯なのか、感染者が今にも俺を食おうとしているのか。


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