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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第二章
39/99

きっかけ3

 耳を刺す喧噪に思わず眉を寄せる。こういう賑やかなところはあまり得意じゃない。

 正直言って帰りたかったが、今帰っても家には鍵が掛かっている。ナオトとユズさんは二人で祭りをまわるために先に出たし、クワルツは祭りの会場に行く途中で知り合いらしい女子に絡まれていたので置いてきた。

ナオト達に会ったら鍵だけ貰って帰ろう。

 祭りの開催地である第一小学校を見ながらそう決めて、ため息をつく。ここでは岡部と会うかもしれない。

 あの日から岡部とは一言も口をきいていなかった。あちらが話しかけたそうにしていることは何度かあったが、それを全て無視していた。今更何を話したって気まずいだろうし、岡部の友人らからは睨まれるだろうから。

 ナオト達は変わらず接してくるが、どことなく目を合わせづらくなって、最近はこちらから話しかけることは少なくなった。まあ、普段からあまり話さなかったこともあってか、あまり気にされている様子は無いが。

 周りに一線を引く態度のままではいけないと、頭ではわかっている。けれどその考えを嘲笑うように過去がチラつく。

 また堂々巡りの思考に陥りそうになった時、パーカーの裾がくいっと引っ張られた。


 何事かと振り返るが、そこに原因は見当たらない。

 そこで視線を下に向けると、小さな女の子が目を真ん丸にしてこちらを見上げていた。


「ぱ、ぱぱ……」

「………………違うけど」


 謎の父親認定に止まりかけた思考を何とか動かして否定する。

「ぱぱじゃない」

 ぽかんとした表情で確認するように女の子は呟く。何故驚く。

 と、みるみるうちに大きな両目に涙が溜まっていった。堪えるように小さな口が引き結ばれ、パーカーの裾を握る拳が震える。

 慌てる俺を横目に、ついに涙がころりと落ちた。

 耳を劈く泣き声に身構えたが、この子は静かに泣く質らしい。

 俯いて鼻をすする女の子を見ていると、妙に胸が痛んだ。まるで泣くことを我慢しているようだった。いっそ声をあげて泣いてくれた方が良かったかもしれない。

 通り過ぎる人の中に女の子を探す人影は見当たらず、とりあえず手を引いて道の端へ寄る。

 女の子と視線を合わせるためにしゃがみ込み、泣いているせいで不明瞭な言葉を何とかして聞き取る。

 それによると、この女の子は神輿を担ぐことになった父を、母と見に行く予定だったのが、我慢しきれずに一人で家を出てきたらしい。

 しかしここまで辿り着いたのは、運が良かったのか、しっかりした子どもだったからか。

 どちらにせよ、小学校は神輿が待機している場所だ。もし既に街を回り始めていたとしてもそこで待っていれば戻ってくる。

 そんなことを簡単に伝えてやると、女の子はようやく顔をあげて笑った。未だ目に涙は溜まっていたが、今度の笑顔は年相応の無邪気なものだった。

「じゃあ行こうか」

 そう言って手を差し出すと、女の子は困った顔をして、手をとるのをためらった。

「しらない人についていっちゃいけないって、ままが」

 そういうことかと納得して、しかし手を繋がないままでは、簡単に人混みに流されてしまいそうだ。

「……なら、さっきみたいに服の裾を掴め。俺が知らない場所へ行きそうだったら、離していい」

 言うと後ろに回り込もうとするので、腕を差し出す。ややあって察したのだろう、袖をぎゅっと掴んだ。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 女の子が手を前後に揺らしながら、嬉しそうに言った。当然俺の腕も揺れているが、そこまで気にならない。

 ただその純粋さを少しからかいたくなった。

「どういたしまして。もし俺が悪い人だったら、どうする?」

 女の子の目が揺れた。ぱくぱくと口を開いたり閉じたりして、何か伝えたいらしい。

 その見事な動揺っぷりに、思わず声をあげて笑う。けれどそれは当然の反応だ。会ったばかりで答えられるわけが無いのだから。


 それに。

 胸の底を針で軽く突かれるようなひそやかな痛みを無視する。この質問に意味を持たせたつもりなど無かったのに、勝手に含むものが出来てしまったらしい。

 俺は、その仮定を外してしまえる事実に慄いていた。


「でも、でも」

 しばらく言葉を探していた女の子だったが、ついに黙り込んでしまった。必死に否定しようとしてくれていたことに罪悪感を覚える。

「そんなに真面目に答えようとしなくていい。からかっただけだから」

「え」

 ややあって、抗議するように腕が揺らされる。不機嫌な表情をする女の子は、しかし、謝るとすぐに機嫌を直した。

 小さな歩幅に合わせて歩くのは少し難しかった。必然的にゆっくりとした足取りになるから、目的地は見た目よりも遠い。

 だが女の子は案外お喋りな性格のようで、すぐに話しかけてきた。

「お兄ちゃんのかみ、きれいだね。きらきらしてる。おめめもわたしとちがう色。いいなあ」

 そういう女の子の髪と瞳は、暗闇を塗り込めたように真っ黒だった。日本人でも珍しいんじゃないかと思うくらいの黒色。

「そうか。……自分のは嫌いなのか?」

 この金髪と翠眼のせいで遠巻きにされたこともあったから、嬉しく思うよりも、女の子の羨むような物言いが気になった。

「だって、日本人形ってからかわれるんだもん。だからきらい。おとなもそう言うの」

 つんと口を尖らせて女の子は不満そうに付け加える。

「わたしお人形なんかじゃないのに」

 ふっとまた笑いが込み上げてきた。

 確かにこの黒髪やふっくらした子供らしい頬も相まって、思わず人形だと言ってしまうのも分かる気がした。女の子はうんざりしているようだが、大人は良い意味の喩えでしか使ってないだろう。

 それに。

「からかってくるのは男の子だろ」

「なんでわかったの?」

 やっぱり、と思わず笑う。

 多分からかってくるのはこの子の反応が面白いからだろう。それからもっと話したいとか、遊びたいとか、そういう理由。

「今度からかわれたら無視してみろ」

「むし」

 女の子が顔をしかめたので、少し考えてから付け加える。

「無視するのが嫌なら、自分のことが嫌いなのか聞いてみれば良い」

「でもきらいだからあんなこと言うんだよ」

「本当にそう思ってるかどうかは本人にしか分からないだろ?」

 軽く説得してみると、納得はできたのか、まだ口を尖らせながらも女の子は頷いた。


 そんなふうにたわいない会話を重ねていると、目的の祭り会場に着いた。まだ出てない屋台もあるようだが、祭りの賑やかさとしてはすでに十分だった。

 去年と同じなら神輿の待機場所はグラウンドの奥、門の前だ。いつも閉鎖されている門も、神輿を搬入するために祭りの日は開く。神輿はそこからグラウンドの中心に立ててあるやぐらの周りを一周してから町内を練り歩くのだ。

人の多さにやっぱり気が重くなりながら、間を縫うようにして歩いていく。ちらりと視線を下に向けると、女の子は少し窮屈そうだった。俺は人より一つ頭が出ているから良いが、女の子には、どうだろうか。

「……ねぇ」

 女の子が不意に顔を上げた。俺の視線に気付いたからかと思ったが、違うらしい。

「トイレ、行きたい」

「ああ、じゃあそこの仮設トイレに……」

 グラウンドの隅にあるトイレは、理由は知らないがいつも封鎖されている。その代わりに仮設トイレが設けられているのだが。

「並んでるな。我慢できるか?」

「………………うん」

 かなりの間を開けたあと、女の子は自信無さげに頷く。ここまで我慢してきたのだろう。並んでいる人の中には浴衣姿の人もいるし、まだかかりそうだ。

 少し考えて、体育館が開かれていたことを思い出す。出し物をする団体のために使われているが、一声かければトイレを貸してくれるだろう。

 女の子を促し、体育館まで連れて行く。出し物は夕方から始まるからか、辺りに人影は見当たらなかった。それでも祭り会場の熱気が少し空気に溶けている。

 中を覗いてみると、数人が何か組み立てていた。おそらく更衣室あたりだろう。

「すみません」

 声をかけると、組立を見守っていた初老の男性が振り返った。最初は不思議そうな顔をしていたが、事情を話すと人の良さそうな笑みを浮かべて頷いてくれる。

「トイレは階段の横にありますよ」

 指のさす方を見ると、上に続いているらしい階段が見えた。昼間だが外からの光が入りにくい位置にあるせいか薄暗い。

「いけるか?」

「トイレはひとりでいけるけど、」

 完全な闇でないとはいえ、暗いのは怖いのか、女の子は顔を曇らせる。

「分かった、俺も行くよ」

 男性にお礼を言い、女の子をトイレまで見送る。女の子の背では届かないところに電気のスイッチがあったから、外から手を伸ばして押してやれば、特に不安がることもなく個室に入っていった。この様子なら大丈夫そうだ。

 ついでに自分も用を足して、トイレを出ようとしたそのとき、携帯が鳴った。

「はい、」

『今どこ』

 低い声。怒っていることが伝わるように意図的に出しているのだろう。

 ……そういえば弟を放ってきていたんだった。思いっきり忘れていたことに多少の罪悪感を覚えつつも、言い訳のように女の子のことを話した。

『それで今は体育館にいるわけか。じゃあその子のお父さんちゃんと見つけてあげてね。適当に店回って待っとくから』

「手伝ってはくれないのか?」

 やめてよ、と電話の向こうで苦笑する気配。どうやらもう怒ってはないらしい。

 とりあえず廊下に出て、電気を消す。女子トイレの方はまだ点いていた。

『子どもの相手は苦手なんだよ、俺』

「そうか? 女子どもの相手は得意そうに見えるけど」

『なんで女も足したの? 嫌み?』

 素直に思っていたことを口に出しただけだったのだが、クワルツはそうは思っていなかったらしく、声は不服そうだった。

「……あの子を親元に返せたらすぐ戻るから」

 それだけ伝えて、電話を切る。

 辺りを見回すが、女の子の姿は無い。そこまで話し込んでいたわけじゃないが、もう出てきても良い頃合いのはずだ。電気が点いているからまだ中に居るだろうと思いかけて、あの子ではスイッチに手が届かないことを思い出す。

「おい、」

 呼びかけようとして、名前さえ聞いていなかったことに気付いた。自分の迂闊さに思わずしゃがみこみたくなる。

「大丈夫か」

 とりあえず少し声を大きくしてみるが、返事が返ってこない。仕方なく目を凝らして見てみれば、個室は全て空いていた。

 なんとなく嫌な感じがして、玄関の方に出て外も覗いてみるが、やはり居ない。人が一人祭り会場に向かっていたが、法被を来て、作業していた人の一人だろう。運動部が使うような大きめの手提げ鞄を持っているから、もしかしたら会場のステージに準備しにいくのかもしれない。どちらにせよ女の子のことを聞いても分からないだろう。

 賢そうな子だったが、どことなく向こう見ずなところがあるようだから、また勝手に父のところへ行こうとしたのだろうか。

「すみません、あの女の子見かけませんでしたか」

 さっきの男性はまだ体育館に居たが、俺の問いかけに顔を曇らせた。

「見てないですね。……もしかして、また迷子に?」

 その言葉に、顔が強張る。流石にここでそのまま放っておく選択肢は選べなかった。

「でも、お父さんを探しにいったなら、会場からは出てないでしょう。警備の方に連絡を回すから、大丈夫、すぐに見つかるはずですよ」

 俺の顔色が変わったことを察してか、男性は落ち着かせるような口調で言った。

「……俺も探しに行きます」

 胸のなかの嫌なざわめきがまだ消えない。何かが頭の隅にひっかかっていた。口を開きかけた男性に頭を下げて体育館を出る。


 下ばかり見て歩いていると、人とすぐにぶつかってしまう。それでも女の子が居ないかと自然と下の方ばかり見てしまった。

 親と会えたならそれで良いが、何故かさっきから嫌な予感がして、探さずには居られなかった。

 それなのに。

「あっ、ジェイド。見つかった?」

 主語は無いが、何が聞きたいかはすぐに分かった。首を横に振る。神輿の待機場所にも行って、女の子の服装やおそらくの年齢を伝えてみたが、みんな首を傾げるばかりだった。

「トイレから出たら、居なくなってた。かなり探したけど、見つからないんだ」

 クワルツが眉を不快げに寄せる。

「じゃあもう良いんじゃない。できることやったし」

 そのあまりにも投げやりな態度に、思わず弟を睨んだ。確かにこいつには関係ないが、諦めろと言われているようで少し腹が立った。子どもが苦手というよりも、嫌いの範疇なのか。

「大丈夫だよ。流石にこんな人の多い所で誘拐なんか起きないだろうしさ」

 何気なく言われたその一言に、あっと目を見開く。

 確かにこんなに人が居る場所で小さな女の子を無理矢理連れて行こうとするやつはいないだろう。でもあの体育館の周辺には作業員くらいしかいなかった。そして女の子が一人になる機会は、あった。

 大きな鞄を持った男の姿が唐突に思い浮かぶ。


 あの子一人なら、体を丸めれば入るだろうか。鞄はボールをいくつか入れるための横に長いものだ。もしそうだとしたら。ただでさえ親とはぐれて、一人で。それなのに、暗闇に閉じ込められていたら。


 女の子はどれだけ怖がっているかと思うと、ぞっとした。


「え、何、もしかして本気にとっちゃった?」

 うろたえるクワルツを置いて、堪らず走り出す。速く、速く。勘違いだったらそれで良い。むしろそうであって欲しい。

 

 震える小さな弟を思い出す。飯村夫妻に引き取られるもっと前、とりあえず警察署の仮眠室を宛てがわれて、でも眠れなかったあの時。どう声をかければ良いか分からなくて、母親が死んだ、その恐怖から守ってやれなくて。それは全部、俺のせいだ。

 いつの間にか、その弟と、あの女の子を重ねていた。今度こそ。何故かそんな思いがあった。

 

 もう秋だというのに、額に汗が滲んだ。会場内に長居するとは思えなくて、外に出る。左は練り歩きのルートになっている。ぱっと見て法被姿の人は見当たらなかった。右からも祭りにやってくる人はいるが、数は少ない。じっと目を凝らすと、あの特徴的な鞄がちらりと見えた。法被は脱いだらしく、鞄の上に乗せて一緒に持っていた。

 急いでいる様子だったが、それでも徐々にに距離は縮まった。会場に向かう人が多い中で逆行しているものだから、少し迷惑そうな顔をして人が避けていく。

 

 やっと追いついた。


 肩を掴むと、男は驚いたというよりは怯えた様子で体を跳ねさせる。肩越しに振り返った顔は愛想笑いを張り付けていたが、俺を見た途端、笑みは掻き消えた。

「その鞄の中身、」

 しかし最後まで言い終わらない内に、男が俺の手を振り払い、一目散に逃げ出した。

 俺を見た途端の動揺っぷりに、確信する。

 男は人にぶつかりながらも、どんどんと人けの無い方へ進んでいった。その迷い無い足取りに、違和感を覚えながらも追いけて行くと、住宅の間の細い道に入った。

 男が速度を緩める。諦めたのか、とほっとしたその瞬間、鞄をこちらに叩き付けてきた。

 その衝撃と重さに息が詰まりながらも、中から小さなうめき声が聞こえてきて、鞄を落とさないように抱え込んだ。勢いを殺せずにそのまま尻餅をつく。

 

 男が近づいてきて、腕を振り上げる。殴るつもりだ、と分かっているのに、体が動かなかった。血の臭いと、酒臭さが鼻の奥に蘇る。

 俺はまだ、父親の恐怖から抜け出せていなかった。


 だからこうしてまぶたを硬く閉じて、女の子を抱え込むことしかできない。


 

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