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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
32/99

脱出口

「白樺さん、見つかりました」

「ご迷惑お掛けしました」

 白樺さんが頭を軽く下げて微かに笑う。

 その様子に少し安心しつつ、視線をめぐらせると、起き上がって荷物をまとめている人が数人いた。多少人数が足りない気がして首を傾げる。

「どこ行ってたんだこんな夜中に」

 未だに眠っている人の頬を、これでもかとつねっていた三ノ輪さんが顔を上げて訊ねる。私も白樺さんが何をしていたのかは知らなかった。何かあったのだろうとは思うけれど。

 

「拐かされたから、絶交してきた」

 にっこり笑う白樺さんに、私と三ノ輪さんは顔を見合わせる。

「拐かされたって……」

「相手は?」

 あっさりと言ってのけることに言葉を継げない。誘拐? されて、彼は自力で抜け出してきたのか。

 

「さあ……まだ出てこないんじゃない?」

 肩を竦め、かなり適当な返事だ。

 私は少しむっとして彼を睨む。きっとそんな風に飄々として言うことじゃない何かがあったくせに。

「でも多分、大丈夫」

 言っているとき、唇は笑んでいるのに、目には僅かな悲しさが滲んでいた。

 それを見留めて、私は睨むのをやめた。言いたくないほど辛かったことがあったのだろう。掘り返すのは良くない。

「……大丈夫なんだな?」

 念を押すように、探る目を向けながら三ノ輪さんは訊いた。

 恐らく敵側なのだろう相手が、白樺さんや自分達に危害を加えるか__ではなく、純粋に白樺さんを案じたようだった。

「大丈夫だって、三ノ輪さん。……ここの人達もなんか飲まされたの?」

 問いかけの意味を理解しているのか、いないのか。苦笑まじりに答えて、ふっと顔つきを変えた。眉を寄せ、目を凝らして辺りを確認している。

「全員睡眠剤を。すぐ起きるやつもいる辺り即効性で弱めのやつだな」

 睡眠導入剤かな、と彼は言う。

「即効性で、弱め」

 白樺さんが復唱しながら足元を見やった。そこにはさっきから頬を痛いほどつねられても起きなかったあの人がまだ眠っている。

「金井さんはその、ストレスとかですごい眠くなっちゃうとか、そういう」

「ただの低血圧」

「そっかぁ……」

 三ノ輪さんが、そう、と応えながらつま先でその人の脇腹をつつく。

「だから一応起きてはいるけど、起き上がれないんだ、こいつ。いつもならほっとくけど、緊急事態だからな」

 つつかれた方の唇が微かに動いて何か訴えるが、結局もにゃもにゃと言葉にならない音で終わる。

「そうか。なら出来るだけ頑張れよ」

 一つ頷いた三ノ輪さんは、もう彼を構う気はないらしい。

「? 金井さんなんて言ったの?」

 この人は金井さんというらしい。必死に起きようとしているのか、今度は眉をしかめ、手を額に当てて唸っている。

「すぐ起きるって」

「三ノ輪さんよく分かったね」

 目を丸くする白樺さんに対して彼はどこか誇らしげに唇を歪めた。

「こいつの世話には慣れてるんだ。いい迷惑なんだけどな」

 表情に反して素っ気ない言い方で彼は締めくくる。

 二人はどのくらい長い付き合いになるんだろう。

 小学校から、幼稚園から、はありえないのだろうか。大人になるまで分かれ道はいくらでもあるのだし。

 それに、こんな世界になってしまったから。

「戸倉さん、どうしたの?」

 知らずぼーっとしていたようで、白樺さんから声をかけられて我にかえる。

「……いえ、仲良しさんだなと思って」

 言ったその声がなぜだか尖ってしまって口元を抑えた。

「そうだねえ。ちょっと羨ましいわ」

 けれど白樺さんは驚きもせず、私の気持ちをさらりと代弁してしまった。随分とさっぱりした物言いだ。

 少し戸惑いながら彼を見返すと表情も変わらない。

「なんか、白樺さん、変」

「え」

 ぽかんと口を開けてのち、ショックを受けたように後ずさる。

 私としてはそんな反応をされるとは思っていなかったので、完全に想定外だ。

 慌ててフォローしようとしたとき、足音が耳に届いた。

 ジェイドさんかと淡い期待をしながら振り返るが、彼よりも視線の位置が低い。

「不知火さん」

 がっかりした気持ちを抑え込みつつ、なんだか人数が足りない気がしたのは彼らが居なかったからかと得心した。不知火さんの後ろにも二人ほどついていたのだ。


「従業員室にも居なかったんですか」

「それどころか食料も武器も、根こそぎ持っていかれていた。あの人はまた……早く見つけないと」

 後半は独り言のようで、疲れたような響きを帯びていた。

 そして三ノ輪さんは不知火さんの報告を聞いて、どうやら大きくため息をついたようだった。

 続けた声に失望を滲ませる。

「そうですか、ありがとうございます。これから皆さんにも詳しい説明をするので、不知火さんも何かあれば」

「もちろん。ただ出来るだけ早くしよう。先程から微かにあいつらの声がする」

 会話は不穏だった。ほつれた布が容易くばらけていくように、きっとこの集団も、ぼろぼろになろうとしているのだろう。

 

 各々が荷物をまとめて、三ノ輪さんの近くに集まる。さっきしんどそうに唸っていたあの金井さんも気だるそうではあるが、一応起きられたようだ。

 女性陣は不安そうに身を寄せ合い、顔を青白くさせていた。ときおり会話を交わすが、囁くような声量で漏れ聞こえるようなことはない。その中でたった一人、苛立ちの表情を浮かべているのは、海麗ちゃんと行動を共にすることを嫌がったあの人だ。

 今にも舌打ちしそうに口元を歪めている。

 私は観察をやめて三ノ輪さんを見やった。

「皆さんこの状況に戸惑ってるでしょうが、伝えたとおり、今すでにここはあいつらに入られています。できるだけ静かに聞いてください」

 声を抑える必要なんて誰もが知っているだろうに、彼はまず釘を刺す。

 

「女性陣は何故こんなことになってるか殆ど分からないと思います。……今起こってることは単純に言えば仲間割れです。あいつらが侵入してきた理由とも無関係であるとは、正直、言えません」

 誰かが息を呑む。男性達の間にも知らない人は居たらしい。

 仲間割れ、と聞いて浮かんだのは化け物が現れたあの日のことだった。八木さんのジェイドさんに対する態度、弟さんが居なかったことと併せて、きっとそこで確執が生まれたのだ。そのときの恨みを晴らそうとこんなことをしているのか。

 

 感染者が侵入してきたこと。その状況下で数人を除いて男性はほぼ眠らされていたこと。そして食料も火器も全て持ち去られたらしいということ。

 それらを事の全容として三ノ輪さんは説明する。私の予想もそう外れていることはなかったらしい。

 三ノ輪さんはこの状況は八木さんが作り上げたのだと推測しているのだろう。バリケードを壊したかどかしたか、感染者が入り込めるようにして、睡眠薬を食べ物に混ぜて対処が遅くなるように図った。物資が全て持ち去られたのは感染者に対する籠城も、自分への反撃もさせないようにだ。

 そしてそのまま雲隠れするつもりだった。

 私をくいものにしようとしたあの人達は便乗したのか、指示されたのかは分からないが、どちらにせよ今回のことでどこにでもあまり良いとは言えない考えの人が一定数居ることも分かった。

 そんな人達まで巻き込んで彼は報復に走っている。

 けれど彼はそこまで計画して恨みを晴らすタイプだろうか。今だから分かるが、あの時は金井さんが間に入らなければ彼は感情に任せてジェイドさんを殴っていたはずだ。けれど同じ班だった他の二人は何故か責めなかった。あの化け物と遭遇した状況を兄である彼は全て知らないのに。

 視野の狭い感情的な行動ばかりしておいて、こうも先を見据えた行動を取るものなのか。

 八木さんの性格を充分知っているとは到底言えないけれど、改めて考えるとなにか噛み合わない。

「あ、あの、なんでこんな状況に陥ってるのかはなんとなく分かりました。でも鹿嶋さんは? 本来なら彼がここは引率すべきじゃ……?」

 最初から比較的に落ち着いているあの大学生くらいのお姉さんが控えめに発言する。

 今までは鹿嶋さんがいつも前に立っていたから、それも妥当な疑問のように思えた。

「彼は、」

「鹿嶋さんはもう当てになりません。物資を奪ったのも十中八九彼だろうよ」

 言いにくそうにした三ノ輪さんの肩を軽く抑えて遮り、代わりに口を開いたのは不知火さんだ。最後は吐き捨てるような口調だった。

「……またなの?」

 対して呆然とした呟きはあの人からもれたものだ。

「また、って」

 一体どういう意味なのか。

「使えそうな者を選んで他は排斥か。前にもこんなことが?」

 三ノ輪さんが渋い表情で訊ねると、不知火さんは頷いた。

「だから、今回もおそらくそうだ。何かしら内輪揉めが起きたら好機とみてあの人はすぐに要らないものを選別する」

 その会話を私は背筋が凍る思いで聞いていた。


 私は、ずっと親を、友達を殺した人の指示を仰いでいたのだ。


「じゃあ八木と鹿嶋はグルだったんだな。これから俺らどうするよ」

 金井さんが三ノ輪さんに投げかける。

 全てが八木さんの企てたことではなかったのだ。八木さんを契機にして彼は行動を起こした。

 男性達の間から不満が噴き出す。

「俺こんなとこで死ぬとか嫌なんだけど」

「武器なしでどうやって出口まで……そもそもこんなに悠長にしてる場合なのか?」

「せっかくここまで生き延びたのに」

 その不満を受けて、三ノ輪さんはふっと笑った。

「まだ希望はある。頼りにできる人がいるんだよ。なあ」

 彼がいったい誰を指しているのか気付いて、丸くなった背が伸びた。

「はい」

 思わず返事すれば、数人の視線がこちらに向いた。それを確認して立ち上がり頭を下げる。

「私と白樺さんをここまで連れてきてくれたジェイドさんは自衛官なんです。絶対に助かるとは言えません……でも、彼は鹿嶋さんよりも、信頼できます。私がここにいることが証拠です。お願いします」

 放っておけばすぐに死ぬ、なんの役にも立たない子供を介抱して。勝手に抜け出した私を息を弾ませて探しにきてくれて。この信用は彼が知ったら重いと感じるだろう。

 だけど今だけは彼を助けるために彼への信用を使うことを許してほしい。

「こういうことだ。お前らはあの人が頼りになること、知ってるだろ? ……一人その手の人がいるだけで生存確率はあがりますから、そう悪いことでもないでしょう」

 後半はジェイドさんのことを知らない女性のほうへ言ったのだろう。お姉さんがこくりと頷いた。


「俺と金井は行くとして、他にも人手が欲しいな」

「うん? いや、行くけどさ……」

 さらりと勘定されて金井さんが声を上げるが、三ノ輪さんに黙殺されて尻すぼみに引き下がる。

「三ノ輪さん俺も行くよ」

「僕も行こう」

 白樺さんと不知火さんが申し出ると、最初に不知火さんと一緒にいた二人も申し出てくれる。もちろん私も行くつもりでいるから、これで七人になった。相手が武器を持っている可能性は高いし、女である私がいても戦力にはならないかもしれないが、それでもついていきたかった。

 蛍さんを含めた四人は待機している間に女性達と居てもらう算段にして、問題は感染者と渡り合うための武器だった。今あるのは使い古されたバットや、バールだけだ。私はナイフ、白樺さんは銃を持っているけれど、全員に武器が行き渡っていない。一階には食品コーナーと併設でキッチン用品売り場があるから、包丁が手に入るだろうけど、まさにその一階には感染者が居るはずだ。

「ハンガーラックなんかを解体すれば殴るものはできそうだけど……」

「殴れるなら十分よ。一体や二体くらいならね」

 ひょいと発言したのは蛍さんだ。なんとも頼もしい発言だし、実際蛍さんなら大丈夫のような気がするから不思議だ。

「目処はついたな」

 いくら五感が鋭くなっているとはいえ、感染者も人間の限界は超えられない。夜は動きも鈍るし、同じように眼も効かなくなる。

 音さえ立てなければ昼間よりも襲われるリスクは低いはずだ。

 三ノ輪さんが漏れ聞いた話では、ジェイドさんは外に連れ出されているらしい。そう離れてはいないと思うが、八木さんはバリケードを壊される前提で屋外に呼び出したのだろうか。そうとなれば銃も携行しているだろうが、とにかく居場所を見つけない限りは想像しかできない。

 気休めの武器を調達した後は駐車場を経由して外へ出るのだそうで、再三手荷物の確認を促された。

「戸倉さん、これ着ときなよ。それじゃ動きにくいでしょ」

 ずいっと目の前にパーカーを差し出されて戸惑っていると、彼が何故だか目を合わせてくれないことに気付いた。動きにくいと言われてもピンと来ないので自分の格好を見下ろす。

「……あっ」

 慌てて上着を受け取りファスナーを上まであげる。そうだった。服は下着も一緒に切られてしまったのだった。暗がりで良く見えないだろうとは言え、意識すると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

「…………俺なんも見てない」

「…………はい」

 この羞恥心を怒りで塗り替えたかったが、そう言われてはもう何も言えない。というか何も考えずに動いていた私が悪い。律儀に顔を逸らしたまま立ち上がる彼に倣って私も三ノ輪さんのところへ集まる。

「お、ちゃんと服着てるな。君もあいつらには慣れてるみたいだから手伝ってもらいたい。いいか?」

「その言い方嫌なのでやめて下さい。……ぜひ手伝わせてください」

 妙に軽く言うので、こちらも少し言い返す。気を緩ませようとでもしているのだろうか。

 確かに先程からの一連の流れのせいで妙に冷静になっている気がするけれど。でも冷静になるほど、自警団の存在がどれだけ歪だったのかが胸に迫ってくる。それを見過ごしていたことも。




 

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