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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
31/99

欠けて、満たされて

 僕はその日、あまり何かを食べたいと思えなかった。

 食料を配っている鹿嶋さんに断りを入れると、じゃあ余ってる水だけでも、とボトルを渡された。鹿嶋さんの今日の分が余ったらしい。

 僕の分はもう無かったのでありがたく受け取って飲んだ。

 

 ら、何やら猛烈な眠気に襲われて、ことんと寝てしまった。

 寝落ちする前の友人の顔を思い出し、嫌な不安に苛まれる。

「悠銀」

 呼びかけると、驚いたように黒い影が振り返る。自然会話は打ち切られ、僕に視線が向けられる。悠銀ともう一人だけが見張り役らしい。

 特に話す機会もなかった人だったから、相手も一瞥くれただけで暇そうに手元の銃をいじり始めた。

 四角い部屋。ロッカーが並んでいるところを見ると従業員室だ。そして僕の手首は縄で縛られているようだった。

 僕は観察をやめて戸惑いを隠さず悠銀を見上げた。

「これ、なんの冗談?」

 ちょっとの間、悠銀は躊躇うように視線を泳がせた。

 半覚醒で聞いた会話が僕の勘違いであってほしいのに、友人の仕草一つ一つが結びついてしまう。

「なんで僕縛られてんの? 何か言ってよ怖いな」

 半笑いで言うと、ようやく悠銀は口を開くつもりになったらしい。

「……(しゅう)が危険な目にあわないようにするためだから。ごめん。窮屈だろうけどちょっとだけ我慢して」

 申し訳なさそうに眉を寄せるその仕草に嘘はない。悠銀は昔から嘘をつくのが苦手で、もし他人が気づけなくたって僕は気づける。

「我慢って、」

「すぐ終わるから」

「何がだよ。普通縛る必要なんてないだろ」

 最初っから何も教える気なんてないのか。悠銀ごしに見えていた後ろの男が不意に笑う。

 まるで何も知らない俺を馬鹿にするみたいに。

「そりゃお前が動けたら助けちゃうもん」

 

「黙ってください!」

 ぴしゃりと悠銀が食い気味に言う。男は頬杖をついて視線を逸らす。

 僕はつかの間目をつむった。

 

 __俺も混ざりたかったのによ。なんでガキのお守りなんざしなきゃなんねぇんだ?

 

 __すみません。でもこの後は流石にあの人も何も言えないでしょうし……いくらヤッても文句は出ないと思いますよ。

 

 __まぁ……でも気の毒だよな。ほんと。八木のアレはほぼ逆恨みだろ? ここまでするか普通。

 

 __でも話に聞くとあの人は八木さんの弟を見捨てたように思えませんか。僕だって友人を見捨てられたら怒りはします。自業自得じゃないですか?




「秋?」

 急に黙り込んだ僕のことを心配しているのだろう。覗き込む気配がする。

「どうした? 気分悪い?」

 ずっと聞いてきた悠銀の声が煩い。癇に障るようで唇を噛む。

 

 俺を見捨てたのはお前だろ。

「……別に。縄解いてくれる?」

 蹴られたし、殴られた。手首を掴まれて刃を当てられたとき本当に殺されると思った。

 自警団を抜け出したくて、でも二人して捕まって。悠銀はすぐに自警団に戻った。僕は意地になって、ずっと口を噤んでいた。

 背を向けたお前を殺したいほど憎みながら。



 でも再会できたときは凄くほっとして、ずっと離れがたくなった。だってもう友達がお前くらいしかいなかったから。他は皆死んだから。

 たとえ裏切られてもまた信じてしまうほど、僕らは親友だった。

 

 だから、縄を解くだけでいい。それだけできっとまた友達になれる。

 もはや祈りに近いなにかだった。

「頼むよ、お願い」

 

 悠銀は黙ったままだ。友人を見上げて、嫌な予感がした。

 しばらく、針が落ちても聞こえるようなしんとした沈黙が続いた。

 

「……そんなに、そんなに大事かよ。あの二人! もう諦めろよ他人だろ! なんで秋が助ける必要があるんだよ!」

 今までずっと溜めていた感情を爆発させているみたいに叫ぶ悠銀に僕は、苦いものが込み上げた。

「父さんも母さんも、兄さんも全員死んで、お前だけなんだって! 秋もそうじゃん、なんで分かってくれないんだよ!」

 途中から嗚咽が混じって、涙が床に跳ねた。

 苦しそうに、泣いている。

 友人という鎖は強い。家族とはまた違う、少し強制力のあるそれが僕を揺らして以前に戻れと囁いている。

 戻ろうか、と一瞬だけ思った。

 悠銀と一緒に居れば、あっちも簡単に僕を見捨てはしないだろう。

 


 



「もう必死になって助けなきゃいけないような人間なんて作らなくていいじゃないか! そんなのお前が苦しいだけだ。__死なせとけばいい!」

 頬をはたかれたような気がした。

 

 鋭い痛みと一緒に血が盛り上がって流れ出す。息も出来ないくらい蹴られて、異様な咳が更に喉を締め付ける。

 死ぬんだと確信した、あの時の恐ろしさ。

 そんな恐怖を俺は味わってほしくない。自警団に関わっていた俺を平等に扱ってくれたあの人にも、生きることで許そうとしてくれたあの子にも!

  

「死なせとけばいいなんて言うなっ! ……悠銀と同じくらい生きてて欲しい人ができたんだから仕方ないだろ!?」

 そうだ。俺は二人に信じられないくらい支えられている。悠銀が居るだけじゃ俺はきっと正しくいられない。同じことを繰り返して、どのくらい堕ちていくか知れない。

 手のひらを握りしめ、きっと悠銀にとって痛いことを言い放つ。

「あの二人はお前より大事なんだっ!」

 悠銀が顔を歪めた。押し潰される前のプラスチックみたいにゆっくりとした表情の変化に、俺はどれだけ残酷なことを突き付けたのかと一瞬だけ後悔しそうだった。

 

「秋、お前、今更何気取ってんだよ。お前だって殺してきたくせに、僕と同じなくせに!」

 どこか必死に声を上げるその理由は、きっと仲間が欲しいからだ。同じくらい下にいる奴を見て安心したいだけだ。善だろうが悪だろうが、一人でいるのは辛くて寂しい。

「確かに悠銀と俺は同じ人殺しだ。でも」

 手首に力を込めて縄を思い切り引っ張る。少しずつ隙間が出来ていくのが分かった。あとちょっと。

 

 大きく息を吸って、堂々と。

 

「でも、俺は一生をかけてでも償う。そう決めたから」

 

 晴れやかな気分で笑う。

 図星だったのだろう、悔しそうに顔を歪めている友人は単純に哀れだった。燃えるような目で睨みつけられても恐ろしくはない。

「…………偽善だ」

「なんとでもどうぞ」

 多分もう、俺と悠銀は友達じゃない。俺も変わったし、あっちも変わってしまったから仕方ないこと。

 重い鎖がごとんと落ちて、胸が軽くなった。

 右手をすぼめて確かにゆるんだ縄の間から、引っこ抜く。

 案外すぐゆるんだのは友達ゆえの慢心か、単に慣れていないだけか。

「貸して!」

 手首を擦りながら立ち上がる俺をまるでお化けのように見ながら悠銀は男の手から銃を奪う。

「やめろ、撃つな!」

 制止を振り切り、悠銀はコッキングすると俺にむかって引き金をひいた。

 反射的に半身を引くと、銃弾は頬を掠めて後ろのホワイトボードを抉る。

 振り返りながら適当に撃ったような弾だったけど、運が悪ければ頬の肉を持っていかれてそれこそ感染者みたいになっていたに違いない。

 跳弾しなかったのも含めて運が良かったとしか言い様がない。

「逃げたくせに。僕を置いて逃げたくせに!」

 きっと俺のことを待っていたんだろう。戻ってくると信じていたんだろう。だから今こんなに怒っているんだ。喚いて、泣いて、なじっているのは信じていた自分への罵倒もこもっている。

「お前なんか____!」

 かたかた震えながら引き金に指をかけて、ろくに構えもせずに撃とうとする。

 片手では精度が落ちるとはいえ、狭い部屋の中で、俺と悠銀の距離は数メートルもない。満足に逃げられるわけもないから、当たるのは時間の問題だ。

「まだやるつもりかよめんどくせぇ」

 心底気だるげそうな呟きと同時に悠銀が首根っこを掴まれて後ろに引き寄せられる。耐えきれずに派手に尻もちをついた悠銀が呻く。

「賢そうな見た目して案外バカなんだな、お前」

 転んだ弾みで手放した銃を男は拾い上げ、緩慢な動作で弾倉を抜くとどちらも悠銀には手の届かない場所へ放り投げた。

「あんたらに何があったかは知らねぇけど、お前に逃げ出されると俺が怒られんだよ。分かる?」

 それは八木だかなんだかにだろうか。ぞんざいな口調ではあるが、その中にどうしても怒られたくない、かたくなな響きが見えて内心眉をひそめる。

「……分からないね。その怒られる(・・・・)っていうのも、俺には関係無いし?」

「はっ」

 大仰な仕草で肩を竦めると、男は少なからず刺激されたようで。

 不快そうに目を細めて、猛然と手を伸ばし、胸ぐらを掴みあげられる。

 ジェイドさんが言っていた。激情に駆られた人間は、とにかく単純で、容易な行動を選択する。

 

 殴られる前に相手の肘に腕を乗せ、体重をかける。かくっと簡単に肘は沈んで男の体が近くなった。

 相手の懐に入り込みつつ、そのまま腕を払って右掌を男の顎下めがけてすくい上げるように打つ。

 手のひらで打つだけとか意味あんの、と聞いたときは思ったけどジェイドさんに促されて軽くやってみると、案外、クラっときた覚えがある。

 つまるところ、脳を揺らすのだ。脳震とう。

 そんなものを全力でやられたら、命の危険もあるだろうが、それはボクサーとか、鍛えてる人がやればの話で、一般人なら殆どが昏倒程度で済む、らしい。殆どが。

 どうやら相手は気を失ったらしい。衝撃の受けたまま男の倒れこむ先に机があることに気づいて慌てて服を掴む。

「あ、ぶない……」

 なんとか直撃だけは避けられたものの割と鈍い音を立てて床に後頭部からいってしまった。

 結局打ったことに変わりないけど、角で頭ぶつけるよりマシだろう、と納得してさっき自分が縛られていた縄を拾い、男を後ろ手に縛り上げる。

 頭を極力揺らさないように仰向けの状態に戻して、顔を上げる。

 未だに尻もちをついた姿勢のままの悠銀と視線が交差する。が、すぐに逸らされてしまった。

「……俺、もう行くけど」

 ならばとこちらも背を向けて銃と弾倉を持ち上げ、言う。

 ドアノブに手を掛けても、後ろからは物音一つしない。

 引き留めも、しないらしい。

「じゃあね、悠銀」

 小さな声で、聞こえたろうか。別に聞こえてなくたっていいか。

 最低限の隙間だけ開けて体を滑り込ませて外へ出る。

 

 ドアを閉めて、ノブから手を離すその時まで、最後までほんの少しだけ期待していた。

 

 だから今、胸が小さく痛い。

 

 

 

「____さん、白樺さん?」

 

 囁く声量だったから、こちらが辺りを見回した時にはすでにあちらは気付いたようだった。

「! 白樺さん、」

「……戸倉さん」

 掠れた声で彼女を呼ぶ。はい、と応える声そのものはいつも通りだった。声だけは。

 唐突に謝りたくなった。彼女がここに居るのは自分のせいだ。

 

「ちょっと、さー。戸倉さん、肩、貸してくんない?」

「……もしかしてどこか怪我したんですか」

 大丈夫ですか、と眉を下げて問う彼女に返事もせず、背中を向けさせて肩に額を当てる。

「白樺さん?」

 背中越しの声が困惑していた。首を捻って俺を心配そうに見ようとしているのが伝わってきた。

 彼女がどんな反応をするのか分からないのが怖くてずっと言えなかったことを伝えるならきっと今しかない。


 

「戸倉さんのお父さんを殺したのは俺なんだ」

 

 伝えることが正しいのか、正しくないのかは分からない。けど、自分がいなければ彼女はもしかしたらお父さんと一緒にいれたかもしれないのだ。

 つらい思いをすることもなかった。

 

「ジェイドさんからどうやって生き延びたか聞いたときに分かった。戸倉さんの親を殺したのは俺なんだって」

 彼女は何も言わない。何を思っているのかも伝わってはこない。

 

「………………ごめん」

 

 泣いちゃいけない。優しい彼女に少しでも後悔しない選択をしてもらいたい。

 憎いと言われたら、死ねと言われたら。

 手の中のもので戸倉さんの前から消えてしまおう。

 そう思って、グリップを握りしめたとき。

「ここに自警団がいることも、お父さんを殺したことも黙っていたのは」

 ふっと頭に重みを感じた。戸倉さんが腕を伸ばして軽く頭に手を置いている。

「私のことを心配してくれたからですか」



 唇が歪むことを自覚する。

 

「戸倉さんさあ」

 普通はきっと都合が悪いから、自分のために黙っていたんだろうとか、もっと、言うことがあるはずだ。

「はい」

 なのにそんな平和な思考に落ち着いて、あっさりと俺をいい人に変えてしまうなんて、ちょっと彼女は変だ。

 この細い体のどこにそんな豪胆さを飼っているのか。

「やっぱりいつか騙されるよ」

 笑ったら涙が頬を伝った。さっきから壊れた蛇口みたいに止まらない。

 

「もう十分騙されました」

 笑みを含んだ声に、視界の歪みが一層酷くなる。

「ごめ、ごめん、俺、もう戸倉さんに、うそ、なんか、……つかない、し、」

 嗚咽に塗れてもう何を言ってるんだか分からないだろうに、彼女はわかってるとでも言うようにそのまま頭を撫で始める。

 

「白樺さん」

 

 呼ばれて、やっと顔を上げる。

 彼女は振り返って、懸命に笑顔を見せて、言った。

 

「パパを殺したのがあなたで良かった」

 

 予想だにしない言葉に目をみはる。

 

「ありがとう」



 ありがとうなんて言っちゃいけない。俺で良かったなんて言えるはずない。

「そんなこと、言わないでよ。戸倉さんは俺のこと恨むべきで、もっと憎むべきでしょ」


「白樺さん、聞いて」

 真剣な声に口を噤む。

 彼女は胸の前で手を組んで、目を細めた。

「白樺さんがちゃんと正しい人で居ようとしてくれてるの、分かるんです。自警団の中には開き直って人殺しを正当化する人がいました。悪人になって、罪悪感から逃れようとしてる人」

 黙って頷くと、彼女は続けた。

「でも白樺さんはそんなことしなかった。今ちゃんと向き合ってくれた。そして謝ってくれて……父はいつも、『謝ってくれたなら許しなさい。その子は絶対いい子だから』って言ってました」

 少し声を低くして、お父さんの真似をしているつもりなのか、ぐっと眉間にシワを寄せて言う。

 そして、懐かしそうに笑う。

「だから父なら白樺さんのことを許します。母もきっとさっきの白樺さんを見たら憎むことなんて出来ないはずです」

 自信満々に言うと、彼女は最後に締めくくる。

「だから私は白樺さんのことを許さざるを得ないんです。……それに、憎んだり、恨んだりするのすっごく疲れるんですよ」

 

 だから、ありがとう。

 

「行きましょう。何があったかは皆さんと合流してからです」

 

 子供の喧嘩じゃないんだから、とか、そんな簡単に片付けていいの、とか色々言いたいことはあるのに。

 

 許されてしまった。

 

 戸倉さんに自覚はないだろうけど、彼女は人たらしだ。

 

 ジェイドさんが特別気にかけるのも、分かったような気がする。

 

 

 

 

 

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