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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
30/98

欠如

「____海音ちゃんに触らないで!」

 

 はっと目を開く。

 声のした方を見ると、海麗ちゃんがライトも持たずに走ってきていた。

「は、」

 そのまま梅谷さんに抱きつくような形をとると、勢いに乗せて押し倒してしまった。

 彼女が大きく仰け反る。

 祈るように握られた手に何があるのか、振り下ろすと、梅谷さんの断末魔が響いた。

「ぎゃぁああああああああっ!?」

 悲鳴の合間に微かにぐちゅぐちゅと妙な音が聞こえる。

 じたばたもがく足を意に介さず彼女はその音を鳴らし続けていた。

「……た、すけて、くれ……もう、しないから…………もうゆる、」

「許せとか、言える立場なの?」

 何の躊躇いもなく彼女はそれを抜く。

 

「編み棒……?」

 先にくっついた丸い物から細い糸が垂れ、粘性の高い汁が伝っていく。

 眼球を突き刺して引っこ抜いたのだ。

「あなた達なんか許す価値もないよ。お母さんがあなた達のせいで妊娠したとき、何かした? もう使えねえなって陰で笑ってただけだよね。そのまま死んでも何もしなかったよね。ねぇ、何人があなた達のせいで死んだと思う?」

「知らない、……俺は、俺は言われた通りにしただけで」

「百五十八人」

「……は?」

「あなた達が殺した人の数」

 

 百五十八。声に出さずに舌でその数字を転がす。

 彼女もまた、あの避難所にいたらしい。

 何故ならそれは避難所での炊き出しを手伝えば分かる数字だからだ。きちんと配膳を行き渡らせるために作った帳簿には数が割り振られていた。

 その内二人は父と母だ。ひしめきあいながら暮らしてきたその人達のなかに、後何人の知人が居たか。

 そしてどんな思いを抱いて死んだか。

「これ以上堕ちれるのかと思ってた。これよりまだ酷いことが出来るのか、」

 ライトに照らされて彼女の半身は闇に沈んでいる。

「い、生きるために」

「でもあなたには良心の呵責だとか、罪悪感だとか、一欠片も無くて」

「仕方が、なかったんだ。そうしないと俺は体良く追い出されるだけだった」 

「ほんと腐ってる」

「だから……悪くない、そうだ、誰も悪くないんだよ。許してあげようよ、皆。そうすれば」

「黙れ人でなし!」

 醜い保身を彼女は昂った声で遮った。

「今更人間ぶったって! 私の友達まで食おうとしたお前はただの化け物だ、外にいるのより醜悪な!」

 彼女は叩きつけるように腕を振り下ろした。

 聞くに耐え難い絶叫が響いて、男の体がじたばたと暴れ出す。

 何度も何度も、男の顔へ手の中のそれを振り下ろし、途切れることのない悲鳴が上がる。

 やがて声が掠れ、抵抗することも出来ないのだろう、体の動きが小さくなった。

 

 死んでしまう。彼女が殺してしまう。

 

 床に縫いとめられているみたいに重い体を引きずって、彼女へ近づき手を伸ばした。もはや律動的に、ただ憎しみだけを理由にして動いている彼女を見るのも苦しかった。

 

「海麗ちゃん、やめて、お願い。人殺しにならないで」

 横から抱きしめると、やっと手が止まる。

「海音ちゃん」

 どこか戻りきれてない声に不安が膨らんだ。復讐に心を蝕まれているみたいだった。

「止めないで」

 優しすぎる仕草で彼女は私を引き離す。

「止められたら、進めない。こいつはまだ死んでない」

 息が詰まって鼻の奥がつんと痛んだ。

「……駄目。進めるよ。殺さなくても大丈夫。私が平気だったんだから」

 そうやって生きてきた。復讐しても、意味はないと信じて。

 彼女の顔を見て、ふっと戦慄した。

 考えるより速く体が動いて彼女を止めようと手を伸ばした。

 

「やめて____!」

 

 指先が服を掠めて、その時にはもう止めるひまさえない。

 グジュ、と編み棒が深く眼孔に刺さった。

 けれど悲鳴はない、体がぴくぴくと痙攣しているだけ。

 呆然とした頭で、この人はもう死ぬのだと理解した。せざるを得なかった。

 行き場の失った腕をそのままに、激しく逡巡する。

 どうする。どうすれば彼女は壊れずにすむ。一瞬に見たあの薄いガラスのような、綺麗で凄絶な笑顔を普通に戻すには、

 

「海音ちゃん、怖かったよね」

 

 怒鳴られたわけでもないのに肩が跳ねた。

「……大丈夫?」

 ここで緊張が緩んだように泣いたり、顔が引きつっていれば、まだ私は安心できたかもしれなかった。

「それはこっちのセリフだよ、もう」

 今しがた人を手にかけたとは到底思えないように軽やかに笑う。

「いっぱい怪我してる。……足も、今抜いちゃダメだよね」

 血と、透明な液で汚れた手が伸びてきて、思わず身を竦めた。

 それに気付いてか、彼女は手を引っ込める。

「私、もうちょっとやる事があるから。どこかに隠れてて」

 そのやる事が何なのか、嫌な予感がして咄嗟に手を掴んで引き留めた。

「待って」

 あっちへ行かないで。

 彼女はどこまでも落ち着いた動作で振り返ると、困ったように微笑んだ。

 

「自警団を殺そうだなんて考えないで……お願い」

 血でぬめった手は今にも抜けてしまいそうで、更に力を込めて握った。

 笑顔を崩した彼女が口を開こうとする前に言う。

「もう良いよ、もう十分。そんな人達のために狂う必要なんてないんだよ。相手を呪わなくたって生きていけるんだから」

 少しの間をおいて、頭上から大きなため息。それを発した彼女は膝を折ると私と目線を合わせる。

 

「犯罪に巻き込まれた被害者が、それかその遺族が、憎いはずの加害者に何もしないのはどうしてだと思う?」

 

「……え?」

 脈絡のない質問に対して間の抜けた声をあげると、笑顔を消した彼女は淡々と言葉を紡いでいった。

 

「裁かれるからだよ。法に則って裁判官が当然の罰を与えるから。それでようやく被害者は憎しみを悲しみに変えることができる。私達は決まりに従順になるようになってる。そうすれば危害を加えた相手に対して自分は正しくいれるから。そして相手にはそれ相応の罰があるから。だから我慢できるんだよ。海音ちゃんの言うみたいに復讐は必要なくなるの」

 

 そっと手を解きながら彼女は詩歌をそらんじるように続けた。

 

「でもこの世界にはあって当然の法律も、罰もない。法律から放り出された人間は勘違いする。なんでもやっていい、自由だ。罰を受けないことを知った人間は理性を失う。不快感を与える他人は排除してしまおう。じゃあ排除される側は? 間接的にやり返してくれる機関はとっくのとうに崩壊した。私達はここでくいものにされるだけ?」

 違うよね、と彼女の瞳が問うてくる。あまりにも強い力をたたえて私を見つめてくる。

「違う……けど、だからって人の道を外れるようなことしなくても良いじゃない、そんな、あなたまで堕ちなくたって」

「いつまで旧い世界だと思ってんの。あそこにいたんなら分かるでしょ。海音ちゃんも大事な人を殺されて怖い目にあわされたでしょ。お父さんもお母さんも友達も喪ってまだ綺麗事を吐けるなんて」

 

 続きを聞きたくない。きっとそれは私への非難だ、欠けている何かだ。聞いたら私は認めなくちゃいけない。平和だったから気づかなかった、今だから明るみにでた、私の、

「海音ちゃん、人としておかしいんじゃない」

 肺に詰まった何かが吐き出される感覚。

 あっけなく、言われてしまった。私が薄皮一枚で覆っていた違和の正体。

 私は泣き疲れたから、彼らの為に泣くのをやめた。楽だったから、海麗ちゃんの抱えている憎悪を、私にもあるはずのそれを諦念に変えた。

 大切であればあるほど、それを奪った人を恨む思いは強いはずで、簡単には捨てられるはずが無いのに。

 

 だからそれを捨ててしまえた私は、彼女の言う通りおかしいのだ。

 

「もう良いよ、とにかくどこかに……」

 

 そうして彼女が手を差し出した、その瞬間。

 

 ぞくりと背中が震える咆哮が耳をつんざいた。

「なに!?」

 流石の彼女も顔を青ざめさせて辺りを見回した。

「海麗ちゃん、急いで逃げよう」

 力の入らない足を叱咤してなんとか立ち上がる。

 どうやって感染者が入り込んできたかは分からないけれど、咆哮をあげたということは獲物を見つけたということだ。

 一歩踏み出す、それだけで顔が歪んだ。痛みと異物感に耐えながら口を開く。

「なんでかは分からないけど……バリケードが破られたんだと思う。そうなればきっと一体だけじゃ済まない、まだ入ってくる」

「じゃあどうしろって言うの……!」

 私を支えながら彼女が唸る。私達は感染者に適うだけの武器を持っていない。

 

「逃げるしかない。でも下じゃなくて上に……少しでも生きたいなら感染者を倒すしかないと思う。ここを捨てて出るにせよ、どこでも感染者はいるから」

 私は自分でナイフを管理しているから、一つ上がれば見つかるはず。

 だから……と階段の方へ視線を向けて、顔が強ばった。

「あれ……っ」

 誰かが走ってくる。よく見れば手にはバットが握られていて感染者ではないらしい。

 けれど海麗ちゃんは分からない。動揺してしまっている。

「感染者じゃないよ」

 そろりと力を抜いて、見覚えのあるその人を待つ。

 

「……遅かったみたいだな」

 顔を歪ませて彼は私を見ながら言った。

「あなた、誰」

 警戒心をあらわに海麗ちゃんが尋ねるが、彼は取り合わない。少し不快そうに眉を寄せただけで私の横につくと、しゃがんで足をみはじめた。

「ちょっと!」

 非難めいた声をあげる彼女は、けれど私を無理に引っ張ることはしない。

「静かに。足に刺さってるのはカッターか」

「はい。あの……」

「良いから、ちょっと診せてくれ。俺がジェイドの味方ってことは分かるね?」

 一つ頷く。何度かジェイドさんと話しているところを見たことがあった。

「よし。詳しい事情は後にして、とにかくこれを抜いて止血をする。かなり痛いし、負担をかけると思うが、そのままじゃ何かの拍子に刃が折れて深く入り込んでしまうかもしれない」

「感染者が居ますよね?」

「エスカレーターのとこにな。これで殴って落としといたからしばらく大丈夫だ」

 はあ、と安心から思わず息をつく。言い方からしてあまり悠長にしていられないだろうが。

「そこの……御陵さんだったか、灯りを持って手元を照らしてくれないか」

 ややあって丸い光が足を照らす。彼女はまだ警戒しているらしい。

「止血の布は私のでも良いですか」

 探している暇なんてないだろうと提案すると、彼はちらっと私を見上げ首肯した。

 服を脱いで彼に手渡せば、彼はもともと裂けている部分から更に裂いて三つの布切れにした。

「これを噛んでどうにか耐えてくれ」

 腹ばいになって布を噛めば、それで準備は万端だ。

「別に見てなくても良いんだけどなあ……」

 上半身をねじって足をみつめていると困ったように言われた。

 見えないところで傷口をまさぐられるのは不安なのだ、仕方ない。

 お願いします、と彼を見れば諦めたようにため息をつくと、口を開いた。

「分かった。他人の足でも眺めてる気でいろ」

 軽い冗談のそれに少しばかり気を抜くが、自分の足に突き刺さったときの痛みを思うと、覚悟を決めたとしてもやはり怖い。

「抜くからな、大丈夫。すぐ終わる」

 声をかけ、慎重に彼はカッターを抜く。

 痛みに呻き、すぐに手当てを見ている余裕はなくなってしまった。カッターが抜けるまで耐えられるか、と疑問が浮かぶ。


 けれど彼の言うすぐ、は数分にも満たず、畳んだ布を押し当ててきつく縛るまで五分と掛からなかった。

 その間に私はぐったりと疲れきってしまったが、刃物が体から取り除かれたというだけで気分はずっと楽だった。

「歩けるかな」

 傷口の辺りがどくどく脈打つ度、足が痛みを主張してくる。きっと歩けば響くだろうが、そんなことを言ってもどうしようもない。

 それに、ずっと気になっていることが一つあった。

「多分、大丈夫です。それよりジェイドさんを探したいんです。白樺さんも……今誰と一緒にいるんだろう」

 一つ息をつけば、梅谷さんの言っていたことが頭を過ぎった。

「ジェイドさんが死にかけていると、梅谷さんが」

 彼を引き合いに出したのが、私を絶望させようとしただけだったらと思うけれど、あのジェイドさんが感染者の咆哮さえ気づかないことかあるのだろうか。ジェイドさんだけじゃない。足音さえ消せない静寂のなかで、助けてくれた彼しか気づかないなんて。

 ならその彼はきっと知っているはず。何故こうなっているのか、ジェイドさんはどうなっているのか。

「なにか、知ってるからここに居るんですよね、教えて下さい。お願いします」

 頭を下げる。結んでいない髪が頬を撫でて滑り落ちた。

「……教えても今の君じゃ何も出来ないことくらい、分かるよな」

「お願いします。詳しいことは後でって、言いました。教えて、下さい」

 言い方と裏腹に苦しそうな声音につけこんで、もう一度頼み込む。

 ややあって随分と迷った気配のあと彼は私の肩に手を添えて頭をあげるように促した。

「もう良いよ。全部教える、それで良いんだろ」

「はい……!」

 顔をあげ、彼を見上げる。

 やれやれといった風だが、その表情は何となく嬉しそうだ。

 首を傾げるのも束の間、だんまりを決め込んでいた海麗ちゃんが間に割ってはいる。

「私も行くから。あんまり海音ちゃんに触らないで」

 宣言すると、彼女はつんと横を向いて付け加えた。彼が苦笑いしながら半歩退く。

 私は不思議な気持ちで怒ったように腕を組む彼女を見やった。

「どうして?」

「自警団がこの状況に絡んでないわけないもん。それに私、ゾンビ倒せないし……海音ちゃんは危機感ないしっ」

 危機感が無い、とは随分な言われような気がする。

 それに対して彼女が怒っているらしいのも、どうも分からない。さっき私のことを批難したのに、今度は一体何が気に入らないのだろう。

 べぇっと舌を出してまだ怒っているような表情からは、素直な彼女しか見えなくて私は困惑する。

 なんとなくそれは彼女の優しさのような気もして、色んな言葉が頭に浮かんでは消えた。

「とりあえず今寝てる人達を起こしてから……心配か?」

 結局かける言葉は見つからず、大切なタイミングを逃した心地になりながらも、今の状況に目を向けさせる彼の問い質しに返そうと口を開く。

「はい。でもまずは皆に知らせないと……感染者がたくさん入ってきたらジェイドさんを探そうにも探せませんから」

 ジェイドさんなら自分から何食わぬ顔でひょっこり出てきそうだし、とは口が裂けても言えない。

 

 とにかく階上に急いで、寝床が敷かれている辺りを見渡すと、彼女達は既に起き上がっていた。

 手で抑えられているのか、小さな灯りが輪の中で輝いている。

「……本当に……たの?」

「大丈‥‥かな。…………も居ない」

 囁き声で話しているから、近づいていっても端々しか聞き取れないが、焦慮だけは汲み取れた。

 怪我をしていないほうの片膝をついて、驚かせないようにそっと一人の肩に触れる。

「あっ……!」

 目を見開き、声を上げかけた大学生くらいの彼女の口を軽く抑える。

「さっきと同じ声量で。……感染者の声には?」

 こくんと彼女が薄い茶髪に地毛の生え始めた頭を縦に振る。

 手を離すと、彼女は少し生気を取り戻した瞳で痛々しそうに私を見やる。

「聞こえた。君は、」

 誰かがひっと息を飲む声に彼女は横目で気にする。彼女はさっと振り返り、私の後ろを見ると、早口にその人が男性に怯えているのだと説明した。

「男の人が下に降りるのにも気付いてたんだけど……」

 言いたいことは十分に分かった。

 私は微笑んで首を振り、カサカサの唇を震わせている彼女に言った。

「大丈夫です。海麗ちゃんが来てくれました。後ろにいる……」

「三ノ輪だ」

 バレていたか、と少し頬を赤らめながらも続ける。

「三ノ輪さんも、感染者を先回りで対処してくれました」

「倒せたわけじゃないのね」

 不安と恐怖からか彼女の声が少し硬くなった。

「はい。だから私達はこれから武器を取りに行きます」

 状況の伝え方一つで彼女達は混乱して、何も聞き入れてくれなくなってしまうかもしれない。

 そう思ってできるだけ穏やかに言うと、彼女は眉を寄せた。

「…………ねえ、君達はこれからどうするつもり?」

 君達、はどうやら私と海麗ちゃんに向けられているようで思わず彼女と顔を見合わせる。

「私はジェイドさんを探してて、海麗ちゃんは……」

 流石に正直には伝えられず、閉口していると、やや主張の激しい声が割り込んできた。

「その子、連れてかない方がいいわよ。正気じゃないもの、きっと足でまといになるわ」

 三十代も後半だろうか、綺麗な人だが、本人の前でなじるようなことを言えるところを見ると性格は悪い。

 海麗ちゃんから呆れている雰囲気がするのなら常からこんな調子なのかもしれない。

「それにほら、守る人は少ない方が良いと思うの。あんた達にとってもそうでしょ?」

 引きつった顔に無理やり笑みを作り、その人は声高に主張する。

「そうよ! 私はここの誰よりだって役に立てるわ!」

 興奮したようにまくし立てるが、真意が透けて見えるせいで、煩いことこの上ない。

 わざわざ他人を蹴落として、加えて役に立つから一番に守れと、彼女はそういうのだろう。

 心底冷えた気持ちになった。完全に守れる保証もない人間に何をアピールしているのか。

「私ちょっと、自警団の気持ちが分かった気がする」

「私も」

 短く会話を交わし、二人でため息をついた。

 彼らのことは許せないけど、こういう人が一人じゃなく何人も居たかと思うと、辟易としてしまうのがなんとなく理解できる。それに赤の他人には人は結構薄情だ。

「何よ、どうするの?」

「え、っと……今はまだ誰を置いていくだとか、そんな段階ではないと思います」

 せっつかれて、なんとか返答を絞り出しつつ、横目で三ノ輪さんを伺う。

 先程から後ろを気にしているようだし、よく耳をすませば、唸り声が微かに聞こえてくるような気がする。

「だから今の時点では切り捨てる人はいません」

「ふぅん……」

 不満げではあるが、一応言いたいことは言いきったのか、どこか興ざめた顔で彼女は黙りこんだ。

「持っていきたいものがあるなら纏めて、そろそろ行きましょう」

 穏やかに促す三ノ輪さんに従い、彼女達は鞄を検め始める。

 話が進んでほっとしながら、私も自分の荷物を手に取った。

 ナイフに、水が半分少し残ったペットボトル。多少の着替えと、擦り傷くらいにしか使えない絆創膏。

 中身は最後に見た時と変わらない。ナイフはちゃんと手入れしているから、まだ使える。

 ホルダーから抜き出したそれは、もうずっと前から持っていた気がする。

「…………」




「海音ちゃん、皆用意出来たみたい……なんだけど…………」

 尻すぼみになって、ついには何も言えなくなってしまった彼女を見上げる。

 虚を衝かれたようなその表情。

「うん。今行く」

 手に持った髪を丁寧に折りたたんで床に置き、鞄を背負って立ち上がる。

 未だに何も言わない海麗ちゃんに私は少し笑った。髪を切っただけでこんなに複雑なそうな顔をされるのか。

 邪魔なものを捨てただけだ。自傷行為をしたわけでも、傷つけられたから気分を変えようとしたのでもない。

 

 ただ邪魔だったから、ナイフでこするように切った。

 

「似合うかな」

 問うと、なんだか寂しそうな彼女は小さく頷いてくれた。

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