女の子はころころ変わる
こうして途切れ途切れに眠っていると、ふっとまるであの埃臭い部屋に閉じ込められていた頃に戻ったような錯覚に陥る。
その度はっとして目覚めるが、それが少し、残念だった。
あの時はまだ友人が隣にいてくれていたから。死を待つだけなのは辛いけれど、生きるよ
りも疲れない。
もし彼女が私に一緒に居てくれ、と頼んでいたら、……私は、けれど、彼女がそんなことを願うとは思えなかった。
じゃあもっと前から何かしらの行動を起こしていれば、友人も、両親も生きている未来があっただろうか。
熱にうかされながら、考える。
なんで私だけ生きているんだろう。
疲れたな、とふと思った。薄皮を積んでいくと、いつの間にか分厚くなっているような、我にかえってようやく重いと気付けるような疲れだった。
生きてと願われたから生きているだけなのだ。きっとそこに私の意志は無い。
熱が引けばいつも通りに笑えることはわかるのに、悲しめるとは思えなかった。知っている人は皆居なくなったのに、私はもう悼むことさえできなくなってしまった。彼らのために泣いたのはもうずっと前だ。
腕を額にあてて、目をつむりながらじっとしていると、誰かが横に来る気配。
衣擦れの音からして女性のようだから、さして警戒もせずに瞼を上げる。
「海麗ちゃん」
声をかけると、一瞬の後にひょいとこちらを覗き込んできた。
「……起こしちゃった?」
眉を寄せる彼女に首を振る。
「眠れなかっただけ」
そっか、と呟いて彼女は覗き込むのをやめると、何やらごそごそし始める。
「なにしてるの?」
顔を横に向けると、同じく寝転がっている彼女が目に入った。手には手編みの……マフラー、だろうか。様々な色で編まれ、時には模様まで入って異様に長いそれは、実用性は無さそうだ。
「蛍姉さんに教えてもらって編んでたの。暇だったから。でも最近は海音ちゃんとか、えっと白樺さん? が居てくれるからしまってたんだ」
そう言って手際良く編み針を動かす。相当暇だったらしい、その動作には迷いがなかった。
しばらく手元をじっと見ていたが、どうなっているのかさっぱり分からない。
「海音ちゃん寝ないの」
「だって海麗ちゃん、暇だからそれやってるんでしょう。……でも風邪うつっちゃうから、できるだけ早く戻ってね?」
こんなふうに熱が出ても、看てくれた家族にうつったことはないけれど。それでも少し、心配だった。
「大丈夫だよ。それに、うつったっていいんだ」
朗らかに笑いながら、なげやりな口調で彼女は言った。対して私は眉をひそめる。
何か声音に、仄暗いものを感じたから。
闇夜に滲む彼女が脳裏に浮かんだ。まるで未練を残した幽霊のような。
「蛍さん、なんでも知ってるね」
落ちる沈黙を一瞬のものにしたくて口を動かした。
「うん」
柔らかい声にほっとする。
「私の知らないことたくさん知ってるの、昔から。本当にお姉ちゃんみたいに遊んでくれて、」
そこで不意に息を詰まらせる。そうしてすするように息を吸い上げて、言葉を吐いた。
「……でももう、昔みたいに遊べないんだね」
せきを切ったように彼女の目から涙が溢れ出して、ぽたぽたと編み物に落ちた。涙が染みて色が濃くなる。
肘をついて体を起こす。頭がいつもより重くて少しめまいがした。
けれどそれも些細なことだった。
「蛍姉さんは前よりもなんだか怖くなって」
肩に手を添える。気づいた彼女が起き上がって私の腕にすがりついた。
「私も変わっちゃった……!」
怯えるように、恐れるように、彼女は涙で頬を彩りながら言った。
体を震わせる彼女の頭を引き寄せて、抱きかかえながら相槌を打つ。
「うん」
「それ、で、お母、さんもっ、お父さん、も、皆あいつらに、殺されてっ」
「うん、辛いね、悲しいよね」
「怖かった、怖かったっ」
子供のように、泣きじゃくる。紡ぐ言葉はつっかえつっかえで、あまりにも大きすぎる感情が邪魔しているようだった。
「なんで、なんで私、あのとき、見てるだけ、でっ、すくんでばかりで、」
背中に熱気がこもっている。震えるように息をしている。
「うん、うん……大丈夫だよ、大丈夫」
安心させたくて、背中をさすって、嘘をついて。
「私も、海音ちゃんみたいに強かったら……」
胸を針で刺されたような痛みがした。
私が彼女の思うように強ければ、私はきっとここには居ない。もっと別の道を辿っていた。
「……強くなんかない」
思った以上に尖った声が出てしまって、慌てて腕のなかを見下ろす。
きょとんとした瞳と視線が交わった。
「あ、えっと」
瞬きが一つ。溜まった涙が滑り落ちて、けれどそれを最後にもう流れない。
その妙な反応に言葉が見当たらず、少しの間沈黙が落ちた。
「ごめん」
「……え?」
唐突な謝罪に戸惑いつつ、彼女が掛けていた体重を元に戻す素振りを見せたので、腕を軽く広げた。
「海音ちゃんだって、辛い思いいっぱいしてきたんだよね。……のに、なんか私だけ被害者ぶって。ごめん」
腕から離れて、淡く彼女は笑った。
「それは、」
頬についた水滴を拭う彼女を見ながら思う。
それは違う。痛みを感じる度合いは人によって様々で、自分にしか分からないその痛みを自身で他人に合わせて歪めてしまうのは違う。
違うけれど……他人の枠に自分を押し込めて誤魔化す気持ちは、何となく理解できる。それくらいしないと、すぐに駄目になってしまいそうな気がするから。他の人が大丈夫だから、自分も平気なのだと信じて安心したいのだ。
だから、吐き出したければ、吐き出せばいい。
「ううん。泣いたって、弱くたって良いんだよ。それにほら、皆被害者みたいなものだから」
ね、と同意を求めると、小さく笑われてしまった。
首を傾げると、
「海音ちゃんは時々、大人みたいな物言いをするね」
先程から一転、くすくすと笑いながら言われる。
いつかも同じようなことを言われたような気がするが、今回もやはり、腑に落ちない。
「そうかな……?」
「なんでだろう、なんかすごく落ち着いちゃった」
穏やかに呟く。
私はやっぱり納得できない。できないけれど、彼女が安心できたなら、それはそれで良いかと思う。
一段落つくと、忘れていた体調不良を思い出した。ぶり返してきた寒気に身震いする。
「大丈夫? ごめんね、変な話して」
慌てて横になるように促されて、大人しく掛布を被る。
「何か要る物ない?」
見上げる私に聞いてくるその仕草になんとなく母を重ね合わせてしまって、きっと先の応酬のせいだった。
「……もう少しここに居てほしい。駄目、かな」
恥ずかしくて、語尾が尻すぼみになってしまった。
でも一人でいると変なことばかり考えてしまうから、誰かに居てほしい。
けどやっぱり、わがままだったろうか。
彼女に風邪をうつしてしまったら罪悪感が半端じゃないし、前言撤回しようか。
葛藤していると、
「いいよ、いいよ! ずっと居たげる!」
何故か非常に嬉しそうに請け負ってくれた。
「ずっとじゃなくたって良いよ」
そこまで言ってくれるのが、嬉しいけれど恥ずかしくて、濁してしまう。
「ううん、一緒に居よ。もう寝る?」
私の内心を知ってか知らずか、相変わらず嬉しそうに笑っている。
「まだ寝れそうにないかな」
「じゃあなんか話そう。聞きたいこといっぱいあるんだ。眠くなったら寝ていいから」
「聞きたいこと?」
首を傾げると、彼女は手で壁を作って顔を寄せてきた。ひそひそ話をするような姿勢だ。
「海音ちゃんって」
「うん」
「ジェイドさんのこと、好き?」
「…………え?」
唐突すぎる質問に間抜けな声しか出なかった。
好きって、あの好きだろうか。
ちらりと顔を伺うと、きらきら期待に輝いていて、恋愛系の話にすり替わったことが容易に見て取れた。
固まっている私を見てどう思ったか、海麗ちゃんは付け加える。
「だって海音ちゃん、あの人と一緒に居るときはいっつも柔らかい表情してるよ」
「や、柔らかい?」
思わず手で頬を包む。柔らかいといわれてもどんな表情になるのか想像できない。
「安心した顔してるもん、なんか」
いつの間にそんなに観察されていたのだろう。
というか。
「そんな顔、してた……?」
「えっ」
まるで気づいてなかったのかとでも言いたげな表情に若干の居心地悪さを感じて、そっと明後日の方向を見る。
「海音ちゃん……」
「なに……」
「初恋っていつ?」
「…………」
見られている。すごく見られている。
「まだなの? ねぇ、まだなの!?」
「ちがう、と、思う」
絞り出すように言った。
はっきりといつだったかは分からない。
記憶をさらってみても、特に印象的な人は居ない。
「あ、でも。誰かのことをすごく考えてたことはある気がする」
気がするだけで、本当はそんなことあったのかも分からない。
「ぼんやりしてるなあ」
そう言って彼女は顔をしかめたけれど、肝心のその人はさっぱり思い出せないのだ。仕方ない。
誰かを想っていたことが感覚として残っているだけ。
「もう良いでしょ。海麗ちゃんは?」
「ええ……特に面白くないよ」
あるには、あるらしい。
あと本人がそういう反応をするときは絶対に面白い。
「聞かせてほしいなー」
「……小学校にあがるのをきっかけに引っ越したんだけどね」
不承不承ながらも、語ってくれる気にはなったらしい。
訥々と、でも少し雰囲気がふわりとしているのが横にいて伝わってくる。
「お隣さんに高校生の男の人がいて。会った時すごく怖くて全然話せなかった。……けど、仕事で両親が居ない時間によく遊んでくれて、ずっと私に合わせてくれて、怖くないようにって、多分ずっと屈んでたんじゃないかな」
「今はもう屈む必要ないんだね」
目線がちゃんと合うから。
「そうなの。でもまだ…………え? あっ!?」
分かりやすいリアクションにくつくつと笑うのを止められない。
背を丸めて、口元を抑えるけれどおさまりそうになかった。ぺちぺちと軽く背を叩いて抗議しているようだが、それすら笑いを誘う。
「酷い。カマかけられた」
「ごめんね」
拗ねた声にまた笑ってしまいそうで、努めて冷静を保ちながら謝った。
気を抜くとまた笑いの発作が起こりそうで悩ましい。
「でも頑張ってね」
まだ残っている緩やかな可笑しさを悟られないようにそのままの姿勢で言った。
その恋が叶うかどうか分からないし、ずっと一緒に居られるかも分からないけれど。
「なんで」
「なんでも」
こんな話をするくらいゆるされても良いはずだから。