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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
21/99

私が信じている人

 結局、使える車は五台ある内のたった一台で、そのたった一台でさえガソリンはギリギリだと不知火さんは少し顔を顰めて言った。

「けど見つかったのは良かった。これで何もせずに戻ったらどやされちまう」

 肩を軽くすくめる不知火さんに、私は罪悪感を覚える。何となく私が話を拗らせたような気がしていたからだ。

「君達は乗るか? 後から合流するでも問題ないと思うが」

 ここから件の場所まで十分とかからない事からの提案だろう。白樺さんと顔を見合わせるが、結局、二人して乗ることに異議はなかった。

 乗り込んで少し、距離が短いとはいえ車の駆動音にひかれた感染者達が後を追ってきていた。それでも感染者だって所詮は人間なので、今すぐに追いつかれてどうこうなることは無さそうだった。

「見えた。速度上げるからな、しっかり掴まっておいてくれよ」

 言うと同時に加速するものだから、座席に案外勢い良く身が押し付けられてしまう。けれど抗議の声を上げる暇も無く感染者の群れがぐんぐん近づいてくる。

 ジェットコースターに乗ってもここまで緊張しない。その緊張感といったら悲鳴を上げたくなるくらいだが、掴んだ手に力を込めてひたすらに耐える。

 時速何キロか。もしガソリンが満杯だったらもっと速度が出ていたのかもしれない。

 とにかくお腹が縮むような体験を耐え抜いて、騒音に気が付いた感染者がこちらを向く瞬間をやっと捉える。

 妙にゆっくりと流れる時間のなか、その感染者がふらりと体を前に振った。まるで____。

 フロントガラスから後方へ衝撃は流れる。鈍い音とともに感染者の体がガラスに打ち付けられその衝撃はガラスにひびが入ったことが物語っていた。

 そこからはもう、見ていない。揺れる車体のなかで体を安定させようとするのが精一杯だった。

 ただぶれる程の視界のなか体に伝わる衝撃は気味の悪いもので、ごりごりと擦れながらも潰れるような音や、腐った体が車の重さに耐えかねて豆腐のように砕ける音が背骨にまで響くようだった。

 想像しないように想像しないようにと心で唱えても飛び出た目玉や突き出した骨が脳裏に思い浮かぶ。

 

 けれどそれはそう長く続くものじゃない。

「戸倉さん大丈夫? 酔ってない?」

 いつの間にか硬く閉じていた瞼をそろそろと持ち上げる。酔っては、なさそうだ。

「大丈夫です。降りましょう」

 すぐ後ろにはビルの入口がある。早くしないとまた感染者が集まってきて入れなくなってしまう。

「気を付けてくれ。無いとは思うが引きずってきたのが生きているかもしらん」

 不知火さんの忠告を受けて、窓越しに外を覗いてみる。動いているものは無さそうだ。

 ナイフを逆手に持ち替え、ドアを押し開けばぬらぬらした肉の塊が見えた。足元に感染者の陰が無いことを確認してやっと降りる。

「……うわぁ」

 中々の大惨事に想像していたにも関わらず小さく声が出た。

 あちこちに感染者だったものが転がっている。目に、腕、足、内蔵。

 いっそう濃い鉄の臭いが風にのって鼻についてクラクラしそうだ。

「派手に突っ込んだけど大丈夫? 怪我はないでしょうね? どこか打ったりした?」

 降りた途端に駆け寄ってきた蛍さんにがっと両腕を掴まれて、顔を覗き込まれる。質問に答える必要は無いくらいに怪我の有無を確認されて、状況も考えずに失笑してしまった。

「大丈夫ですから」

「そう……」

 ほっとしたように眉を下げて、やっと腕を離す。

「じゃあ早く行きましょう。アレ、中に入ったわ」

 どくんと心臓が跳ねて、頬が強ばった。

 新しく感染者が集まる前にとフロントへ移動して、パネルに印刷された地図を確認する。複雑な場所は何もない、普通のオフィスビル。

 薄暗い階段を登っていく内、微かに獣じみた声が聞こえてくる。

 化け物のそれじゃない、もはや聞き慣れた感染者があげるその咆哮。

 

 見つけた。

 

 明らかに獲物を追い掛ける速さでの移動。


 絶対に彼はその先に居ると何故だか確信していた。彼が死ぬはずが無い。そう、思えて。

 足の遅い感染者数体が振り返ってふらりと一歩こちらへ進み出る。

「蛍さんそれ、それ投げて!」

 それ__白樺さんが指し示したのは金属バットで、何度か感染者相手に使ったのか、異様に変形している。

 蛍さんは、けれど訊ね返すこともなくリュックからバットを抜き取って腕を振るった。重そうな金属の棒が一瞬で感染者の頭上をかっとぶ、大人の膂力を最大限に発揮したそれ。

「____ジェイドさん!!」

 頭一つ抜けたその人は、私の声が届いたらしい、走りながらも受け取る方はなかなか迫力あるだろうそれを難なく受け止めた。

 そのまま重みを利用するように真下に振り下ろす。乱れなく移動していた集団が戸惑うように一瞬止まる。

 間髪入れず白樺さんが発砲。感染者を倒すでもないその発砲の意味は多分、感染者を引きつけるためのものだ。

 現に緩慢と振り返った感染者達は照準を私達に切り替えている。

 餌を視認した途端の行動の早さにはほとほと感心する。

 ……ジェイドさんはきっと大丈夫。

 もたげた不安を前を向いて跳ね除ける。

 

 先程から舌打ちを繰り返す八木さんの横をすり抜けて、出来るだけ低い姿勢から、顎を狙って感染者へと身を乗り出した。

 勢い良く突っ込んでくるそれに向かってナイフを刺すときは注意深く、刃が肉に食い込むまで油断してはいけない。

 今回もそう、きちんと喉もとまで届いたそれを、ぐっと力を込めた。ぷつっと風船にカッターを入れたような感触、次の瞬間にはどろりと刃を伝って手へとどす黒い血液が滴り落ちてくる。もう一息。

 人間なら倒れ込みそうなものを彼らは歯牙にもかけずこちらを食べることだけ考えて自ら身を屈めてくるのだから、その執拗さに笑うしかない。

 かくて大ぶりのナイフはあちらの協力もあって容易に脳まで届く。

 けれど多対一での、しかも混戦のような状況で、私はどう動けば良いか、見てしか(・・・・)いない。

 何度も反芻したはずの動きも上手いようにいくわけもなく。

 ナイフが何かに引っかかって、抜くことが出来ない。

 無我夢中で脱力した体を蹴り飛ばしてようやくナイフが引き抜ける。でももう別の一体が私を食べようとその口を開いていた。

 闇雲に伸ばされた腕が強く私の肩を掴む。人間には出せるはずもない握力に、肩が軋んで外れそうになる。

「ぅあ…………っ!」

 くいしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。一直線に喉笛を狙う単純さを見て半身捻りなんとか感染者を躱した。

 片腕はどうも、ぎりぎり繋がっていただけらしい、躱した衝撃でどこかが壊れて脱力、そのまま感染者諸共後方に倒れ込んでしまう。

 ようやく空いた右腕でなおも迫ってくる感染者の顔へナイフを振り抜く。

 呆気ない程簡単に埋まったナイフの柄を渾身を込めて引っ張り、いつの間にか傍に来てくれていた白樺さんの手を借りて立ち上がった。

 その向こうでは蛍さん達が少しずつ後退しながらも銃で応戦していた。こちらにも食料があることを察した感染者達はかなり多いようで、過半数程の目がこちらに向いているのが分かった。

 潰すように掴まれた肩がどくどくと脈打って痛い。

 脱臼するようなこともなかったけれど、きっとうっ血して痣になっているだろう。

 応戦に加わろうとして、しばし迷う。私が前に出てしまうと逆に邪魔になってしまうかもしれない。私も銃を使うしかないだろうか。……銃はあまり、好きじゃないけれど。

 でも好き嫌いなんて言っている場合じゃない。少しでも貢献して、早くジェイドさん達と合流したい。

 

 そうして銃を引っ張りだして蛍さんに駆け寄る。

 慣れない動作でスライドを引く。深くグリップを両手で握る。硬いトリガーを指先に力を込めてゆっくりと引き寄せた。拳銃だったら私でも反動は抑え込める。

 狙うのは一番近く真正面に居る感染者。幾つかの弾痕から血が流れ続けている。

 距離は五メートルだって無い。頭を狙えるかどうかは別として弾が届けば衝撃でよろめきはしてくれる。

 それでも弾を無駄にはしたくなくて、出来るだけ照準を頭に合わせた。

 こんな世界になる前だったら驚いて身を竦ませていただろう銃声も、少し慣れた。反動は微かに肩へ痛みを与える。

 そうだ、さっき。

 束の間の苦い思いが弾道を歪ませて、後方の感染者へ流れていく。

 数段近くなった目標に、続けて発砲しようとして、がちっと妙な手応えに焦りが走る。

 

 詰まった、らしい。

 

「嘘………………!」

 悲鳴じみた声が出ても、それは容赦なく肉薄してきた。

 濁った目玉。細い血管が表面を這って白目の部分を赤く見せる。

 

 

 目の前に血の幕が広がる。弾けたのは相手の頭だった。

「何してるの!! 下がっていて!」

 また、蛍さんに助けられてしまった。また迷惑をかけてしまった。

 突き飛ばされて、強かに臀部を打つ。

 

 お前は、女は、子供は、役に立たない。足でまといの良いお荷物。

 

 それなのにこちらを良いように利用して、物資をただひたすらに消費するだけ。全ての危険をこちらへ押し付けて、一体何様のつもりか。

 

 守ってやる義理も無いのだし、いっそのこと全員。

 

 すとん、と何故か自警団の人達が抱えていただろう憤懣や苛立ちが心に落ちた。

 

 ふっと目に涙が浮かんだ。

 私は、もう、誰かに頼りきりは嫌で、守られてばかりは嫌で、だから、戦おうと決めたのに。全てを特定の誰かに押し付けるのをやめてしまえば、きっとあの時みたいなことにはならないって、そう、思ったのに。

 

 私、弱かったんだ。

 

 拠点に居る、ほんの数人の女性は皆、暗く思い詰めていたようだった。主戦力の男性と話すことは殆どなければ、食料も適当に分けられたもの。量だけはきちんと確保されているものの、物資が減れば優先的に減らされるだろう。

 きっとあの避難所と同じような末路を辿るだろうと、ゾッとした。あんなことに二度も遭遇してたまるものか。

 何の為にジェイドさんからナイフを貰い受けたんだ。何の為に銃の扱い方まで教えてもらって。

 悔しさに唇を噛んだ。ここでまた蛍さんに同行を反対されたら意味が無くなってしまう。そんなのは嫌だった。

 今一度あの日あの夜に戻れと言われて戻る人なんていない。

 銃声ががなりたてる、悲鳴が耳で反響するあの部屋で。時間の感覚が狂う薄暗い室内で少しずつ動かなくなる頭に、骨が目立っていく自分の両手。硬く冷えていく友人の身体。

 

 銃を捨てて、握りしめた手に刃を。

 

 地面を蹴って飛び込んださきにナイフを突き立てる。

 誰かの怒声が聞こえた。

 

 何してるんだ。邪魔だ、退け。

 

 私に向かって伸ばされたボロボロの手が弾ける。

 もう掴まれないように。

 奥にいる感染者が私に向かってくるけれど、銃弾に阻まれて歩みは遅い。

 突き立てた刃を脱力したそれを蹴り飛ばして抜く。

 逆手に持ち替えて横に振り抜けば、感染者の頬を串刺しにできた。ナイフを捻り、はね上げる。手ごと感染者の口内に突っ込んでようやく脳に届いた。

 感染者は一度大きく痙攣して動かなくなった。

「本当に、頑固ね」

 呆れた声が銃声の合間から微かに聞こえて、元気よく走ってきた感染者が倒れ臥す。

「戸倉さんそんなかっこいいことするんなら一声かけてよ」

 手首を掴まれて、感染者から引っこ抜かれた。

「相手さんと近くなっていたからなぁ。君の判断は正しいぞ」

 体制を立て直すと、既に残党は少なくて。

 

 もう一息なのだと、震える腕を叱咤して、ナイフを持ち上げた。

 

 どれくらいの間、ナイフを振るっただろう、頭蓋骨をバットが打つ鈍い音が近付いて、銃声と共に止んだ。

 

 荒い息遣いの静寂が束の間訪れて、ふっと白樺さんが前に出る。

 その足元に、起き上がろうとする感染者。それの頭を踏み付けて、ようやく白樺さんが顔をあげた。

 

 まるで何かの洋画のように、彼が血塗れの拳をさしだす。途中から私に合わせてナイフを使ってくれたからだ。

 そしてそれに苦笑しながらも応じてくれるのは。

「……ジェイドさん」

 呼びかけはみっともなくも涙声になった。視界のくすんだ金色がじわりと滲む。

 慌てて手で顔を覆うけれど、それを止めることは叶わずに床に落ちてしみを作った。

 戸惑いながらもこちらに気付いた彼がそっと歩み寄ってくる気配がする。

「……ちが、違うんです」

 否定の言葉を吐いて、でも自分でも何が違うのか分からなくて、ただ首を振った。ぐいぐいと手の甲で瞼をこする間も涙は溢れて止まらない。

 ……だって、また置いていかれちゃう。いつか死ぬんだ、いつか死ぬんだって暗闇に縮こまっていた私を助けてくれて、きっと一番優しい人に。

 それに彼が居なくなったら、きっと私、誰かを信じることが出来なくなる。私が、ジェイドさんのことを信頼しているから、彼が信じているその人なら信じられるから。

 

 だから。

 

 

 ふいに、頭に暖かい手が置かれた。遠慮がちに、だけどすぐには離さずにそっと撫でてくれる。

「怪我は」

 その不器用な案じ方は前にも一度。

「ありません」

 ぐっと涙を飲み込んで、でも少し声は震えた。

 緩やかに安堵が胸に広がって、体から力が抜けた。

 


「……ちょっと」

 

 手が外れる。わきをすり抜けた陰から何か怒りを感じて、嫌な予感がした。

 落ち着いた頭で改めて周りを見渡す。

 

 ジェイドさんの班には、八木さんの弟はいないらしかった。


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