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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
20/99

信頼できるのは?

 一概に化け物、だなんて言われても、私の想像力じゃ絵本の中に出てくる可哀想な悪役くらいしか出てこない。

 まさかぺったりと緑に塗られたドラゴンじゃあるまいし。

 人の形をした化け物と言ってもそれには限度がある訳で、ホラーゲームかなんだったか、それの様に肥大した体でもって斧を振り回して襲ってくることも有り得るけれど、どうにもその様は上手く思い浮かべることが出来ない。

 

 有名なゲーム、そういえばあれはゾンビゲームでもあったか。まさか制作した会社も同じような状況になるとは思っていなかっただろう。


「ちょっと、何をぼんやりしてるの」

 ちょん、と肘で小突かれて、私はどうも呆れた様子の蛍さんを見上げた。

 割とどうでも良いことを考えていたので言うのが恥ずかしい。

「すみません。……でも化け物、ってちょっと想像つかなくて」

 一拍置いて、うーんと蛍さんは唸り出す。どうやら特に考えたことはなかったらしい。

「それは、ううん。でも想像を越えるもの出てきたら怖いじゃない? なら最初から考えずにただ出てきたもの倒したいわあ」

 あえて考えずにぶっつけ本番で。そんな感じだろうか。蛍さんはきっと何かの試合でも緊張しなさそうだ。けれど。

「倒す前提なんですね……」

 周りに過激な人が多いと思うのは気の所為だろうか。

「住んでいる所は安全にしたいしね。少なくともあの子には安心していて欲しいし」

 最後には顔を前に向けて独り言のように言った蛍さんだけれど、私にはちゃんと聞こえた。

 あの子(・・・)。ふっと頬が緩む。前は恋愛ドラマにも興味は湧かなかったけど、他人(ひと)の恋沙汰を見るのは案外面白い。

「____その為にもっとやらなきゃいけない事があるけれど」

 笑んだ唇を隠そうと俯いていた顔を上げる。一見いつも通りの蛍さんは、雰囲気だけが妙に殺気立っていた。どこか一点を見据えている。

 視線の先を追って見たとき、不意にその人が振り返った。

「銃声が聞こえる」

 ぞあっと総毛立つ感覚がした。自分が犬猫だったら尻尾が逆だっていたに違いない。それくらい、緊張していた。

 嫌でも尖った神経に微かに引っかかる銃声。それは周辺のビルに反響を繰り返して残響のようだ。……これじゃ位置が分からない。

 ちらつくゲームの敵を追い払う。

「白樺さん、」

「うん、多分、ジェイドさん達が交戦してる」

 胸の中の不安が質量を増していて、血の気の失せた白い手が思い出された。

「どこ、なんだろう」

 

 気を抜けば聴き逃してしまいそうな音を頼りにひたすら進んでいく。さっき蛍さんに睨み付けられていた人__確か不知火さんだったか__はかなり耳が良いのだろうか、彼の先導に従って行くと、かなり音が近くなってきた。

 ふと思い立ってホルダーからナイフを引き抜く。銃も携帯しているけれど、あまり使いたくない。上手く扱える自信が無いのだ。

「……」

 白樺さんが何か言いたそうにしているが、本当に理由はないから曖昧に首を振って済ませる。ただ少し何かが気になっただけだから。

 そうして行くと、あの研究所が遠くに見えた。どうも可笑しい。

「誰か死んでる」

 ぽそと目を細めた白樺さんが呟いた。辺り一帯に散らばった血痕はひと一人が死んでいると判断するには充分だ。

 でも死体らしいそれは遠すぎて分からない。多分あれは人の形を保っていない。

「仲間かどうか判別は効きそうかね」

 自然と行進を止めて不知火さんが小声に尋ねる。

「……うん。あそこに引っかかってるリュック、見覚えある」

「秋くん目良いのね」

 蛍さんは感心した様子で白樺さんを眺めた。

 確かに凄い。私にはそのリュックらしいものは黒い塊にしか見えないのに。

「取り柄それくらいなんですよね〜……」

 そっと後退して私を盾にしようとするのはやめて欲しい。隠れられていないし。

 

「とりあえず。まずはそこに向かおう。手持ちの武器に故障は無いな?」

 各々がばらばらに頷くのを確認して彼は辺りを見回す。今の所静かだ。銃声以外は。

「時間があったら荷物を回収したいところだがあちらに脅威らしいものが無かったら先に進む」

 時間帯から見れば午前から活動していたジェイドさんの班はきっと帰る途中だったはずだ。次第にはっきりと見えてくるリュックもどことなく重そうだ。

 そして研究所とその周辺には人影も見当たらず、あるのは肉の塊だった。これには先へ進むと決めていても束の間立ち止まってしまう。

 血に塗れたというよりは血に浮いているようなそれ。よくよく観察してみれば周辺には腸らしきものが細かな肉片になって散っている。

「? 戸倉さん行こ」

 思わず見つめてしまって、白樺さんに訝しがられたようだ。声を掛けられ首肯で返す。

 ふっと視線を感じて振り返るが、誰も居ない。

 あるのは崩壊した壁の欠片と点々と残る血。

 化け物の歩いた痕だろうか。その痕はまるで高いところから落ちたような形で少し飛び散っている。崩壊した壁の穴は崩れたからあの大きさだろうか。そうであって欲しい。

 

 祈るような気持ちで、五分も歩いていないだろう、音の発信源が、見つかった。

「……あ、」

 誰だか、自然に滑り落ちた声。けれど声を上げられた人はまだ良いのかもしれない。私には喉に何か詰まっているようで、声の出し方すら忘れてしまったようだった。

 不安定な巨体を揺らして、この周辺にしては高いビルに垂直に這い蹲るそれは、どうもこちらの正気を疑わせる。

 なんせフロア一階分を覆うほどの体躯。気持ちの悪いほど白い皮膚。一応顔は付いているらしいが、前方向だけだ。多腕多脚は虫の裏側を連想させて肌が粟立つ。

 そしてそれが今、ガラスを割り、ビルに侵入しようとしている______。

「危ない!」

 見れたのはそこまでだった。思考を遮る胴間声。

 この状況で、世界で。

 人間が警告を発するものは一体どれだけあるだろうか。

 本当に、ナイフを抜いておいて良かった。

 振り向きざまに一閃。視界に映る刃は背景が背景だけに鮮やかだ。

 当たりはしたもののそれは掠ったという方が正しい。感染者の頬が裂けて血溜まりの口内が良く見える。

 けれど踵に移した重心が上手く戻らない。このままでは倒れる前に噛まれてしまう。

 噛まれたら終わり。きっと拠点では厄介者の扱いになって殺されるか追い出されるか。

 体が嫌でも硬直する。瞬間的に脈拍が跳ね上がった。

 瞬きさえ忘れて生臭いそれが視界を埋める。

 ____と、肩に手が伸びてきてぐいっと後方に引っ張られた。傾いていた体は簡単にその先へ倒れ込む。

 白樺さんか、と思ったけれど続いて伸びてくる拳銃を握った手は彼よりがっしりと大きい。

 拳銃が鳴く。

 勢いのまま口にねじ込んだそれはいくばくかの音を残して感染者を弾けさせた。

 へな、と力が抜けてその場に座り込む。じわじわと広がる赤色を安心を抱えて眺めた。

「大丈夫かしら?」

「蛍さん、えっと、はい。大丈夫です。……ありがとうございました」

 ちなみにあの警告も蛍さんだ。あれが素の声らしい。と、なると蛍さんが蛍さんで良かったと思う。

 もし、”彼女”じゃなかったら。

 この手はとれなかったなと、彼女の手を借りて立ち上がった。

「……ジェイドさんは、あそこに居るんですよね」

「十中八九。だがあれを片すのは時間がかかりそうだぞ」

 促されて見れば、ビルの真下には感染者が群がってきていた。先の感染者も音に釣られてやってきたのだろう。前がこうでは裏の方も期待は出来ない。結局は感染者を一定数倒さなければ。

「でもあまり時間掛けてらんないよ。なんか一気に……そうだ」

 妙案を思いついたと白樺さんの表情が変わった。続いて私に向き直る。

「戸倉さん覚えてる? 車が爆発したやつ」

 ああ、と声が出た。随分と前の事に思えるけれど、記憶にはちゃんと残っていた。感染者を轢き殺して進んでいたであろうあの車。

「感染者を轢くつもりですか」

 潰れた目玉や腕を思い返して訊けば、そうだと言う。

「あいつら腐ってるでしょ? ……スピード出せばそれなりに一掃出来るんじゃない」

 不知火さんがなるほど、と頷く。

「確かにそれなら早いし、危険もまぁ単身突っ込むよか良い」

「……は」

 信じられないとばかりに声を上げた八木さんに全員の視線が集まる。その表情には怒りが垣間見えた。

「そんな悠長なことしてられねぇだろ。銃で片ぁつけるとかあるだろうが。……それにお前そんなのの言うこと聞くのかよ」

 悠長なことをしてる暇はない。そう思うならそんなこと言ってないでさっさと実行するべきだ。

 そして何より、そんなの。白樺さんのことをそんなのって。

「この銃は連射、出来ませんよね。フルオートじゃない。弾はどれくらい入るか知ってますよね。全弾撃ち切る前に残った感染者に襲われて終わります」

「んなの全員で一斉にすれば」

「全員が、全弾当たると思ってるんですか」

 相手の顔が歪んだ。言葉に詰まった様子で怒りを溜めた目で睨み付けてくる。

 見下ろす位置のその瞳だけれど、怯んではいられない。

「車が体良く見つかるか? 見つかったとして誰が乗る?」

 堪えるために低い声は少し震えていた。お前らは運転出来ないから自然と対象からは外されるだろ____安全圏から何を。

「僕が乗る。適当に教えてくれれば良いよ。車だって乗り捨てられたのが何台もあった。大体がキーは差しっぱなしだと思うけど」

 申し出に私は微かな反発を覚える。だってこれじゃあ私か白樺さんが運転しないと場が収まらないような空気に押されてしまっただけじゃないか。

 無意識にでもそれを感じていたのだろうか、八木さんは少しだけバツの悪そうな表情を一瞬見せる。けれどすぐに白樺さんを睨むように視線をやった。

「八木さん、俺が行きますよ。教えるのは手間だし、俺が行きゃ騒音の少ない車も分かる。白樺くん、見かけた車の位置の目処はつくか?」

「うん」

 執り成すよう声を掛けた不知火さんに、いよいよ八木さんは目を逸らしてしまう。

「君も同行を」

「……分かりました」

 私達二人と彼を残すことに面倒を感じたのか、けれどそんな表情は微塵も出さずに不知火さんは提案する。

 口調からして八木さんの方が年上なんだろうけど、彼の方が落ち着いているというか、正直に言うと信頼できそうだ。

 最後にまだ睨んでいるその目を盗み見て、元来た道を振り返る。

 

「大通りの方に綺麗そうなのがいくつか」

 不知火さんが頷き歩き出す。後に続いて私を挟む形で道を辿っていけば、案外すぐに白樺さんの言う大通りにはすぐに着くはずだ。

「……ここもそんなにあいつら居ないね。今あっちに集まってるのもあるんだろうけど」

「ここも自衛隊の一掃? とかあったのかもしれないですよ」

 こそこそと話していると不知火さんが不意に振り返った。怒られるかと思ったがその顔は先程よりかは剣がとれている。

「そう。ここらの近くには基地があってな。俺も自衛隊に助けられた一人だ」

 その人がどうなったかは暗く落とされた声から簡単に想像できた。

 引け目を感じながらも話を少し変えさせてもらう。

「あの……感染が始まってどれくらいで自衛隊とか政府とか機能しなくなったんですか?」

 私が閉じ込められていた間、何が起こっていたのか全く知らない。その前は定期的にラジオに情報が入ったり、インターネットが誰でも使えるようにしたり、組織が完全に崩壊していなかったのは覚えているけれど。

 訊けば少し不思議そうな顔をしていたが、丁寧に教えてくれた。

 なんの音沙汰も無くなったのはやっぱり私が閉じ込められてすぐらしい。けれど政府からの通達はなくなっても自衛隊や警察は連携して動いていたそうで。それさえ無くなったのは数ヶ月前。

「……でもむしろ政府が黙ってからの方が遠慮が無くなってたような気はするが」

「最初の方は民間が煩かったんじゃないですか。感染者を隔離とかで手を打とうとしてもどっかでは反対運動があったらしいし」

 

 やっぱりゾンビっぽいとはいえ人の形をとっているからか。目の前で起こらなければ犠牲を無視して善良を謳う人も居るのだろう。

 その反対運動でさえもすぐに収まったそうだけれど。

「まあ、そんな余裕があった地域も今は壊滅状態で、どこ行っても死体ばかりなはずだ」

「感染症に関しては何か」

 知りたがりで申し訳ないけれど、聞いてみる。

「君も自衛隊の人と一緒じゃなかったか? 彼らの方が余っ程詳しいだろ」

「あ、でも戸倉さん、知ってるかな。ゾンビって死者が蘇る! みたいなイメージあるじゃん」

 唐突と言えば唐突な話に、曖昧に相槌を打つことしかできない。繋がっているようで、微妙に繋がりが見えずに眉を(ひそ)める。

「そんなことはないんだけど……。あれ、降霊術だったかな、そんな風に考えた人が居たみたいでさ。専門家っぽい人呼んで塩撒かせたり。やばかったよ、あれ」

「塩?」

「うん。でも塩が、いや塩に限らずなんだけど誰だって目になんか入ったら見えなくなるじゃん」

 痛い、じゃなくて見えなくなるという表現にしたのは対象に感染者が含まれているからだろう。

 頷いて続きを促す。

「そのせいであいつらも動きが鈍くなったんだけどね。やっぱり霊が取り憑いてるだなんだって騒ぎ始めるのが居るわけ」

 思い返すような彼の瞳は若干呆れている。というか少し冷たい。

 傍から見れば随分と滑稽だな、と苦笑しかけて、何かが頭を過ぎった。

「結局その人達は噛まれたけどね」

「ち、ちょっと待ってください。……白樺さん、あの感染者達は死んでから動き出す訳じゃないんですか?」

 そんなことはない。思い返して訊くと、きょとん、と瞳が丸くなる。まるで考えたことは無かったかのようで、次いで当然のように指折り感染者の特徴を並べ立てた。

「耳が聞こえて、目が見えて、体が動かせるけど、損傷が激しすぎると、使い物にならない。塩が目に入ったときも、涙で自然に流そうとしてたから……」 

 少なくとも脳が機能している内に感染しないと動き出さないんじゃないか、というのが白樺さんの考えらしい。

「……感染者になるのは死んだ人限定じゃないんだ」

 今まで見た感染者ははらわたを引きずっていたり、首に大きく噛み付かれていたりして、一度死んだような状態から感染者として起き上がったのだと思っていた。

 呟いた私に彼は怪訝そうな表情をしていたが、不意に納得したような声をあげた。

「ああ。戸倉さんは結構早い内から避難してたのか」

 どうやら私の居た中学校は白樺さんにとっては二つ目の避難所だそうで、移動の時に感染者が発症するところを見たのだと。

「人が多すぎるから何人か移動しろってね。警察の人が一応検問してたんだけどその時に見た。……あれ、僕が移動してきたのって知らなかったっけ?」

 首を傾げる白樺さんに私は俯く。

 そんな事も知らなかった。状況に怯え切っていたからじゃない。ただ飲み込めなくて、周囲に甘えて呆然と日々を過ごしていたせいだ。おかげで物資が横取りされていることにも気づけず。段々とぴりぴりしていく空気も必死に知らないふりをして。

「わ、私は、その……ごめんなさい。ずっと、何もしてなかったから」

 急に狼狽えてしまって、後悔する。彼を困らせてしまったかもしれない。

 ちらっと見遣ると、少し難しそうな顔をしていた。

 何か言おうと言葉を探していると、不知火さんから声が掛かった。

「二人とも、車の前に少し良いかね」

 手招きされて近寄れば、彼は人差し指を立てて静かにするように合図をする。

 幾つかの車、その近くには感染者がふらふらとさ迷っていた。

「君達が十分戦えることはフローレスから聞いている」

 小声でそう言われて、それは多分私達への意思確認だろう。

 二人して頷いて、そのタイミングが同じで少し面白かったのだろうか、ふっと不知火さんは笑った。

 けれどすぐに引き締められる。

 

「八木さんが痺れを切らす前に、さっさと片付けてしまおうじゃないか」

 

 

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