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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
18/99

まだ終わっていない

 銃は連射が効くものでは無かった。

 しかし相手方の足は普通の感染者に比べて愚鈍かつ動きが予測しやすい。

 加えて今日は風がほとんど吹かないようだった。

 当てるのは簡単とは言い難いが、全く当てられない訳では無い。銃弾は時折肉を抉り空中に血液をひらめかせた。

 流石に頭にはあてられない。

 苦く思ったその時、化け物の体勢がぐらりと傾いだ。

 誰かの弾が足を使えなくした。

 

 頭が理解するに被せて着弾点を計算する。

 集中に息を詰めながら、引き金を引いた。

 

 化け物の頭が弾けて、更に手足が幾本が機能しなくなる。

 追い討ちをかけようと発砲を重ねるが、流石は化け物か、すぐに残った足で立ち上がった。

 

 そして四対の濁りきった目は俺達を捉えた。

 

 次に少なくなった足を引きずり、潰しながら移動したのはビルの真正面。

 やはり壊しながらも入ってくるか。

 リロードをする間もそれを注意深く見ていると、化け物はぬっと手を伸ばした。

「あいつ、登ってくるつもりか!」

 舌打ちとともに三ノ輪が吐き捨てるのが銃声に混じって聞こえた。

 腕の一、二本であの巨体を支えられる訳が無いが、化け物には相応の本数がある訳で。

 化け物がここに到達した時点で勝ち目は限りなくゼロになるだろう。

 言うなれば時間制限を設けられたようなものだ。

 窓の些細な凹凸に手をかけて登ってくるが、速さは特に変わらない鈍さ。

 一点で体を支えているせいで嫌な音が聞こえてくる。

 しかし案外素直に真っ直ぐ進むものだ。

 身をたわめるようにして足をかけるとガラスは嘘のように砕け、光に煌めきながら落ちていく。

 銃声の合間から絶えず聞こえてくる不快な高音に顔を顰めて耐えた。ずっと聞いていると気が狂ってきそうだ。

 加えて少しずつ縮まる距離に焦りが去来する。移動が遅いと言ってもまだ頭は一つしか潰せていない。

 

「あっ!?」

 声と共に一つの銃声がぱたりと止んで、一層化け物の鳴き声が近くなった。

「どうした」

 二つの騒音のもとで声を届けるために張り上げる。

「引き金が動かない!!」

 返された言葉に思わず唸る。それじゃ何も出来ないのと同じだ。

 ここに居るか戻らせるか。

 戻らせるにしても銃は人数分しか持ってきていない。ナイフは有るがそれ一つで金井がこの状況を切り抜けて戻れるか。

 

 化け物が伸ばした腕を狙うも外れて舌打ちする。

 より化け物の顔が近くなったところで、三ノ輪の弾が傷一つ無い顔を掠めた。

 それに怒ったか、化け物が吠えた。

 その間隙に行けると踏んで、窓から身を乗り出して撃つ。

 結果、弾は多少右にずれて額を貫通した。

 

 ずっと壁を掴んでいた手の内二本が制御を失い、だらりと垂れ下がる。

「落とせ落とせ! 金井、なんか重そうなもん持ってこい!」

 三ノ輪が好機とばかりに指示を出しながら狙いを変えて、命中率を上げるためか一発に間隔をあけ始めた。

 いつの間にか汗塗れの手の平を拭って構え直し、切れかけた集中を何とか繋ぐ。

 化け物はまだ自分を支えてはいるが、明らかに動きが遅くなっていた。

 

 これが何で出来た、どうして体に傷を負っていなかったのかだの、ある程度の余裕が出来たところでチラつく疑問を振り払う。

 

 銃は重い。引き金を引くにもそれ相応の握力が無ければ難しく、士官学校を出ていないものは大抵がここでまず悩む。特に女性の場合は。

 そして三人はもちろん訓練なぞ受けておらず、多少は扱ってきたから良いものの、そろそろ腕はだるくなってくるはずだ。

 

 日差しが眩しい。目がチクチクと痛い。

 

 堪らず瞼を閉じようとして、しかし化け物に飛び込んでいく赤色に阻まれた。

 日を反射するそれは円筒形の、消火器だった。

 消火器はガァンと化け物の顔面にクリーンヒットし、鼻の骨だかを折る音が微かに聞こえる。

「もういっちょ!!」

 体を仰け反らせて勢いをつけ、片腕で叩きつけるようにぶん投げた。

 重さも相まって結構な速度で見事に的にぶち当たる。

 その衝撃のお陰で、化け物の手は壁を離れ、自重を支えきれなかったようで未だ掴んでいる腕から筋肉がちぎれ、骨が外れる音がした。

 二階程巨体がずり下がる。立てた爪が割れて細く血の跡を描いていた。

 

「金井!」

 もう一度物を探そうと駆け出した金井を引き止めて、振り返ったそいつに目で八木を指す。

「変わってやってくれ」

「了解!」

 駆け寄った金井に八木は何か、礼だろう、を言って汗を拭いながら銃を渡した。肩で息をしながらも休むことなく金井の代わりを果たしにく。

 遠くはなったがナメクジのように遅い化け物は中々上に上がってこられない。

 鋭く息を吐いて五発目、ようやく当たった。

 黒髪が一瞬跳ねてがくりと項垂れる。

 

「もう二つか」

「まだだ。気を抜くなよ」

 リロードの合間に短く言葉を交わしたとき、何故か窓が破られる音が階下から聞こえた。

 掛けた足ではなく割ったのは腕のようで、化け物はその巨体を無理やり押し込み侵入しようとしていた。

 その不可解さに眉を顰める。

「は? 何やって____」

「まさか八木、じゃないよな?」

 いつの間にか止んだ銃声のなかで三ノ輪の推測がぽつりと落ちた。

 

 嘘だろ、おい。

 

「お前らはここで待機、俺が戻ってこなければ飛び降りてでもビルを出て拠点へ戻れ」

   

 弾を適当に持って、返答は待たず階下へ向かう。

 階段を降りるのももどかしく手すりを掴んでショートカットしながら足音を吸収するカーペットの床を頼りに遠慮なく走った。

 先程居たところの丁度真下に来て、広がっていた光景に思わずたたらを踏んで立ち止まってしまう。

 

 既に化け物は餌をその手に捉えていた。

 一本は首を掴みその顔を口許に持っていき捕食している。今、目玉は抉られ、飴玉のように口内で噛み潰された。

 幾本かは体格差のせいで揺れる体を固定し、その上で内府を繰り出しては血とともに啜る。

 

 間に合わなかった。でも、まだ八木は生きている。苦しみに悶えて地獄を享受している。

 

 口に広がる苦味を飲み込んで、銃口を化け物のそれに合わせた。

 照準を定めて、震える指を叱咤する。

 

 呆気なく八木は床に落ちて横たわった。その体から血が広がっていって、絨毯は一生誰にも踏まれなくなるだろう。

 化け物の体は頽れてまるで理解出来ない芸術作品のようだった。

 きろりと、一人寂しく残った顔が空虚に俺を見つけた。

 重い体を引きずり、のたりのたりと手を伸ばして迫ってくる。

 

「命は重いだろ」

 

 誰にともなく呟いた。

 まだ幼い俺はそれに潰されそうだったことがある。

 雪崩込んでくる記憶に蓋をして、これを倒せば殺されたあの二人は報われるかと、そう考えた。

 足下の化け物はもう動かない。

 

 流石に使い過ぎて熱いだろう銃を仕舞う気にはなれず、手に持ち重さに任せてだるい腕を揺らす。

 振り返ると、三ノ輪と金井が呆然と立ち尽くしていた。

「終わった……のか? 終わった?」

「ああ」

「やっっったぁあああ!!」

 心底からの声にふ、と気が緩み、口が軽く綻んだ。

「八木は」

「……間に合わなかった。俺が考えなしだったせいだ。すまない」

 結局、五人居た班は三人にまで減ってしまった。一人はともかく、もう一人は俺がもっと先を見据えていればこの可能性には気づけたはずだった。

 

「あー、いや、違う。責めたかったわけじゃない。それにアンタが謝るのも可笑しいよ。助けようと真っ先に飛び出してったのはアンタなんだから」

 歯切れ悪そうに否定して、困ったように頬を掻く三ノ輪に、まるで俺はヒーロー気取りだと、顔には出さないが心の内で苦笑してしまう。

「これからどうする? 俺、八木を運び出してやりたいんだけど」

「だな。せめて他の部屋にでも」

 確かに自分を喰った化け物と死んだ後も一緒では心休まらないだろう。運べるかどうかは別として。

「これは…………酷いな」

 落とされたままの姿勢で横たわる体を見て、流石の医者も顔を顰める。金井に至っては察するや否や「ちょっと吐いてくる」と。

 そうだよな、とぼんやり同意して死体を見下ろす。

 顔は半分齧られ筋肉の内の骨まで見えているし、先に出来た洞からは視神経が何かの尻尾のように垂れていた。

 胴にしてもぽっかりと穴が開いているようで、背骨が血に浸かっている。

 腐ってはいないから持ち上げた途端に上半身と下半身がおさらばするようなことは無いだろうが、運ぶにはどうしても不安定になってしまう。

 

 しゃがみこんで残った片目を閉じてやっている三ノ輪を見ながら、ふと思い出した。

 確か八木には兄が居なかったか。案外に歳が離れているせいか、かなり弟を気にかけていた。

 帰って報告したとして、その先の面倒が想像出来てしまう。

 例えば弟が死んだとして、不条理な死に対する怒りをぶつけるには都合の良い人間がここにいるのだ。

 そこで自分のげんなりした気持ちを自覚して、緩く息を吐いた。

 最低だ。

「待たせた。これ、使えると思って持ってきたよ」

 軽く掲げて見せたのは寝袋だろうか。筒状に袋に入れられて金井の指にぶら下がっていた。

 丁度男性用だったらしく、金井が手際良く広げたそれに八木はすっぽりと収まった。

 

 八木を仮眠室に運び込み、ようやく一息着いた心地で、ただ手を合わせた。最期は惨いの一言だったが、せめて安らかに、と。

 

 そう長くもない黙祷を終えて顔を上げると、きょとんとした表情の二人が居た。

「どうした?」

「……いや、すまん、偏見が」

 変なことをした覚えが無いのにそんな顔をされ、挙句に偏見を持たれていたとは、眉間に寄っていたしわが更に深くなる。

 

「俺、十字切ると思ってた」

 言い難そうにしていた三ノ輪に変わって金井があっけらかんと言って、ようやく納得する。

 やはりこの見た目では外国の文化やら慣習やらが色濃いと思われるのか、よく偏見の目で見られた。

 今更どうという事は無いが、はっきり言ってそれがうざったい時期もあった。

「何だかんだ言ってここには十五年住んでるからな。咄嗟に英語が出ることももう殆ど無いし……」

 ふっと蘇る記憶に目を細めた。

 今日は何故だか昔のことを思い出してしまう。

 そういえば弟はどうしているだろうか。唯一、とは言えないが血の繋がった肉親と認めているのは弟だけだから、生きていてもらわなければ困る。

 

「……そろそろ帰るか。荷物、取りに行こうぜ」

 金井が首を鳴らして疲れたと言わんばかりにため息をついた。体力的には余っているが、集中するというのは精神をどうにも圧迫する。

「ああ。早く帰らないとな」

 あの子が心配しているかもしれない、そう思うのは傲りだろうか。

 変な期待を制しながら扉を潜り、廊下に出た時だった。

 仮眠室の数メートル先では化け物が相も変わらず鎮座しており、無意識に目がいく。

 確認行動、というのか、しかし視線をやった理由はそれだけではなかった。

 

 それが動いたからだ。

 視界の端で動くはずのないものが動けば当然、正体を知ろうとするだろう。

 

「なぁ、俺の目が変みたいなんだけど」

 

 振動に合わせて細い腕が揺れている。

 

「生憎お前だけじゃなそうだよ」

 

 嫌な予感に全員が後ずさりしながらも目がそれを捉えて離さない。

 

 ______振動の発生源は、人間で言うところの胴体、腹。

 その腹が幾つもの手に押されているようで、今にも無数の手はそれを突き破らんばかりだ。

 例えて言うならば、妊娠した女性の。

 

 先程までの緩やかなそれは消え去り、二人の雰囲気が次第にピリピリと逆だっていく。

 かく言う俺も、大分険しい顔をしていることだろう。

 

「……逃げるしかないよな」

 

 金井の言葉は確認というより合図のようなものだった。

 ぐちゅ、と血みどろの手が真っ直ぐに空を掴んだ瞬間、踵を返し走り出す。


 死刑宣告ともとれる鬨の声が耳朶を打った。

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