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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
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少しの感覚麻痺

 日が沈む直前。

 今まで外に出ていたグループが戻ってきたというので、海麗ちゃんがウェストポーチを縫い上げるのを見ていた私はまた上へあがって、自己紹介を簡単にすることになった。

 三人とも無事終えて、またそれぞれが動き出した時。

 

「秋! やっぱり秋だ、良かった。生きてた!」

 たったと駆け寄ってくるのは伸びた髪を一つに纏めた青年だった。

悠銀(ゆうき)!! なんでこんなとこに……おい、揺らすなってば。は!? 泣いてんの!?」

 悠銀と呼ばれたその人は白樺さんの友達なのだろうか。

 両肩をがっしり掴まれ激しく揺さぶられている白樺さんは最初こそ信じられないように目を見開いていたのに、今は半ば呆れたように友人の背中をさすっている。


「僕がどれだけ気を揉んでたか分かんねえだろこのバカ!」

「……ごめん、悠銀。ごめんな」

「謝んなよ!」

「え、えぇ? 無茶ぶりが過ぎると思うんだけど……」

 苦笑いした彼の目に涙が張っていることに気づいて私は思わず微笑んだ。

 

 白樺さんはきっとこれで支えが出来たはずだ。

 もちろん未だ泣いている彼にとってもそう。

 それだけでどれだけ心強くなるのだろうか。どれだけ希望が見いだせるのだろう。

 

「……」

 きゅ、と胸元を握り締めた。

 黒雲がもくもくと湧き出るような感覚だった。

 何故か一人取り残されているような気がしてならない。

 寂しいでは足らない、虚しさが形を持って私を襲っている。

 

 いやだ、なんでこんな気持ちになるんだろう。

 感情の原因が分からない不安にまた、私の目は揺らぐ。

 

「どうした?」

 不意に覗き込まれた翡翠色にはっと焦点が交わった。

 

「いえ、ただ白樺さん、良いなあと思って」

 不可解そうに彼の目が細められた。

 なにか可笑しなことを言っただろうかと一つ瞬く。

「なにか羨ましがっているのか?」

「えっと、仲良さそうじゃないですか。二人とも」

 ずれた質問に、私の解答もなんだか違和感がして、自分でも首を傾げてしまった。

 

 しかし彼は納得出来たのか、どうなのかそれ以上続けることはせずまた二人を見やった。

 悠銀さんは鼻をぐずぐずさせて、白樺さんは涙ぐんでなどいなかったかのように、腫れた目や涙でぐちゃぐちゃの顔をからかい笑っている。

「お前涙脆いのな」

「誰のせいだと? 大体、秋が勝手に飛び出してさ。全く帰ってこないし。そうこうしてる間に僕ら、」

「あっ、ちょっと待って。その話後で良い?」

 ちらりと私達を見て白樺さんは慌てたように遮った。

「別にいいけど。何、なんかすんの?」

 次いで悠銀さんも振り返る。白樺さんはただ待っててと手振りで示した。

 そんなに急な用事はなかったはずだ。

「ごめん。戸倉さんずっとここに居るん辛くない? 明日いつあそこに行くかだけ聞いておこうと思って」

 そうだ。今日は色々なことが有りすぎて研究所のことが薄くなってしまっていた。

 まだ少しも調べられていない。

「いや、もう良い。鹿嶋が調べたそうだから」

「え。じゃあ、なんか見つかったって?」

 鹿嶋さんも自衛隊だから、研究所のことは知っていたのだろう。

 もしかしてあの時ドアが半開きだったのは鹿嶋さんの後だったからかもしれない。

  期待を込めてジェイドさんを見る。けれど彼は首を振った。

「感染病とは関係ない薬が多少あっただけだそうだ。まあ、そう簡単に感染対策が見つかるはずないから、当然といえば当然なんだがな」

 残念がりはせず、ジェイドさんは軽く肩を竦めてみせた。

 私は、やっぱり期待してしまっていたからか、せっかく長い距離を移動したのにと内心ため息をついていた。

「残念だなあ。でもあそこちっちゃいし、古いし。大きい所だったらもっと何かあるんじゃないの?」

 その言葉にジェイドさんも頷いている。

 そうなるといずれここを離れることになるだろうか。

 いつの間にか暗くなった室内にライトの灯りが輝くのを眺めて、あの二人が居ないことに気が付いた。

 置いていかれてしまったらしい。

「今度は俺だけでもいいか? ここは安全だろうし、今までは少し無理をさせてきたがもう随分と感染者のことは慣れてきたろう?」 

 その言葉は今度はついてくるなという、牽制なのかもしれなかった。

 白樺さんはともかく、体力が圧倒的に少ない私はやはり足でまといだ。

 

「今すぐに発つわけじゃない。鹿嶋とも相談をして、なるたけ安全を確保させるようにするから」

 少し間を置いて、頷いた。

 明らかに彼は困っているような顔だったからだ。

 

「海音ちゃ~ん? あ、いたいた。お風呂よお。着替え持っていらっしゃい」

「え? もしかして用意をしてくれていたんですか?」

「そうよお。だから早く入ってきなさいな」

 ほらほらと急かされ私は押されるようにお風呂へ向かった。






 屋上は駐車場だ。

 自動ドアを押し開くと、昼間よりぐっと下がった空気が体をさすった。

 車が数台、放置されている。

 その車と車を台にして上手く物干し竿がかけられていた。今はもう乾されているものは無いようだ。

 

 探しながら歩いていると、それらしきものが車の影にあった。そばには海麗ちゃんが。

「海音ちゃん。どう? お風呂だよ!」

 にこりと笑って手を広げる。

 その前には湯気の立ちのぼるドラム缶があった。

 なみなみと注がれた水は透明だ。

 ドラム缶の下にはレンガが積まれ、一面だけが開いていた。中からぱちぱちと薪が爆ぜる音がする。

 どうやらこれで温めているらしい。

「使った後のお湯は洗濯水にするから、まずはこれで洗ってね。それからこれがタオルだよ」

 どうやったのかは分からないけれど、これだけ綺麗な水だ。使いまわせるだけ使いまわすらしい。

 手渡されたタオルに埃やタンスの臭いは一切しない。多少ざらりとしているが、良く乾された日向の匂いがしていた。

「ありがとう。お風呂なんていつぶりだろう」

 この機を逃したら一生雨や川の水で体を洗うことになるかもしれない。

 そう思うと入れてもらって良かった。鹿嶋さんには感謝するべきだろう。

 

「んーん。ゆっくり入ってね! それで、あの」

 ちょっとした戸惑いを浮かべて一瞬言葉を溜める。

 遠慮なのか、短い髪を揺らし首を傾げつつ、言葉をつづけた。

「服は、どうしたの?」

「……ああ」

 確かに私は服を持ってきていない。

 けれど忘れたとか、うっかりではないのだ。

 なぜなら私が今持っている服はこのシャツとジーンズ、下着もまた、予備一式があるが、それだけだ。

「持ってきてないよ。これだけ」

 腕を広げて示すと、海麗ちゃんの瞳がきょとんと丸くなった。

「えっ、じゃあ今までずっとその格好?」

 信じられないような表情で聞くものだから、こちらが戸惑ってしまう。

 それにやはり頷き、付け足した。

「これは一週間くらいかな」

 一週間はまだマシな方。

 けれど、彼女にとってはやはり可笑しいことらしかった。

「適当に服選んでくるから入ってて! 下着も選んでくる!」

「あ、」

 下着はあることを伝えようとしたが、言うが早いが彼女は走り去ってしまった。

 言ったら言ったで何故持ってこないのか問い詰められそうだけれど。

 あの旅路のなかで、衣類は持ち歩くことはできなかった。嵩張る上に、汚れたら替えなければいけない。なら、その場で探した方が早かった。ただし女性物はなかなか合うサイズが見つからなかったのだ。洋服はまだ妥協できる。でも下着には無理があった。だから、必然的に着る時間が伸びてしまうことが多かった。

 もちろん最初は抵抗があった。それはもう酷かった。自分の臭いが強く感じられるのはかなりきつい。

 

 けれど、何故か慣れてしまったのだ。良く考えたら考えたら制服だって長期休みくらいしか洗っていない。

 そう考えたら幾分と楽になった。色々と違うが。

 

 そしてさっき思ったのは、まだ大丈夫、だった。だからこそ、予備の下着も持ってきていなかった。

 彼女の表情を思い出して頭を抱える。

 少し感覚が狂ってきたのかもと思い当たったからだ。

 ちらりと水の入ったたらいを見て、私はため息をついた。

 急に服が、自分が、臭く思えてきたので、さっさと服を脱いで体を洗いにかかる。

 薄いタオルで肌を擦り、髪も丁寧に。

 特に温められていない水を頭から被るのは夜の気温も相まって凍えそうだ。

 

 何か髪に引っかかるので、手桶に水を汲み、髪を浸しながら手で擦り合わせる。

 すると、髪は簡単にほぐれ、同時に手桶には薄い紅が広がっていった。

 ゆっくりと下へ落ちていくそれを見て、納得する。

 髪を絡めていたのは固まった血だったようだ。

 いつからなのか見当はつかないが、すぐに気づけなかったあたり余程身なりに頓着できていなかったのかもしれない。

「持ってきたよ! あれ、まだ入ってなかったの?」

 衣類一式を抱えて不思議そうに私を見る。

 私は今入ろうとしたところと苦笑を返しつつ、手桶の中身を地面へ捨てた。

 暗いから気づくことはないだろうが、見えてしまっても気持ちの良いものじゃない。

 コンクリートに黒い染みが広がる。

「そっか。じゃあここに服置いとくね」

「うん。助かったよ、ありがとう」

 彼女を見送り、私も踏み台に足をかけた。

 ドラム缶の縁は熱い。

 我慢できなくもないが、一応掴むためにタオルをひっかけ、ようやくお湯に浸る。

 底に見える木の板以外を踏まないように気をつけつつ、器用に固定されている椅子に腰かけた。

 冷えた体にじりじりと熱が伝わる。

 思わず息がもれた。

 

 お風呂に入っているときはいつも、何も考えない。

 大抵のことを考え込んでしまう私にとっては、ある意味一番楽な時間であり、大好きな時間だ。

 

 今もそう。

 立ち上る湯気を追って。空いっぱいに溢れそうな星を眺めて。

 重かった頭が少しずつほぐれて体から力がぬけていく。

 目を瞑りたくなって、瞼を閉じる。

 一つ情報が遮断されると今度は音に意識が向いた。

 夜風に擦れる葉の音が耳をくすぐった。

 車が走る騒々しさや、雑踏は何一つ聞こえない。

 ふっと眠気に負けて首が傾いだ。

 

 

 纏めあげていたはずの髪が一筋落ちたようで、首筋に不快感が走る。

 それでようやく自分が眠ってしまっていたことに気がついた。

 仕方なく目を開けて、括り直そうと手を伸ばす。

 と、ぱしゃん、と水溜まりの水が跳ねた。

 顔を上げて、驚きに目を剥く。

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