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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
12/99

到着、定住?

 遅々として進まなかった旅路も、ようやく終わりが見えてきた。

 これまで倒してきた感染者の数は知れない。

 きっとジェイドさんが倒した数は私と白樺さんの分を合わせても、足下にも及ばないだろう。

 歩きながら私は首を伝う汗を拭った。

 最近は日が昇るのが早くなり、沈むのが遅くなってきた。まだ本調子ではないにしろ、気温はだんだんと汗ばむくらいに上がっている。

 きっとそろそろ梅雨の時期に入るだろう。


「戸倉さん、あれ」

 随分と落とされた白樺さんの声。彼が指差す方を見ると、周囲のビルより頭一つ分程低い真っ白な建物があった。

 高く掲げられた看板には桜木製薬会社の文字。

 まだまだ遠いようだが、今まで進んできた距離と比べたらずっと、うんと近い。

 常時気を張り続けていたのが一瞬ふっと緩む程度には嬉しいことだった。

 さらにここで感染病に対する薬を見つけられる、それか感染者の弱点なんかが分かるかもしれない。

 そうなればこうして怯えつつ進むことも少なくなったりするのだろうか。

「あまり期待してくれるなよ。むしろ何も無い可能性の方が高いんだからな」

 知らず自分の都合のいいことを考えていた私はしゅんと肩を落とすが、思い直して苦笑した。

「そうですよね。確かにここで研究が進められていたのは少しの間なんでしょうし」

 実際、数ヶ月くらいしかまともに機能できなかったはずだ。

 良く分からないけれど、きっと研究には電気が欠かせないだろう。

 電気が止まったのはかなり早い段階だった記憶があるし、日本に飛び火してから全国に広がるまでたったの数週間しか猶予が無かった。

 

 そんなことを考えながらも、なるべく感染者に出くわさないように道を選び、着実に建物へと近づいていく。

 やはり建物はそこまでの大きさでは無かった。

「ナイフを抜いておけ。一気に建物内に入る」

 自動ドアは既に半開きになっており、走れば十秒も無い距離だ。感染者は遠い歩道橋を彷徨いているだけ。

 私はこくんと頷いた。

 指示通りナイフを片手に持ち、一人ずつ路地から出る。

 まずは白樺さん。特に気負った様子も無くドアをくぐると、顔を少し出して此方へ頷きかけた。

 私はあまり足が速くない。男性と比べるのもおかしな話だが、二人にとってはじれったいかだろう。

 できるだけ走ることだけを頭に置けば、すぐに入り口は近くなる。

 人一人が余裕で入れる隙間に滑り込む。

 ほっと息をついたその瞬間、何故か首筋にひやりとしたものが走った。

 温めるように手で摩りながら辺りを見渡すが、特に何も見つからない。

 ロビーにあるのは受け付け、円状の数人用の腰掛け、自動販売機……と普通の会社のイメージだ。

 室内を軽く見た所でジェイドさんが同じくドアをくぐってきた。

 案内板を見て部屋を把握する。迷うほどの部屋数は無いし、最上階は全て研究室として割り当てられているらしいから、比較的探索が進めやすいだろう。

「調べるのは研究室だけで良いですよね?」

 仰ぐようにジェイドさんを見れば、彼は少し考えた後首を振った。

「いや、何が居るか分からない。下から順に見ていこう」

 となると一階ロビーであるここの上からだ。

 少しの物音も聞き逃さないようにして、階段を登る。足音は全て絨毯が吸収してくれていた。

 二階はきっと普通の社員が働いていたんだろう。

 休憩室に、大小の会議室。ずらりと並べられた机には雑然と資料が置かれていたり、逆にきっちりと整頓されているものもあった。

 休憩室にはリクライニングチェアが限界まで倒されて五つほど並び、コーヒーマシンが置かれていた。

 そんなふうに一室ずつ見て回るが、荒れた様子も無く、誰かが居たような形跡も無かった。

 ひとまずまた階段を登る。

 建物は三階までしかない。外側は綺麗に塗装されていたが、なんとなく中は古い様子だった。

 最上階は絨毯ではなく、学校のようなリノリウムの床に変わっていた。

 同時に薄らと嗅ぎなれない臭いは薬品のものだろうか。

「研究所にしては小さいよね、古いし」

 壁をこんこん叩きながら白樺さんがぽそりと言う。

 興味深げに見やるドアには研究材料室のプレート。

 この階全ては研究室であるものの幾つかに分かれているようだった。

「あれっ」

 ドアを開けようとして鍵が掛かっていたのか白樺さんは声を一つあげた。

 材料室というから盗まれると大変なものもあるかもしれない。何処かに鍵はあるだろうし、そこは後回しにすることになった。

 他のドアにはプレートはかかっておらず、上半分が透明になっているものが多かった。 

 中はテレビで良く見かけるような研究室とそう大差ない。

 開けた途端に濃くなる薬品の臭いに顔を微かに顰めながらも室内を観察する。

 様々な道具が並べられた机は黒く、一部がへこんでいたり、薬品の零れたような白い跡があったりと、此方も使い古されていそうだ。

 棚にはラベルが貼られたビンが大小雑多に並んでいる。

 試験管立てには幾つか中身の入ったものが蓋をされ置かれていた。どす黒い赤が溜まり、その上に黄みがかった液体が入っている。人か動物か、多分血液だ。検体一、二、三、とテープが貼ってある。

 他にも顕微鏡に、シャーレ、フラスコ。見かけたこともある道具もあれば、私では扱えなさそうな機械が沈黙を守って鎮座していた。

 

 室内を見て回っていると、四つ折りにされた紙が隅に放っておかれていた。

 誰かが落としでもしたのだろうか。

 膝を追って拾い上げる。

 

 検体について、という書き出しから始まるそれ。

『検体一:女、感染から七十五時間後発症。妊娠状態での感染。胎児にも発症が確認された。 検体二:男、死亡から一時間内にウイルスを投与。発症。検体三:女、感染から即座に抗体投与。予想より二ヶ月遅れて発症。…………』

 試験管以上の数が羅列していた。

 

 置いてあった血液は人のもの……それも感染した。

 既に発症した人の血液を採取して、ここで実験を?

 医療関係にも、人体にも詳しくないけれど、確か病気にかかった人で免疫があった人から採った血には病気の原因である菌を殺せるような、いわゆる兵士のような細胞がいるのだとぼんやりと聞いたことがある。

 

 とりあえずこの紙はジェイドさんに見せるべきだ。

 棚に並んだファイルの内一つをぱらぱらとめくっていた彼に声をかける。

「ジェイドさん、あっちに紙が落ちていたんですけど、試験管の中身のことみたいなんです」

「試験管? ああ、あれか」

 顎に手を当てて、しばらく読む。

 何か思うところがあったのか、それまで文字を追っていた目がふと動きを止めた。

 目を上げて私を見ると、口を開いた。

「これを読んで何か違和感を、」

「飯村二曹!」

 

 息を弾ませた声。歓喜の滲んだ声音のなかには何処か敬意が垣間見える。

 声の主を確かめるのが一拍遅れてしまったのはこの中に誰も飯村という苗字の人は居ないからだ。

 戸口に立ったその人は多分二十代。丸めた頭に細い目。マスクを着けているから顔立ちはよく分からないが、全体的に印象が薄いような。

「……鹿嶋三曹か」

 けれどその姿を認めたジェイドさんは小さく呟き、大股で近づいていく。

 と、いきなり胸ぐらを掴んだ。

 私達が突然のことに追いつけないままジェイドさんは一言二言話すと、ぱっと彼を解放した。

「し、失礼しました、フローレス一曹殿!」

 三曹、一曹とは多分、自衛隊の階級だろう。どのくらい凄いのかまでは分からないけれど、対応を見る限りジェイドさんの方が上らしい。

 

「あれ、誰なんだろね」

 いつの間にか横に立った白樺さんが首を傾げている。

「さあ、名前は鹿嶋、さんだそうですけど。後輩なんじゃないですか?」

 知り合いらしき二人が話しているのを眺め、私は返す。

 一方的に鹿嶋さんが好いている雰囲気がするのは気の所為か。

「うーん、でも階級で呼びあってたってことは自衛隊?」

「多分……あ、話し終わったみたいですね」

 こちらを見たので二人の方へ寄れば、鹿嶋さんは律儀に頭を下げた。

 

「自分は鹿嶋響平(きょうへい)です。今は三十人程度の市民を保護しているので御三方もどうかと」

「え、三十人!?」

 思わず驚きの声を上げてしまい、もう遅いけれど口元を抑える。

 でも三十人を、一人で守りきれるものなのか、疑いの眼差しで彼を見てしまう。

 しかし彼はそんな私に頷いてみせた。

 

「もちろん、自分一人でこの大人数を保護してはいません。彼らにも自分の身を守れるよう手解きをして、街の探索もさせています」

 

 それだけの人数で未だ保っている。組織が崩壊していない。探索もさせられる、ということは皆が感染者に対しての処理ができるということ。

 これはかなり安定している証拠、なのだろう。

 でも……と不安を抱いて私はジェイドさんを見上げた。

 きちんと気付いてくれたのか、彼は私の不安をそのまま鹿嶋さんに伝えてくれた。


「この子は素行の悪い輩に襲われた。直接的なことは避けられたが、今でも傷はある。もう一人も同じ集団に人殺しを強要されたようなもんだ。……お前の率いる奴らに、そういう思考の持ち主は居るか?」

「そうですね、多少わがままな奴らは居ますが。でも女性は五人ほど居るので、彼女らにしっかりと着いていてもらえばそこの君も安心かと」

 ちらと視線を向けられて、肩が意図せず跳ねた。

 さりげなく白樺さんが一歩前に出て視線を遮ってくれるのは、彼もまだ警戒しているからだろう。

「警戒している彼もですけど、人殺しを指示するようなことは一切しません。……仮に殺されそうになったら相応のことはしろとは言っていますが」

 軽く肩を竦め、彼は安全を示してみせた。

 

 これは乗るべきなのか、少し揺らぐ。

「自分はフローレス一曹殿に入ってもらえると嬉しいです」

「……」

 ふっとジェイドさんが私達の方へ振り返る。

 私と白樺さんの意見も聞いてくれるつもりらしかった。

「……私は、そっちの方が安全だと思います。多少は我慢できますから」

 良かった。声は震えなかった。

 半分嘘だ。安全を確保するには打って付けだと思う。でも不安が無いと言えば嘘になる。

 女性をつかせるといっても一人になる時は絶対にあるだろうから。


「僕は、うん、二人が反対しないなら良いよ。もし僕らに何かあったら遠慮なく抜けさせてもらうけど」

 少し硬い声で付け加えられた後半は、多分彼が警戒を解くことはそうそう無いことを感じさせた。

 

「じゃあ、俺達も加わらせてもらおうか」

 どことなく緩まない警戒心の漂う空気のなか、鹿嶋さんはこの返事に大きく頷いた。

 嬉しそうにしているのはやはりジェイドさんのことを信頼しているからだろうか。

 

「良かった。では拠点に案内します。途中にデパートがあったでしょう、あそこです。すぐに出発しても?」

「もう少し調べ物をしたいところだが……どうする?」

 問いかけは私達にだ。

 彼が言っているデパートというのはこの建物から歩いて十分もかからないだろう。

 確かに規模は大きく、来る途中しっかりと見えていた。

「自分としてはそろそろ物資の確認をする時間なので帰りたいのですが」

「調べ物なら明日でも出来るよね、僕は行っても良いと思う」

 白樺さんがすっとこちらを見るので、私も頷いた。

 この世界で有り余っているのは時間くらいなものだから。

「分かった。鹿嶋、案内してくれ」

「了解です」

 

 研究所に入った時とは違い、裏から出て私達は拠点を目指した。

 最早ルートは決まり切っているのか、先を行く彼は右へ左へたくさん曲がりながらも迷うことなく先導していく。

 なんとなく道を把握しようとしていたのに、結局は分からなくなってしまった。

 

 でもきっと、おいおい把握することになるはずだ。

 

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