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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第一章
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終わりと始まり

 とく、とく、と弱々しい音が耳を打つ。どうやら私の心臓はまだ動いているらしい。けれど、最近はこうして起きていることが少なく、気絶するように眠ることが多くなった。

 この、暗い、湿った部屋に閉じ込められてからどれくらい経ったのか。食料も水も全て尽き、助けなんかくるはずもない。

 考えることすら億劫だった。


 ああ、まただ。全てが滲む。涙が頬を伝った。

 まぶたを閉じた、その瞬間。

 不意に鉄製の頑丈なドアが揺すぶられた。ガチャガチャと鍵がかかっていることを確認するように。

 はっとまぶたが持ち上がった。側にあるバッグを掴み、中から鉄パイプを引きずりだす。身体がひどく重たいし、急に起き上がったからか、めまいがした。

 それでも腕を伸ばし、鉄パイプでドアを数回叩く。というより、擦るような感じになってしまったけど。

 これで、その誰かが気付いてくれないか。祈るような気持ちで再度叩く。


 数秒、数分。


 気付いてくれなかったのかもしれない。それとも、気のせい? どちらにせよ、もう体力は限界を迎えたようで、目の前がかしいだかと思えば埃っぽい地面に倒れふしていた。

 倒れたさきの友人に手を伸ばす。動かない、白い手を掴もうとして。


 叶わない。


 



 十二月のある日。大規模なパンデミックが起こった。どこかの紛争中だったらしい。爆発を受け、絶命したはずの人がぼろぼろの体を纏って再び起き上がったのだ。そして、当然のように人々を襲い始めた。原因が何なのか、機関が突き止める前に感染は広がり、すぐにその国は動かなくなったようだ。

 そしてその猛威は日本にもふるわれた。テレビの偉い人はその国に派遣されていた自衛隊を引き上げたせいだといっていたけど。とにかく、感染は関東地方、近畿地方、と急速に広がっていった。最初に感染者が出た後、政府は不要な外出を避けるように指示して、けれど爆発的に広がった感染はとどまることを知らず、避難指示が出されるより前に犠牲者と生存者の数はほぼ均等になっていた。


海音あまね? 今日はわたしたちがご飯を持って行く日だよ」

「あ、ごめん。そうだったね」


 慌てて立ち上がりご飯の乗ったお盆を持つ。お米と、缶詰の総菜。私たちはおかゆだけなのに。


 避難指示が出されたのは平日の昼。私の中学校が指定されていた場所だったから、今まで家に帰ることも許されず、行動範囲は信じられないほどに狭くなってしまった。

 避難できたのは私を含める全校生徒と、ある程度動ける人たち。幸運なことに家族で離れ離れになることはなかった。

 でも。

 こんな状況になれば当たり前なのかもしれないけど、避難所のなかで自警団が出来た。パパもかり出され、見張りや食料到達をしている。男性を中心に構成されたそれは最初こそ誰も不満を漏らすことなく食料を調達したりとたくさんのことをしてくれた。けれど、全くの赤の他人のために危険をおかすというのはかなりストレスがたまるようで、一部の人が、女性や女子生徒に暴行を加えはじめたのだ。

 守ってもらっている立場なので何も言えず、その代わりにご飯の量を多くするなどして、なんとか平穏を保っている。

 今はその自警団として校門の見張り番をしてくれている男性ともう一人同級生へご飯をとどけるためにこうして真美と暗い渡り廊下を歩いているというわけだ。


「ねえ」


 横を歩いていた真美が不意に声をだす。


「何?」

「最近、自警団に同級生が増えたよね」


 確かに、そういえば。

 それがどうかしたのかと横目で続きを促す。


「食料が減ってきてるのは皆知っていると思うけど。あれ、自警団のせいみたい」

「……どういうこと。それもしかして」


 自警団が食料を自分たちのものにしている?

 その事実に怒りが湧く。同時に仕方が無いんじゃないかという諦めのようなものも生まれていた。

 だって自警団からしてみれば私たち守られる側の人間なんて、居ても居なくても同じだから。


「そう。で、同級生が増えているのはそっちの方が美味しい思いできるから」

 頷いたその声には複雑な感情が滲んでいた。きっと真美も私と同じような気持ちなんだろう。


 少しの間、沈黙がおちる。そして浮かんだ考えにはっとした。

「じゃあ、私たちはもうどうでも良いってこと? そんなことあるの?」

「あるかもしれない。むしろ見限るために準備をしている可能性だってある」

 打って変わって落ち着いた声で彼女は告げる。

 でも私は動揺していた。

 多少ギスギスしていたとはいえ、表だった喧嘩なんてなかったし、そもそも避難所ここでは親族同士で避難している人が多かったから、見限るなんて。


「パパも、かな……」

 お盆を持つ手に力がこもる。私とママを置いて、自警団と一緒に。

 そんなことをしたらきっと会えなくなる。ママだってどのくらい悲しむか。


「っ、ごめん。そうだよね、海音のお父さん、自警団入っているもんね」

 気遣うような声だった。

 違う、と首を振る。

「教えてくれたのはすごく嬉しいよ。ただ……それが本当だったら私たちはどうなっちゃうのかな」


 見限られたら私たちはきっと何も出来ない。

 限られた食料のなかでやりくりしていたのは私たち。けど、そもそもの食料を調達していたのは自警団。

 避難生活のなかで必要なものを、お店、それか家から探しだしてきてくれたのも、彼らだ。

 ここに感染者が入らないようにいつも見張りをしてくれているのも。


 私たちは、彼らに頼りきっていたのだ。


 真美は優しく、宥めるようにささやいた。


「大丈夫だよ。わたしがずっと居る。一緒にいるから」


「……うん」


 声は酷く震えて、情けなかったけど、なんとか頷きかえす。

 




 食事を持っていき、自分も食事を終えたころ。


 私は見張りをしていた同級生から、

『持っていってほしいものがあるから、体育館の裏のほうにきてほしい』

 と言われ、こっそりと外に出ていた。

 正直行きたくなかったし、真美もその場で手伝うと申し出てくれたけど、彼に睨まれ黙って頷くことしかできなかった。それと、体育館の裏なんて危険を感じたらすぐに助けを呼べるだろうとも思っていたから、とりあえず外に出てきたのだ。


 彼らが居たのはフェンスと体育館に挟まれた、普通は通らない所だった。 フェンスはボロボロで一部破れているところもある。といっても穴はほぼ塞がれているから感染者に入られる心配は無い。

 ……遠目で見ても運ぶようなものは何も無い。引き返そうか、という考えがよぎる。

 一人と目が合う。きっともう気付かれているんだろう。

 覚悟を決めて、前へ進む。

 

 近づいていくと数人のうちの一人が下卑た笑みを浮かべ、話しかけてきた。

「素直だね。噂とか聞いてないのかな?」

 恐怖を煽りたいのか、ぱきぱきと指の関節を鳴らす。

 答えず、じっと黙っていると、隣にいた男性が前に出た。さっきの男のような表情はしていないが、まったくの無表情で、何を考えているのか分からず、それがなんだか不気味だった。


「……お前を呼び出したのは、父親と相談した上でだ」

「パパと?」

 パパも関わっていると聞いて、胸をなで下ろす。

 が、続く言葉にすっと腹が冷え、息苦しくなった。

「今からすることにお前が耐えられたら、こっち側につかせてやる。食料も与えてやる」

 与えてやる、ということは本当に横取りをしていたらしい。

 

 今からする事。それがなんなのか、噂を聞いていた私はすぐに分かった。

 それから彼らの行動は早く、猿轡をされたと思ったら地面に仰向けに倒されていた。

 掴まれた腕が痛い。

 横目で睨めばお腹を蹴られた。男性用の固いブーツで勢いよく。

 衝撃が体に伝わり、吐き気さえ覚えた。


 見をよじり、拘束から抜け出そうとするが、掴まれた手に力がこもるだけで、離してくれる気はなさそうだ。

 スカートに手がかけられる。


「って! おとなしくしろつってんだよ!」


 適当に蹴り上げた足が当たったらしい。

 他の男がおとなしくさせるためか脇腹をえぐるように蹴ってきた。

 上げようにも上げられない悲鳴が布越しに響いた。痛みが意識を滲ませ、いっそどこか折れたのではないかと思った。息をしようにもその度に脇腹が痛んだ。


 ぐったりしたのを見計らってか、スカートを剥ぐようにして脱がされた。


 する、と内股を手が撫でる。

 鳥肌がたち、言いようのない震えが襲った。

 絶対に嫌だ。こんなこと、耐えて食料を与えられたとしても嫌だった。

 

 誰か、助けて。


 ついに下着にてがかけられる、直前。

 男のうめき声が上から降ってきた。手が離れ、どさっと何かが__きっとあの男だ__が地面に倒れふす音がする。

 腕を拘束していた手も離れたが、立ち上がっただけらしく、気配はすぐそこにあった。

 

「海音!」

 間違いない。親友の声だった。

 重い頭を上げ、走りよってくる真美を視界に収めれば、安堵の涙が浮いた。

 隣にはパパがいて、血の付いた大ぶりの石を投げ捨てると厳しい顔で私の後ろにいるだろうあの男に向かっていく。

 その間に真美は私を抱き起こしてくれた。

「布とるよ。立てる?」

 そっと布をとってくれる。やっと十分に呼吸できた気がした。

 側にあるスカートを履き、立ち上がってみる。蹴られたのは上半身だけで、歩くのには問題なさそうだ。

「良かった。おじさんがとめてくれてる間に体育館に戻ろう」

 

 痛みに顔を歪めながらもできるかぎり速くあるいた。

 入り口ではママが不安そうに待っていた。けがをしていることは動きで分かったんだろう、悲鳴のような声を上げて肩に毛布をかけてくれた。

「海音! 大丈夫!? 顔色が……。とりあえず入って、横になっていて」


 体育館の中まで歩くのも辛く、入口のすぐそばで横たわった。冬の半ばだから、床は冷たく、体が勝手に震える。

 それをどう思ったか、真美は優しく肩をさすってくれる。

 蹴られたところは未だに痛いうえ、熱を持っているようだった。

 ほどなくしてママが湿布を持ってきて手当てをしてくれた。ちらっと患部を見たが、ひどい色になっていて、見ているだけで痛みが増すようだった。

 手当てをしてもらってほっと肩の力を抜いた瞬間、ぱん、と乾いた音が聞こえた。それは、幾度か聞いたことがある、間違いない、銃声だ。

 



 そこからはあっという間だった。銃声は父が殺された時のもので、示し合わせたように室内に居た自警団の仲間が発砲し始め、目の前で母が、友人が、次々と殺されていった。外に出ても感染者がうようよと居るはずで、一瞬にして思考が固まった私達を、大人達が体育用具庫に押し込めた。

 用具庫には食料も何もなく、あるのは誰かが投げ入れてくれた避難用のリュックだけ。少しの水と食料は二人分には程遠く、飢餓の末に真美は眠るように逝ってしまった。



 扉は鍵がかけられ、どうする事も出来ずただ私は衰弱していった。


*


 泥を掻き分けるようにしてゆっくり意識が覚醒する。瞼をなんとか開ければ仕切り用だろう白いカーテンと天井が目に付いた。多分、保健室だ。

 視界が霧がかったようにぼんやりしている。寝過ぎたときのような感覚だ。

 少し顔を横にすれば、ロウソクと誰かがいるのがわかった。ロウソクがあるという事は夜なのだろうか。それにしては室内は夜ほど暗くない。そして、その誰かは男の人のようだ。未だに目が霞んで良く見えないけれど。


「……目が覚めたか。眩しくはないか?」

 私が動いたことに気がついた男性が顔を覗き込んでくる。それが一瞬、あの夜の出来事と重なって鼓動が跳ねた。

 でも多分この人が私を助けてくれたんだ。

 なんとか落ち着いて、先程の質問に首を縦に振ることで答えた。何故そんな事を聞くのかは、分からないけれど。

 男性は一つ頷いたようだった。

「まずは体力を回復させよう。粥を温めるから待っていてくれ」

 口ぶりからしてもう出来ているんだろう。カーテンの向こうに消えたのを確認して、警戒からか詰めていた息を吐きだす。

 今すぐどうこうなることは無さそうで、少し安心を覚えた。

 力の入らない体を起こし、ベッドの柵に身を預ける。これだけでも軽く息切れを起こしてしまい、自分がどれだけの間あそこにいたのか気になった。あそこには時計も無ければ窓もなかったのだ。一日を数えることが出来なかった。

 けれど悶々と考え始める前に、カーテンが引かれ、男性がお皿を持って私に差し出してくれる。

「ほら」

「あ……」

 声を出そうとして、掠れてまったく出なかった。

 男性が気にするな、と更にお椀を差し出してくる。恐る恐る受け取れば、ほのかに暖かい。

 スプーンを手に取ってみる。目が霞んでいるせいで指が一度空振ったが、すぐに取れた。

 そっと掬ってこぼれないように口に運べば、避難所では物足りなく感じていたのが、これ以上ないくらい美味しくて、暖かくてぼろぼろと涙が溢れた。お椀を下ろして涙を拭うが止まらない。

 見ず知らずの人の前で泣くのは気が引けたけど、男性は何も言わず、泣き止むのを待っていてくれた。

 頬が熱い。頭も重くて引っ張られるような感じがする。目も腫れているようだし、きっと酷い顔をしているだろう。

 でも気持ちは随分と晴れたようで、さっきまで感じていた胸の重みが少し軽くなった。

 完全に悲しみを忘れられたかといえばそんなことはないけれど、あの出来事を話せるくらいには心を整理できた気がする。

 顔を上げると、男性はまだ居てくれていた。

 落ち着いて見ると、男性の髪は黒ではなく、金髪のような色合いをしていた。染めているのだろうか。ぼんやりした視界では顔立ちまで分からず、それが少しもどかしかった。

 

「? どうした、食べないのか?」

 じっと見ていると不思議そうにして訊いてきた。

 はっと我にかえって、ゆるゆると首を振った。

 そうして半分ほどを食べ終えたのだが、もう何も入らない。これ以上食べるとせっかく作ってくれたのに戻してしまいそうだ。

 

「あ……あの。……ごめん、なさい。食べられ、なくて」

 なんとか言い切ってから咳を繰り返す。まだ喋るのは少しきつい。

 申し訳なくて、自然と視線が下がった。

「いや。良いよ。今まで殆ど食ってなかったんだろう、急に食べられないのは当たり前だ」

 ひょいと手からお椀を取り、気遣う口調で男性は続けた。

「あとお前、視力が弱ってるんじゃないのか」

 言い当てられて、思わず顔を上げた。

 弱いのか、ではなくて、弱っているのか、と聞いてくるということは原因を知っているのかもしれない。

 つっかえながらも原因を聞くと、栄養が足りていないかららしい。

「まあ、普通に食ってけば治る。ただ状況が状況だから、サプリなんかも飲む必要があるか。今度探しておこう」

 治ると聞いてほっと胸をなで下ろす。治らなかったら、この視界ではきっと何も出来ない。

 もう寝ろ、と促されて横になる。正直うとうとし始めていたので、ありがたかった。

 

 まだ名前も知らないのに、随分と優しくしてくれる人だった。


 

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[良い点] はじめての投稿でこのクオリティはすごいです。
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