残り11日目の公園
『あのー先輩』
『なんだよ後輩』
『好きです、付き合って下さい』
『……はっ?』
『……って、何でワンセットになってるんですかね。好きも付き合ってくださいーもこう、別々の言葉なのになんかこう、ハッピーセットみたいな』
『……お前頭でも打った? 病院でも行く? いや元からして重症だったけどさ』
『ちょ、先輩! いくらなんでも酷すぎませんか!? せっかく早苗が珍しく真面目な話をですね!』
『頭ん中常時ハッピーセットが何言い出すかと思えば……はぁ』
そういう台詞はせめてブログなりで呟きゃ良いものを、なんでそんな真剣な顔で聞いて来るんだか。
しかも俺の制服の裾をちょんと摘まみながらとか。
若干上目遣いだし。
『あの……なんか先輩怒ってません?』
『別に怒ってないけど』
『……ホントです? ホントに怒ってません? 早苗の目を見てワンモアプリンス』
『プリーズだよバカ』
怒ってはいない、イラっとはしたけど。
つうか自覚なしかよ、質悪いな。
幸いにして放課後の水飲み場にはいつもみたく周りに誰も居ないから、変な誤解を招かなかったから良いものを。
『そういうのは、別にどうだって良い気がするけどな』
『んー……そーですかね。そんなもんなんですかね』
好きとか嫌いとか。
高校生にもなってぶち当たる命題じゃないだろうに、テストの問題よりもずっと真剣に、深刻に考え込んでいる。
考えるより先に手足が動くタイプであるコイツにしては、とても珍しい事に見えて。
『けど……好きが嫌いになったら、今までの時間は何だったんだろうって。別れましょうの一言で』
『……』
『……全部、無駄になっちゃうんですかね』
『──、……』
だからだろうか。
ポツポツと振り出す雨の始まりのように口ずさんだその言葉が、このバカな言動と行動ばかり目立つ後輩の、『芯』なんじゃないかと思ったのは。
そしてそれは何て皮肉な事にも、よく似ていた。
降り頻る雨が作り上げた水溜まりを覗き込んでいるみたいに。
──ピアノは、もう止めようか──
いつかの俺と、良く……似ていた。
◆◇◆
「先輩せんぱい」
「なに」
「例えばなんですけど、ボーリングでどーしてもストライクが取りたい瞬間があるとします」
「今まさにお前の投球の番だからな。例えばの話で済むのかそれ」
「ふと思ったりしません? あのピンの向こう側は果たして一度に何個まで、玉を投げてもいいものかと」
「頼むから例えばの話で済ませて下さい」
どこのアニメで覚えたのか、利き腕の手をコキコキと動かしながらそう宣うバカに、早くも頭が痛みはじめた。
『球転がしがしたいです!』と、どう考えてもツッコミ待ちな早苗のメッセージが来た瞬間に感じた嫌な予感が、早くも現実味を増して来たらしい。
ガコン、ガコンとひっきりなしに響く他のレーンの騒音すら、コイツと居ると普段より何倍も静かとさえ思えた。
頭上のモニターが『早苗さんの番です』と投球を促してるのすらお構い無しで、どうでもいいことに思考を費やすのが、このアホの通常運転なのだから泣けてくる。
「なんかツルツル滑りそうだから、バビューンってスライディングしちゃうとどーなっちゃうのかなーとも」
「マジで実践したら漏れなく出入り禁止くらうぞ。絶対すんなよ。絶対だぞ!」
「丁寧な前フリですねぇ先輩。これはご期待に添わねば」
「やったら別れる」
「さーて例えばの話はここまでにしましょー!! 先輩今の早苗の冗談本気にしちゃダメですよ! ほんと冗談なんで、ホント単なる思いつきなんで! ねっ、ねっ!!」
「いや分かったから! 玉を持ったままこっちに来るな身ぶり手振りを激しくすんな!」
こっちも冗談だったのに、途端に慌てふためくところだけはまぁ、可愛いヤツである。
その手に重い球体を武装さえしてなければ。
「ったく、いつも以上にテンション上げやがってこいつ」
「いやーこの前お腹壊した反動がですね……」
「牛乳アホみたいに飲むからだろ」
「体調を良くするには牛乳を飲むのが一番って聞きましたから」
「牛乳に相談した結果がそれかよ」
「ま、先輩とのデートですからね! テンションもそりゃうなぎ昇りの滝昇りですよ!」
「あっそう。どうせならいつも以上にテンション抑えて欲しかったんだけどな」
「むふふん、先輩ったらわかりやすーい照れ隠しなんですから!」
得意げに浮かれやがって。
しかし、こいつがわざわざデートという単語を強調したのは、それだけ新鮮味を感じているって証でもある。
よくよく思い返してみれば早苗とそういう関係になって以降、休日一日を返上してがっつり出かけるのは今日が始めてだった気がする。
学校終わりにどっか寄ったり、互いの家を行き来することはもはや日常で。
「たまには外でデートしてきたら」と、アドバイスなのか厄介払いなのか判別のつきにくいマイシスターの助言により今この時は実現している訳なのだが。
「でも、こうして球に指入れると、アレを思い出しますよね」
「アレ?」
「トンガリコーンを指にはめて爪っぽくするのは誰もが通る道だと早苗は思うのですよ」
「その道は俺も通ったと言いたいがその連想が出来るのはお前ぐらいだよ……」
「えへへ、照れる」
「褒めてない」
別に俺自身、外出とか考えなかった訳じゃない。
訳じゃないが、出かける相手はこの早苗だ。
歩く化学反応と呼べるコイツは、いつどこで何をしでかすのかの検討も付かないヤツなのだ。
そりゃ無意識にでもためらうわ。
デートというものに対する欲望や羨望より先に、危機感が沸く。
俺が今日という日を迎える為に、薬局で薬剤師に胃薬について相談したのも必然だろう。
「たく、デートだってんならせめてそれっぽくしてくれって。さっきのカラオケだってお前……」
「えー、先輩もしかして早苗の勇者王列伝メドレーがお気に召さなかったんですかぁ? せっかく先輩の為にハートを込めて歌ったのに」
「いや、イントロから終わりまで握り拳を掲げて歌い切るお前のハートは凄まじかったけどもな」
「歌に大事なのはハート。古事記にもそう書いてある」
「いにしえの歴史書を捏造すんな。そんなお前の後だと普通のJ-POPを歌うのもスベッた感じしそうで選曲にくっそ悩まされたわ」
「別にスベるなんて事ないですって。あ、でも、歌詞の『おまえ』の部分を『さなえ』って歌ってくれると期待してたのになーほんとなー先輩のヘタレー!」
「誰がヘタレか。その部分に差し掛かる度に『カモォン!』とか『愛しの~?』とかうっざい合いの手入れられたら、やれるもんもやれないっての」
「ううぅ、合いの手には愛の手で返してもらい、そこからイチャイチャと愛を育む早苗のナイスなプランが……」
「お前俺が歌い出す頃には次の曲入れてただろーが。バリッバリの戦隊もの流しながら愛を育むとかどんなカオスだ」
「え、早苗は燃えますけど」
「男の俺が言うのもなんだが、ムードッ!!」
まぁ、案の定だったよ。
別に恋人らしく、ってスローガンを掲げてる訳でもないんだが、昼に行ったカラオケだけでもそんな有り様。
いや、盛り上がらなかった訳じゃない。
結局俺も最後ら辺は仮面ヒーローの主題歌を盛大にかましたし。
そんな予定調和で迎えた第二部のボウリング。
おやつ時というのに甘いものを摂取しなくともエネルギーに満ち充ちてる早苗は、時と場を変えたとしてもやはり全開であった。
「ちぇいさ! ……やたー! またまたストライク! うぇへへへ、早苗が圧倒的にリードですねぇこれは」
「脳への養分が全部運動神経に回ってる奴はこれだから……」
「なんだかんだ言いながらちょびっと悔しそうな先輩な顔、眼福なりなりー! 良いんですかぁ、早苗に好き放題させたままで。ぐんぐんと早苗と先輩のスコアが離れていっちゃってますよー?」
「うわぁ……こいつからの煽りは余計に腹立つ……あ、スプリットした、くっそぉ」
「ふふふ、残念無念! これでまたぐんぐん離れて……離れて…………えと、あの。離れるの寂しいんではやく追い付いてください。早苗に距離を感じさせるのは致命的ですよ!」
「いや離れるってお前、ボウリングのスコアに距離感じてどうすんだよ……っておいバカ、だからって物理的に引っ付くな!」
寂しさを感じるポイントも大概だが、人目を気にせず引っ付いてくる辺りがコイツだよ。
周りからのバカップルが、みたいな視線が気にならんのか。
悔しいやら恥ずかしいやら。
こういうベタな予想だけは外させない奴めが。事前に胃薬飲んでて正解だったわ。
「寂しいものは寂しいじゃないですかぁ。先輩これスペア取ってくれないと、次早苗ガーターするしか……するしかぁ……!」
「男の立つ瀬を潰そうとすんじゃない! くっ、見てろよ……絶対スペア取ってやるぞこんにゃろう」
そんでもって、つくづくやる気だけはしっかり煽ってくれるのな。悪い意味で。
わざとガーターになどさせるものかよ。そんなん悔しいどころの話じゃない。
「先輩のそういうとこ大好きー! 愛してまーす!」
……めでたく、恥ずかしいどころの話でもなくなりましたとさ。
◆◇
「はぁ、疲れた」
「えー、こういうときに疲れたーっていうのは減点ですよ先輩」
「点数を気にさせてすらくれない原因が言いますかね」
「早苗もテストの点は全然気にしませんから、お揃いですね!」
「気にしろ。マジで。またお前のママさんおだやかな心を持ちながら激しい怒りに目覚めちゃうぞ」
「早苗はセル戦が一番燃えましたねー」
「聞けやコラ」
ドッカリとベンチに腰を下ろしながらの応酬の末にポカッと小突いてみれば、なにが嬉しいのか、にへらっと緩み切った笑顔が返って来た。
夕暮れと夜の狭間で腕を伸ばす、街外れの公園の、背の高い蛍光灯。
機械的な青白い光にさえ、悔しいことにその笑顔の輝きは押し負ける気配がない。
「てかさ、ほんとに良いのか?」
「何がですかー? あ、先輩。ナゲットのソース取ってくんなましー」
「なんだその語尾……バーベキューとマスタード、どっちだ」
「早苗のジャスティスはマスタードですが、両方シェアして楽しむという今時のJKスタイルにチャレンジです!」
「現役がJKらしくすんのがチャレンジ……じゃなくてだな。変な遠慮とか……別に良かったんだぞ、イタ飯とか子洒落た店でも」
「はえ? いやぁでも、早苗はあーいうシャランラーでシャレオツなとこは落ち着かないですし」
「どこだって落ち着きないでしょーがよ。こないだはテレビのディナー特集、よだれ垂らしながら見てた癖に」
いわゆるデートコースのディナー席ってのは俺だってきっと落ち着かない。
でも、まぁ、そういう格好を付ける必要もあるんじゃないかと思う訳だ。男の甲斐性というか。
そういう淑々とした雰囲気の店でも相変わらずな早苗に振り回されて、疲労感たっぷりに帰路につく。
そんな、苦難も喜楽も半々な未来予想図を頭の隅に浮かべていたのだが。
「お腹空きましたし、テイクアウトしましょ!」と、通りかかった某ハンバーガー屋のチェーン店を指差した早苗によって、絵にかいた餅となった。
「確かに早苗もギャルですしぃ? ギロッポンでシャレオツなショップに憧れないとは言いませんけどですしぃ」
「謎の語尾やめ。業界用語はまってんのかお前。ナプキンをディレクターのみたいに肩に羽織るなアホ」
「でも、ああいうとこだとマナー違反じゃないですかぁ。ね?」
「お前にマナーという概念があったことにまずビックリだが。何がマナー違反って? 乾杯のときにルネッサーンスって言うアレか? ナイフとフォークで皿の端をチンチンって叩くアレか?」
「先輩ってば早苗をなんだと思ってるんですか。そんなお猿さんじゃありませんし」
「全部お前が通って来た道だろがい」
あむあむとナゲットとポテトをほおばる早苗は、いつも本題への道が遠回りだ。
まぁ俺自身も、その悠長さに拍車をかけるようなツッコミを入れてる立場である。
遠くで聴こえるカラスの声が、そんな自覚を促した時だった。
「まーその、ああいうとこだと、ほら」
本題に戻ると同時に、トスンと肩に重み。
ひとかじりしたバーガーからスッと真横に逸らせば、大きな瞳が俺を見つめて。
早苗の目尻が、照れ隠しのように下がった。
「ほら。隣、にね。座れないじゃないですか」
「……え」
「向かい合って、先輩の顔見ながらもいいですけどね。早苗的には、うん。これが、ジャスティスなのですよ」
「…………アホ」
なにドヤ顔しながらこっぱずかしいこと言ってんだか。
今ときめきましたよねーとか。
俺に負けず劣らずヘタレだった奴が、言うようになったもんだよ。ちくしょう。
「お前の正義と機嫌は安上がり過ぎんだよ、ホント。そのうち俺の甲斐性なくなんぞ」
「うぇへへへ、先輩のヘタレなとこが好きなんで、万事オッケー牧場物語です!」
「はいはい」
「あ、そだそだ。テイクアウトにしたのはもー1つ理由があって……やっぱイチャイチャと言ったらこれは欠かせませんよね」
「あん?」
「先輩フライングゲットですか。チキンナゲットだけに。やりますねぇ」
「いやなにがだ。お前の中だけで処理されても困るぞおい」
お得意の一人相撲になんのこっちゃと首を傾げていれば。
その種明かしとばかりに、早苗はバーベキューソースがついたナゲットを摘まんで、俺の口元に差し出して。
「はい、先輩────あーん、です!」
そう、今日一番の笑顔を浮かべた。
どこのベタなラブコメだよ、とか。
確かに人通りのない公園で良かったよとか。
そんな、言い返すべき言葉がなにも浮かばず、ソースの辛さだけがどっか彼方へ飛んでしまって。
「デート、また行きましょうね!」
「ボウリングは当分無しな」
「ははーん、さては拙者に勝てなかったのがかなーり悔しかったのでござるな。愛いやつめー」
「うるせー。んでなんで時代劇口調だよバーカ」
「うぇへへ」
舌の上に残ったぼんやりとした甘さに、ただ押し黙るしかなかった……残り11日目の公園。