第二
私には何があるのだろう。
そう考え始めてから、苦悩しない日はない。
人にはあって、私にはない。そんなことばかりで気が滅入り続けている。
体力測定でだって1位になれない。テストでも100点なんてとったことも無い。いつもいつも、平凡だ。
なにか平凡でないこと、私一人にあるもの、1人にしかないものを探し続けてもう何年たつだろう。
その何年かで、私が平凡な理由もわかってきた。受動的である、というものだ。
受動的。何か人にやれと言われてからしかやらないもののことを言う。
なら能動的になればいい、やればいい。そんなことわかりきった事だった。でも、できることは何も無かった。
やろうとしたのだ。何か、何かと探して探して…でも、見つけられなかった。
平凡を嫌った平凡な私は、受動的に生きてくることしか出来なかった私は、何か自分の意思でやるということを、物心ついてからただの1度もやったことが無かった。
そうして人に言われてやることに慣れて、無責任という微温湯に浸かり続けて。自分からやることの恐ろしさを知らずに生きてきた。
だから、なのだろう。探しても、探しても。何も見つからなかった。当たり前だ。見つけようとしなかったのだから。
…だが、今私は転機に入っている。私が自分から何かをする千載一遇のチャンスが。
何故、と問われても何、と聞かれても分からない。が、絶対に何かが私に、私の元に来ている。
扉を開く。「能動」の扉を、今全力で開いている。疲れたと、辞めたい止めたいやめたいと叫ぶ体を押さえ付けて、開き続ける。
光が差し込んだ。私にしかないもの、作れないものの光が。私の前に煌々と輝いている。
やれる、私にだって。やれる。作れる。私にしか無いものを!
そして───────扉が──────開いた──────
やっぱり短いですね…まあ、そのうちかけるようになるでしょう