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世界樹の傍の、Ⅲ  作者: 焔結城
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占い師:リーネ

当作品の著者は、葉未ではなく、焔結城嬢です。

過去に公開した『世界樹の傍の、』『世界樹の傍の、Ⅱ』の二作をお読み頂き、同じ“町”を舞台に新たな住人を登場させてお話を書いてくださいました!

ありがとうございます。嬉しいです。

また違う書き手さんから見る、“町”の新たな住人と物語をお楽しみください。

 彼女にとって世界とは、拒絶と同意義であった。



「あなたのお母さんは水の精霊だったのよ」

 そう教えてくれたのは人間であった父の姉にあたる人だった。

 物心ついた時には父も母もおらず、叔母と二人で小さな村から少し離れた場所で暮らしていた。

「とても美しい姿をしていたわ。あなたと同じ、透き通るような薄い青の髪。抜けるように白い肌。天上の調べのような歌声……

 緑の瞳はお父さんからもらったものよ」

 叔母はよくそうしてもういない父と母の話を彼女に聞かせた。

 彼女に優しくしてくれるのは叔母ただ一人で、村の人々は皆彼女を忌まわしいものとして扱った。村に近づこうものならば容赦なく石を投げられた。村から離れていても視界に入れば彼女を詰った。叔母の腕の中だけが彼女が安らげる場所だった。そして叔母が自分のせいで村を出されたことを知って自分の生まれを憎んだ。

 ある時、彼女は自分に不思議な力があることに気がついた。初めは叔母が小ぶりのナイフを探していたときで、一緒に探していた彼女の脳裏にある場所が浮かんだのだ。半信半疑でその場所を探すとそこに探していたナイフがあった。

 同じようなことが何度も続き、叔母以外には秘密にしていたにもかかわらずいつの間にか彼女の元へ失せもの探しを頼むものが訪れるようになった。

 相変わらず彼女は迫害され続けていたが、以前のように直接的な攻撃を受けることはなくなった。いくばくかの金も稼げるようになった。いいように利用されているだけだと叔母はあまりいい顔をしなかったが、彼女は叔母の親切に少しでも報いたいとそれを続けた。

 やがて彼女は、人の運命までが見えるようになった。失せもの探しに訪れた人の背後に、崖から落ちるその人の姿が重なったのだ。気のせいかと思った翌日、その人が帰り道で崖から落ちて死んだことを知った。

 そんなことが続いたが、しかし彼女はそれを決して口に出すことはなかった。うかつなことを口にすれば彼女が呪いをかけたのだとあらぬ噂を立てられるのが目に見えていたからだ。

 徐々に力は強くなり、自分の意志とは無関係に見たくもないのに死の影を見る日々は彼女の精神をすり減らして行った。

 ようやく力を制御できるようになった時には彼女から人間らしい感情のほとんどが失われていた。その頃になると叔母も年を取り、病を患うようになっていた。

 ただ叔母の為だけに生きる時間が過ぎ、そして叔母の命が尽きるときが訪れた。

 無論それも彼女の目に映っていたが、金もなく医者もいない貧しい暮らしではなすすべもない。最後の時までそばにいて、あとを追おうと思っていた。

 それを押しとどめたのは、叔母の最後の言葉だった。

「あなたは、生きて頂戴。私たちの大切な娘。あなたの幸せを願っているわ」

 息を止めた叔母の顔をただ見つめた。涙は流れなかった。もはや彼女からそれは失われていたのだ。

 それから彼女は村を出た。叔母のいないあの場所にとどまる理由は一つもない。あてのない、果てのない、意味もない旅だった。ただ時間だけがあった。精霊の血を継ぐ彼女は人よりも長い時間を与えられていた。容姿も普通の人間の二十歳くらいで成長が止まった。

 どこへ行っても彼女が受け入れられることはなかった。人々は閉鎖的で、異質なものを特に嫌った。目立つ容姿の彼女を見ると人々は一様に眉を潜め、目を逸らした。

 それでも占いの力だけは珍重された。皆彼女に頼りながら、決して彼女を受け入れはしなかった。

 利用されるためだけに生まれてきたのだと、ぼんやり思った。

 彷徨い始めてから十数年たったある日、彼女は村の近くの泉へ訪れた。叔母がよく話してくれた、父と母が出会ったという場所だ。偶然村の近くまで戻ってきていたのに気づいたというただそれだけの理由だった。

 森の中にその泉はあった。ぽかりと空いた空間で、美しい水の精霊たちがしぶきを宝石のように輝かせながら笑いさざめいている。まるで絵画の中のような光景だった。

 父はここで母に出会ったのか。

 ぼんやりとその光景を見つめていると、一人が彼女に気がついた。それをきっかけに潮が引くように静まり返り、そして精霊たちは彼女に冷たい視線を向けた。

 忌まわしいものを見るような、侮蔑するような、彼女の存在自体を根本から否定する視線。

 そうして精霊たちは水の中へと姿を消して二度と現れなかった。

 彼女は理解した。彼女が何をしようと、何を思おうと、世界は彼女を拒絶するのだと。

 うっすらと笑みを浮かべ、彼女は踵を返す。数十年ぶりに浮かべる笑みは酷くぎこちなく、見る者がいれば泣いていると思っただろう。

「ごめんね、叔母さん。約束、守れない」

 呟いて彼女は森の奥へと向かう。奥へ、奥へ、二度と戻れないほど深く。

 彼女は世界を捨て、


 奇妙な町で救いを得た。








【占い師:リーネ】








 ゆらゆらと揺れる水。遠くに響く低温。心地よさの中で彼女はまどろむ。

 先日までは冷たく体を包んでいた水は、季節の移り変わりにより徐々に温度をあげている。水中にいても耐え難い夏が間もなく訪れるのだ。

 ちゃぷんと水面が揺れる音がする。噴水の音に比べて些細なそれは耳元でよく響いた。

 母の一族は彼女を忌み嫌ったが、水そのものは彼女に決して害をなさない。むしろ地上にいるよりも水中にいる方が好きなくらいだ。今もこうして水の中に沈んで安らぎを得ている。

 もうこのまま眠ってしまおうか。

 それがいいと決めて本格的に眠ろうとした矢先、彼女の髪を何者かが引っ張った。

「おい、リーネ。いい加減にしろ」

 水越しに聞こえるくぐもった声はよく知ったもの。無視するわけにもいかず、しぶしぶと彼女、リーネは体を起こした。

 雫を滴らせて空気を吸い込む。噴水の音がよりはっきりと聞こえるようになり、青い空が目に飛び込んでくる。

 今日もいい天気だ。

 そうしてからリーネは髪を引っ張った犯人を睨んだ。

「痛いじゃないの」

「何度も呼んだのに起きないお前が悪い」

 ぺいっと掴んだ髪を投げ、一抱えもある大きな本を小脇にはさんだ長い髪の女がリーネを睨み返す。眼鏡越しの茶色い目が呆れたように細められている。もうそろそろ暑くなってくる時期だというのにいつもと同じタートルネックに足首まであるロングスカートといった出で立ちで、いつものようにどこか気だるげな雰囲気を纏っている。

「せっかくいい気持ちだったのに……まあいいわ、何の用なの? アレク」

 リーネは噴水の中に運び込んだ台の上に腰かけて縁に肘をついた。といっても下半身は水の中だ。ここは町の中心にある大きな噴水で、水の中が好きなリーネはいつもこの場所に居座っている。家はもちろん別にあるのだが、大体が昼は噴水の中、夜は酒場で飲んだくれているためあまり帰ることはない。

 アレクと呼ばれた女は噴水の外にあるベンチに腰をおろした。

「その前に。その寝方はやめろと何度言ったらわかる」

 その寝方、というのはリーネがよくやっている水の中にうつ伏せに寝るという格好で、かかとまである長い髪が水の中に広がってとても気持ちがいいのだが、外から見たら「水死体にしか見えない」ということで住民たちには大不評なのであった。

「気持ちいいのよ。文句を言うために来たなら帰って」

 口を尖らせてしっしと手を振ると、アレクはため息をついて抱えていた本を差し出した。

「これを探してほしい」

 固い表紙の大型本だ。見たところ百科事典のようである。

「何冊?」

「蔵書目録によると24冊抜けている」

 リーネが本に顔を近づけるとアレクはぱっと引っ込めてしまった。

「なによ」

「濡れる」

 睨みあうことしばし、今度はリーネがため息をついて体を戻した。

「わかったわよ。今から探すわ、準備はいい?」

 アレクは本を脇に置きポケットからメモ帳とペンを取り出すと頷いた。それを見てリーネは目を閉じて“スイッチ”を入れた。

 放っておくと暴走する力を制御するために作り上げた架空の“スイッチ”。切り替えることによって見たい時にだけ力を行使することができる。

 今リーネの脳裏には先ほど見た本と同じ形状のものが浮かんでいた。

「……手前から5列目、右から5個目の1段目、本の奥に隠されてる。同じく5列目7個目の最上段、……」

 次々と見えるその場所を告げる。本棚の奥から倉庫まで、24冊は見事にばらばらの場所に納められていた。全てを見つけて目を開くとアレクが満足そうに頷いているのが見えた。

「これで全てだな。助かる」

「まだ整理が終わらないの?」

 リーネがこの町を訪れたときからずっとアレクは図書館の蔵書を整理している。彼女自身がいかにして綺麗で見栄え良く、かつ分類に沿って使いやすく本を並べるかというのに並々ならぬ情熱を燃やしているというのも一因なのだが。

「あのジジイ、徹底的に嫌がらせをしていったからな……」

 アレクの前任の司書が町を離れるのを散々嫌がった挙句に追い出されることになり、その際に綺麗に並んでいた本の一部を滅茶苦茶に並べ替えていったのだ。そのためない本が見つかるたびにアレクはリーネの元へ訪れる。もっとも大分時間も過ぎたため占いのために来る回数はずいぶん減っていた。

 メモを見ながら場所を確認するアレクをじっと見つめる。まだ“スイッチ”を入れたままだからアレクの運命とでも呼ぶべきものが、リーネには見えていた。その先へと意識を集中させ、彼女の「終わり」が見えないことに安堵して“スイッチ”を切った。

 大丈夫。アレクはいなくならない。少なくとも数年の間は。

 リーネの見る運命のようなものは可変的で、見えた先をある程度変更することが可能である。時折こうしてこっそりとアレクがこの町からいなくなったりしないことを確認していた。

 リーネにとってアレクは口うるさい姉のような存在だった。この町に来たばかりの、まるで人形のように感情のない彼女にちょっかいをかけ、世話をしてくれた人だ。恥ずかしいので口には出さないが、彼女のことが大好きでとても大切に思っているのだった。

「せめて次が来るまでには並べ終えたいんだが」

 ぼそりと呟かれた言葉にどきっとする。思わず反射的に答えていた。

「しばらくは来ないわよ」

 言ってからしまったと思う。しかしアレクはそうかと笑っただけだった。

 この町も永遠にいられるわけではない。いつか出ていく時が来る。世界から拒絶され世界を捨てた彼女を唯一受け入れてくれたここでも。アレクが去るのが先か、リーネが去るのが先か。

 出来れば自分が先がいい。もう行く末は決めてある。

「……何を笑っている?」

 訝しげに尋ねられて我に返る。笑っていたらしい。

「なんでもないわ」

 答えて、ふと興味がわいた。

「ねえアレク。ここから出て行ったあとのことって、決めてる?」

「何故そんなことを?」

「興味よ。ね、考えたことある?」

 アレクは渋い顔をしたが、ため息をつきながらも答えをくれた。

「決めてある」

「ふうん。どんな?」

「秘密だ。お前こそどうなんだ?」

 仕返しの問いかけに、リーネはにっこりと微笑んだ。

「もう決めてあるわ。葬儀屋を喜ばせてあげるのよ」

 驚いたように目を見張ったアレクが口を開こうとしたところで、男の声が割りこんできた。

「リーネ、アレク。何話してんだ?」

「ヒース」

 いつの間に近くまで来たのか、金の髪に青い瞳の若い男が何やら荷物を持って立っていた。ヒースはアレクの隣にちゃっかり座ると二人を交互に眺める。

 話の腰を折られたアレクがもの言いたげな視線を寄越すのを無視してリーネはヒースに話しかけた。

「何の用? あんたも占い? 今気分じゃないんだけど」

「あ、そーゆー冷たい態度取るわけ? せっかくいいもの持ってきてあげたのにさー」

 もったいぶるように持ってきた包みを見せびらかす。リーネは口を尖らせた。

「何よそれ。もったいぶってないでさっさと見せなさい。見せないなら帰りなさい」

「うわひでえ。そんな言い方酷いと思いません?」

 拗ねて見せながらヒースは包みを解く。その正体がわかるとリーネは顔を輝かせた。

「じゃじゃーん」

「氷!」

「どうだ、いいものだろう」

「とってもいいものだわ! ありがとうヒース!」

 もらおうと伸ばした手は空を切った。ヒースがさっと避けたのだ。文句を言おうと口を開きかけたリーネの口の前に立てた人差し指を持ってくる。そして顔を覗き込んできた。

「これをあげる前にいつものお約束。はいどうぞ」

「……うつ伏せに寝ません」

「はいよくできました」

 今度こそ氷を受け取るとリーネはそれを抱えて水に浮かんだ。氷も水の形を変えたものなので決して彼女を傷付けない。ひんやりと気持ちがいいだけだ。

 暑さに極端に弱い彼女はこうしてヒースが持ってきてくれる氷の塊で夏をしのいでいる。氷をもらっている間だけはヒースとの約束でうつ伏せ寝をしないことになっているため、それを胸に抱いて浮かぶ彼女を見て住人はラッコを連想するという。

「どうしてうつ伏せに寝ちゃいけないのよ。とっても気持ちがいいのに」

「あのね、何度も言ってるけどね、何度でも言うけどね、俺は初めてリーネがうつ伏せに寝ているのを見て心臓が止まるほど驚いたんだからね」

 冷たさを楽しみながら文句を言う彼女にヒースはジト目で言い返す。リーネは目を逸らした。

「……そろそろ私は戻る」

 黙っていたアレクは立ち上がると本を抱えた。

「夜店に行くからな」

「はいはいお待ちしてますよ」

 ヒースはリーネがよく入り浸る酒場の主人だった。「バーテンダーと呼べ!」と本人は言い続けているが、そう呼んでくれる人はほぼ皆無である。

 立ち去るアレクを二人で見送り、リーネは幸せを噛み締める。

 隔絶された町。時の止まった住人。生まれた世界で生きられなかった彼女の初めての居場所。命潰えるまでここにいると決めた。

「何か楽しそうだな?」

「楽しいわ。私、この町が好きだもの」

 にこりと微笑んだリーネの前で何故かうろたえるヒースを無視してリーネは仰向けのまま水に沈んだ。

 この幸せがずっと続けばいいのに。

 叶わない願いを胸に、彼女は瞼を閉じた。



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