第二章 その1
朝木ゆいというとあの僕の知っている朝木ゆいの事か?名前がほんの真ん中に縦書きで書いてあり、その上に運命の本と横書きで書いてある。僕には意味が分からなかった。
この本は朝木さんが落とした物なのか?いやそれは考えずらい。朝木さんは立川市に住んでいる、立川市から電車で通学しているが優北がある横長市の笹ゆり駅までだいたい30分ぐらいだ。駅からはバスで来ている。だから自転車はない、正直こんなド田舎にしかも歩きで……
学校から猫公園まで歩いて行くにはかなりの距離だ。2km以上はある。わざわざ歩いて来る場所でもない。こんな殺風景な公園に何のようもないだろう。でも表紙には朝木さんの名前が書いてある。やはりこれは朝木さんの物なのか?僕には訳が分からなかった。朝木さんには申し訳ないとの思いながらこの本がなんなのかという好奇心に僕は負けてしまった。僕は街灯の下にしゃがみ込みその本を開いた。
本を開くと背表紙に、大きく太文字で「父、賢治、母、真由子の子として生を受ける。」と書いてある。そして1ページ目には、1993年10月14日15時52分28秒誕生と書いてある。
朝木さんのお母さんが付けた日誌だろうか。自分の初めての子供が誕生したのだ可愛くて仕方がないだろう。生まれた瞬間の時間を看護士さんに記録して貰い時間を細かく書き残しておくのは分かる。しかし何秒単位まで生まれた時のことを書くなんて普通はあり得ない。何か違和感を感じた。僕は見てはいけないと思いながらも、少し変わった日誌に僕の興味はどんどんわいてきてしまう。続きのページをパラパラとめくっていくと、そこには必ず起きた事と年と場所、そして時間が秒単位で書かれてある。
たとえば、朝木さんが5歳の頃にペットに噛まれたときのことが書いてある。
1999年5月4日11時14分01秒家のリビングのソファーの上で寝ている愛犬ミミをなでる。11時14分08秒ミミに小指をかまれる。11時14分09秒傷から出血。11時14分11秒泣き出す、などだ朝木さんの行動の一挙手一投足が秒単位で書かれてある。とても奇妙な日誌だ。
それだけではない、普通日誌には印象深いことだけを書く物だ。しかしこの日誌には、その日の全ての行動が秒単位で事細かく1日も休まず書かれているのだ。それに、本人にしか分からないことまで書かれてある。たとえば、2004年5月3日、これは朝木さんが10歳の頃のことだ。6時52分12秒目覚ましの音で起こされ目を覚ます。6時52分22秒右手で右目をこする。6時52分24秒あくびをする。6時58分24秒ベッドから降りる。6時58分26秒窓の方へ歩く。6時59分48秒カーテンを開け6時59分52秒背伸びをする。7時2分31秒自分の部屋のドアを開け7時2分48秒階段を下り始める、などだ。なんだか僕は気味が悪くなってきた。まるで朝木さんを誰かが見張っているような日誌だ。朝木さんのお母さんが書いたのならこんな事まで分かるわけもない、朝木さん本人が書いていたとしても、赤ちゃんの頃のことまで分かるわけもない。いったい誰がこんな本を書いたのだろう。
いったい何のために……読めば読むほど分からなくなって頭が混乱してくる。
僕はこの本を持ち帰ることにした。いつまでもこんな暗闇の中街灯の下でしゃがみ込み本を読んでいたら不審者と間違われる。僕は本をバックにねじ込もうとしたが大きすぎて入らない。金色に光っているので目立つが、仕方なく自転車のかごの中に入れその上に覆い被すようにバックを置いた。自転車に乗りながらもこの本は何なのかずっと考え込んでいた。ただの日誌でないことは間違いない。朝木さんや朝木さんの両親が書いた物とも思えない。朝木さんにストーカーがつきまとっているのかもしれない、しかし赤ちゃんの時からつけ回すヤツなんてさすがに朝木さんが生粋の美女といえどもそこまでするヤツなんているのだろうか。さすがに考えられない。ではいったいこの本は誰が何の目的で書いた本なのだろう考えれば考えるほど分からなくなっていく。そしてこの本の事を朝木さんに伝えるべきなのか……とても悩ましいところだ。もしこの本を朝木さんに渡して僕があらぬ疑いをかけられたら多分警察沙汰だ。そのようなことになれば僕の人生終わりだ。一生ストーカーのレッテルを貼られ生きていくのだ。もうどうして良いか分からない。ごちゃごちゃ考えていたらいきなり目の前の道が無くなっていた。
「うわっ」僕は思わず大声を上げた。
思いっきりブレーキを踏んだが時すでに遅し道の横の畑に落ちそのまま畑の中でひっくり返った。
「いってぇ」
考え事をしながら自転車に乗る物じゃない。泥まみれだ。それでも土がクッションになり怪我をしなかっただけでもまぁ良かった。そんなこんながありながらやっと家に着いた。
「ただいま」
「お帰り」リビングから母ちゃんそして爺ちゃん、婆ちゃんの声が聞こえた。いつもと変わらぬ風景だ。
いつも僕が帰るのは8時過ぎだがみんな夕ご飯は食べずに僕の帰りを待っていてくれる。口には出さないがいつも感謝している。こんな温かい家庭はそう無いんじゃないかと思うほどだ。父ちゃんはいつも帰りが10時過ぎだ。さすがにその時間までは待っていられない。今日は僕の好きな豚肉たっぷりピリ辛のカレーらしい玄関を開けた瞬間に分かった。僕の家はカレーと言ったらいつもこの豚肉たっぷりで少しピリ辛のカレーだ。僕が辛いのが好きなので家族も僕の好みに合わせてくれている。爺ちゃんも婆ちゃんもあわせてくれて今では「辛くないとカレーではない」何て言うほどだ。とにかくとてもありがたい話だ。
いつもは汗まみれの練習着のまま着替えもせずそのまま夕食を食べ、「着替えてから食べなさい」としかられるのがいつものパターンだが、今日は夕食が置いてあるリビングの方へは行かず階段を上がり自分の部屋に直行した。とても大きく金色に光っている本を抱えたままだが、ドアを隔ててリビングがあるので、でかでかとした本を家族に見られることはない。
「翼、ご飯食べないの?」
「着替えてから食べる」
「まぁ着替えてから食べるなんて珍しい明日雪でも降るのかしら」僕にとっては夏のこの時期に雪が降ること以上に不思議なことが今起こっているのだ。
僕は相変わらず練習着も着替えず椅子に座り本を開いた。
パラパラとページをめくっていると9月15日と書いてある、今日の日にちだ。もう今日あったことがびっちり事細かく書いてある。今日捨てられてあったにもかかわらずだ。朝木さんが朝トーストを食べたことやバスの何列目のどの席に座ったとか、みそのに祐太が朝木さんのことを好きと伝えられたことだとか、シャーペンの芯が折れたことまで秒単位で書かれている。それに時計を見たら今は8時18分だ。今この瞬間のことも書かれている。そしてそれ以降のことも事こまかくだ。用は未来のことまで書かれてある。これは日誌とは言えない、気味が悪くなってきた。僕の心は混乱し恐怖に包まれていた。もう僕の想像できる次元を超えていて今何が起こっているのか考えることさえも出来なかった。完全に思考停止した状況だ。
「翼早く降りてきてご飯食べなさい」僕は混乱しながらもかすかに下の階から聞こえた母ちゃんの声で現実に引き戻された。
僕は一つ大きなため息をつき一回のリビングへと向かった。
「あれ?あんた着替えてきたんじゃないの?」
「あっそうだ」僕は着替えることさえもすっかり忘れていた。
「あんた大丈夫?どっかぐあいでもわるいの?」
「いや今日練習いつもよりきつくてさぁなんだかつかれちった」
「あんまり無理しない方が良いよつぅちゃん」婆ちゃんからはつぅちゃんと呼ばれている。
「そうだ今日は早くフロ入って寝な」爺ちゃんも心配そうに言った。
「うん」僕は下を向きカレーを食べながら言った。
僕は悩んでいることを悟られたくなかったのであまり食欲がなかったがいかにもお腹がすいていたかのように、勢いよく口へかき込んだ。
「そんな練習したんじゃ腹減ったろういっぱい食べな」爺ちゃんは言った。
「おかわりあるよ」母ちゃんはそう言うとのカレーが入った鍋の方へ行った。
どうやら僕があまりにも勢いよく食べたので相当お腹が減っているんだろうと勘違いされてしまった。とんだ誤算だ。
「もういいや」
「もういいの?まだ一杯しか食べてないじゃん」母ちゃんは不思議そうな様子で言った。
「眠いわフロはいって寝る。」そう言うと僕は風呂場へ向かった。
「あんた今日はランニングしないの?」母ちゃんが言った。
僕はいつも、自分の部屋で筋トレをした後、8キロほどランニングをしそして風呂に入り寝るというのが、僕の決まった習慣だ。
「今日は疲れたからしない」
「そうとう今日の練習は大変だったんだね」婆ちゃんはニコニコしながら言った。
僕は洋服を脱ぎながら一つため息をついた。こうゆう頭の混乱した状況の時は、ひとっぷろ浴びて頭をさっぱりさせた方が良い。
自主トレをする気分じゃない。
僕は服を脱ぎ捨て風呂に入った。
湯船につかり頭のてっぺんまですべて潜った。上を見上げるとゆらゆらと光が揺れている、そして僕の鼻や口から出た二酸化炭素がコロコロと光の方へ吸い込まれていく。
まるで金色に輝くあの奇妙な本に泡のように揺れる僕の心が吸い込まれていくかのように。湯船から上がると僕はあの本を早く読むために頭や体をいつもより早く洗った。未来のことまで書いてあると言うことは明日のことも書いてあるかもしれない。もし書いてあることと同じ行動を朝木さんがとればあの本はもしかすると人間が書いた物ではなく神が書いた運命の本なのかもしれない。でも運命なんて本当にあるのだろうか。運命なんて信じない僕にとってはにわかには信じられないことだ。もし書いてあることと全く違う行動をしていたら、ただの頭のいかれたストーカーが朝木さんにつきまとっているそういうことになる。もしそうだったらちゃんと朝木さんに報告すべきだろうそして警察に連絡すべきだ。
僕はフロから上がり髪も乾かさずに自分の部屋に向かった。
僕は机に向かい本を開き9月16日のページを探した。パラパラとページをめくっていくに従い僕の心臓の鼓動が早くなっていくのが分かる。何となく9月16日のページがあるような予感がするのだ。




