第五章 その1 第五章 (完)
このあと病院の関係者が僕の両親に連絡をとり両親が僕を殺伐としたいつもの病室へともどした。病室へ戻る前に、家から持って行きたい物があると両親に言って家に戻り、自分の部屋から漫画の本や写真と一緒に運命の本をバックに入れた。裕太は病院の関係者が事情を理解し厳重注意だけで何のおとがめもなかった。
何か自分の中で完全になることはないだろうが死ぬと言うことに対してあの病院への突入事件をきっかけに、吹っ切れた。吹っ切れたと言うよりはまぁやり残したことはなくすっきりした気持ちと言う方が正しい。ともかく死に対しての恐怖が以前より、少なくなった。
きっと朝木さんがやっと分かってくれた、心が通じ合えたという喜びが死の恐怖なんかを忘れさせてくれているのかもしれない。今の僕にとってやれるべき事はすべてやったという、満足感でいっぱいだった。もういつ死んでもいいという思いだった。
運命の本を開き裏表紙の裏側を見た。すると88歳心臓発作により死亡と書いてある。僕は目を疑った。自殺の文字が消えたのだ。僕は本を見ながら何度も「よしっ」と言いながら力強くガッツポーズをした。あれだけいろいろなことをしてもこの自殺の文字が消える事はなく僕には朝木さんを救うことができないと諦めていた。しかしやっと朝木さんの運命を変えることができたのだ。僕は心からうれしかった。自分は病気で死んでしまうこのことが朝木さんの運命を変えるきっかけになったわけだが、複雑な気持ちなどみじんもなかった。僕は朝木さんを心から愛しているから。僕は愛する人を救うことができたのだ。今まで味わったことのないような喜びを感じた。
僕はその夜は入院して初めて悪夢も見ずにぐっすり寝ることができた。
次の日の夜病院の裏庭に運命の本を埋めた。もう必要がない。僕の願いは叶ったのだ。
翌日朝起きて、お椀に少しだけ盛られたおかゆと味噌汁と小さな器に盛られた漬け物という質素ないつもと変わらない病院食だ。いつも飽き飽きしながら食べていた病院食もなんだかいつもと違う。とてもおいしく感じた。物を食べると生きているんだという実感がわくのだ。
食事をしていると部屋の扉が少し開いた。
扉の方を見ると朝木さんが恥ずかしそうに、僕を見て会釈をした。一瞬心臓がドクンと大きく鼓動を打った。
僕は少し照れ笑いを浮かべて「どうも」と言った。
「あのお食事中すいません」朝木さんも小さな声で言った。
「いや……全然大丈夫だよ」きっと僕の顔は真っ赤だろう。
「あの……吉井君があのとき体調が悪いのに私なんかの所に来てくれなかったら、私一生立ち直れなかったし、また自殺を繰り返していたと思う。本当に感謝しています。ありがとう」
「い、いやいんだよ……本当にゴメンね急に押しかけちゃって」
朝木さんは首を横に振った。
「でも立ち直ってくれてよかった」僕は朝木さんが立ち直っているのを確信した。もちろんあの本に自殺の文字が消えたと言うこともあるが、目の輝きが違ったのだ。生き生きしていた。
「うん、本当にありがとう」
「いや」
「それで……」朝木さんは下を向き口ごもった。
「あの……」
「うん」
「まだ返事していなかったなって思って」
「え……何が?」
すると朝木さんが僕の方を、唇をかみ決意したかのように見た。
「わたし吉井君のことが好きです。私でよければお付き合いしてください。」
僕は心臓が張り裂けそうだった。うれしくてうれしくてたまらなかった。
「吉井君のこと少しでも支えたい」
「生きてたら、いいことあるんだなぁ」僕はどんな顔をしたらいいかも分からないまま照れながら言った。
「あの……体調はどうですか」朝木さんが言った。
「なんか、辛いのが全部ふっとんじゃった」
僕がそういうと、朝木さんは少し笑みを浮かべた。
「こっちに座りなよ」
そう言うと朝木さんはゆっくりベットの横にある椅子に座った。僕は朝木さんの目を見ると朝木さんも僕の目を見た。そして僕達二人は、すこし照れ笑いを浮かべながら目をそらした。朝木さんは今まで目はほとんど合わせてくれなかったから余計照れくさかった。
「今日はいい天気ですね」朝木さんが日差しが差し込む窓の外を眩しそうに見ながら言った。
「そうだね」僕も窓の外を見て言った。
「あの……」
「はい」
「敬語で話さなくていいよ」
「はい」
僕は微笑を浮かべながら言った。「はいじゃなくて、うんって」
「……うん」朝木さんは照れくさそうに僕の目を見ながら言った。
「あの……」
「何?」
「私が過呼吸になったとき助けてくれてありがとう。私翼君がいなかったら、死んじゃってた」
「あのとき死んだ方がよかったって言ってたけどもうそんなことは思ってないよね」
「うん」そう言うと朝木さんはニッコリ笑った。心から笑っているのが分かった。
「よかった。本当によかった」
朝木さんのその笑顔が僕にとって癒やしだし生きがいだと感じた。他人の幸せをここまで喜びに思えるなんて想像もつかなかった。これが愛なのだと感じた。
「学校は行ってるの?」
「うん」
「そうなんだよかった。俺も行きたいな」
「行けるよ。翼君なら大丈夫って思うの」
「そうかな?」
「うん他人の命を救ったんだもん。そんな翼君を神様は見捨てたりしないよ」
「そうかな……神様か……」
「うんそうだよ絶対完治する」
「ありがとう、がんばるよ。俺今までどうせ死ぬんだって投げやりな態度ばかりしてたけど、ゆいがいや……朝木さんが」
「ゆいでいいよ」
「うん……ゆいが応援してくれるからなんだか治るんじゃないかって思えてきた」
朝木さんは僕の手を握った。とても暖かく柔らかい繊細な手だ。僕も強く握り返した。するとなんだか急に涙があふれ出してきた。「俺死にたくねぇよ」
朝木さんは大丈夫だよ、といいながら僕を抱きしめた。
僕は朝木さんの胸の中でいっぱい泣いた。頬を僕の頭のてっぺんに当てて、大丈夫大丈夫と何度も優しく言った。僕はその優しさに遠慮無く甘え泣き続けた。
僕が落ち着くと朝木さんは明日また来るねといって帰って行った。ドアを出る瞬間朝木さんは振り返ってニコッと微笑み手を振った。僕も手を振り返した。遠くに行ってもずっとつながっている。電話番号もまだ交換していないけれど、削除ボタンを押せばつながりが消えてしまう、そんな物ではない。ずっとつながっているような……そう心でいつも感じていられる、愛という物で結ばれているのだ。
あっという間に時間が過ぎたという感じだ。夢のような時間だった。今僕は夢を見ているのではないかと本気で思い頬をつねってみた。痛くない。握力も無くなって強くつねることができなかったのだ。でももうそんなことはどうでもいい、夢でもいい。この夢が覚めさえしなければ。もし死ぬのだとしてもどのくらいの時間か分からないが、残された時間を精一杯楽しく過ごすことだけを考えようと思った。
それが僕に残された唯一の幸せへと向かう道なのだから。
僕はしばし窓の外に広がる青々とした空を見ていた。すると携帯が鳴った。裕太からのメールだ。明日フットボール部の仲間と一緒にお見舞いに来るそうだ。
ぼくは「ありがとう」と返事を送り返した。今までの僕はずっとお見舞いを拒否していた。健康な仲間を見るのが辛かったそして同情されるのが嫌だった。でももうそんなことは気にならない。僕は今の自分を受け入れることができたからだ。最後ぐらい笑っていたいじゃないか。残された時間ずっとずっと笑っていたい。
あと80年分を残された時間で笑ってやる。それが僕の人生の最大の目標になった。
次の日、裕太やフットボール部の仲間や先輩や監督がお見舞いに来てくれた。千羽鶴やボールにみんなが寄せ書きをして持ってきてくれた。
一番びっくりしたことが監督を含め全員がスキンヘッドにしてきたことだった。
フットボール部の仲間の須藤が田中に対して「こいつ頭とんがっててウケル」というと田中がうるせえといって須藤の頭を叩いた。僕は思わず吹き出し笑うと、みんなも一斉に笑い始めた。みんなも僕の気持ちを察して、気を遣っていたのか明るく振る舞っている中にもどことなくぎこちない雰囲気だった。しかし僕が笑った事で、そんな空気が花火のようなはじけるような空気へと一変した。田中だけは少し不機嫌そうにしてとんがった頭を気にするように手で頭をなでていた。
監督が僕の前に来て言った。「お前のドリブルは将来絶対チームの力になると確信しているんだ。だから絶対治すんだぞ。みんな待っているから」
僕はそれを聞いてとてもうれしかった。僕はマラドーナの5人抜きを見てあんなプレーがしたいと思い毎日毎日必死で、ドリブルを練習していた。雨の日も外でずぶ濡れになりながら練習した事を思い出した。なんだか努力が報われたそんな気持ちだった。僕にとってはその言葉で十分すぎるくらいだった。
「ありがとうございます。絶対に治します」
僕がそう言うと監督は満面の笑顔を浮かべた。
2時間くらいフットボール部のメンバーと話していた。その時間はとても楽しく今までほとんど話したことが無かった、川原や鈴木とも話した。何となく交流がなかっただけだが、はなしてみると気さくで何で今まではなしていなかったのだろうと後悔するほどだった。いっぱいはなしていっぱい笑った。その時間は僕にとって最高でこの空間にずっと包まれていたかった。しかし時が過ぎるのは早い面会の時間が終わってメンバーが帰っていった。
次の日裕太が一人でお見舞いに来た。
「どうだ?調子は?」裕太は椅子に座ろうとしながら言った。
「まぁまぁかな。昨日は本当に楽しかったなぁ」
「そっかよかった」
「俺らいつも一緒だったよな」
「そうだな小学生くらいからだよな」
「裕太が蜂に刺されて、死ぬーって泣き叫んでた光景は今でも昨日のことのように思い出すよ」僕は少しにやけながら言った。
「言うなよ。」裕太も恥ずかしそうに笑いながら言った。「あれは本当に毒が回って死ぬかと思ったんだぞ。本当に怖かったわ」
「俺もあのときは裕太が本当に死ぬと思って、どうしようかとパニックになったよ。森の中だから誰も人いなかったしな。お前必死で口でどく吸い出そうとしてたよな」
裕太は満面の笑みを浮かべていった。「ミツバチに毒無いんだけどな」そう言うと二人で大声を出して笑った。
僕達二人はいつも一緒だった。だからたくさんの思い出がある。1日じゃ語りきれないくらいのたくさんの思い出が……
小3の頃、女の子に二人で股間を見せて必死で逃げる女の子を追っかけまわしたこと、今思えばただの痴漢行為だ。小5の頃裕太が学校から下校の時、道ばたで自分は手相が見れると言うので僕は裕太に手のひらを見せた。そうしたら、僕が開いた手のひらに空から白い物が、ポタッと落ちてきた。それは鳥の糞だった。裕太にも笑われそのときは最悪の思い出だったが、今となっては最高におもしろい思い出だ。そんな思い出話を永遠と二人で話していた。話しているときは病気のことは忘れることができた。
しかしやはり長話をしているとそれだけで疲れてしまう。まだ思い出に浸っていたいが、現実に引き戻されてしまうのだ。
「あー少しつかれたわ。大丈夫か」僕はため息をつきながら言った。
「ゴメンまた俺の悪い癖で長話になっちゃったな」裕太は丸坊主にした頭をポリポリかいた。
「大丈夫だよ。ホント楽しかったわ」
「そっかよかった。じゃあそろそろ帰るわ」
「うんまたな」
「ああ。翼頑張れよ」裕太は帰り際に言った。
僕は拳を裕太に向けた。裕太も握り拳を作りグータッチをした。そして裕太は帰っていった。
時計は夕方の5時を指していた。僕は少し横になり静かに目を閉じた。寝ようと思ったが寝ることは出きず目を開け時計を見ると1時間半もたっていた。6時30分になって夕食の時間になり看護師さんが夕食を持ってきた。
はぁまたこれか……いつもそんな愚痴ばかり言っていたが今は悪態はつかなくなった。無理して押さえているのではなく、そんな気持ちがわいてこないのだ。
看護師さんは最初の頃は励ましの言葉も言っていたが、今は淡々と食事を台に並べ自分の仕事だけをするようになっていた。無理もない。僕は悪態ばかりつき看護師さんにもあたり散らかしていたからだ。
「なんか僕、昨日より調子がいいかもしれないです」僕の言葉を聞いた看護師さんの顔は瞬きが多くなり、信じられないというような感情を必死でこらえながらも、その気持ちが明らかに表に出ていた。
看護師さんは涙目に成り「そうよかった。調子が悪いときは遠慮なく言ってね」そう言い、笑顔を浮かべた。看護師さんが病室から出て行くと、仕事が終わった父ちゃんと母ちゃんと爺ちゃんと婆ちゃんが一緒に見舞いに来た。
「今日は起きてたんだ」母ちゃんが言った。
「まぁ少し眠れなくて」
「体の調子はどうだ」爺ちゃんが言った。
「まぁ変わらずって感じかな」
「お前はよく頑張ってるよ。ホントに家族の誇りだ」父ちゃんが言った。僕は単純にうれしかった。親といえどもそんなこと滅多に言われないことだろう。
僕は少し照れくさそうに顔をしかめ頭をかいて「うん」と言った。
「そうだよ翼は私たちの誇りだよ」婆ちゃんも父ちゃんに言った。
「ありがとう」僕は素直にその言葉を受け止めた。
「翼は昔から気は強かったからな。友達と喧嘩して相手が一回り大きい子でも泣きながら食らいついていたのを、父ちゃん必死で止めたのを覚えているよ」
「そんなことあったっけ」僕は思い出せなかった。
「幼稚園の頃だから覚えてないか」父ちゃんはそう言うと笑った。
「幼稚園のことなんか覚えてないよねぇ」母ちゃんが言った。
「覚えてないなぁ俺そんな子供だったんだ」
「そうだぞ、翼は強い子だったな」
僕にとってその言葉はすごく励みになった。精神的に辛いときに、気持ちが強いこと言われるとなぜか勇気がわいてくるのだ。
そんな昔話をしていると急に吐き気がおそった。
「ちょっと気持ち悪い」
「大丈夫か?」そう言うと父ちゃんは僕の背中をさすった。
トイレに駆け込まなくても、その場で嘔吐できるように、嘔吐した時に使う器が横に置いてある、母ちゃんが手に取り僕の口元へと持って行った。僕はそのままその器にはいた。僕は嘔吐することが、1日に1回から2回ほどある。ゲロを吐くことはもう日常茶飯事なのだ。だから母ちゃんも父ちゃんも手際よく僕をフォローしてくれる。
「大丈夫か?」父ちゃんが言った。
「余裕」
「そうか……」父ちゃんは少し悲しそうに言った。
僕は強がって[余裕]という言葉を使ったのではない。本音だ。もうゲロを吐くことになれてしまい、辛いとも思わなくなった。僕はこれをプラスにとらえている。辛いと思ったことが1つ減ったのだから。すべては気持ちの持ちようなのだ。いつかこの辛い状況を耐え抜けば、絶対に治ると信じれるようになった。僕は180度変わったのだ。
母ちゃんはその器をトイレに持って行き、僕が吐いた物を流しに行った。
「まだ出る?」母ちゃんが言った。
「もう大丈夫」
「吐くとすっきりするんだよね。ちょっと調子よくなった」
「そうか……我慢はするなよ」父ちゃんが言った。
「よくなったら何がしたい」母ちゃんが器を水で洗い流しながら言った。
「やっぱりフットボールかなぁ。思いっきりグランドで走り回りたい」
「じゃあ新しいスパイク買ってやるか」
「まじで」
「おう奮発して一番いいやつ買ってやる」
「本当!よっしゃ。絶対治すぞ」
「そのいきだよ翼」母ちゃんが言った。
「おう」僕は力強く答えた。
家族も必死で僕を支えてくれている、だからがんばらなくてはいけない。
次の日朝木さんは学校を休みお見舞いに来てくれた。朝木さんは僕の看病もしっかりしてくれて、母ちゃんや父ちゃんも朝木さんに感謝していた。
僕が吐き気を催すと器を持ってきてくれたり、大量の汗をかくとタオルで拭いてくれたり水を飲ませてくれたり何でもしてくれた。朝木さんは自分ができることなら何でもしてくれた。
2日ほどたち僕の体調も少しだけ安定してきた。
「ありがとう。毎回お世話かけちゃって」
朝木さんは首を横に振りいった「私なんかこれくらいしかできないけど、できることは何でもやる」
「ありがとう」
そしてお互いを思う空気感が僕たちを情熱的にさせた。朝木さんの潤んだ瞳は何よりも美しかった。僕たちは見つめ合い、僕はそっと唇を寄せた。朝木さんは目をつぶり朝木さんも唇を寄せた。僕は朝木さんと口づけを交わした。
僕はなんて神秘的な物かと思った。胸の鼓動は今にも張り裂けそうだった。朝木さんが愛おしくて愛おしくて僕は朝木さんをぎゅっと抱きしめた。




